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第19話 妖艶なる地下社交場

  きらびやかなシャンデリアの光が、怪しげな仮面をつけた群衆の影を床に落とす。

帝都の地下深くに存在する「ラピスラズリの迷宮」――そこは、身分を隠した高位貴族や大富豪が集う、帝国最大の秘密オークション会場だった。


「……リゼさん、少し緊張しすぎですよ。肩の力が入りすぎて、ドレスの生地がはち切れそうです。」


 トアは、自分の腕にぎゅっとしがみついている黒いドレス姿の美女に、苦笑しながら囁きかけた。

のんびりとした夜会服姿のトアに対し、アルテリゼの変装は完璧でありながら、どこか限界を迎えていた。


 プラチナブロンドの髪をアップにまとめ、大胆に背中が開いた漆黒のドレスに身を包んだ彼女は、会場中の男たちの視線を独占している。

だが、当の本人の琥珀色の瞳は、トアの腕の感触と、彼が身にまとういつもと違う大人の香りに、完全にトロンと潤んでいた。


「し、仕方ないだろうトア……! 変装のためとはいえ、君とこうして夫婦のフリをして腕を組み、肌を寄せ合っているのだぞ? 嬉しさと尊さで、ドレスの内側から『竜の鱗』が飛び出してしまいそうなのを、私は必死に魔力で抑え込んでいるのだ……!」


「よく抑えてくれました。ここで竜化されたら、潜入作戦が開始3分で終わるところでしたよ。」

 トアが優しく微笑み、彼女の手をそっと握って落ち着かせた、その時だった。


「――おや。見慣れない、しかし実に美しい番(つがい)がおられる。今宵のオークションは、例年以上に上質な獲物が紛れ込んでいるようだ。」


 人混みを割って現れたのは、仕立ての良い白銀の礼服を着た、初老の紳士だった。

白髪交じりの髪を綺麗に撫で付け、細められた細工物のような瞳の奥には、すべてを見透かすような冷徹な光が宿っている。彼が歩くたび、周囲の貴族たちが自然と道を譲り、一礼していった。


 北方財閥の長にして、帝国の財布を握る陰の支配者――ライン公爵その人であった。


「初めまして、若き紳士、そして麗しきレディ。私はこの夜会の発起人の一人、ラインと申します。北方の香料ビジネスを少々嗜んでおりましてね?」


 ライン公爵は、完璧な紳士の笑みを浮かべてトアたちに近づき、値踏みするような視線を二人に向けた。


アルテリゼの身体が一瞬で戦闘態勢へと強張り、トアの前に一歩出ようとする。

その手を、トアはさりげなく指を絡めることで制した。


「これは光栄です、ライン公爵。私は北方の古書や美術品を扱う、ただのしがない商人のトアと申します。こちらは、私の自慢の妻です。」


 トアは仮面の奥の目でライン公爵を真っ向から見据え、一歩も引かずに優雅に一礼した。


「ほう……。古書の商人、ですか。我がライン家も、歴史ある古い記録には目がなくてね。特に『百年前のヴィクトール卿の遺産』のような、ロマン溢れるいわく付きの代物には、いくらでも金を積む用意がある。」


 ライン公爵の言葉に、ピりりとした緊張感が走る。それは、遠回しな探りだった。

ガイル侯爵の帳簿がヴァルハイト公爵家に渡ったこと、そしてそれを解読しようとする動きがあることを、この男はすでに察知しているのだ。


「それは奇遇ですね?」

トアはいつも通り、お茶でも飲むかのような気軽さで微笑み返した。


「ヴィクトール卿といえば、極度の潔癖症で、ローズとサンダルウッド、ベルガモットの香水を愛用していたとか。……そういえば公爵、あなたが今日身にまとっているその香水、非常に素晴らしい調合ですが――『3・5・2』の比率にしては、少しベルガモットの主張が強い気がいたします。まるで、最近急に『古い鍵』を新しいものへと付け替えたかのように。」


その瞬間、ライン公爵の完璧な笑顔が、ピキリと凍りついた。

細められた瞳の奥に、本物の殺意と、隠しきれない驚愕が走る。


「……お若いのに、随分と鼻が利くようだ、トア殿。」

「ええ、昔の取扱説明書(古文書)を読むのが仕事ですから。……さて、そろそろ今夜の本命である『新作香料のオークション』が始まる時間のようです。公爵が大金で、何を買い落とされるのか、特等席で見物させていただきますね?」

 トアが不敵に微笑み、ライン公爵は無言で二人を睨み据えた後、踵を返して VIP 席へと去っていった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 オークションの熱気が最高潮に達したその時、ステージに今夜の目玉である「北方の奇跡」と呼ばれる幻の新作香料、『白銀の涙』が運び込まれた。


「――一億二千万、出そう。」

会場がざわめく中、VIP席からライン公爵が冷徹な声で木槌を鳴らした。

相場を遥かに超えた異常な高額。

周囲の富豪たちが次々と手を引く中、ライン公爵の口元には勝利を確信した笑みが浮かんでいた。


彼にとってこの落札は、手に入れたばかりのガイル侯爵の裏資金を「合法的な商品の対価」としてギルドに支払い、表の綺麗な資産へと変換するマネーロンダリング(資金洗浄)の最終工程だった。


「一億二千万、他に入札は――」

「お待ちください。その香料、一クローネ(=円)の価値もありませんよ?」


 静寂を破ったのは、会場の後方からのんびりと響いたトアの声だった。

すべての視線がトアへと集まる。

ライン公爵は不快げに眉をひそめ、「無礼な。不届きな商人が、我がライン家の選んだ至高の逸品にケチをつける気か?」と冷たく言い放った。


「ケチをつけているのではありません。科学的、そして歴史的な事実を述べているんです。」

 トアはアルテリゼを伴って優雅に中央へと歩み出ると、ステージ上の『白銀の涙』を指差した。


「その香料は、北方の幻の霊草から抽出されたと謳われていますが、実際は違います。ベースに使われているのは、かつて百年前のヴィクトール卿が大量に買い占め、帝国の倉庫に眠っていたまま行方不明になっていた、ただの『大陸西部の輸入香水』の売れ残り……それを現代の技術で脱色し、少しベルガモットを足して偽装しただけの模造品です。」


「バカなことを! 何の証拠があって――」


「証拠なら、ライン公爵、あなたの持っているギルドの『仕入れ台帳』にありますよ?」

トアは懐から、記憶を頼りに手書きで書き写した一枚の紙を掲げた。


「あなたが今日、帝国中央魔導銀行の秘匿口座からギルドへと送金した一億二千万……その資金移動の『数秒後』に、この香料ギルドの裏帳簿では、百年前のデッドストックの廃棄費用が『一億二千万の利益』として計上されています。つまり、このオークションは、あなたがガイル侯爵から回収した裏資金を身内のギルドで回し、合法的な資産に仕立て上げるための自作自演の舞台だ。」

観客席から、蜂の巣をつついたような騒ぎが巻き起こった。


「さらに言えば」トアの追撃は止まらない。


「その模造香料、成分に重大な欠陥があります。ヴィクトール卿の香水に含まれる『サンダルウッド』の成分は、百年の歳月を経て、魔導熱に触れると『周囲の隠匿魔術を強制解除する』という性質に変質しているんです。……試しに、ステージの魔導灯の出力を最大にしてみてください。」

バルトたち後方支援チームが潜入していた照明係が、トアの合図で一斉に魔導灯を輝かせた。


強い光と熱が香料に注がれた瞬間、ボトルから黄金色の霧が噴き出し、ライン公爵のVIP席へと押し寄せる。


「な、何が起きている……!?」

ライン公爵がうろたえた次の瞬間、霧に触れた彼の懐から、パリンと小気味良い音が響いた。

彼が身につけていた「認識阻害の魔導具」が強制的に破壊され、彼が隠し持っていた『本物の裏口座の魔導鍵』が、まばゆい光を放ちながら空中へと浮かび上がったのだ。

その鍵の表面には、トアが灰の中から読み取ったものと寸分違わぬ「送金先口座の番号」がくっきりと浮かび上がっていた。


「しまっ――」


「そこまでだ、ライン公爵。……いや、ガイルを操り百年の遺産を貪っていた、薄汚い亡霊め!」

 仮面を脱ぎ捨てたアルテリゼが、圧倒的な威厳を放ちながら前へ出た。


彼女の背後から現れたヴァルハイト公爵家の精鋭たちが、一瞬にしてライン公爵を取り囲む。


「我がヴァルハイト公爵家、および宮廷魔導軍の権限において、ライン家の一切の資産を凍結、ならびに身柄を拘束する!」


アルテリゼの凛とした声が響き渡り、帝国の陰の支配者だったライン公爵は、完全に顔を真っ白にしてその場に崩れ落ちたのだった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「はぁ……。ようやく、いつもの服に戻れました。」

ヴァルハイト公爵邸の最深部、アルテリゼの私室。


トアは窮屈だった夜会服を脱ぎ捨て、着慣れたいつもの素朴なシャツに袖を通して、ふぅと息を吐いた。


ライン公爵の失脚劇により、帝都の歴史の裏に隠されていた莫大な資金源は、完全にヴァルハイト公爵家――ひいてはトアの手によって掌握された。

百年の呪いを一瞬で暴き、経済の怪物を大衆の前で公開処刑してみせた青年は、今や宮廷魔導師たちから神のように崇められている。


 だが、部屋主であるアルテリゼは、先ほどからトアの姿をじっと見つめたまま、一歩も動かない。

彼女の琥珀色の瞳は、オークション会場の時よりもさらに熱く、トロンと潤んでいた。


「リゼさん……? どうかしましたか?」

トアが首を傾げた、その瞬間だった。


――ピコン!


アルテリゼの頭から飛び出した竜耳が、嬉そうに激しく直立する。


「ああ……トア……! 君という男は、本当に、本当になんと恐ろしい、そして愛おしい夫なのだ……!!」


ドサッ、と音がした。

アルテリゼは限界突破した「龍圧」で部屋の温度を急上昇させながら、トアの細い腰にがっしりと抱きつき、そのまま彼をふかふかの天蓋付きベッドへと押し倒したのだ。


「うわっ、リゼさん!? 急にどうしたんですか!」


「どうしたではない! 敵の完璧な自作自演を、歴史の知識と成分の矛盾だけで叩き潰すなど、並の天才にできることか! ああ、君の美しい頭脳が、包容力が、あまりにも誇らしすぎて、私の胸の竜の血が狂いそうなのだ!」


軍服の隙間から飛び出した太い尻尾が、ベッドのシーツを「ブンブンブンブン!」と猛烈な速度で叩きつけ、凄まじい風圧で部屋のカーテンが舞い上がる。

 

アルテリゼは真っ赤になった顔をトアの胸元にすり寄せ、まるで大きな甘えん坊の竜のように、これでもかと彼を抱きしめて離さない。


「今夜はもう絶対に部屋から出さないぞ。誰も君に触れさせない。よく頑張ってくれた私の愛しい夫よ……さあ、私がこれでもかと、一生分甘やかしてやろう。よしよししてほしいか? それとも、私が君の頭を撫で回してやろうか!?」


「あはは、リゼさんの力が強すぎて、よしよしされる前に僕の肋骨が折れそうです……。でも、ありがとうございます。」

トアは苦笑しながらも、腕の中で完全にメロメロになっている最強の女公爵の頭を、優しく「よしよし」と撫でてやった。

そのたびに、アルテリゼは「ふにゃあ……」と幸せそうな吐息を漏らし、尻尾の回転を少しだけ大人しくさせるのだった。


最愛の妻の腕の中で、トアは静かに天井を見つめる。

彼の脳裏には、ライン公爵の懐から飛び出した『裏口座の魔導鍵』の、さらに最下層に刻まれていた「真の暗号紋」が焼き付いていた。


(ライン公爵すら、ただの都合の良い『中継地点』に過ぎなかった、か……)


 ライン公爵が裏資金を動かしていた本当の宛先。

一般貴族が扱う普通の口座暗号であれば、最下層に二重で暗号紋をつける必要はない。

ということはあの暗号紋の指し示す人物こそが、今回の事件の真の黒幕だという事になる。


(あの隠されていた暗号紋....確か帝国皇家が使用している口座暗号に構成が似ているな....。)


 ライン公爵という巨悪が失脚したことで、黒幕は手足を一本失った形になる。

しかし、まだその牙を隠したまま、影で静かに息を潜めているはずだ。


(……まあ、次の一手に着手するのは、もう少し先でいいですね。)


トアは思考を切り替え、胸元で「トア、大好きだ……私の生涯の伴侶……」と完全にふにゃふにゃになっている愛しい妻の背中を、ぽんぽんと優しく叩いた。


 真の黒幕である人物が、どれほど冷徹で巨大な亡霊であろうと関係ない。

自分の隣には、世界で一番強くて、世界で一番可愛い、自分を愛してくれる竜の姫がいるのだから。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 帝都の最奥、白磁の尖塔が聳え立つ第一皇子宮。

その最上階にある執務室は、夜会の喧騒とは無縁の、凍り付くような静寂に包まれていた。


「――そうか。ラインが堕ちたか」


重厚な黒檀の机に向かい、書類に万年筆を走らせていた男が、一切の手を止めずに呟いた。


第一皇子ルードヴィヒ。

現皇帝の第一子であり、その冷徹なまでの合理的思考と圧倒的なカリスマから、次期皇帝の最有力候補と目される男だ。

整った容姿にはいかなる感情の揺らぎもなく、ただ深い冬の湖を思わせる氷の瞳だけが、冷ややかに机の上の書状を見つめていた。


彼の影から音もなく這い出てきたのは、隠密部隊の長だった。


「はっ。ヴァルハイト公爵家の奇襲を受け、地下社交場のマネーロンダリングは完全に瓦解。ライン公爵が隠し持っていた秘匿口座の魔導鍵も、その場で強制露出させられ、現行犯で身柄を拘束されました。」


ルードヴィヒはそこで初めて万年筆を置き、背もたれに身を預けた。


「……ガイルの失脚時、即座に口座から全額を引き出し、ラインの香料ギルドを経由して洗浄する手筈だった。ヴィクトールが百年前、万が一のために仕込んだ自動消滅術式(スクラップ)も正常に作動し、証拠はすべて灰になったはずだ。ヴァルハイトの無骨な『竜の娘(アルテリゼ)』に、それを追える頭脳などない。宮廷の魔導師どもとて同様だ。……何があった?」


「それが……」

報告する隠密の喉が、恐怖でヒクリと鳴る。


「ヴァルハイト公爵が連れていた、『トア』と名乗る青年にございます」


「トア?」

ルードヴィヒの眉が、わずかにピクリと動いた。


「その者が、百年前のヴィクトールの『香水の調合比率』から口座の暗号を数分で解読。さらに、術式が自爆し書類が灰になる『コンマ数秒の間』に、その下層に隠されていた送金先口座の番号と、北方の紋章の残滓を完璧に記憶したとのことです。さらにオークション会場では、香料の成分の変質特性を見抜き、魔導熱を使ってラインの魔導鍵の認識阻害を強制解除。観客全員の前で、ライン家が裏資金を動かしていた『物証』を白日の下に晒しました。」


静寂が、より一層深くなる。

ルードヴィヒは何も語らず、ただ指先でトントンと机を叩いた。


ライン公爵は、ルードヴィヒが次期皇位を盤石にするための、最大の「資金源(手足)」だった。

それがいま、ただの元古文書官の青年によって、根こそぎ叩き潰されたのだ。


「トア、と言ったか?」

ルードヴィヒの薄い唇が、静かにその名をなぞる。


「ガイルを操り、ラインを動かし、百年の時をかけて構築した我が『亡霊の足跡』を、ただの取扱説明書のように読み解いたというわけか。……面白い。ヴァルハイトの竜が、随分と面白い『飼い犬』を拾ったらしい。」


ライン公爵の魔導鍵の最下層には、さらにルードヴィヒ自身の私兵組織へと繋がる「真の暗号紋」が刻まれていた。

あの青年なら、おそらくそこまで見抜いている。


「殿下、いかがなさいますか? 直ちにその男を抹殺すべく、我が私兵の精鋭、黒の魔導暗殺部隊を――」


「いや、不要だ。物的証拠の暗号紋が見つかったとしてもあの紋はただの口座暗号に過ぎない。実際あの暗号紋が誰に繋がっているかは暗号を見ても誰も分からないし、私が直接この件に関わっていたとする証拠にはならない。」

ルードヴィヒは冷酷な笑みを浮かべ、再び万年筆を執った。


「それに、その男の『脳』は、ただ消すにはあまりにも惜しい価値がある。ガイルやラインの資産など、私にとってはただの数字に過ぎん。だが、百年の呪いすら置き去りにするその頭脳……あれこそが、この帝国を完全に統治するために必要な『失われたピース』だ。」


ルードヴィヒは書類に冷徹なサインを書き終えると、影の中の部下に命じた。


「ヴァルハイトの娘から、トアを奪う。殺すな。彼の記憶、知識、その頭脳のすべてを我が手中に収め、私の『書記官』として永劫に縛り付ける。……まずは、あの過保護な竜の目を盗み、小手調べといくか。」


帝座の影で、冷徹なる第一皇子が動き出す。

トアの圧倒的な頭脳を巡る、公爵家と皇子派の、真のトップによる次なる戦いの火蓋が切って落とされようとしていた。


 


 

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