第28話 天災の降臨、絶対零度の蹂虙
「――そこまでにされよ、アルテリゼ閣下。今の貴殿は、少々頭が冷えすぎて周囲が見えなくなっているようだ。」
凍てつく夜の闇から、音もなく数条の影が滑り込んできた。
随伴していた私の兵たちが一斉に武器を構える。
現れたのは、第二皇子直属の隠密部隊――『黒曜騎士団』の最速班だった。
「……何の用だ、黒曜の犬ども。我が道を阻むなら、貴様らから先に肉片にしてやるが。」
私が低く唸ると、周囲の気温が物理的にマイナス数十度まで急降下し、彼らの漆黒の鎧が白銀の霜で覆われ始めた。
だが、隊長らしき男は怯むことなく、懐から一枚の魔導書状を取り出し、私に向けて突き付けた。
「不審な馬車の動向を追跡していたところ、先ほど、不法な空間転移魔術の残痕を感知した。……これを見られよ。」
差し出された書状には、ガラルディア王国領内の詳細な地図と、彼らが独自の探知魔術によって割り出したという、不気味なほど正確な『空間座標』が魔力で刻印されていた。
「トア殿を乗せた馬車は、国境の密林の地下にある、ガラルディア暗殺部隊の秘密牢獄へと転移した模様。我が黒曜騎士団は不法侵入した賊を討伐するため、これより国境手前へ私兵を展開する。閣下が影に潜んで兵共々突入されるならば、全責任は我らが引き受けよう。」
彼らがどのような思惑でこの情報を掴み、なぜ私に手を貸すのか、その深い背景までは今の私には分からない。
だが――今の私に、この差し伸べられた蜘蛛の糸を拒む選択肢などない。
「……その座標、確かに受け取った。」
私は書状をひったくるように受け取ると、その座標を己の竜の脳内へと直接叩き込んだ。
黒曜騎士団の狙いが何であれ、今はどうでもいい。
今はただ、この座標の先で血を流している我が婚約者の元へ、一秒でも早く翔ぶだけだ。
「全軍、私の背を追ってこい! 宣戦布告などいらん、
国境の防壁ごと、あの国を踏み潰す!」
ドサリ、と巨大な漆黒の翼が夜空を割り、私は凄まじい衝撃波と共にガラルディアの領空へと弾かれたように飛び立った。
黒曜騎士団から得た座標の連続性を、私の竜の超感覚で強引にこじ開け、転移の光の軌跡を力技で追尾する。
国境を守る防壁魔術が私の身体に触れた瞬間、それは抵抗にすらならず、ただの薄い氷細工のように粉々に砕け散った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
見つけた。
密林の地下、禍々しい魔力の澱みが溜まる、石造りの地下牢獄。
転移の負荷に耐えかねた空間の歪みが、かすかな魔力の擦れ音となって私の鼓膜を震わせる。
間違いない。
この陰惨な地の底に、私の大切なトアが囚われている。
「トア……ッ!!」
狂おしいほどの叫びと共に、私はアジトの堅牢な岩盤の天井を、圧倒的な質量と絶対的な零度の魔力で、文字通り爆砕した。
――ドゴォォォォォォンッ!!!
「ひっ……な、何だ、何が起きた――!?」
降り注ぐ岩塩のような氷の破片の中、私は地下牢の底へと舞い降りた。
氷結した爆風の向こう、鉄格子の嵌められた牢の冷たい床の上に、私の世界で一番大切な人が転がされていた。
仕立ての良い服は乱暴に引きちぎられ、その青白い肌には痛々しい打撲痕や擦り傷がいくつも刻まれている。
細い腕には魔力封じの重々しい鉄枷が食い込み、口元からは一筋の鮮血が流れていた。
その無残な惨状が私の視界に飛び込んできた瞬間、私の脳内ですべての理性が消し飛んだ。
「我が夫の肉体を傷つけ、泥に塗れさせた羽虫ども……貴様らには万死すら生ぬるい。塵すら残さず、凍てつき消え失せるがいい」
「ぎゃあああああ――ッ!?」
私が爪を一閃した瞬間、アジト内にいたガラルディアの暗殺兵たちは、悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして生命ごと氷結し、粉々に砕け散った。
怒りのままに周囲の空間を叩き割るようにうねる私の尻尾が、牢獄の壁を次々と瓦礫へと変えていく。
完全に「怪物」となった私の殺意が、アジト全体を埋め尽くそうとしていた。
「リゼさん!」
――その時、優しく、穏やかな、聞き慣れた声が私の鼓膜を震わせた。
ハッと我に返り、鉄格子の奥を見る。
ボロボロになりながらも、トアは自力で上体を起こし、その翡翠色の瞳にいつもと変わらない、底なしの温かい光を湛えて私を見つめていた。
「トア……! ああ、トア……っ!!」
私は鉄格子を力任せに引きちぎり、彼の手前に膝を突いた。
魔力封じの鉄枷は、私の指先が触れた瞬間に粉々に砕け散る。
私は、壊れ物を扱うように優しく、しかし狂おしいほどの力で、その細い身体を抱きしめた。
ボロボロにしてしまった。
私がもっと強ければ、こんな酷い怪我を負わせずに済んだのに。
悔しさと情けなさで、私の目から大粒の涙がボロボロと溢れ出す。
「すまない、トア……。私が、私が不甲斐ないばかりに、貴方にこんな痛い思いを……っ」
「大丈夫ですよ、リゼさん。少し痛かったですけど、リゼさんが絶対に来てくれるって信じていましたから。」
トアは自由になったその温かい腕を伸ばし、泣きじゃくる私のプラチナブロンドの髪を、優しく、何度も撫でてくれた。
その瞬間だった。
トアの身体から溢れる、あの温かくて優しい「包容力」が、私の全身を包み込んだ。
暴走し、先祖返りを起こしかけていた私の竜の血が、彼の掌が触れるたびに、嘘のように急速に鎮まっていく。
私の頭の上の耳が、安心感でペタンと伏せられた。
「リゼさんの耳も尻尾も、すごく格好良いですよ。助けに来てくれて、ありがとうございます。」
傷だらけになりながらも、真っ先に私を気遣い、微笑んでくれる私の婚約者。
この底なしの優しさを持つ彼を守るためなら、私は何度でも怪物になろう。
そして、私たちの平穏を脅かし、彼をただの道具として弄んだルードヴィヒ第一皇子の浅薄な野心を、今度は二人の力で完膚なきまでに叩き潰してやるのだと、私は彼の温もりの中で静かに誓うのだった。




