幕間 半竜の観察記録ー3
「――だから、俺はただこいつにハメられただけだっての!」
消滅した扉の向こう、黒焦げになったソファーの端に腰掛けたグレンは、必死の弁明の末、ようやくリゼの手のひらの炎を消させることに成功した。
冷や汗でぐっしょりと濡れた前髪をかき上げ、擬態を編み直して人間の姿へと戻る。心臓はまだ変なリズムでバクバクといっていた。
「……トア、本当にグレンに色目を遣われたわけではないの?」
リゼはまだ少し不満そうに、トアの膝に顔を埋めたまま琥珀色の瞳を上向かせている。
「ああ、本当だよ、リゼさん。グレン団長は俺の言葉の誘導に見事に乗って、完璧なサンプルを露出してくれただけだ。彼に落ち度はないよ。」
トアは優しくリゼの頭を撫でながら、何食わぬ顔で微笑んだ。その翡翠色の瞳は、まるで最初からこの結末までを盤上で計算していたかのように静かだった。
グレンは呆れ果てたように、トアを指差した。
「トアくん……お前マジで性格悪いな!?」
「人聞きが悪いですね。俺はただ、軍事研究のための協力を仰いだだけです。」
「協力の仰ぎ方が完全に悪魔のそれなんだよ! 人の警戒心を絶妙に煽って術を暴発させた挙句、じゃじゃ馬姫が突っ込んできたら『自分は被害者です』みたいな顔しやがって! お前、本当にあの拉致事件でさらわれただけの『可哀想な文官』か? 脳みその中身、絶対に人族のそれじゃねぇだろ!」
「ふふ、買い被りです。」
トアは気に留める風もなく、手元のノートにさらさらとペンを走らせる。
「ですが、お陰様で素晴らしいデータが取れました。グレン団長、あなたの鱗の魔力伝導率は、リゼさんの鱗に比べて『約1.3倍』ほど高効率です。これはあなたが聖騎士として修めた『聖属性魔術』が、竜の鱗の細胞に最適化された結果でしょう。」
トアの言葉に、グレンは一瞬、愚痴るのを忘れて目を丸くした。
「……は? なんで触ってもいねぇのにそこまで分かるんだよ?」
「見れば分かりますよ?対象の魔力波長を『構造的』に透過・観測した結果です。触れるというのは、それを確証に変えるための、ただのハッタリ(ブラフ)でした。」
「触る気最初からなかったのかよ!!」
グレンはついに頭を抱えてソファーに突っ伏した。
最初から最後まで、この車椅子の賢者の掌の上で踊らされていたのだ。
「これで、ガルディニアの呪いに対する『次なる作戦』のピースが揃いました。」
トアはペンを止める。
「リゼさんを蝕んだあの悍ましい呪いは、通常の魔術障壁では防げない『精神汚染型の致死呪」』です。ですが、グレン団長。あなたの聖属性が混ざった魔力波長を、リゼの鱗の防護結界にリバースエンジニアリング(逆行解析)して組み込めば、呪術の侵入を水際で完全にシャットアウトできる『対呪式・聖竜結界』が完成します。」
トアの口から淀みなく紡がれる、国家最高機密レベルの魔導戦術。
グレンは顔を上げ、トアのその「頭脳」に冷や汗を流しながらも、不敵に笑った。
「なるほどな……。隣国ガルディニアのクソ魔導師ども、今度こそリゼを狂竜化させる計画が根底からひっくり返るぞ。――で? その結界の構築、まさか俺にも手伝えって言うんじゃねぇだろうな?」
「当然です。グレン団長には、これから毎日三時間、魔力供給のサンプルになっていただきます!」
「やっぱりお前、悪魔だよ!!」
◇◇◇
「――トア。もう誰もいない。」
夜、静まり返ったトアの自室。
車椅子からベッドへとリゼの手によって優しく抱き上げられたトアは、シーツに背を預けた。
リゼは軍服の上着を脱ぎ捨て、白いブラウス姿でトアの胸元へと潜り込んできた。
頭の上の漆黒の『竜の耳』は完全にペタンと伏せられており、ドレスの裾から伸びる『竜の尻尾』は、トアの太ももにこれでもかと強く、独占欲を誇示するように巻き付いている。
「怒っているの、リゼさん?」
トアが苦笑しながら、彼女の艶やかな髪に指を絡める。
「……怒っている。グレンに色目を使われたわけじゃないって分かっていても、トアが、私以外の竜の鱗をあんなに熱心に見つめるなんて嫌。触ろうとするなんて、もっと嫌!」
リゼはトアの胸に顔を埋めたまま、小さな子供のように ぐずった。
戦場では数万の敵を震撼させる「半竜の公爵」が、自分の前でだけは見せる、この上なく愛らしい甘え。
「悪かったよ。俺の世界にいる竜は、最初から君だけだよ?」
「嘘。今日、グレンの尻尾のこと『素晴らしいサンプル』って言ったじゃないか。」
「それはただの学術的な評価だよ。君の鱗の方が、ずっと滑らかで、美しくて、……俺を温めてくれる。」
トアがアルテリゼの顎をそっと指先で持ち上げると、アルテリゼの琥珀色の瞳が潤んだように揺れた。
トアはそのまま、彼女の頬に、優しく口付けを交わす。
「ん……っ……、トア……」
リゼの『竜の耳』が、今度は歓喜の昂りによってぴくぴくと跳ね上がった。車輪に巻き付いていた『竜の尻尾』の力が少しだけ緩み、代わりにトアの腰をきつく、抱きしめるように収まる。
「……朝まで、私以外のことは何も考えないで。防具のデータも、ガルディニアの呪いも、全部禁止。」
「ああ。君の言う通りにするよ。俺の可愛いお姫様?」
トアは優しく微笑み、再びその腕の中の愛しい半竜を、溺愛の海へと沈めていくのだった。
その翌朝、団長室の修復費用と「グレンの精神的慰謝料(超高級ワイン三箱)」の請求書を持ったゲイル副団長が、二人のノックをいつまでもためらうことになるのは、また別の話である。




