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第16話 中央主計局の不正ー2

 数日後。

中央古文書館の重厚な鉄の扉が、凄まじい勢いで弾け飛ぶかのように開いた。


「トア様!! トア様はどこだ!?」

地響きのような足音と共に現れたのは、帝国軍の憲兵統括であり、ヴァルハイト公爵家の副官でもあるバルトだった。

彼の後ろには、重武装した憲兵たちが数十人も引き連れられており、古文書館の館長や老書記官たちは「何事か」と腰を抜かして震えている。


「あ、バルトさん。お疲れ様です。ちょうど新しいお茶が淹れ終わったところですが、一杯いかがですか?」

地下から上がってきたトアは、トレイに載せたハーブティーと、自分が昨晩焼いたばかりの素朴なクッキーを差し出しながら、いつもと変わらないおっとりとした笑顔を浮かべた。


「お茶を飲んでいる場合ですか!この無自覚お坊ちゃんめ!いや、大天才と言うべきか……! 貴方、自分が何をしたか分かっているのですか!?」


バルトはトアの肩を掴み、がくがくと揺さぶった。

彼の目は血走り、驚愕と興奮で全身から冷や汗が吹き出している。


「何をした、と言われましても……。一昨日、主計局から戻ってきた帳簿の整理をして、分かりにくい部分を少し並べ替えておいましたが?」


「それです!! その『並べ替え』が、中央政界を完全にひっくり返したのです!!」

バルトが懐から取り出したのは、トアが書類の束の底に挟み込んでおいた、あの『端数偏向分析表』の写しだった。


「トア様が提出したこの一枚の紙を持って、我が主、アルテリゼ閣下が直々に中央主計局の地下査察へ乗り込まれた。主計局長をはじめとする幹部どもは、最初は『平民の妄想だ』と鼻で笑っていましたが……。閣下が、トア様が指定した『東部管区の第七帳簿、裏から三分の一、四行目の切り捨て処理』の現物と、その資金が流れている隠し金庫の魔力登録をその場で突きつけた瞬間、奴らは全員、泡を吹いて床に倒れ込みましたよ!」

 バルト卿の言葉に、周囲の書記官たちが息を呑む。

中央主計局といえば、帝国の平民はおろか、上位の貴族でさえ逆らえない聖域だ。

そこが、一斉に家宅捜索を受けたというのだ。


「主計局次長は、その場で国家横領罪および国家反逆罪の容疑で現行犯逮捕。連座して、元ガイル伯爵一派の財政基盤となっていた闇資金のルートが、今この瞬間も憲兵隊によって次々と差し押さえられている。……すべて、貴方様がこの一枚の紙に書いた通りの場所から、山のような金塊と横領帳簿が出てきたんです!」

バルトは、目の前の青年をまるで未知の怪物を見るような目で見つめた。


「貴方は算盤も魔導計算機も使わず、ただ過去の書類を眺めていただけでしょう? なぜ、国家最高の計数魔導師たちが十年がかりで隠蔽してきた不正を、たった一晩で見抜けるんです? 一体貴方の頭の中はどうなっているんだ?」

「どうなっている、と言われましても……」

トアは困ったように眉を下げ、人差し指で頬を掻いた。


「数字っていうのは、嘘をつくのがとても下手なんです。人間は言葉でどれだけでも誤魔化せますけど、数字は全体のバランスが崩れると、すぐに『苦しそうな呼吸』を始めますから。僕はただ、その息苦しそうな場所を見つけて、少しお医者さんのように診察しただけですよ?」

「それを世間では『神業』、あるいは『怪物』と呼ぶのです、トア様。」

バルトは深く、深くため息を吐き、掴んでいたトアの肩をそっと離した。その手は、畏怖の念からか微かに震えていた。


「これで貴方様の名前は、中央軍部とヴァルハイト公爵家の最上層部に完全に刻まれた。……特に、我が主であるアルテリゼ閣下は、この『完璧な仕事』の報告を聞いた時、見たこともないほど激しく竜の尻尾を振り回して喜ばれていました。」

「リゼさんが……ですか?」

トアがぽかんとした表情を浮かべると、バルトは苦笑混じりに首を振った。


「はい。『やはり私の見込んだ男だ。国中の白蟻を指先一つでひねり潰すとは、これほど男前な伴侶が他にいるか? いや、いない!』と。」

「そんな大げさな……。僕はただの、目ざとい元書記官ですから。さ、バルトさん、クッキーが冷めないうちにどうぞ。蜂蜜を少し多めに入れてあるので、疲れた頭にはちょうどいいですよ?」

トアはそう言って、再びのんびりとした笑顔でクッキーの皿を差し出した。

 中央政界がどれほどの大嵐に見舞われようとも、この青年の流れる時間は、古文書館の地下深くと同じように、どこまでも穏やかで、そして底知れない静けさを保っていた。

バルトは、目の前の青年をまるで未知の怪物を見るような目で見つめた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 トアが暴いた不正の衝撃は、単に主計局の幹部を数名失脚させるだけにとどまらなかった。

中央の保守派貴族たちは、長年にわたり主計局の「削り取られた端数」を軍事費の裏口座へと還流させ、私設の魔導兵団を組織するための資金源にしていた。

トアが提出した『端数偏向分析表』は、その資金流用ルートの根音を完璧に断ち切る「急所」だったのだ。


「信じられん……。あの男、本当にただの元書記官なのか?」

家宅捜索から数日後、主計局長官カザルドは自身の執務室で、青ざめた顔で報告書を握りつぶしていた。


「特級計数魔導師たちの多重暗号を完全に無視し、統計の『偏り』だけで逆算するなど、人間の業ではない。まさか、ヴァルハイトの女公爵が後ろから知恵をつけたのではないか?」

「いえ、閣下。アルテリゼ公爵は、その日、前線の閲兵に出ておりました。主計局にいたのは、間違いなく公爵家から派遣されたあの平民の青年、一人きりです。」

「……怪物め。すぐにその男の身辺を調べろ。消せるなら、今のうちに消しておかねば、我々の命脈が尽きる。」

カザルドの命令により、深夜、数人の隠密魔導師が公爵邸へと放たれた。

彼らは音もなく地下書庫へと侵入し、ランプの光の下で一人、静かに古い地籍図を広げていたトアの背後へと忍び寄る。

だが、彼らが呪詛の短剣を突き立てようとしたその瞬間、地下書庫の空気が一瞬にして絶対零度へと氷結した。


「……私の夫に、その汚い手を近づけるな!」

暗闇から現れたのは、琥珀色の瞳を怒りに燃え上がらせたアルテリゼだった。

彼女の背後からは、強靭な竜の尻尾が激しく波打ち、全身から噴き出す『氷の龍圧』によって、侵入者たちは悲鳴を上げる暇もなく、その場で美しい氷像へと変えられていった。


「あ、リゼさん。おかえりなさい。ちょうど今、次の古い地図の分類が終わったところですよ。」

トアは、背後で起きた凄惨な光景に全く動じることなく、いつものようにおっとりとした笑顔で彼女を迎え入れた。

「トア、怪我はないか!? どこも痛むところはないか!?」

アルテリゼは、氷像と化した隠密たちなど一瞥もせず、トアの元へと駆け寄ると、彼の細い身体を壊れ物を扱うように抱きしめた。

プラチナブロンドの髪の隙間から覗く竜の耳が、心配で激しくペタンと寝ている。


「はい、全然大丈夫です。リゼさんがすぐに来てくれましたから。……それにしても、主計局の人たち、そんなに僕の並べ替えた書類が気に入らなかったんでしょうか?」

「気に入らないどころではない。君は奴らの『百年の大計』を、たった一晩でただのお小遣い帳の落書きに変えてしまったのだからな。」

アルテリゼはトアの胸元に顔を埋め、彼の体温を感じながら、誇らしげに、そしてどこまでも深くため息を吐いた。


「君のその頭脳は、国家の宝だ。だがそれ以上に……私をこれほど安心させてくれる君の包容力は、私の生涯の宝だ。トア、もう誰にも君を傷つけさせない。残党どもは、私が明日、一粒の塵も残さず駆逐してこよう。」

「あはは、あまり怒らないでください。明日のお弁当には、リゼさんの大好きなお肉をたくさん入れておきますからね?」

トアが優しく彼女の髪を撫でると、アルテリゼの太い尻尾が、嬉しさのあまり地下書庫の床を「パタ、パタ」と静かに叩き始めた。

 

 国家を揺るがす大汚職の終焉は、この一人の風変わりな書記官の、あまりにも穏やかで、そして底知れない優しさに包まれた日常のひとコマに過ぎなかったのだ。




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