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ケチなおっさん、転生して異世界を最弱教団で制覇しに行く。  作者: むちゃうまご飯


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俺が信じる神

受付嬢は俺へ手渡した金属製のギルドカードを一度カウンターへ戻すと、その隣へ羊皮紙の装丁が施された分厚い冊子を静かに置いた。柔らかな笑みを浮かべ、これから冒険者として生きていく上で欠かせない基本的な知識を説明しますね、と穏やかな声で切り出してきた。


「それでは、正式登録も終わりましたので、冒険者の仕組みについて順番にご説明いたします。」


「お願いします。」


俺は姿勢を正し、木製の椅子へ深く腰掛け直した。

この世界へ来てまだ一日も経っていない俺には、知らないことばかりだ。

ただがむしゃらに魔法を撃ち込む戦い方だけを覚えても、この世界の社会構造や「生き方」のルールを知らなければ、遅かれ早かれ行き詰まる。そんな直感から、俺は受付嬢の話を一つも聞き漏らすまいと全神経を集中させた。


「まず初めに、冒険者にはランク制度があります。」


受付嬢は受付の背後、壁に深く刻み込まれた大きな木製の掲示板を細い指先で指差した。

そこには重厚な書体で八つの英文字が整然と並べられていた。


『F』『E』『D』『C』『B』『A』『S』『SS』


下から順番に階級が割り振られているらしい。


「現在のアステル様は正式登録されたばかりですので、Fランクからのスタートになります。」


「やっぱり一番下なんですね。」


「はい。すべての冒険者が例外なくここから始まりますので、ご安心ください。」


受付嬢は不安を和らげるように優しく微笑んだ。


「依頼を着実に達成し、ギルドへの貢献度や実力、さらには人物としての信用などを総合的に評価した上で昇格試験が行われます。」


「レベルさえ上がれば勝手にランクが上がる、というわけではないんですか?」


前世のゲームの感覚なら、レベルが高く強力な戦力を持っている者ほど無条件で評価され、身分が上がっていく。そんな安直なイメージを抱いていた。


「はい。例えばどれほど戦闘能力に秀でた冒険者であっても、受けた依頼を途中で放棄したり、一般市民へ危害を加えたり、仲間を裏切るような反社会的な行為があれば昇格は決して認められません。」


「なるほど。」


単純な武力だけではなく、社会的な信用や人間性が厳しく問われるわけか。

それなら『冒険者ギルド』という巨大な組織が治安を維持し、街の権力者からも重宝されながら長く機能し続けている理由にも頷ける。


受付嬢は手元の冊子をパラリと一枚めくり、さらに説明を続ける。


「そして、この世界には個人の強さを示す『レベル』とは別に『職業』という概念が存在します。」


「職業……ですか。」


「はい。レベルが十上がるごとに、一つ新しい職業を取得できます。」


「十ごと、ですか?」


「はい。レベル十で一つ目、レベル二十でさらに二つ目、レベル三十でもう一つというように、成長の過程で少しずつ生涯の選択肢を増やしていく仕組みです。」


「ということは、最初に決めた一つだけで終わるわけじゃないんですね。」


「はい。一度取得した職業は決して失われませんので、レベルが上がるにつれて新しい職業を追加し、能力を複合させていく形になります。」


「ちなみに……一度選んだ職業を後から別のものに変更することはできますか?」


俺がそう尋ねると、受付嬢はそれまでの柔らかな表情を一変させ、少しだけ表情を引き締めて首を横へ振った。


「申し訳ありません。それだけは不可能です。」


「一度選択した職業は、神殿の祭壇で登録された時点で魂の根底へ深く刻み込まれます。そのため、後から別の職業へ選び直したり、消去したりすることは絶対にできません。」


「なるほど……。」


つまり、ノリや直感だけで適当に決めるわけにはいかないということだ。

レベル十という節目ごとに訪れる選択の決断が、その後の人生設計を決定づける。


受付嬢は冊子を開き、そこに描かれた代表的な職業の挿絵と解説を俺に見せてくれた。


「まずこちらが魔術師です。魔力を扱う才能を飛躍的に伸ばす職業で、魔法の威力和射程、消費魔力の効率などが大幅に向上します。」


「次に聖職者です。神力を利用した聖法や治癒魔法の扱いに優れ、戦局の支援や味方の負傷を治すことを得意とする職業になります。」


「こちらは武闘家です。体内の『気』を利用した物理的な身体強化や格闘術が大きく補正されます。」


「剣士は剣術全般の精度と威力に強い補正が掛かり、弓使いは遠距離からの精密射撃に秀でるようになります。」


「さらに専門職として、錬金術師、鍛冶師、暗殺者、商人、薬師、召喚士など、無数の職業が存在しています。」


「思っていたよりも、ずっと多岐にわたっているんですね。」


「はい。そのため同じレベルに達している冒険者であっても、取得してきた職業の組み合わせ次第で戦い方や生き方はまったく異なるものになります。」


俺は腕を組み、静かに思考を巡らせた。

前世の三十七年の社会人経験が、無意識のうちにリスクヘッジの計算を弾き出す。

俺自身は火属性の適性しか持ち合わせていないが、魔力一辺倒の極端なステータスに頼るつもりはない。

前衛で身を守るための剣術も身につけたいし、『気』による身体強化も習得したい。もし神力を扱えるようになるのなら、致命傷を自力で塞ぐ治癒魔法だって覚えておきたい。

一つの分野だけを突き詰めた特化型よりも、どんな不測の事態にも幅広く対応できる「器用貧乏かつ頑丈な冒険者」の方が、この過酷な異世界で長く生き残れる確率が高い気がしていた。


そんな損益計算をしていると、もう一つ切実な疑問が頭に浮かんだ。


「そういえば、一つ基本的なことを伺ってもよろしいですか。」


「もちろんです。何でしょうか?」


「この世界における貨幣の購買価値って、具体的にどれくらいのものなんですか?」


受付嬢は「ああ、生活の基盤ですね。とても大切なことです」と深く頷き、羊皮紙の余白へ羊毛のペンで簡単な換算表を書き始めた。


「まず流通している貨幣ですが、銅貨、銀貨、金貨の三種類が基本となります。」


「銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚という十進法の単位になっております。」


「分かりやすくて助かります。」


「一般的な市民の生活感覚としては、銅貨一枚がおおよそ焼きたてのパン一斤分くらいだと考えていただくとイメージしやすいかと思います。」


「ということは、銀貨一枚でパン十斤分ですか。」


「はい。まさにそのくらいの価値基準ですね。」


「具体的な物価で言いますと、一般的な宿屋なら一泊朝食付きで銀貨一枚ほど。大衆食堂で温かい食事をとるなら銅貨五枚前後、屋台の軽食なら銅貨二、三枚ほどで十分に食べられます。」


「なるほど……。」


前世の日本の金銭感覚に当てはめて換算してみる。

パン一斤を日本円にしておよそ百円と仮定すれば、銅貨一枚が約百円という計算になる。

そう考えると、俺が黒梟堂の老婆から魔法教本を買い叩かれた際の銀貨八枚は、日本円にして約八千円相当だ。

文無し直前の極貧状態の身には血を吐くような出費だったが、一生モノの知識と魔法という生存手段を買ったと思えば、決して高すぎる買い物ではなかったのかもしれない。


そして、先ほど森で死に物狂いになって集め、ギルドに売却した聖石十五個の対価が銀貨十五枚。

現在の俺の総資産は、銀貨十五枚と銅貨十二枚。

日本円に換算すれば、およそ一万六千二百円だ。

異世界へ落とされた初日の日銭稼ぎとしては、当初の絶望的な状況を考えれば上出来すぎるスタートと言えた。


俺は改めて冊子の職業一覧へ視線を落とし、これから自分が選択すべき「最初の職業」について、静かに長考に入った。



受付嬢は冊子をパタンと閉じると、一息ついてから「ですがアステル様、まだ極めて大切なお話が残っております」と穏やかな笑みを浮かべ、冒険者が必ず突き当たる現実の分岐点について説明を続けた。


「ちなみにですが、職業はレベルが十に達した瞬間、その場ですぐ自動的に取得できるというわけではありません。」


「えっ、そうなんですか?」


脳内のゲーム的感覚で、レベル10になった瞬間に空中に選択ウィンドウでも現れるのだろうと思い込んでいた俺は、思わず身を乗り出して聞き返してしまった。


「はい。この世界において職業とは、神々から与えられる神聖な祝福の一種と考えられております。そのため、冒険者ご自身がしかるべき《祭壇》へ足を運び、神へ祈りを捧げた上で授かっていただく必要があるのです。」


「祭壇……。」


「祭壇は街のあちこちにある教会や神殿の最奥に設置されております。そこで神官の立ち会いのもと、手続きを行って職業を選択する形になりますね。」


「じゃあ、このギルドの窓口で今すぐ選んで登録、というわけにはいかないんですね。」


「はい。ですがアステル様は先ほどレベル十へ到達されたことを確認しておりますので、すでに最初の職業を取得するための資格を完全に満たしていらっしゃいます。」


受付嬢はそう言って、カウンターの上の俺のギルドカードへ温かな視線を向けた。


レベル十。

ほんの数時間前まで、前世の日本で重度の糖尿病と不摂生に苛まれ、病床で寂しく死にかけていた三十七歳の中年サラリーマンだった俺が。

異世界へ転生して一日と経たないうちに、己の足で戦い抜き、人生最初の『職業』を選ぶ権利を手に入れてしまったのだ。

目まぐるしすぎる展開の速さに、精神の現実感が一向に追いつかない。


受付嬢は少しだけ間を置き、さらに重要な事実を告げた。


「それからアステル様、職業の取得と同じくらい……いえ、今後の冒険者生活を大きく左右するのが『教団』への所属です。」


「教団、ですか。」


「はい。この世界で生きる人々は、原則として何らかの神を信仰し、その神が管轄する教団のいずれかへ所属しております。」


その言葉を聞いた瞬間、この世界へ叩き落とされる直前、あの正体不明の神が微笑みながら告げてきた言葉が脳裏に鮮烈によみがえった。


――『まず、信じられる神を見つけてくださいね。』


あの言葉は、単なる宗教的な勧誘などではなく、この世界の生存システムそのものを指していたのか。


「教団へ所属すると、具体的にどんなメリットがあるんですか?」


「極めて決定的な恩恵がございます。」


受付嬢は迷いのない口調で深く頷いた。


「まず第一に、体内で『神力』を練り上げ、扱えるようになります。」


「神力……。」


「はい。神力は神から与えられる聖なるエネルギーであり、傷を癒やす回復魔法や、魔を払う聖法を使用するためには必要不可欠な源泉となります。逆に言えば、どこかの教団へ所属していない無所属の方は、どれほどレベルが高くとも神力を一切扱うことができません。」


「一切、ですか。」


「はい、例外なく一切です。」


戦場での自己回復や状態異常の解除が絶たれるというのは、ソロの冒険者にとって致命的なハンデになり得る。


「さらに、所属する教団の性質によっては、魔力の最大値や『気』の成長速度に強力な加護が与えられたり、特殊なパッシブ効果を受けられたりすることもあります。」


魔力の成長補正まで得られるのか。

そこまで破格のメリットがあるのなら、教団に所属しないという選択肢はあり得ない。


「アステル様は、どちらの教団へ所属されるご予定でしょうか?」


そう尋ねられ、俺は苦笑交じりに肩をすくめた。


「実は……まだどの教団が存在するのかすら把握していなくて。」


「えっ?」


受付嬢は驚いたように丸い目をさらに見開いた。


「まだお決めになっていらっしゃらないのですか?」


「ええ。異世界……失礼、この街へ来たばかりで、教団ごとの違いも何も分かっていない状態なんです。」


受付嬢は納得したように頷いたものの、すぐに心配そうな陰りを表情に浮かべた。


「でしたら、できる限りお早めに所属先の教団を決められることを強くおすすめいたします。」


「やっぱり、急いだ方がいいですかね。」


「はい。無所属の期間が長引けば長引くほど、神力を扱えない危険な状態で戦うことになりますし、本来得られるはずだった教団の成長加護も受けられず、大きな機会損失になってしまいますので。」


なるほど。効率的な成長と生存率の向上を狙うなら、教団選びは避けて通れない最優先課題だ。


「ちなみに、このアクセルの街にはどんな教団があるんですか?」


受付嬢は受付横の壁に掲示された、アクセルの街の全域が詳細に描かれた羊皮紙の地図を指差しした。


「現在、このアクセルには主要とされる教団が七つ存在しております。」


「七つも。」


「はい。それぞれが祀る主神も異なれば、授けられる加護の性質も多種多様です。そのため冒険者たちは、自身の目指す戦闘スタイルに合った教団を厳選して所属しています。」


七つも選択肢があるとなると、事前の情報なしに選ぶのは骨が折れそうだ。

すると受付嬢は、地図のほぼ中央、一際大きく描かれた建造物のシンボルへ指を置いた。


「その中でも、名実ともに街で最大の規模を誇るのが《キリスト教団》になります。」


「最大、というとどれくらいの規模なんですか?」


「現在の信者数だけでも、およそ二千名を数えます。」


「二千人……。」


思わず呟きが漏れる。この中世レベルの都市規模における二千人の組織というのは、絶大な影響力を持つ大勢力だ。


「さらに、このアクセルの街で唯一の『Sランク冒険者』様も、このキリスト教団に所属していらっしゃいます。」


「Sランク冒険者まで所属しているんですか。」


「はい。そのため教団としての社会的な信頼や組織としての実績も群を抜いており、街へやってきた新人の冒険者様の多くが、まずは確実な選択肢としてキリスト教団の門を叩かれますね。」


最強クラスの冒険者が所属している教団なら、そこで得られる加護や神力も強力なはずだ。

右も左も分からない新人の俺が最初に身を寄せる場所としては、最も無難で確実な「正解」に見えた。


「キリスト教団の本部はどこにあるんですか?」


受付嬢は地図のメインストリートを指でなぞりながら説明してくれた。


「ギルドを出られましたら、中央の大通りを真っ直ぐ北へお進みください。噴水広場を抜けた先に、街のどこからでも見える巨大な白い尖塔が見えてまいります。それがキリスト教団の本部大聖堂となりますので、迷うことはまずございません。」


「分かりました。親切にありがとうございます。」


俺は支給された銀色のギルドカードを革袋の奥へ厳重にしまい込み、席を立った。


「いえ、こちらこそご登録ありがとうございました。」


受付嬢も椅子から立ち上がり、胸の前で両手を静かに重ねて頭を下げた。


「アステル様の冒険が、実り多き素晴らしいものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます。」


「ありがとうございます。また討伐の成果を持ってきた時に。」


俺は頭を下げて受付を後にし、夕暮れ時の朱い光が差し込むギルドの重厚な扉を押し開けた。


次に向かうべき目的地は決まった。

この異世界で初めて己の信仰を捧げる神を選び、一生を左右する最初の『職業』を授かるため――俺はキリスト教団の大聖堂を目指して歩き出した。



ギルドを出た俺は、受付嬢から教えてもらったルートに従い、活気あふれる中央大通りを北に向かって歩き続けた。

陽が傾き始めていたが、大通りの賑わいは衰えるどころか増しており、露店から漂う肉の焼ける甘辛い煙や、大声を張る商人たちの威勢のいい声援が絶え間なく耳を打つ。


しばらく歩を進めると、やがて周囲の商店や民家とは比較にならないほど巨大な、白亜の建造物が視界を圧迫するように現れた。


「……でかいな。」


思わず足が止まる。

隙間なく組み上げられ、綺麗に磨き上げられた白い石壁は、沈みゆく夕日を浴びて黄金色に眩しく輝いていた。天を突き刺すように伸びる巨大な尖塔の頂点には、荘厳な十字架が掲げられている。

大聖堂の正面へと続く石畳は落ち葉一枚落とされていないほど完璧に清掃され、鮮やかな花々が咲き誇る花壇の中央では、噴水が豪快に清涼な水を吹き上げていた。


門の脇には、全身をくすみのない白銀の全身鎧フルプレートで固めた騎士たちが凛とした佇まいで立ち並び、腰には装飾の施された立派な長剣を携えている。

出入りする信者たちの身なりも非常に良く、上質な生地で仕立てられたローブや高価そうな貴金属を身につけ、誰もが選ばれた者特有の選民意識と誇らしげな表情を浮かべいていた。


なるほど。

受付嬢が「この街で最も巨大な教団」と称した意味が、一目見ただけで皮膚感覚として理解できた。

これほどの資産と権力を持つ組織なら、与えられる加護の質も桁違いに高いのだろう。

俺は腹に力を入れ、気を引き締めながら巨大な鉄製の大門へ向かって踏み出した。


すると門の前へ近づいた瞬間、見張り番をしていた騎士の一人が無言で歩み寄り、俺の進行方向を力ずくで塞いだ。

身長は二メートルに迫る大男で、仮面の隙間から覗く鋭い眼光で俺を見下ろしてくる。


「止まれ。」


威圧感を含んだ、低く冷酷な声だった。


「キリスト教団の聖域に何の用だ。」


「入団の手続きと、職業の授与をしていただきたく来ました。」


俺がそう答えると、騎士は仮面の奥から俺の泥汚れの残る顔をまじまじと見つめ、次にボロっちい服装、腰の革袋、安物の装備品へと順に視線を滑らせた。

人を人として扱わない、あからさまな格付けの視線だった。


「冒険者か。」


「はい。」


「ランクを言え。」


「Fランクで――」


最後まで言い終わることは許されなかった。


「失せろ。」


ドゴッ!!


「がはっ……!?」


突然、左脇腹へ目にも留まらぬ速さの強烈な蹴りが叩き込まれた。

何が起きたのかを脳が認識するより早く、俺の身体は浮き上がり、硬い石畳の上を無様に数メートルも転がっていた。


肺の中の酸素が一気に外部へ押し出され、視界が明滅する。


「ぐっ……、は……っ!」


激痛で脇腹が焼けるように熱い。うずくまりながら呼吸を吸い込もうとするが、横隔膜が麻痺して息が上手く吸えない。

騎士は石畳に這いつくばる俺を見下ろし、鼻で冷たく笑った。


「Fランクのゴミ拾い風情が、我がキリスト教団の門を潜れるとでも思ったのか。身の程を知れ。」


「い、いきなり何すんだ……っ!」


必死で痛みをこらえながら睨みつけると、騎士は心底不快なものを見るような軽蔑の目を向けてきた。


「ここは神に選ばれた強者と高貴な者のみが所属を許される教団だ。加入条件は最低でもDランク以上。それ以下の雑魚に割く時間も加護もない。」


そんな条件、ギルドの受付嬢は一言も口にしていなかった。

俺が泥を払いながら立ち上がろうとすると、騎士はあからさまな殺意を込めて再び甲冑で覆われた足を高く振り上げた。


「まだ聞こえんようだな。消えろと言ったのだ。」


まずい。

前世で鍛えた危機管理能力が警報を鳴らす。俺は反射的に泥を蹴って後方へ必死に飛び退いた。


ドガンッ!!


鈍い破砕音とともに、さっきまで俺の顔面があった石畳へ騎士の踏み付けが叩き込まれた。

厚い石板が蜘蛛の巣状に砕け散り、鋭い石片が俺の頬をかすめて飛び散る。


(マジかよ……本気で踏み殺しにきてやがる……!)


冷や汗が全身から吹き出す。

騎士は体勢を崩しすらせず、吐き捨てるように言った。


「逃げ回るだけの貧相な鼠か。二度とこの聖域に汚い顔を見せるな。」


悔しさに奥歯が砕けそうなほど噛み締める。

だが、今の俺の力では逆立ちしても勝てない。装備の質もさることながら、あの身体能力の高さはレベルもランクも段違いだ。ここで意地を張って突っ込めば、文字通り殺されてゴミ捨て場に放り投げられる。


俺は言葉を呑み込み、背を向けてその場を離れた。


「……他を当たるしかない。」


自分にそう言い聞かせ、俺は街の中に点在する他の教団を順番に回ってみた。

しかし、現実はどこも似たり寄ったりだった。


ある教団では「現在、Fランクの新規募集は停止しております」と慇柛無礼にドアを閉められ、別の教団では門番に敷地内へ入ることすら拒まれ、さらに別の教団では「信者数の上限に達しているため」と冷ややかに追い払われた。


教団によって建前や断り文句は違っていても、本質はすべて同じだった。

実績も資産もない弱小な新人冒険者など、どの教団もリスクでしかなく、最初から相手にする気などないのだ。


受付嬢は「自由に選べる」と言っていた。だがそれは、相応の立場や力を持つ者だけに与えられた幻想に過ぎなかったのだ。

力のない弱者には、選ぶ権利どころか、土俵に上がる機会すら与えられない。


完全に陽が落ち、街に街灯が灯り始める頃には、俺の足取りは鉛のように重くなっていた。

路地裏のベンチに腰掛け、空腹と徒労感にさいなまれていると、近くで香ばしい焼き鳥を売っていた屋台のおばちゃんが、肩を落とす俺を見かねて声をかけてきた。


「お兄さん、さっきから教団を探して回ってるのかい?」


「……そんなに分かりやすかったですか。」


「朝からいろんな神殿の門前で断られてるのを、買い物ついでに見かけたからねぇ。」


おばちゃんは同情と呆れが混ざったような苦笑いを浮かべると、街の東側の最も標高が高い、寂れた街外れの方角を指差した。


「この街で、残ってるのはあと一つだけだよ。」


「ノクス教団。」


「街で一番小さくて、一番貧乏な教団さ。」


「信者なんて片手で数えるほどしかいないし、建物も今にも崩れそうなボロボロだけど……あそこなら、もしかしたらFランクのお兄さんでも追い返さずに話くらいは聞いてくれるかもしれないねぇ。」


俺はその情報にすがる思いで、おばちゃんに深々と頭を下げた。


「ありがとうございます……助かりました。」


俺は教えてもらった方角を目指し、最後の望みをかけてノクス教団へと足を進めた。



大通りの華やかな喧騒を離れ、屋台のおばちゃんに教えられた入り組んだ細道を辿りながら、俺は街外れの緩やかな坂道を登り続けていた。

人通りの多かった石畳の舗装は次第に割れ目が増えて土が露出し、賑やかな市場の声も風に乗って遠ざかっていく。


坂道の途中には、街中で見かけたような立派な教団の支部や神殿がいくつか佇んでいた。

白い大理石で作られた美しい建造物からは讃美歌が漏れ聞こえ、裕福そうな信者たちが出入りしている。

そんな光景を横目で見やりながらさらに坂を登り詰めると、周囲の気配は一気に静まり返り、街灯の数も極端に減っていった。


そして坂の頂上付近、雑木林に囲まれた行き止まりの広場に、ポツンと取り残されたように建つ一軒の建造物が目に飛び込んできた。


「……ここ、か?」


それは教団の本部と呼ぶにはあまりにも慎ましく、打ち捨てられた小さな開拓村の集会所といった風情の建物だった。

赤茶色のレンガ壁は所々が激しく崩落して内部の木枠が見えており、壁面には長年放置されてきた深いひび割れが何本も走っている。

入口の上に掲げられた木製の看板は雨風に晒されて腐食が進み、『ノクス教団』というかすれた文字も半分以上が消えかかっていた。


敷地内に続く石畳の隙間からは背の高い雑草が好き勝手に茂り、最近になって誰かが手入れをした形跡すら窺えない。

先ほど目にしたキリスト教団の豪華絢爛な大聖堂と比べれば、その寂れ具合は哀愁を通り越して悲惨ですらあった。


「本当にここで合ってるよな……。」


念のため手持ちの地図を確認してみるが、位置関係は間違いなくここを示している。

ここがアクセルの街で最も小さく、最も弱小と評されるノクス教団の拠点だった。


敷地の周囲を見回してみても、他の教団にいたような威圧的な門番や鎧を着た騎士の姿は影も形もない。

志願者が来ることなど諦めているのか、それとも人員を配置する金すら底をついているのか。


俺は深呼吸をして意を決すると、立てつけの悪そうな古い木製の扉へ手をかけた。


ギィィ……。


長年油を挿されていない蝶番が甲高い悲鳴を上げ、その重い音が静まり返った礼拝堂の中へ響き渡った。


足を踏み入れると、内部も外観を裏切らない質素さと荒廃ぶりに満ちていた。

木製の長椅子は十脚ほどしか並んでおらず、その表面も漆喰が剥げ落ちて年月を感じさせる。

壁には装飾のないシンプルな木製の十字架が掛けられ、奥にある祭壇も大理石ではなく、安価な木材を組み合わせて作られたものだった。

天井の割れ目から差し込む夕日の赤い光だけが、浮遊する埃を優しく照らしている。


人影はない。

……いや、一人だけいた。


「珍しいね。こんな廃屋に足を踏み入れる物好きがいるなんて。」


不意に礼拝堂の奥から、低く透明感のある女性の声が聞こえ、俺は反射的に視線を走らせた。


祭壇の脇に置かれた古びた木製椅子に、一人の女性が足を組んで気だるそうに腰掛けていた。


年齢は二十代前半ほどに見える。

腰のあたりまで伸びた艶やかな青い髪は夕日を受けて幻想的に輝き、切れ長の赤い瞳は磨き抜かれたルビーのように澄み渡っていた。

白く透き通るような肌と、細部まで計算し尽くされたかのような美しい容姿は、人間に留まらない神聖さすら感じさせた。

思わず息を呑んで見惚れてしまうほどの絶世の美女だ。


しかし、その神秘的な第一印象は、彼女が身につけている服装によって一瞬でぶち壊しにされた。


上半身は使い込まれた黒い革ジャン、下半身はタイトな黒い革パンツ。足元は重厚な鋲が打ち込まれたゴツいエンジニアブーツで固められている。

耳たぶや軟骨には大小様々な銀のピアスがいくつも刺さり、首元には太い銀鎖のネックレスが重なり合い、細い指先にはドクロを模した無数のリングが光っていた。


神聖な神殿の主というよりは、路地裏の地下ライブハウスで暴れ回っているパンクバンドのボーカルと言われた方が100倍納得できるヴィジュアルだった。


「……貴方が、この教団の『神様』なんですか?」


あまりのギャップに、俺は思わずストレートな疑問を口にしていた。


「そうだけど? 何か文句ある?」


女性は軽く肩をすくめて立ち上がると、眠たそうな赤い瞳で俺をじっと見つめ返してきた。


「私はノクス。一応、夜と静寂を司る神ってことになってるよ。」


それだけ簡潔に告げると、彼女は大きな口を開けて欠伸を噛み殺した。


「君が……本物の神……。」


「その心底疑わしそうな反応、今日だけで五回目だよ。」


ノクスは苦笑しながら、鬱陶しそうに青い前髪を雑にかき上げた。


「もっとこう、後光が差してて、神々しい神衣を着てて、平伏したくなるような尊大な存在を期待してた?」


「……正論を言えば、完全にそうです。」


俺が正直に答えると、ノクスは可笑しそうに声を上げて笑った。


「だよねぇ! みんな最初はそう言うんだよ。」


そのサバサバとした笑顔には気取りや威圧感はなく、どこか己の置かれた状況を客観的に諦めているような爽やかさすら漂っていた。


ノクスは祭壇の縁に腰を掛け直すと、両手を頭の後ろで組み、大きく背伸びをして天井のひび割れを見上げた。


「それで? こんな今にも崩れそうな欠陥建築の教団に、一体何の用?」


「教団の所属先を探しています。」


俺がそう告げた、次の瞬間だった。


先ほどまで眠たげだった彼女の赤い瞳がわずかに見開かれ、その深遠な奥底に小さな揺らめく光が宿った。


「……本当に?」


声のトーンが変わっていた。

投げやりだった態度の中に、隠しきれない期待と戸惑いが交錯しているような、繊細な響きがあった。


「でもね、最初にハッキリと言っておくよ。」


ノクスは長い人差し指を一本、俺の鼻先に向けて突き立てた。


「うちは、このアクセルの街で間違いなく一番『弱い』教団だから。」


「信者も片手で数えられるくらいしかいないし、運営資金なんて万年赤字。」


「神殿は見ての通り、大型台風が来たら倒壊するレベルのボロ屋。」


「授けられる加護だって……神力、魔力、気力の成長率がたったの『1.2倍』になる程度。他の大手教団みたいに3倍とか5倍なんて破格の数値は逆立ちしても出せないよ。」


その自己申告を聞き、俺は少しだけ目を見張った。


1.2倍。

他の大型教団の数値を聞いていない俺にとってみれば、基礎ステータスの成長値に常に1.2倍のプラス補正がかかるというのは、長期的な育成において十分に巨大な恩恵に思えた。

無所属の「1.0倍」と比べれば、それだけで戦力差は歴然だ。


しかしノクスは、自分の教団を少しでも良く見せようとするハーフアップのハッタリすら口にしなかった。

弱小であることも、資金難であることも、加護の数値が低いことも、何一つ包み隠さずに突きつけてくる。


門前払いを食らわせてきた他の教団が虚飾とプライドで塗り固められていたのに対し、この神は最初から己の「無力さ」をすべて晒していた。


「だからさ。」


ノクスは静かに、どこか愛おしそうに微笑んだ。


「無理してここに入る必要なんてないよ。」


「諦めて帰るなり、もっと実績のある他の教団の門を叩くなりしても、私は君を責めないし引き止めもしない。」


その笑顔はどこまでも穏やかだった。

だが、その表情の裏側には、過去に同じ言葉を何度も口にし、その度に人々に背を向けられてきた者だけが宿す、静かな諦観と寂しさが滲んでいた。


「私はさ、嘘をついてまで信仰を買うつもりはないんだよ。」


静まり返った礼拝堂に、ノクスの飾らない声だけが低く響く。


「教団を選ぶのは、いつだって冒険者自身の自由だからね。」


「私は媚びを売るつもりもないし、すがったりもしない。ここより大きくて、お金持ちで、有名な教団なんて、この街にはそれこそ腐るほどあるんだからさ。」


ノクスは肩をすくめ、自虐的に小さく笑った。


その背中に漂う諦めの陰影。

きっとこれまでにも、俺のような行き場を失った新人が期待を抱いてここを訪れ、現実のスペックを聞かされては去っていったのだろう。

そして最後には、誰もが大きな権力と利権を持つ大手教団へと流れていった。

そんな挫滅の歴史を何度も繰り返してきたからこそ、彼女は最初から失望しないよう、心に防壁を築いているのだ。


その寂しげな横顔を見た瞬間、俺は前世の病室で一人静かに息を引き取った「自分自身」の姿を重なるように思い出していた。


前世の社会も全く同じ構造だった。

目に見える実績や肩書きがある人間ばかりが重宝され、要領よく立ち回る奴に人が群がる。

愚直に泥をすすって努力していても、要領の悪い者や成果を出せない者は誰からも顧みられず、冷遇される。

それが世界の「正義」だと割り切って生きてきた。


もし前世の病死する前の俺なら、この異世界に来ても迷わず最も規模が大きく、恩恵の強い大名行列のような教団へ擦り寄っていただろう。

強い加護。潤沢な資金。手厚いサポート。

それがビジネスとして最もリスクが低く、「合理的」だからだ。


だが――その「損得勘定だけの合理性」を追求し続けた結果が、病床で医者の言葉を無視し、誰にも看取られずに野放図な過労と不摂生で命を落としたあの惨めな最期だったのだ。


損か得か。

利用価値があるか。

自分にとって得になるか。


そんな利害関係だけで生きてきた前世の生き方は、もう終わりにしようと誓ったはずだ。


俺は目の前に立つ、飾らない青髪の神を真っ直ぐに見据えた。


彼女は自分の弱さを隠さなかった。

俺をハメようと都合の良い嘘もつかなかった。

ただ対等な人間として、事実をそのまま誠実に提示してくれた。


その姿勢こそが、この不条理な異世界において何よりも深く信頼できるように思えたのだ。


「俺は……。」


声が静かに口から滑り出る。


ノクスは黙ったまま、ルビーのような赤い瞳で俺を見つめ返していた。

その瞳の奥底に、消えかかった小さな期待の火種が揺らめいている。


「あなたを信仰してみようと思います。」


言葉が、静かな礼拝堂の空気を揺らした。


数秒間、息を飲むような完全な沈黙が支配する。


ノクスは両目を大きく見開き、まるで提示された現実を脳が処理しきれていないかのように、固まったまま俺を凝視していた。


「……本気で言ってるの?」


「はい、本気です。」


「言っておくけど、うちは本当に弱いよ?」


「知っています。」


「信者だって、君が入っても両手で数えられるレベルだよ?」


「存じ上げています。」


「たぶん、この街に存在する全組織の中で一番の貧乏くじだよ?」


「それも、十分に理解した上での決断です。」


そこまで迷いなく答えると、ノクスは緊張の糸が切れたように、お腹を押さえて爆笑し始めた。


「あはははっ! 最高だね、君!」


今まで見せていたどの気怠げな作り笑いよりも、ずっと鮮やかで魅力的な本物の笑顔だった。


「本当に変な奴! 普通はもっと強いところへ行くのにさ!」


「俺だって、前世の……いや、普段の俺ならそうしていました。」


「なら、どうして?」


「今回は、自分の人生で少しだけ違う選択をしてみたいと思ったからです。」


ノクスはしばらくの間、驚きと愛おしさが混ざったような視線で俺を見つめていたが、やがて胸の前で小さく手を合わせると、嬉しそうに目を細めた。


「……ありがとう。」


その一言には、威厳ある神としての言葉ではなく、一人の等身大の存在としての、偽りのない素直な歓喜が込められていた。



次の瞬間だった。


グララララ……!


礼拝堂全体を、地鳴りのような静かな振動が駆け抜けた。

空間全体に、淡く暖かな金色の光が粒子となって溢れ出し始める。


何も触れていないはずの木製の古い祭壇が、まるで長い眠りから目を覚まし、激しく脈打ち始めたかのように黄金の光を放ち始めた。

床の石畳に刻まれていた枯れ果てた古い紋様へ、一本また一本と光の流動が走り、瞬く間に幾重にも重なる巨大な魔法陣を描き出していく。


「これは……!?」


俺が周囲の変貌に驚愕していると、ノクスはどこか誇らしそうに、胸を張って光り輝く祭壇へと歩み寄った。


「祭壇が歓喜してるんだよ。」


「祭壇が……ですか?」


「うん。『ようこそ、新しい信徒』ってね。ずっと新しい魂が訪れるのを待ってたんだ。」


光が収束した祭壇の中央には、直径三メートルほどの円形の白い台座が出現していた。その周囲を取り囲むように、磨き上げられた四本の純白の石柱が静かに鎮座している。

柱の先端には、それぞれ赤、青、緑、黄色の巨大な属性結晶が漂い、心臓の鼓動と完璧に同調しながら光の明滅を繰り返していた。


礼拝堂の天井空間には、無数の古代文字で構成された巨大な立体魔法陣が展開され、静音の中で滑らかに回転を続けている。

空気の密度そのものが高まり、肌を刺すような高濃度の魔力の渦が全身を包み込んでいく。


「まずは教団への正式な所属登録から行おうか。」


ノクスは祭壇へしなやかな手を添え、静かに祈るように瞳を閉じた。


すると俺の眼前の空中に、無数の光の粒子が急速に収束し、一枚の巨大な半透明の空間ウィンドウが姿を現した。


「すごい……。」


目の前に表示されたウィンドウには、俺の名前『アステル』をはじめ、詳細なステータス値、レベル、所持スキル、耐性などが驚くほどの精度で数値化されていた。

前世で親しんだRPGのステータス画面そのもののシステムだ。


ノクスは慣れた手つきで光の画面へ長くて綺麗な指先を滑らせていく。

画面は水面のように波紋を広げながら滑らかに表示を切り替え、新たな項目が生成されていった。


やがて『所属教団』という空白の欄が明示される。


ノクスはそこへ指先を滑らせ、力強い軌跡で文字を刻み込んだ。


『ノクス教団』


バシィンッ!!


文字が刻まれた瞬間、画面全体が眩い光を放ち、そこから溢れ出た光の奔流が俺の胸の直撃した。

胸の奥底へ、暖かく重厚なエネルギーが直接流し込まれていく。


ドクンッ!!


心臓が大きく跳ね上がり、全身の血管を巡る魔力の流量が、それまでとは比べものにならないほど力強く、滑らかに脈打ち始めた。


「これで君は今日から、晴れてノクス教団の正信徒だよ。」


ノクスは達成感に満ちた笑顔で手を差し伸べ、赤い瞳で祭壇の中央を指し示した。


「それじゃあ……お待ちかねの『職業選択』を始めようか。」


ノクスが祭壇の最奥へと足を進め、ゆっくりと俺へ向き直る。


「祭壇の真ん中に立って。」


俺は力強く頷き、白い石で出来た台座の中央へと足を踏み入れた。


その瞬間――。


ゴォォォォン――――……。


街全体に届くような、深く重厚な鐘の音が空間の底から響き渡り、足元に刻まれた魔法陣が爆発的な黄金の光を放ちながら高速で回転を始めた。


四本の柱の結晶から解き放たれた四色の光線が中央の俺に向かって収束し、心臓の鼓動と完璧に同調する脈動を刻む。

世界の位相がズレたかのような錯覚。

ただの古びた礼拝堂だった場所が、いまや神聖不可侵の至高の領域へと昇華していた。


俺の身体は強力な力によって固定され、指一本動かすことすらできなくなる。


「恐れる必要はないよ。」


ノクスは包み込むような優しい声で俺を見つめていた。


「祭壇が君の魂の記憶と資質を、深く読み取っているだけだから。」


直後、天井の魔法陣の中央から、極太の光の柱が垂直に降り注ぎ、俺の全身を飲み込んだ。


温かい。

熱で焼き尽くされるような苦痛は一切ない。

初春の陽光の下に佇んでいるかのような、慈愛に満ちた温もりが魂の根底まで浸透していく。


「目を閉じて。」


ノクスの導く声に従い、俺は静かに瞼を閉じた。


「心を無にして、己の魂の深淵に耳を澄ませるんだ。」


深呼吸を繰り返し、意識を深く深く落ち込ませていく。


すると、暗闇だったはずの視界の裏側に、無数の光の粒子が浮かび上がり始めた。

星屑のような光が瞬く間に増殖し、俺の周囲を静かに旋回し始める。

その数は百や千では留まらない。幾千、幾万の光の帯となり、まるで銀河そのものの中に放り出されたかのような幻想的な光景が広がっていった。


圧倒されるほど美しく、荘厳な世界。


やがて、その光の粒子たちが引き寄せ合うように集まり、幾つもの『人の輪郭』を形成し始めた。


無数の幻影が、俺を取り囲むように円陣を組んで並んでいく。


背の丈ほどの武骨な大剣を担いだ猛々しい戦士。

洗練された白銀の甲冑を身に纏い、盾を構える騎士。

漆黒の衣装で気配を完全に遮断した暗殺者。

長大な杖を携え、知性を湛えた老魔術師。

慈愛の光を放つ法衣を纏った聖職者。

己の拳ひとつで空間を震わせる武闘家。

必中の気配を纏う弓使い。

巨大な槌を携えた鍛冶師。

怪しげな薬品を抱えた錬金術師。

他にも商人、狩人、吟遊詩人、召喚士、精霊術師――。


この世界に存在するあらゆる『職業』の概念が、幻影となって俺の前に集結していた。


幻影たちは一切の言葉を発しない。

しかし、それぞれが持つ圧倒的な存在感と歴史の重みが、直接肌へと伝わってくる。


魔術師の幻影の足元には無数の精密な魔法陣が展開し、青白い魔力が渦を巻いている。

武闘家の周囲では『気』の高まりによって空間そのものが歪み、強烈な圧迫感を放っている。

聖職者の足元からは溢れ出る治癒の光が広がり、見ているだけで精神が浄化されていく。


どれもが洗練された力。

どれもが魅力的な人生の選択肢。


一度選べば、もう二度とやり直すことはできない。

この選択が、今後の異世界生存ルートを決定づける。


その時、目の前の空間に淡い金色の書体で選択ウィンドウが浮かび上がった。


────────────

職業を選択してください。


現在選択可能職業


・魔術師

・剣士

・武闘家

・聖職者

・弓使い

・鍛冶師

・錬金術師

・商人

・その他


※一度選択した職業は変更できません。

────────────


文字のひとつのひとつに、人間の運命を決定づける絶対的な重みが宿っていた。

これはゲームではない。俺がこの苛烈な世界で死なずに生き残るための、極めて切実な選択なのだ。


俺は並び立つ幻影たちを、ひとつひとつ静かに見据えた。


どの職業も圧倒的な強さを秘めているように見えた。

剣士になれば白兵戦で敵を圧倒できるだろうし、武闘家になれば武器を失っても己の肉体だけで生存できる。

聖職者を選べば自力で負傷を治療できる万能性を得られるし、鍛冶師や商人になれば危険な戦場に出ずとも街で生き直す道が開けるかもしれない。


どれも捨てがたい魅力に満ちていた。


だが――冷徹な現実として、俺はこの世界に来てまだ一日しか経っていない。

剣術の型も知らなければ、格闘の技術も、弓の扱いも、商売のノウハウすらこの世界では素人同然だ。


そんな無力な俺が、今日一日を生き延び、レベル10まで駆け上がることができた理由は、ただ一つしかない。


――魔法だ。


全財産を叩いて教本を買い、愚直に魔力を練り上げ、『ファイアボール』の一撃を工夫して叩き込み、東の森で二十体もの『ブック』を討伐してきた。

俺の生存を支えてくれた唯一の絶対的な武器、それこそが魔法だったのだ。


その時、黒梟堂の老婆のしわがれた声が脳裏に蘇る。


――『魔法ってのはね、教本を読んだだけで使える気になってちゃ駄目なんだよ。何度も死に物狂いで使い込んで、初めて自分の血肉になるんだ。』


あの言葉は真実だった。

最初は火球ひとつ放つだけで酸欠になりかけていた俺が、連戦を経て、今では思考と同時に魔力を励起させられるまでになった。


そして、教本を開いた時に判明した残酷な事実。

俺には『火属性』以外の魔法適性が存在しない。風も、水も、土も、魔力は一切反応を示さなかった。


俺には、火の適性しかないのだ。


だったら、迷う理由など最初からどこにも存在しないではないか。


弱点を嘆くのではなく、与えられた唯一の刃を限界まで研ぎ澄ませる。

火属性を極め、魔法の深淵に到達する。それこそが、この世界で俺が生き残るための最も合理的で、最も威力の高い選択だ!


俺は迷いを捨て、真っ直ぐに『魔術師』の幻影に向かって踏み出した。


一歩踏み出すごとに、周囲の無数の職業の幻影たちが静かに道を空け、俺の決意を称えるように深く頭を下げて下がる。


やがて、俺は魔術師の幻影の目の前に立った。


それは老練な老人でもなく、若い天才でもない。

年齢の概念すら超越したような、どこまでも静謐な雰囲気を纏った存在だった。

深い紺色のローブを羽織り、手に長大な意匠の杖を握りしめている。その瞳には幾千の知識と、底知れない魔力の深淵が宿っていた。


魔術師は何も語らず、静かに右手を出してきた。


俺も躊躇うことなく、己の右手を伸ばす。


指先と指先が触れ合った、その瞬間――!


ブォォォォォォン――――ッ!!!


世界が歓喜の鳴動を上げた。


視界の全てが爆発的な蒼白色の光で塗りつぶされ、空を埋め尽くすほどの多重魔法陣が重なり合いながら爆速で旋回を始める。

魔法陣の核から解き放たれた膨大なエネルギーの奔流が、俺の指先を経由して体内へと濁流となって雪崩れ込んできた!


「ぐ……あぁぁぁぁっ!!」


熱い! だが、苦痛ではない!

全身の血液が、細胞の一つひとつが、純粋な『魔力』へと再構成されていくような凄まじい感覚。

胸の奥で、魂の核が強く激しく脈打つ。


ドクンッ!! ドクンッ!!


鼓動が響くたび、体内の魔力回路が太く、強固に拡張されていくのが分かる。これまで感じ取れなかった微細な魔力の揺らぎまで、指先の神経のように完璧に把握できる。


そして脳内へ、膨大な『知識』と『技術』の体系が津波のように流れ込んできた。


魔力を極限まで省エネで循環させる制御法。

詠唱を極限まで短縮するイメージ構築。

魔法陣の構造を安定させる術式展開。

火属性魔法の威力を跳ね上げる熱量の過熱法。

魔力消費を最小限に抑える効率的な呼吸法。


それらすべてが、単なる机上の学問ではなく「長年使い込んできた身体感覚」として、魂の奥底へ完璧に刻み込まれていく!


やがて眩い光が収束に向かい、目の前の魔術師は満足そうに微笑むと、光の粒子となって俺の身体へと完全に融合していった。


直後、目の前に透明なステータスウィンドウが鮮烈に浮き上がる。


────────────

職業取得完了


《魔術師》


・火属性魔法威力上昇(大)

・魔力成長補正付与

・魔力消費量軽減

・詠唱補助・短縮付与

────────────


その金色の文字が輝きを放った瞬間、俺の意識は深海から浮上するように、ゆっくりと現実の礼拝堂へと引き戻された。


目を開けると、祭壇を包んでいた激しい光はすでに収まり、礼拝堂には再び静謐で穏やかな夕暮れの空気が戻っていた。


目の前では、ノクスが腕を組みながら、心底嬉しそうに満足げな笑みを浮かべていた。


「おめでとう、アステル。」


「今日から君は、我がノクス教団の……輝かしい『最初の魔術師』だ。」


ノクスのその言葉を聞いた瞬間、胸の奥底から込み上げる熱い感情とともに、自然と笑みがこぼれた。


異世界へ叩き落とされ、病死の恐怖と隣り合わせで足掻き、右も左も分からないまま街を彷徨い、門前払いを食らいながらも、俺は己の意思でここまで辿り着いたのだ。


いまなら、はっきりと胸を張って思える。


この過酷で不条理な世界でも、俺は十分に生きていける、と。


まだ、すべては始まったばかりだ。

俺――アステルの、本当の異世界冒険譚は、ここから幕を開けるのだ。

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