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幕間 隠された愛の兵站、そして真実

 これは、現在のヴァルハイト公爵邸で起きている「最高に甘くて、最強な2人」の出会いの原点であり、同時に二人の絆が深まることになる運命の事件である。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 数年前、帝国北西部における、隣国との激しい局地戦。

当時、臨時の全軍指揮官に任命されていたアルテリゼ率いるヴァルハイト竜騎士団は、かつてない極限の窮地に立たされていた。


敵の奇襲、そして最新の魔導兵器による強力な「妨害魔導空間」の展開。

これにより、アルテリゼたちの陣営は、本陣との「魔導通信」を完全に遮断された。

さらに最悪なことに、現在の帝国軍が主力として使っている最新の舗装街道、および第二、第三の補給ルートは、すべて敵の伏兵によって完全に包囲・封鎖されてしまったのだ。


「閣下……! 前線の第一、第二大隊ともに、矢弾が底を突きかけています! 魔法薬の配給も止まり、負傷者の治療が追いつきません!」


「通信が繋がらない! 本陣が我々の孤立に気づいているかどうかも分からん!」

泥と血に汚れた天幕の中、副官たちが絶望の声を上げる。

 

 アルテリゼは、頑丈な机に両手を突き、じっと地図を見つめていた。

彼女の誇り高い竜の耳は、焦燥感で細かく震え、琥珀色の瞳には、死を覚悟した武人の冷たい光が宿っていた。


「……最新の街道がすべて敵の手にある以上、物理的な物資の輸送は不可能か。竜による空輸も、敵の魔導対空砲火の餌食になるだけだな。」


アルテリゼは奥歯を噛み締めた。

彼女自身の圧倒的な武力があれば、敵の包囲網を単身で突破することは可能かもしれない。


だが、ここにいる数千の部下たちを見捨てて生き残るなど、ヴァルハイト公爵家の誇りが絶対に許さなかった。


「……ここまでか。兵たちに告げよ。明朝、全軍をもって中央突破の特攻をかける。泥をすすって飢え死にするくらいなら、竜の誇りを持って戦って死のう。」


アルテリゼがそう告げ、天幕全体が重い死の静寂に包まれた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 同時刻、遙か後方の帝国中央古文書館の地下深く。

トアは、前線から届いた「通信途絶直前の断片的な地理データ」と、およそ現役の軍人であれば見向きもしないような、カビ臭い『百年前の古い辺境地籍図』を机の上に広げていた。


「……うーん、困ったね。アルテリゼ閣下達がいる場所、かなり危ないじゃないか。作戦本部の人たちは『道がない』って大騒ぎしてますけど、そんなことないのになぁ?」

 

トアは手作りの温かいハーブティーを一口飲み、ふぅと息を吐くと、古い地籍図の等高線と、かつて存在していたという「古い宿場町の跡地」のデータを指先でなぞり始めた。


「最新の舗装された道が使えないなら、百年前の古い道を使えばいいのに。人間は、新しい便利なものができると、すぐに古いものの価値を忘れちゃうんですよね。」

トアの脳内で、複雑な三次元の空間計算が開始された。


 彼の頭の中では、百年前の地形、地脈の歪み、風の通り抜ける谷の構造、さらには過去十年の植生の遷移(森がどう広がったか)のデータが瞬時に組み合わされ、ひとつの「光る経路」として浮かび上がっていった。


「確かに、物理的な街道としての『道』は、今や土砂崩れや森の侵食で失われているように見える。でも、この『枯れ谷のルート』……地脈の安定度は百年前と全く変わっていません。それに、敵の強力な妨害魔導は最新の通信網の周波数を狙っていますから、この天然の岩盤に囲まれた枯れ谷の中だけは、逆に『電磁ノイズの最も少ない空白地帯』になっているな。」

 

 トアは素早くペンを取り、作戦本部の幕僚たちが投げ捨てた白地図の上に、一本の奇妙な歪んだルートを描き入れ始めた。


「当時の記録では『荷車が通れぬ険路』とあるが、それは当時の木製の車輪の話だ。現在の帝国軍が使っている、魔導サスペンション付きの軽量化された『魔導輜重車』であれば、むしろこの岩盤の摩擦係数がタイヤに最適に働いて、通常の舗装道路の倍の速度で駆け抜けることができる。……しかもここ、敵の哨戒網の、ちょうど視覚的な死角にあたる場所だしね。」


トアが弾き出したのは、単なるルートの案内ではなかった。

輸送部隊がそこを通過するべき「正確な時刻」、積載する物資の「総重量制限」、さらには途中で消費する馬糧や魔導燃料のペーシング(配分)にいたるまでを完璧に網羅した、一気通貫の『兵站(ロジスティクス)予測シミュレーション』だった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 「こんな、百年前の獣道を通れというのか!? 馬鹿を言うな、輜重隊が全滅したらどうする!」


中央の作戦本部で、トアの提出した書類を見た幕僚たちが怒鳴り散らした。

しかし、その場に作戦参謀長としていた第二皇子レオンハルトだけは、その書類をひったくるように奪い取った。


「黙れ。 彼が『通れる』と言ったのであれば、そこには必ず道がある。 全責任は俺がとる、輸送隊は発車しろ!!」


レオンハルトの厳命により、半信半疑のまま派遣された臨時の補給部隊。

彼らは、トアの指示書に書かれた「時速、重量、侵入角度」を寸分の狂いもなく守り、暗闇の枯れ谷へと突入した。


すると、どうだろう。

目の前を覆っていたはずの鬱蒼とした森は、トアの計算通り、土壌の滑りによってちょうど馬車一台分が通り抜けられる「天然の隙間」を形成していた。


敵の哨戒兵の魔導探知は、頭上の岩盤によって完全に遮断され、輸送隊は敵の鼻先を掠めるようにして、一瞥もされることなく駆け抜けた。

それどころか、特殊な斜度の恩恵を受け、最新の街道を進むよりも【3時間も早く】、アルテリゼたちのいる孤立地帯へと到達してしまったのだ。


「な……なんだ、あの部隊は!? どこから現れた!?」


 明朝の特攻を控え、冷たい泥の中で死を覚悟していたアルテリゼの陣営に、突如として鳴り響いた馬車の車輪の音。

届けられたのは、山のような矢弾、最新の魔法薬。

底を突きかけていた戦力が、完全に、そして過不足なく補充されていく。


「……信じられん。この極限状態の戦場で、敵の目を完全に欺き、私たちが必要としていたすべての物資を、一番必要なタイミングで送り届けるなど……。これを組み立てたのは、一体どこの天才将軍だ?」


アルテリゼが驚愕する中、補給隊の隊長はレオンハルト皇子から課された『箝口令』を忠実に守り、ただ一言、「中央の『無名の戦術家』による指示です!」とだけ答えたのだった。


戦況は一晩でひっくり返り、ヴァルハイト竜騎士団は敵を完膚なきまでに叩き潰して大勝利を収めた。


 アルテリゼはこの日以来、窮地を完璧なロジスティクスで救ってくれた「顔も名も知らぬ天才大将軍」を、深く尊敬し、いつか見つけ出して礼を言いたいと捜し続けている。

……まさかそれが、自分の目の前でおっとりと微笑んでいる夫だとは、夢にも思わずに。



◇◇◇◇◇


 そして、現在。

ヴァルハイト公爵邸の、暖炉が心地よく燃える私室。

トアの膝の上で、プラチナブロンドの髪を撫でられながら、アルテリゼは幸せそうに目を細めて、長い尻尾を床に「パタ、パタ」と規則正しく打ち付けていた。


「トア……聞いてくれ。私は今でも、あの戦場で私たちを救ってくれた『無名の天才戦術家』を捜しているのだ。あの完璧な計算、あの美しき兵站の構築……間違いなく、大陸の歴史に名を残すべき偉大な大将軍に違いない。いつか見つけ出し、ヴァルハイト公爵家の最高顧問として迎え入れたいと思っている。そして、軍の全権をその御方に委ねるつもりだ。」


 アルテリゼは琥珀色の瞳を輝かせ、熱っぽく語る。

膝枕をしているトアは、その話を「あはは、凄い人がいるんですねぇ」と、どこか他人事のようにのんびりと聞き流しながら、彼女の柔らかい竜の耳の付け根を優しくマッサージしていた。


「でも、その大将軍は、きっとそんな大層な席には座りたがりませんよ。軍の全権なんて、肩が凝りそうですし。」


「む? なぜそう言い切れる? 命の危機にあった私を、あれほど完璧に、そしてあの大雪の夜、冷え切った私を労うように『スープのレシピ』まで補給隊に仕込んでくれた、温かい心を持つ御方なのだぞ。きっと私とも気が合うはずだ!」

トアはふふっと小さく笑い、彼女の頭をよしよしと撫でた。


「だって、その人はきっと、軍を勝ち進めるためじゃなくて、ただ『リゼさんに無事でいてほしかった』だけですから。……あ、そういえば、その時のスープ、隠し味に『大陸西部の香水のキーと同じスパイス』が入っていませんでしたか?」


「……え?」


アルテリゼの動きが、ピタリと止まった。

寝そべっていた彼女の身体が、ゆっくりと起き上がる。


「トア……今、なんと言った? なぜ君が、あの補給物資に紛れていたスープの、極秘の隠し味を知っている? 私はその詳細を、誰にも話していないはずだが……」


「えっ? あ……」

トアは、おっとりとした動作のまま、自分の口をポンと手で押さえた。


「あはは、つい口が滑っちゃいました。古文書の整理をしていた時に、当時の補給のログをちょっと見かけまして……」


「嘘だ。そんな細かい配合、軍の公式記録には載っていない。」

 アルテリゼの琥珀色の瞳が、驚愕と、何かを確信した熱い光で据わっていく。


彼女の脳内で、バラバラだったピースが一瞬にして繋がり、一つの凄まじい『正解』を形作っていった。


 『数字の呼吸』を読み取り、一晩で国家の不正を暴いた頭脳。

 見るだけで精神が狂う呪いの帳簿を、ただの『手癖』と『香水の配合(3・5・2)』で解き明かした神業。

 最高峰の魔導チームが総出で挑んでも暴走を止められなかった古代の魔導核心を、指先一つで『設定ミス』と切り捨てた規格外の知識。

 そして――あの雪の夜、誰も見つけることのできなかった百年前の旧街道を逆算し、完璧なタイミングで自分を救い出した、神の如きロジスティクス。


「……トア。君、まさか……」

アルテリゼの声が、微かに震える。


「あはは……。あの時は、リゼさんが『明日死ぬかもしれない』って通信の端っこに書いてあったのを見て、僕、すごく心配になっちゃって。古文書館の奥から、古い北西部の地図を全部引っ張り出してきて、大急ぎで計算したんです。……驚かせちゃって、ごめんなさい。」

トアは困ったように眉を下げ、いつものように穏やかに、しかし少し照れくさそうに微笑んだ。


「君だったのか……!!」


 次の瞬間、アルテリゼの脳内インフラが、今度こそ完全に、宇宙の果てまで大爆発を起こした。

プラチナブロンドの髪の隙間から覗く竜の耳が、見たこともないほどピンッ!!と直立し、軍服の後ろからは、太い尻尾が「ブンブンブンブンブンブン!!」と、もはや視認できないほどの音速のプロペラ運動を始め、部屋の中に凄まじい突風を巻き起こす。


「あああ……トア……! 君は、君という男は……!!」


アルテリゼは顔を極限のさらに先まで真っ赤に染め、トロンとした、しかし至上の歓喜に満ちた熱い瞳でトアを見つめると、ソファごとトアを押し倒す勢いでがっしりと抱きついた。


「私の命の恩人も! 私を極限の絶望から救い出してくれた神の如き天才戦術家も! 私が夜な夜なノートに可愛いところを書き殴っている最愛の夫も……! すべて、すべて君だったのか……!!」


「あはは、リゼさん、本当に苦しいです、龍圧が、龍圧がすごいです……!」


 限界突破したアルテリゼの「龍圧」が、今度は部屋全体をサウナのように熱く、そして甘いピンク色の空気で満たしていく。


「当然だ! 私は世界で一番幸せな女だ! 私を救ったあの偉大な大将軍が、今、私の目の前で私のためにシチューを装ってくれているのだぞ!? ああ、全帝国の貴族どもだけでなく、世界の果ての神々にまで大声で叫びたい! これが私の、私の自慢の完璧な夫だと……!!」


「はいはい、分まりましたから。ほら、もうシチューが食べ頃ですよ、リゼさん?」

トアは苦笑しながら、腕の中で完全に『最高の甘え竜』と化した最強の妻の頭をよしよしと撫でる。


 すべての秘密が明かされたその夜、トアの淹れた特製シチューの味は、あの戦場のスープよりもさらに温かく、二人の絆をどこまでも深く、永遠に結びつけるのだった。


最後まで読んで頂きありがとうございます!

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