第33話 盤上の決算、平凡な元書記官の逆襲
翌日。
第一皇子ルードヴィヒの幽閉が正式に決定し、その戦後処理のための小規模な高官会議が、皇宮の一室で執り行われていた。
そこには、第二皇子レオンハルトが、絶対的な勝者としての完璧な微笑を浮かべて佇んでいる。
その傍らには、ランカスター公爵も控えていた。
ルードヴィヒ派を完全に解体し、アルテリゼを自身の軍門に降らせる手筈は整った。
レオンハルトの「完全勝利」のシナリオは、最終局面に突入したはずだった。
「レオンハルト殿下。……その完璧な作戦盤、少しだけ修正させていただいてもよろしいですか?」
静まり返った会議室の扉が開き、穏やかな、しかし部屋全体に響き渡る明瞭な声が響いた。
レオンハルトが眉をひそめて振り返る。
そこにいたのは、公爵家の最高礼装に身を包んだ車椅子に乗ったトア・レンバート、そしてその隣で、未だ竜の翼と尻尾を僅かにパタパタと揺らしながらも、絶対的な威圧感を放つアルテリゼだった。
「おや、トア殿。無事に意識が戻られたようで何よりです。」
レオンハルトは完璧な微笑みを崩さずに、トアを見つめた。
「今ちょうど、貴方を拉致した愚兄ルードヴィヒの戦後処理をしていたところですよ。貴方も被害者として、我が黒曜騎士団の迅速な対応に感謝の言葉を述べに来られたのかな?」
「ええ、感謝していますよ。……貴方が、最初から最後まで、僕たちが傷つき、拉致されて『実害』が出るその瞬間を、完璧にコントロールして待ってくださっていたことにね?」
トアはレオンハルトの正面へと立った。
その翡翠の瞳には、すべてを見通す比類なき知性が宿っていた。
「……何の話です?」
レオンハルトの微笑みが、初めてピキリと凍りついた。
「僕の本職は古文書館の書記官です。過去の膨大な陰謀の記録、あるいは古の文豪たちが遺した『ミステリー(推理小説)』の全データベースが、僕の頭の中には入っています。……貴方の立てた計画は、あまりにも美しく、そしてあまりにも『不自然』すぎました。」
トアは手元の魔導端末を操作し、室内の空間に青白い光のデータを投射した。
そこには、ガラルディアの地下牢獄で使われていた転移魔法陣の呪式構造、そしてレオンハルトが準備した特効薬の成分分析データが並んでいた。
「黒曜騎士団がリゼさんに提示した、ガラルディアの秘密アジトの空間座標。あの転移魔法陣には、接続の呪式に3箇所の致命的な不備がありました。事前の予備知識、つまり『ルードヴィヒ皇子がどのスクロールを買い、どの座標へ転移させるか』を最初から知っていなければ、あの歪んだ波形から一瞬で正確な座標を割り出すことなど、この世界のどんな魔導士にも不可能です。」
トアは冷徹な数字とロジックを、レオンハルトの目の前に突きつけた。
「さらに、あの特効薬です。貴方が持ってきた薬の成分は、その毒をピンポイントで融解させるものだった。なぜ貴方が、あの完璧なタイミングでそれを用意できたのですか?
理由は一つ。貴方は、ルードヴィヒ兄上がその禁薬を手に入れるプロセスすら、裏で誘導し、把握していたからです。」
レオンハルトの背後に控えるランカスター公爵が、思わず息を呑んだ。
トアはその公爵へ、静かに視線を向けた。
「ランカスター公爵。貴方はルードヴィヒ兄上に脅迫されて結界を緩めたと見せかけて、実は最初からレオンハルト殿下の忠実な『手足』――二重スパイだった。兄上が貴方を脅迫するために使った『公爵家の不正の証拠』、あれを貴方の手元へ都合よく流したのは、レオンハルト殿下ですね?」
「な、なぜそれを……ッ!?」
ランカスター公爵が顔面を蒼白にして後ずさる。
「つまり、レオンハルト殿下。貴方はルードヴィヒ兄上の陰謀を事前にすべて把握しながら、あえて止めなかった。北方の結界が緩み、魔獣の被害という国家的な『実害』が出ることも、バルトさんの妹が拉致されることも、 僕が劇薬を盛られて突発的に意識を失うような、歪んだ身体にされることも……すべては、兄上を言い逃れのできない『外患誘致の既遂犯』として合法的に破滅させ、ご自身が帝位に就くための完璧な舞台装置として利用した。……そうですね?」
トアの突きつけた決定的なミステリーの解決の前に、レオンハルトの完璧だった微笑みは完全に消え去り、その顔は驚愕と焦燥で激しく強張った。
「……はは、見事だ。」
レオンハルトは自嘲気味に低く笑うと、その冷酷な目をトアへと向けた。
「だが、トア殿。それをここで暴いてどうする? 私は貴方の命を救う特効薬を差し出した恩人だ。それに、今の帝国において、次の帝位に最も近いのはこの私だ。私の計画を知ったところで、貴方たちに何ができる?」
「……レオンハルト殿下」
トアは、かつて「レオ」と呼んでいた友の目を、まっすぐに見つめ返した。
「貴方が僕を殺さず、精神を破壊させないためだけに、あのあまりにも完璧な『特効薬』をあらかじめ準備してくれていたこと……気づいていましたよ。……ありがとう、レオ。僕を生かそうとしてくれたこと、友人として嬉しかったです。」
「――っ」
レオンハルトの瞳が、初めて激しく揺れ動いた。
完璧な冷徹さで塗り固めていた彼の仮面が、トアのその一言によって完全に剥ぎ取られる。
「だけど」と、トアは静かに続けた。
「貴方が僕を気遣ってくれたとしても、貴方が多くの人々を巻き込み、リゼさんを傷つけ、僕にこんな消えぬ後遺症を残した事実は消えません。……だから、僕は貴方を完全な『悪者』として断罪することはしません。友人として、貴方の罪を、僕がここで『許し』ます。」
「許す……だと……? 私を……?」
レオンハルトは呆然と呟いた。
もしトアが、レオンハルトの背信行為を皇帝の前にすべて告発し、アルテリゼがその武力で王宮を威圧すれば、レオンハルトの政治的生命は完全に絶たれ、最悪の場合は極刑、あるいはルードヴィヒと同じく永久幽閉の運命が待っていただろう。
しかし、トアはそれをしなかった。
「貴方のその知性は、歪んだ陰謀のためではなく、この国を正しく導くために使われるべきです。ルードヴィヒ皇子の犯した大逆罪の証拠は、すでに貴方の黒曜騎士団によって完璧に揃えられている。貴方は自らの手を汚して自分の兄を排除したのではなく、国を危機から救った『英雄』として、正当に評価されるべきだ。」
トアは魔導端末の画面を操作し、レオンハルトの陰謀を示す決定的な証拠データだけを静かに削除した。
残されたのは、第一皇子ルードヴィヒの大逆罪を証明する書類のみ。
「……レオンハルト殿下。」
トアの隣で、それまで静観していたアルテリゼが、ゆっくりと一歩前へ出た。
彼女の背後から立ち上る魔力のプレッシャーは、会議室全体の空気を物理的に凍らせ、レオンハルトの足元の床すらも白銀の霜で覆い尽くしていく。
「トアが貴様を許すと言うのなら、我が公爵家も貴様にこれ以上の追及はせん。だが、二度とトアを政治の道具にするな。さもなければ、次は貴様の黒曜騎士団ごと、その完璧な作戦盤を物理的に粉々に砕き割る。……トアの許しを無駄にするな、レオンハルト。」
「くっ……、あ……」
レオンハルトは、アルテリゼの「世界を滅ぼしかねない無敵の武力」を前に、そして何より、すべてを見抜いた上でなお自分を友人として救い、未来を託したトアの器の大きさに、ついにその完璧な敗北と、彼への敗北を認めるのだった。




