幕間 半竜の観察記録ー1
「トア、お茶を淹れたよ。……あまり根を詰めないで。」
「ありがとう、リゼさん。ちょうど一区切りついたところだ。」
執務室の机に向かっていたトア・レンバートは、車椅子を少し引き、愛おしい婚約者へと翡翠色の瞳を向けた。
漆黒の軍服に身を包んだアルテリゼは、トアの前でだけは、その鋭い威厳を綺麗に削ぎ落としている。
トアが温かいカップを受け取り、空いたもう片方の手で彼女の頭を優しく撫でると、リゼは嬉しそうに目を細めた。
その瞬間、リゼの黒髪の隙間から、ぴょこりと『竜の耳』が飛び出す。
同時に、軍服の裾から伸びたしなやかな『竜の尻尾』が、トアの車椅子の車輪に甘えるようにルルリと巻き付いた。
(……やはり、可愛いな)
トアは平然とした顔の裏で、その驚異的な頭脳を高速で回転させていた。
リゼをはじめとする「半竜」は、感情の昂りによって擬態が外れ、竜の部分が勝手に出てしまう。そして、それに触れることが許されるのは、本能の法において『家族』か『伴侶』のみ。
三年前の雨の夜、呪いによって狂竜化していたリゼは、近づくもの全てを惨殺する自動防衛システムと化していたはずだった。にもかかわらず、ただの人族の書記官にすぎなかったトアが彼女の部位を握り、看病できたこと自体が、今思えば奇跡だったのだと、トアも理解している。
「リゼさん、少し君の鱗の硬度を測らせてほしい。今後の個人防具の改良データにしたいんだ。」
「ええ、トアにならいくらでも。……ん、そこ、少し擽ったい……」
トアの指先が、漆黒の尻尾の滑らかな鱗をなぞる。
トアの脳内にある『魔導生物学』の膨大な知識ベースが、その触感、魔力の密度、そして温度を冷徹に記録していく。
(……素晴らしい密度だ。人族のいかなる名匠が鍛えた鉄甲をも領駕する。だが、これはリゼさん特有の固有値なのだろうか、それとも――)
トアの脳裏に、もう一人の高名な半竜の顔が浮かんだ。
帝国中央騎士団長、グレン・スチュアート。
リゼと同じく半竜の血を引き、帝国屈指の聖騎士と呼ばれる男。
もし、半竜の鱗の硬度や魔力伝導率が「個人の資質」によるものなのか、「半竜という種族の共通規格」なのかを証明できれば、帝国軍全体の魔導防具の性能は飛躍的に向上する。
(比較対象が必要だな)
もちろん、そのサンプルとはグレンのことだ。
(しかし、グレン団長は普段、完璧に人族の姿に擬態している。それに、あの部位は『家族か伴侶』しか触れない。俺のような男が『触らせてくれ』と言って、あの警戒心の強い男が素直に首を縦に振るとは思えないが……)
トアはカップを置き、ふっと口元を綻ばせた。
その顔は、「冷徹な天才文官」そのものの笑顔だった。
(構わない。少し精神的に揺さぶりをかければ、感情の昂りによって必ず擬態の制御が外れるはずだ。)
触るのが本能的にライン超えだというなら、まずは術を暴発させて引きずり出し、そこから言葉で外堀を埋めればいい。
ついでに、いつもソファーでサボってばかりのだという団長への、ちょっとした仕返しにもなるだろう。
「トア? なんだか、急に楽しそうな顔をしているけれど……何か良いことでも思いついたの?」
不思議そうに首を傾げるリゼの頭を、トアはもう一度優しく撫でた。
「ああ、リゼさん。少し、帝国防衛のための『有意義なデータ収集』を思いついてね。今から帝国中央騎士団へ、グレン団長にこの間のお礼と挨拶がてらお願いをしに行ってくるよ。」
「グレンに? 中央騎士団は公爵邸からそう遠くない距離にあるから行くのは構わないが、私も仕事がてら着いて行こう。もしグレンがまたサボっていたら、遠慮なく私に言ってね。叩き直してあげるから。」
「ふふ、心強いよ。」
トアは車椅子を滑らせ、執務室を後にした。
その胸中で、哀れな先輩半竜をどのように言葉の罠にハメるか、完璧なロードマップを組み立てながら。
これが、あの団長室での「悲鳴と扉の爆破」へと繋がる、ほんの数分前の出来事であった。




