第30話 嵐の断罪会議と消えない傷
王宮の最高意思決定機関である『謁見の間』。
そこには、重苦しい沈黙と、肌を刺すような緊張感が満ちていた。
帝国中の有力貴族や重臣たちが左右に居並び、壇上の玉座からは皇帝陛下が冷徹な眼差しで、中央に引き出された一人の男を見下ろしている。
第一皇子ルードヴィヒ。
かつて帝位継承に最も近いとされ、傲慢に周囲を見下していたその男は、いまや髪を振り乱し、顔を土気色に染めて床に平伏していた。
その両手には、魔力を完全に遮断する重々しい鉄枷が嵌められている。
「第一皇子ルードヴィヒ。」
審問官の厳かな声が、大理石の壁に反響する。
「貴方は北方辺境のランカスター公爵を脅迫し、意図的に防衛の結界を緩めさせ、我が国に魔獣の侵攻を招いた。さらに、隣国ガラルディアの暗殺部隊を金で雇い入れ、近衛騎士団副官バルト・ハイゼットの妹を人質に取って内応を強要。アルテリゼ公爵の婚約者であるトア・レンバート殿を拉致・監禁させた。……これらはすべて、言い逃れの仮面すら許されぬ、明白なる国家反逆、および外患誘致の大逆罪である!」
「違う……! 私は、私は嵌められたのだ!」
ルードヴィヒが狂ったように頭を振り、床を掻きむしりながら叫んだ。
「証拠がない! すべてはガラルディアの羽虫どもが勝手にやったことだ! 私を陥れようとする、誰かの陰謀だ!」
「見苦しいですね、ルードヴィヒ兄上。」
壇上のすぐ傍らから、絹のように滑らかで、冷徹な声が響いた。
第二皇子レオンハルト。
彼はいつもと変わらない、完璧に整えられた微笑みを浮かべ、実の兄の無残な姿を見下ろしていた。
「貴方がガラルディアの暗殺部隊と交わした金銭授受の記録、そしてランカスター公爵へ送った脅迫状の原本。……これらはすべて、我が『黒曜騎士団』の手によって、貴方の私領から完璧な形で押収されています。これ以上の言い逃れは、皇帝陛下と諸公に対する侮辱でしかありませんよ?」
レオンハルトが差し出した書類の数々。
それを見たルードヴィヒの瞳が、恐怖と絶望で激しく見開かれた。
ルードヴィヒは知る由もなかった。
自分が必死に脅迫し、味方に引き入れたと思っていたランカスター公爵が、実は最初からレオンハルトの手足――二重スパイであったことを。
ルードヴィヒの計画は、その始まりから終わりまで、すべてレオンハルトの作戦盤の上で完璧に踊らされていたに過ぎなかったのだ。
「レオンハルト……お前、お前が私を……ッ!!」
「大逆人に、これ以上の発言の機会は不要です。……陛下、第一皇子ルードヴィヒを、帝位継承権の永久剥奪、および国境近くの地下監獄への終身幽閉に処されるのが妥当かと。」
レオンハルトの冷酷な進言に、皇帝は無言で深く頷いた。
「連れて行け」の短い一言と共に、ルードヴィヒは近衛の兵たちによって、引きずられるようにして謁見の間から連れ去られていった。
床に残された彼の爪痕が、ひとつの権力闘争の残酷な幕引きを物語っていた。
レオンハルトの唇の端が、誰にも気づかれないほどの微差で、満足げに釣り上がる。
兄を合法的に、完璧に社会的に圧殺した。
あとは、トア・レンバートを奪還したアルテリゼが戻り、自身の軍門に降るのを待つだけ――。
彼の「完全勝利」の方程式は、確かに完成したはずだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
同じ頃、帝都の一画にあるアルテリゼ公爵邸の、トアの私室。
先ほどまでの皇宮の激動とは裏腹に、そこは恐ろしいほどの静寂に包まれていた。
ガラルディアの地下牢からトアを無事に救出し、帝都へ強行軍で帰還した私――アルテリゼは、衣服の汚れも拭わず、ただベッドの上のトアの手をきつく握りしめていた。
「トア……、目を開けてくれ、トア……」
祈るような私の声は、静まり返った部屋の中に虚しく消えていく。
名医たちの必死の治癒魔術によって、トアの肉体の傷は綺麗に塞がっていた。
衣服の引きちぎられていた肌の痣も消え、魔力封じの鉄枷による鬱血も引いている。
しかし、トアはピクリとも動かなかった。
完全に深い昏睡状態に陥っている。
脆弱な人間の肉体。
そこに盛られた伝説の禁薬『竜血の睡魔』と、何種類もの精神混濁の神経毒。
いくらトアの脳が怪物並みであろうとも、度重なる暴行と空間転移の凄まじい負荷は、彼の命の器そのものを内側から破壊しかけていた。
「……閣下、これは肉体の怪我の問題ではないのです。」
老医師が、沈痛な面持ちで首を振った。
「体内の毒素は、治療である程度の中和が行われた形跡があります。しかし、余りにも強烈な毒の影響で精神混濁の後遺症が脳に刻まれてしまっている。……現在、トア様の精神は、自らの崩壊を防ぐために深い意識の最奥へと閉じこもり、防衛のための完全な機能停止状態に陥っています。このままでは、脳の機能そのものが凍りつき、二度と目覚めない可能性が非常に高い……」
「二度と、目覚めない……?」
私の頭の芯が、恐ろしいほどの冷気に支配されていく。
周囲の空気がパキパキと音を立てて氷結し、私の背中から、怒りと絶望のままに漆黒の巨大な「竜の翼」がドサリと音を立てて割り出した。
琥珀色の瞳の縦スリットが細く裂け、肌を漆黒の鱗が覆っていく。
感情の暴走。
愛する伴侶を失いかけた半竜の逆鱗が、今度こそ帝都そのものを物理的に滅ぼさんとしていた。
「閣下、お静まりください……っ。トア様は、まだ戦っておられます!」
部屋の入り口で、副官バルトが悲痛な声を上げた。
その灰色髪の獣耳は深く伏せられ、無事に救出された妹シエラを部下に預け、血の滲む手で立ち尽くしていた。
「俺たちがここで絶望しては、トア様のあの優しさを無駄にしてしまう……!」
バルトの言葉に、私は辛うじて竜の血の暴走を抑え込んだ。
だが、トアの冷えていく手を握る私の指先は、小刻みに震え続けていた。




