第21話 光り輝く王宮の夜会と、昏き王族の面々
ガイル侯爵家、主計局の不正がすべて暴かれ、彼らが平民へと没落したニュースは、瞬く間に帝都を駆け巡った。
それと同時に、冷徹無比と恐れられた『氷の女公爵』アルテリゼ・ヴァルハイトが、一介の平民でありながら驚異的な古代の知識を持つ青年、トア・レンバートを正式な「伴侶」として迎えるという噂は、社交界に最大の衝撃を与えていた。
そして今日、皇宮で開催される『秋の戦勝記念夜会』にて、トアの正式な社交界お披露目が行われる。
「トア……その、あまり無理をしないでくれ。もし不快な輩が絡んできたら、すぐに私に言うのだ。夜会ごと空間を氷漬けにしてやるからな。」
皇宮の巨大な黄金の扉の前で、ヴァルハイト公爵家の最高級の正装に身を包んだリゼが、大真面目な顔で恐ろしいことを言う。
彼女のプラチナブロンドの髪は美しく結い上げられ、純白のタキシードドレス姿の美貌は女神そのものだ。
「リゼさん、夜会を氷漬けにしたら皇帝陛下に怒られちゃいますよ。大丈夫です、俺の隣には世界一格好良くて強い婚約者がいますから。」
トアがいつも通りのおっとりと微笑み、差し出した左手にリゼがそっと右手を重ねる。
その瞬間、リゼの頬がぽっと赤くなり、隠蔽魔法をかけている髪の隙間の『竜の耳』が嬉しそうにピコピコと動いた。
――重厚な扉が開かれ、二人の名が告げられる。
「ヴァルハイト公爵閣下、および婚約者、トア・レンバート殿、ご入場!」
煌びやかな魔導シャンデリアの光が降り注ぐ中、二人が並んで大階段を下りていく。
その瞬間、会場にいた数百人の貴族たちの視線が一斉に集中した。
「おい、あれが噂の……」「ただの平民と聞いていたが、なんという気品だ……」周囲から感嘆の溜め息が漏れる。
バルトやハンスたち公爵邸の使用人総出で仕立て上げられたトアの正装姿は、おっとりとした独特の包容力も相まって、並の貴族令息を遥かに凌駕する高貴なオーラを放っていた。
トア自身は「服が少し窮屈だな」と思っているだけなのだが、その自然体な佇まいが、逆に「底の知れない大物」として貴族たちの目に映っていた。
しかし、やはり面白く思わない若い貴族の男たちもいた。
帝国最高峰の美貌と権力を持つリゼを、どこの馬の骨とも知れない男に奪われたのだから。
「フン、少し見栄えが良いだけの平民ではないか。閣下、そのような男がヴァルハイト家の重責を担えるとお思いですか? 古文書を少し読める程度で――」
一人の高慢なエリート貴族騎士が、これ見よがしにトアを値踏みするように前に出た。
――その瞬間。
「貴様、我が伴侶の前に気安く立つな。不敬であろう。」
リゼの琥珀色の瞳がギラリと冷たく輝き、会場全体の空気が一瞬でマイナス数十度へと凍りついた。
凄まじい「氷の龍圧」がピンポイントでその騎士を襲い、彼は一歩も動けぬまま、恐怖でガタガタと歯を鳴らしてその場に膝をついた。
ガラスの靴やワイングラスが、パキパキと凍りついていく。
「リゼさん、リゼさん。威圧が行き過ぎて社交界が物理的に凍結してます。」
トアが苦笑しながら、リゼの手を優しく握ってポンポンとあやす。
すると、あれほど恐ろしかった龍圧が嘘のように霧散し、リゼは一瞬で顔を真っ赤にして、トアの後ろに隠れるようにモジモジとし始めた。
「す、すまない、トア……。他の男が君を侮辱するような目で見るのが、どうしても我慢できなくて……。つい、独占欲が……」
その様子を見ていた周囲の貴族たちは、完全に目を見開いて硬直していた。
(((あの冷徹無比な氷の女公爵が、完全にただの恋する乙女になっている……!?)))
周囲が二人の異次元のイチャイチャ空間に圧倒される中、会場の奥から、一際重厚な魔力の気配を纏った男が歩み寄ってきた。
彼こそが、この夜会の本当の「主役」であり、王宮の闇の始まりだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ハハハ、実に微笑ましいな。アルテリゼがこれほど人目を気にせず感情を露わにする姿を見られるとは、長く生きているが初めての経験だよ。」
人混みを割って現れたのは、豪奢な純金の刺繍が施された深紅の礼服を着こなす青年。
整った容姿の奥に、蛇のように冷酷な光を宿した双眸――この国、ヴェルスーン帝国の第一皇子、ルードヴィヒ・アルス・ヴェルスーンだった。
彼の隣には、四大公爵家の一角であり、没落したガイル侯爵の後ろ盾でもあったランカスター公爵が影のように控えている。
「ルードヴィヒ殿下……」
リゼが瞬時に表情を「氷の女公爵」へと戻し、小さく一礼する。
その隣で、トアも礼儀正しく頭を下げた。
「はじめまして、トア・レンバート殿。私が第一皇子のルードヴィヒだ。君の噂はかねがね聞いているよ。ガイル侯爵の不正を暴き、我が国の古文書館の腐敗を正してくれたこと、王族として感謝する。」
ルードヴィヒは完璧な王族の笑みを浮かべながら、トアに右手を差し出した。
しかし、トアの目は騙されなかった。
ルードヴィヒの纏う魔力の波長が、先ほど失脚したガイル伯爵の残党が持っていた「魔力の残穢」と、ほんのわずかに同調していることに気づいたからだ。
(……この人、表向きは歓迎しているけど、僕の『古代語の知識』を別の目的で利用しようとしてるな)
トアはおっとりとした笑顔のまま、その握手に応じた。
「もったいないお言葉です、殿下。俺はただ、古文書に書かれていた正しい歴史と数値を報告しただけですから。」
「ふむ、謙虚だな。だが、君の力はそれだけに留まらないと聞いている。公爵家お抱えの特級魔導師たちが総出で解読できなかった古代竜の遺物を、君は一瞬で解析したとか。……どうだろう、その異次元の頭脳、公爵家だけに留めておくのは国家の損失だ。王宮の筆頭魔導顧問として、我が直属の機関に迎えたいくらいだが?」
ルードヴィヒの言葉に、会場の貴族たちがざわめいた。
平民から一躍、国家の最高中枢への引き抜き。
誰もが羨む出世街道の提案。
しかし、その提案を遮るように、リゼの身体から再びドス黒い「龍圧」が立ち上る。
「ルードヴィヒ殿下。トアは私の生涯唯一無二の伴侶であり、ヴァルハイト公爵家の人間です。王宮といえど、私のトアを横取りすることは許しません。」
「おっと、怖いな。アルテリゼ、私はただ彼の才能を正当に評価しているだけだよ?」
ルードヴィヒは肩をすくめて笑うが、その瞳の奥にあるトアへの「執着」と「値踏み」の光は、より一層深く、昏いものへと変わっていた。
皇宮の闇が、トアという存在の価値を完全にロックオンした瞬間だった。
緊迫するルードヴィヒとリゼの間に、ドシン、ドシンと、大地を揺るがすような圧倒的な足音が近づいてきた。
会場にいた貴族たちが一斉にサーッと道をあけ、その場に平伏していく。
「ハハハ! ルードヴィヒよ、若い才能を前にして少々焦りが過ぎるのではないか?」
豪快な笑い声とともに現れたのは、豊満な白髭を蓄え、頭上に輝く王冠を戴いた初老の男性。
この国の絶対的な頂点――現皇帝陛下、ガルディア・アーサー・ヴェルスーンその人であった。
「皇、皇帝陛下……っ!?」
ルードヴィヒが微かに苦虫を噛み潰したような顔をして一歩下がる。
リゼとトアも姿勢を正し、深く一礼した。
「いや、礼には及ばない。楽にせよ、トア・レンバート殿。……いやはや、アルテリゼが選んだ男と聞いてどんな傑物かと思えば、随分と優しく、それでいて底知れない瞳をしているな?」
皇帝はトアの前に立つと、その大きな手でトアの肩をポンと叩いた。
「我が国の筆頭魔導師たちが腰を抜かして報告してきたぞ。三千年前の古代魔導核心の暴走を、君は指先一つで解決したと。ルードヴィヒの言う通り、君の持つ古文書の知識は、もはや国家の至宝だ。……だが、ルードヴィヒ。この男を我が直属の機関に迎えるのは諦めよ。アルテリゼにこの王宮ごと氷漬けにされたら、ワシの寝室まで凍ってしまうからな!」
皇帝の冗談交じりの大笑いに、会場の貴族たちからドッと安堵の笑いが起きた。
しかし、皇帝の瞳は笑っていなかった。
彼はトアを真っ直ぐに見つめ、静かに告げたのだ。
「トア殿。君の頭脳は世界を書き換える力を持つ。だが、それは同時に、多くの『有象無象の野心』を引き寄せる呪いでもある。ヴァルハイトの盾があるとはいえ、くれぐれも自身の身を護ることを怠るなよ。」
「――は。肝に銘じます、陛下」
トアがおっとりと答える。
皇帝はトアの「力」の危険性を本質的に理解しており、同時にルードヴィヒたち最高中枢の不穏な動きを察知して、暗に警告を発していたのだ。
皇帝のその言葉に、ランカスター公爵やルードヴィヒの顔が微かに歪む。
トアを無能扱いして追い出したルベルト家がいかに愚かだったか、そしてトアという存在がどれほど危険なカードであるかを、最高中枢の闇の面々は完璧に理解したのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
皇帝陛下が満足そうに去り、夜会も終盤へと差し掛かった頃。
トアはリゼと共に、皇宮の美しいバルコニーで夜風に当たっていた。
「もったいないお言葉ばかりでしたね、リゼさん。俺はただ、これからもリゼさんの隣にいて、彼女を支えたいだけですから。」
トアがいつものおっとりした笑顔で告げると、隣にいたリゼの「トア大好きメーター」が、ついに本日最高の爆発を迎えた。
――ポンッ!!隠蔽魔法を完全に突き破り、プラチナブロンドの髪から夜色の『竜の耳』が勢いよく飛び出す。
さらに、最高級タキシードドレスを割り裂かんばかりの勢いで、太い『竜の尻尾』が飛び出し、王宮の最高級大理石の床を「ドスドスドスドス!!」と、割れんばかりの音を立てて激しく叩き始めた。
「あ、リゼさん、ここバルコニーですから……!」
「関係ない! 関係ないのだ!トアァァァ……! 大好きだ、世界で一番愛している……!! 先ほどからルードヴィヒや他の貴族どもが、君を品定めするような目で見るのが我慢ならなかった! 君は私の伴侶だ! 誰にも、一歩たりとも触れさせん……っ!」
顔を極限まで真っ赤に染め、完全にトロンとした蕩けた瞳になったリゼは、トアの胸の中に勢いよく飛び込み、その首筋に顔を埋めて全力で甘え始めた。
彼女から漏れ出る龍圧は、今や皇宮全体を極上の床暖房のようにポカポカとした幸福な熱気で満たしていく。
「あはは、リゼさん、本当にみんな見てますから。……でも、俺もリゼさんのこと、世界で一番愛していますよ。」
トアは優しく微笑みながら、胸の中でフシュウゥゥと大人しくなった最強で最高に可愛い婚約者を、そっと抱きしめ返すのだった。
その温かい光景を、バルコニーの影から冷ややかに見つめる3つの視線があった。第一皇子ルードヴィヒ、そしてランカスター公爵、そして夜会の舞台の上から第二皇子レオンハルトの目線がトアを一瞥する。
「……面白い平民だな、ルードヴィヒ様。古代竜の文字を指先一つで解析するとは。奴の頭脳があれば、我が悲願の成就も容易い。」
「フン、アルテリゼがどれほど過保護に守ろうと、彼女を屋敷から引き離せば済む話だ。……ランカスター、手配せよ。北方国境の結界に『意図的な揺らぎ』を起こせ。アルテリゼを遠征に行かせる。主のいなくなった公爵邸で、あの平民を内側から毟り取るのだ。」
「御意に、殿下。我が組織のスパイは、すでに公爵邸に入り込んでおります……。」
暗闇の中で、不気味な計画が怪しく光る。
「チッ、この国の害虫が...。.....それにしても久しぶりだな...。」
その様子を見ていた第二皇子レオンハルトは悪態をつき、一瞬トアの姿を目にした後、その場を去った。
トアとリゼの絆が社交界で証明されたその華やかな夜の裏側で、トアを狙う国家規模の巨大な陰謀、そして二人の運命を切り裂く事件へのカウントダウンが、静かに始まっていたのだった。




