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第14話 激突の長老会と、怒れる婚約者

 一方その頃、公爵邸の前庭は、文字通りの『この世の終わり』を迎えていた。


「我が夫をどこへやったと聞いている、ボルカノ!!」

 リゼの全身から放たれる漆黒の魔力が、周囲の空間を物理的に歪め、地面に深い亀裂を刻み込んでいく。彼女の背後の翼は、全開になると公爵邸の敷地を覆い尽くすほどの大きさになり、太陽の光を完全に遮っていた。


「ひ、怯むなニヴル、アースガル! 一族の規律を守るためだ! 誇り高き古竜の血が、ただの人間ごときに跪くなど断じて許されん!」

 赤髪の長老ボルカノが必死に叫ぶが、その声には明らかな動揺が混じっていた。

彼ら長老会は、アルテリゼが強いことは知っていた。しかし、まさか『たった一人の人間』を拉致されただけで、ここまでの、それこそ千年前の神話の時代に世界を滅ぼしかけた『始祖竜』に匹敵するほどの怒りを見せるとは予想していなかったのだ。


「ニヴル! 氷結の結界で動きを止めろ!」

「分かっているわ! 『永久凍土の牢獄(コキュートス・ジェイル)』!!」

 青髪の老婆ニヴルが杖を突き立てると、リゼの足元から一瞬で絶対零度の氷が燃え上がり、彼女の巨体を凍りつかせようとする。

しかし。


――パリィィィィンッ!!!


「小細工を……!!」

リゼがただ一歩、足を踏み出しただけで、絶対零度の氷結はガラス細工のように粉々に砕け散った。

彼女の放つ熱量と怒りは、概念としての『凍結』すら力任せに打ち破る。

「ヒッ……! 莫迦な、一族最高峰の封印術だぞ!?」

ニヴルが絶望の声を上げる中、リゼは瞬時にボルカノの目の前へと肉薄していた。

その速度は、竜族の動体視力すら置き去りにする。


「お前たちが重んじる『血の誇り』とやらが、トアの髪の毛一本ほどの価値でもあると思っているのか?」

 リゼの冷酷極まる声が、ボルカノの耳元で響く。

彼女の右拳には、空間を爆縮させるほどの高密度魔力が収束していた。


「ま、待てアルテリゼ! あの人間は『ゴルゴダの奈落』へ送った! あそこには数々の凶悪な魔獣と、我らの若い戦士たちが監視についている! 今頃は――」

 ボルカノがそこまで言いかけた時、リゼの琥珀色の瞳がギラリと光った。


「……奈落、だな。分かった。今すぐそこを更地にして、トアを連れ戻す!」

リゼは拳を引くと、天に向かって巨大な翼を羽ばたかせた。


「バルト! 留守を頼む! 帰ったら結婚式の招待状のリストを書き直すぞ。この老人たちの席は、一番端の、風通しの良い席(屋外)にしておけ!」

「は、はっ! 了解いたしました、閣下! お気をつけて!」

 バルトが敬礼で見送る中、リゼは一瞬で音速の壁を突破し、遥か彼方の『試練の洞窟』へと飛び去っていった。

ソニックブームの衝撃波で、庭の木々が激しくなぎ倒される。

残された長老三人は、ただただ呆然と立ち尽くしていた。


「……おい、ボルカノ。我々は、とんでもない怪物の逆鱗(文字通り)を踏んでしまったのではないか?」

ニヴルの問いに、ボルカノは震える手で冷や汗を拭うことしかできなかった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 再び、試練の洞窟『ゴルゴダの奈落』の最深部。

「なるほど、このルーンの意味は『永久なる守護』ではなく、『お腹いっぱいの幸せ』という口語訳が正しいのか。古代竜の皆さんも、案外ユーモアがあったんですね。」

トアは壁画の最後の部分を読み解き、大満足でノートを閉じた。

その背後では、信じられない光景が広がっていた。


「義兄上! この、斑蜘蛛の脚の肉も、実は調理すれば美味かったりしますか!?」

イランが、先ほどトアが罠で潰した蜘蛛の死骸から、必死になって肉の良さそうな部分を切り出してきている。

その目は完全に、新しい料理への期待で輝いていた。


「うむ。義兄上の調合法(スパイス)があれば、どんな魔獣の肉でも至高のごちそうに変わるはずだ。俺、今まで生肉を噛みちぎっていた自分が恥ずかしいよ。」

アクアが真面目な顔で、トアが使った箸を丁寧に布で拭いている。


「義兄上、次の日曜日、俺の家にも遊びに来てください! 母ちゃんに『本物の料理』ってやつを教えてやってほしいんです!」

アースはトアの隣にぴったりと寄り添い、大型犬のように尻尾(本物)をブンブンと振っていた。

 

 拉致されてからわずか数時間。

トアは、その圧倒的な『胃袋掴みスキル』と、どんな状況でも動じない『おっとりした包容力』によって、監視役であるはずの竜族の精鋭たちを完全に手懐けてしまっていた。


「あはは、蜘蛛の肉はちょっとアクが強いから、一度牛乳か薬草の煮汁で臭みを抜かないといけないね。でも、ちゃんと処理すれば唐揚げにすると美味しいと思うよ。」

「からあげ……! なんという響きだ……!」

イグニスたちがゴクリと唾を呑んだ、その瞬間だった。


――ズゴォォォォォォンッ!!!!


洞窟の天井が、凄まじい爆発音と共に木っ端微塵に吹き飛んだ。

降り注ぐ岩石と土砂。

しかし、それらはトアの頭上に届く前に、イラン、アクア、アースの三人が瞬時に翼を広げて完璧に防護した。


「義兄上に破片を当てるな!!」

「守れ!!」

彼らが迎撃態勢を取る中、崩落した天井の穴から、逆光を背に受けて一人の『破壊神』が舞い降りてきた。

プラチナブロンドの髪を翻し、怒気で周囲の岩を融解させながら現れたのは――リゼだった。


「トアァァァッ!! 無事か!? 今すぐその汚らわしい竜どもを細切れにして――」

リゼは地面に着地するなり、愛する婚約者を探して叫んだ。

彼女の予想では、トアは魔獣に襲われるか、若い戦士たちに痛めつけられて、泣きながら自分を待っているはずだった。

しかし、リゼの目に飛び込んできたのは、予想を180度覆す光景だった。


「あ、リゼさん。お迎えありがとうございます!」

 トアはいつも通りのおっとりした笑顔で、ひらひらと手を振っている。

衣服に汚れ一つない。

そして、その周囲では、一族の中でも特に血気盛んで人間の見下しが激しかったはずのイグニスたちが、トアを文字通り『神の如き存在』として崇め奉るように整列していた。


「……は?」

リゼの口から、珍しく間の抜けた声が出る。


「アルテリゼ様! 誤解しないでください! 私たちは義兄上に一切の非礼を働いていません!」

イランが直立不動で叫んだ。


「そうです! むしろ、このトア義兄上こそ、我がヴァルハイト公爵家、ひいては竜族全体に迎えるべき『至高の宝』であると確信いたしました!」

アクアが眼鏡をキラーンと光らせて続く。


「アルテリゼ様、トア義兄上を泣かせるようなことがあれば、俺たちが許しませんからね!」

アースがなぜかトアを庇うようにリゼを睨みつけた。


「あ、義兄上……? お前たち、一体何を言っているんだ……?」

リゼは完全に混乱していた。

自分が命がけで助けに来たはずの婚約者が、敵の本拠地でいつの間にか『総大将』のポジションに収まっている。


「あはは、リゼさん。みんな、僕の作った時雨煮をすごく気に入ってくれて。これから公爵邸に戻って、みんなで蜘蛛の肉の唐揚げの試作会をしようって話していたところなんです。」

トアはそう言うと、すっと歩み寄り、リゼの怒りで硬直していた頬の夜色の鱗に、そっと素手で触れた。


「心配かけてごめんなさい、リゼさん。でも、おかげで素敵な壁画も見られたし、可愛い弟たちもできました。……お腹、空いていませんか? リゼさんの分の時雨煮も、ちゃんと残してありますよ!」

 トアがいつも通りのおっとりした笑顔で頭を撫でると、リゼの身体から一瞬で破壊衝動(オーラ)が消え去った。

背中の漆黒の翼が瞬時に霧散し、琥珀色の瞳がトロンと潤む。


「ト、ア……。う、うむ……私も、すごくお腹が空いた……。トアのご飯、食べたい……」

先ほどまで世界を滅ぼしかねない勢いだった帝国最強の女公爵が、一瞬で『恋する一人の少女』モードに切り替わった。

その様子を見ていたイグニスたちは、確信していた。


(((やっぱり、この義兄上には逆らっちゃダメだ。最強のアルテリゼ様を完全に飼い慣らしている……!)))



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 数日後。

ヴァルハイト公爵邸の大広間では、盛大な『和解の宴』が催されていた。


「うむ……美味い。美味すぎる……! なんだこの、外はカリッとしておるのに、中は信じられないほどジューシーな肉料理は……!」

赤髪の長老ボルカノが、トア特製の『冥府の斑蜘蛛の唐揚げ(薬草スパイス風味)』を豪快に頬張りながら、涙目で唸っていた。

 隣では、冷徹だったはずの老婆ニヴルが「この卵焼きというお料理、出汁の魔力配合が完璧ですわ……。お代わりをいただけますかしら、トア殿」と、すっかりトアのファンになって上品に皿を差し出している。


「あはは、どうぞたくさん食べてください。長老の皆さんは魔力の消費が激しいですから、味付けを少し濃いめにして、体内の魔力循環を促す『古代ルーンの定着技術』を調理に応用してみたんです。あの洞窟の壁画のおかげで、新しい調理法が見つかりました。」

トアがおっとりと説明すると、長老たちはもはやぐうの音も出なかった。


「一族の最高機密である試練の壁画を、まさか『調理本の隠し味』として読み解くとは……。完敗じゃ。アルテリゼ、お前は最高の伴侶を選んだな。」

ボルカノがしみじみと告げると、その隣に座るリゼは、誇らしげに胸を張った。


「当然だ、ボルカノ。トアは世界一の知性と包容力、そして私のすべてを満たしてくれる最高の夫だからな!」

リゼはそう言うと、嬉しそうに(隠しきれなくなった)竜の尻尾をトアの腰にぎゅーっと巻き付け、いつものようにトアをひょいとお姫様抱っこした。


「わわっ、リゼさん、みんなの前で高い高いはやめてくださいってば!」

「ふふ、照れるなトア。私は君を一生離さないぞ!」

大盛り上がりの宴の席の片隅で、副官のバルトは、ようやく胃の痛みから解放された顔で、静かにワインを傾けていた。


「……まぁ、結果オーライ、ですかね?」

 こうして、竜の義実家からの過酷な(?)試練を、圧倒的な胃袋掴みと包容力で完全勝利に導いたトア。

結婚式というゴールに向けて、規格外な二人の婚約期間は、これからもまだまだ賑やかな事件を巻き起こしていくのだった。



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