第4話 お騒がせな超格差婚と、元職場の不敬な叫び
翌日。
俺――トア・レンバートは、見慣れた石造りの古文書館の前に立っていた。
いつもなら憂鬱な朝の光を浴びながらトボトボと歩く道だが、今日ばかりは視界に入る景色がすべて違って見える。
理由は明確だ。
(うぅ。目立つなぁ。)
俺の隣に、街ゆく人々が全員二度見して、そのまま硬直するほどの美女が寄り添っているから。
プラチナブロンドの美しい髪を初秋の風にたなびかせ、隙のない軍服に身を包んだ、ヴァルハイト公爵家当主――アルテリゼ・ヴァルハイト。
そして何より、俺の右手が、彼女の白い軍手を嵌めた手に、これ以上ないほどしっかりと、指を絡めるようにして握られている。
「トア、本当に荷物整理など自分でやるのか? 我が家の使用人を全員寄越せば一瞬で終わるのだが……。それとも、私が直接君の荷物を抱えて運ぼうか?」
リゼさんは真剣そのものの目で、俺を覗き込んできた。
「リゼさん、俺の私物なんてお気に入りの本と、いくつかの細々とした道具だけですから。すぐに終わりますよ。それに、ちゃんとお世話になった館長や同僚に挨拶をして、筋を通したいんです。」
「む……君がそう言うなら従おう。だが、少しでも重いものがあれば、遠慮なく私に言いなさい。本の一箱や二箱、片手で天高く持ち上げてみせる。」
凛々しい軍服姿で、大真面目にそんな「怪力自慢」のようなプロポーズの余韻を響かせるリゼさんに、俺は苦笑するしかない。
相変わらず、外見の美しさに反して男前すぎる人だ。
「じゃあ、行きましょうか。」
俺は一歩踏み出し、重厚な木製の扉に手をかける。
……そういえばこの扉、昨日リゼさんが来た時に壊しかけていたはずだ。
それがどういうわけか、今目の前にあるのは、最高級のマホガニー材を贅沢に使い、細かな魔力銀の装飾まで施された、王宮にあってもおかしくないレベルの超高級扉にすり替わっている。
聞けば、公爵家の財力とお抱えの職人集団によって、一晩で完全修復(というか超絶強化)されたらしい。
――バァン!
強化されすぎて逆に重くなった扉を、リゼさんが軽々と開け放ち、俺たちは中へと入った。
「あ、おはようございます、館長。」
俺がいつも通りのトーンで声をかけると、受付デスクの陰から、怯えきった様子の館長が恐る恐る顔を出した。
「ひえっ!? アルテリゼ公爵閣下の次は、本物の古代竜の軍勢でも押し寄せてきたかとおも……って、ト、トアぁぁぁ!?」
俺の姿を認めた瞬間、館長は文字通り椅子から飛び上がった。
しかし、その驚愕はすぐに、俺の後ろに控える「本物の恐怖」へとシフトする。
リゼさん。
そして、その後ろで完全に胃を押さえ、死んだ魚のような目をしている副官のバルトさん。
「お前、昨日連れ去られたと思ったら……なんで、なんで帝国の最高戦力、アルテリゼ閣下とガッチリ恋人繋ぎをしてるんだぁぁ!?」
「あ、これですか?」
俺は繋がれた手を少し持ち上げて見せた。
リゼさんはなぜか嬉しそうに、さらにギュッと握る力を強めてくる。
「実は俺、リゼさんと結婚することになりまして。今日でここの書記官を退職して、ヴァルハイト公爵家に入ることになりました。色々とご迷惑をおかけしましたが、今までお世話になりました。」
俺は、まるで「明日からちょっと風邪で休みます」くらいの気軽さで、おっとりとした笑顔のまま報告を済ませた。
一瞬、古文書館の時が止まった。
ーー静寂。
あまりの衝撃に、空気すら凝固したかのような錯覚を覚える。
「け、けけ、け、結婚ぉぉぉ――ッ!?」
(うるさ!!はぁ、気持ちはわかるけどね。)
次の瞬間、館長の鼓膜を破らんばかりの叫び声が、高い天井に響き渡った。
その声を合図にしたように、周囲の書架の陰から様子を窺っていた他の書記官たちからも、「な、なんだってー!?」という絶叫が上がり、彼らが抱えていた分厚い古文書が、バタバタと大きな音を立てて床に落ちていった。
「――館長殿」
騒然とする館内に、リゼさんの低く、凛とした声が通る。
彼女が一歩前に出た。
ただそれだけなのに、彼女の全身から無意識に漏れ出た「龍圧」が室内に満ちる。
館長は完全に直立不動になり、顔面を真っ青に染めてガタガタと震え出した。
「トアは三年前、誰もが呪われた怪物と恐れた私を、その深い優しさで救ってくれた、私の生涯唯一無二の伴侶だ。平民の身でありながら、今まで彼を解雇せず、ここで支えてくれたこと……ヴァルハイト公爵家を代表して心から感謝する。」
「は、はは、はひぃっ……!」
「……これからは、私が生涯をかけて彼を衣食住の全てにおいて世話して、溺愛し、世界一幸せにすることをここに誓おう。だから安心して、彼を私に委ねてほしい。」
公爵閣下からの直々の感謝(という名の、重すぎる直球の愛の宣言)。
館長は完全に脳の処理キャパシティをオーバーしており、もはや壊れたおもちゃのようにヘコヘコと首を縦に振ることしかできていない。
目が泳ぎすぎて、白目になりかけている。
「リゼさん、リゼさん。館長が恐怖で消し飛びそうになってますから、そのへんで。」
俺は苦笑しながら、リゼさんの肩をポンポンと叩いた。
すると、館内を包んでいた鋭い威圧感が、まるで嘘のようにふっと霧散した。
それどころか、リゼさんは「あ」と小さく声を漏らし、白い頬をジュッと音がしそうなほど赤く染めて、もじもじとし始めたのだ。
「す、すまない、トア。君の元職場だと思うと、粗相があってはならないと、つい気合が入りすぎてしまった……。嫌い、になっただろうか……?」
上目遣いで、捨てられた子犬のように俺の顔色を窺ってくる帝国最強の女公爵。
(うぅ、この顔は反則ですってリゼさん!)
その様子を、床に這いつくばったまま見ていた館長、そして物陰から見守っていた同僚たちの脳内は、完全に一つの結末で行き届いていた。
(((あの帝国最強、冷徹無比と恐れられる『氷の女公爵』が……平民のトアにめちゃくちゃ頭が上がらない感じになってる……!? というか、ただの恋する乙女じゃねか!!!)))
こうして、古文書館の数百年ある歴史の中で、最も騒がしく、最も不敬な叫びが響き渡った一日が終わった。
俺は無事に(リゼさんが過保護に抱き抱え込もうとするのを制しながら)私物の本をまとめ、最強で、最高に可愛い婚約者と共に、きらびやかな新生活へと歩み出したのだった。




