第55話 帝都への花道
ガルディニア王国の特使団を乗せた絢爛な馬車列が、帝都の象徴である大凱旋門をくぐり抜けた瞬間、天地を震わせるほどの歓声が沸き起こった。
「エミリア王女殿下万歳!」
「美しき白百合の姫君に、帝国の祝福を!」
中央大通りの両脇を埋め尽くした民衆から、色とりどりの花びらが惜しみなく投げつけられる。
国境での緊迫した衝突など露知らず、平和の使者としてやってきた「お転婆で可憐な第三王女」を歓迎する、絵に描いたような熱狂。
馬車の窓から身を乗り出し、緋色の髪をなびかせながら満面の笑みで手を振り返すエミリア。その姿に民衆はさらに沸き立つ。
「まぁ! 嬉しいわ! 皆様、ありがとう! 帝国の男の子たちはみんな素敵ね!」
無邪気な声を上げ、投げキッスを振りまく。だが、その華やかな笑顔の裏で、彼女のエメラルドグリーンの瞳は、一滴の水も通さないほど冷たく冷え切っていた。
(愚かな羊たち。表層の平和に踊らされて、自分たちの喉元にどれほど鋭い利権の刃が突きつけられているかも知らないで)
エミリアの視線は、熱狂する民衆を完全に通り抜け、彼らの背後に整然と並ぶ帝国兵の防衛陣形へと向けられていた。
(……おかしいわね。レオンハルトから横流しされていた『帝国中央騎士団の巡回マニュアル』と、兵の配置が根本的に違っているわ。配置の周期が半刻ずつズレている。これは、偶然? それとも……)
彼女の明晰な脳細胞が、帝都の空気に混ざる奇妙な違和感を瞬時に察知する。何者かが、こちらの『内通者』の存在を前提としたかのように、防衛網を極秘裏に書き換えている。
「ふふ……いいわ。帝国にも、少しは骨のある戦術家がいるみたいじゃない。」
エミリアは口元に指をあて、ゾクゾクとするような快感を噛み締めた。その脳裏に浮かぶのは、国境でレオンハルトから警告された、あの青年の名前──トア・レンバート。馬車は民衆の歓声を切り裂きながら、特使団の滞在先であり、彼が待つ「ヴァルハイト邸」へと一直線に向かっていく。
◇◇◇
──同時刻。貴族街の最奥に佇むヴァルハイト邸。
そこは、帝都の熱狂から完全に隔離された、不気味なほどの静寂と緊張感に包まれていた。
「──全員、手を止めなさい。」
邸内の大広間。凛とした、しかし一切の妥協を許さない鋭い声が響いた。
声をかけたのは、ヴァルハイト邸のメイド長であるリサだった。彼女は一分の隙もない黒のメイド服を纏い、背筋を完璧に伸ばして並び立つメイドたちを見据えている。
「ガルディニア特使団の到着まで、あと半刻です。もう一度叩き込みなさい。今回の『おもてなし』は、我がヴァルハイト邸が総力を挙げて挑む──完璧な情報戦です。」
リサは冷徹な眼差しで、卓上に用意された調度品の数々を指し示した。
「エミリア王女の部屋に配置する生花は、本国の調査通り、彼女が好むとされる『白百合』。ただし、その根本には微量の『月見草の香油』を仕込んであります。お転婆を演じる彼女が、もし本当にロマンス小説のような夜の単独行動を好むなら、この香りは彼女の衣服に24時間は残り、我が方の隠密がその足跡を完全に追跡できる。」
「は、はい、メイド長!」
「食事の味付けは、ガルディニアの第一王女派が好む濃い塩気をベースにしつつ、一品だけ、エミリア王女個人の本当の嗜好とされる『蜂蜜』を使ったデザートを紛れ込ませなさい。彼女がそれを口にした瞬間の瞳孔の開き、微細な咀嚼の速度を観察し、彼女の『本音の許容範囲』をプロファイリングします。」
リサの指示は、もはや歓迎の準備ではなく、一国の特務機関による尋問シミュレーションそのものだった。彼女たちの手によって、ヴァルハイト邸のすべての部屋、すべての廊下、すべての食卓が、エミリア王女の「剥がされるべきピエロの皮」をあぶり出すための、巨大な罠へと変貌していく。
大広間の隅では、護衛騎士としての正装に身を包んだシエラが、腰の長剣の柄に手をかけたまま、息を呑んでその光景を見つめていた。
「(……これが、トア様の足元を支えるヴァルハイト邸の『おもてなし』。ただの外交レセプションじゃない。一歩足を踏み入れた瞬間から、脳の戦いが始まっているんだ……!)」
シエラは自身の掌にじっとりと汗が滲むのを感じ、剣を握る力を強めた。
その時、邸内の最奥にある書斎の扉が静かに開き、薄い茶髪の青年──トア・レンバートが姿を現す。
その双眸は、これから始まる「怪物の来訪」を前に、静かで深い光を湛えている。
「みんな、準備をありがとう。リサさん、防衛陣形の書き換えについては、グレン団長が完璧に動いてくれたよ。」
トアはリサに微笑みかけ、それから窓の外、邸宅の門へと近づいてくる馬車の駆動音に耳を澄ませた。
「ガルディニアの第三王女、エミリア・リガード・ガルディニア……。お転婆なピエロの仮面を被り、その裏で自国の姉を奈落へ落とそうとする冷徹な政治家。……面白い盤面になりそうだ。」
トアは静かに、しかし確信に満ちた声で呟いた。
「彼女が僕のすべてを利用するつもりなら、僕は彼女のその『狂気』ごと、この盤面で踊ってもらうようにするだけさ。」
ガタガタと、ついにヴァルハイト邸の鉄門が開き、ガルディニア特使団の馬車が滑り込んでくる。
表の熱狂と、裏の狂気。二つの二面性を持つ怪物たちが、ついに帝都のヴァルハイト邸という一つの戦場で、静かに対峙の時を迎えようとしていた。
更新が遅れてすみません!
明日から更新が遅れてしまいますが毎日投稿は続けますのでよろしくお願いします。




