教団戦争4
豪商ガスト教団の本拠地を守っていた敵幹部たちを完全に討ち取ったその瞬間、残された敵兵たちの間には、伝染病のような恐怖と致命的な動揺が一気に広がっていった。
「に、逃げろ……! 逃げろぉぉぉッ!」
「幹部様たちが……あのバアル様たち幹部陣が全滅したぞ!」
「勝てるわけがない! 化け物どもだ! もう勝てるわけがないんだ!」
圧倒的な防衛ラインを誇っていたはずの兵士たちは、次々と手にした槍や剣を投げ捨て、なりふり構わず走り出した。負傷してうめき声を上げる仲間を無理やり背負って逃げ惑う者、後方の建物へと我先にと押し寄せる者。先ほどまでの強固な統率や陣形は跡形もなく破れ去り、そこにはただの哀れな烏合の衆だけが残されていた。
「追え! 一人たりとも逃がすなッ!」
俺が低く激しい号令をかけると、背後に控えていた狂戦士状態のノクス教団員たちが、野獣のような咆哮を上げて一斉に駆け出した。
「「うおおおおおおおおおおおッ!!」」
神ノクスの絶対的な加護と怒りによって限界突破した彼らには、もはや肉体の疲労も、死への恐怖も一切存在しなかった。逃げ惑う敵兵を見つければ凄まじい脚力で一気に間合いを詰め、刃を閃かせて確実に斬り伏せていく。抵抗を試みる敵兵の剣撃など意にも留めず、泥や血に塗れながら怒涛の勢いで突き進み、要塞内部を次々と制圧していった。
「た、助け――ッ!?」
助けを求める敵兵の絶叫は、ノクス教団員の鉄槌によって途中で激しく途切れ、沈黙へと変わる。
広場の別の区画では、レオンが冷静かつ苛烈な采配で部隊を指揮し、敵の退路を完璧に塞ぎ込んでいた。そしてその横では、巨大な男・ゴルドが丸太のような腕で巨大な戦槌を頭上高く掲げていた。
「ハハハハッ! 邪魔だぁぁぁッ!!」
ドガァァァァンッ!!
ゴルドの振り下ろした渾身の一撃が、豪商ガスト教団が誇る重厚な正門に直撃した。凄まじい衝撃波が巻き起こり、頑丈な鉄で補強された大門が悲鳴を上げて砕け散り、激しい煙を上げて崩れ落ちていく。
「門が開いたぞッ!」
「本部内部へ突入だ! フィーナさんを助け出すぞ!!」
開かれた巨大な破口へ向かって、三百人のノクス教団員が一斉に濁流となって雪崩れ込んでいった。長きにわたる街の支配者であった豪商ガスト教団の本拠地――その核心部へ、ついに俺たちは足を踏み入れたのだった。
門をくぐった先に広がっていたのは、見渡す限りの広大な中庭だった。
中央には美しく彫刻された豪華な噴水が清らかな水を噴き上げ、その周囲には貴族の宮殿を思わせる絢爛豪華な白亜の建築群が整然と立ち並んでいる。宗教団体というよりは、巨大な商業ギルドや大貴族の邸宅そのものといった趣だった。
だが今、その静けさと美しさを誇っていた庭園は、凄惨な血と鉄の地獄へと変貌を遂げていく。
狂戦士となった教団員たちは勢いを緩めることなく、館内から次々と迎撃に繰り出してきた防衛兵たちを次々となぎ倒していった。
「フィーナさんを返せ!」
「ノクス様のために! 我らが神のために叩き潰せ!」
教団員たちの壮絶な怒号が、宮殿のような中庭に響き渡る。圧倒的な士気と神威の前に、ガスト教団の防衛線は一方的に押し潰され、瓦解していった。
俺は自ら先頭に立ち、紅と黄金のオーラを全身から爆発させながら、中央広場を一直線に駆け抜ける。目指すは本殿。この広大な敷地の最深部、フィーナが囚われているであろう場所だ。あと少し。あと少しで本殿の扉へ届く――。
その時だった。
「……そこまでだ。」
重低音の響く、低く重厚な声が広場全体に響き渡った。
その声には、理不尽なまでの圧力と、空気を一瞬で凍りつかせるほどの絶対的な威圧感が込められていた。俺は全身の毛骨が逆立つような本能的な危機感を覚え、思わず踏み出そうとした足を止めた。
本殿へと続く、数十段の白い大理石の階段。その最上段に、一人の男が静かに立っていた。
年齢は四十代半ばほど。深みのある黒と黄金の刺繍で彩られた絢爛な法衣を纏い、腰には研ぎ澄まされた一本の美しい長剣を突している。過度な装飾に頼らずとも、ただそこに静立しているだけで周囲の空間を支配してしまうような、桁外れの存在感が溢れ出ていた。
男は静かに、階段を下り始めた。
カツン、カツン、と靴底が大理石を打つ音が重々しく響く。
一段。また一段。彼が降りてくるたびに、周囲の大気が物理的な重さを増していくかのように重苦しく沈んでいった。
「アステル。」
男は俺の顔をまっすぐに見つめ、その名を呼んだ。
「まさか、我が教団の防衛陣を破り、ここまで辿り着く者が現れるとはな。」
「だが……それもここまでだ。」
俺は《狂戦将》の力を維持したまま、炎を纏わせた拳を強く構えた。
「お前は誰だ。」
男は崩れることのない平静な笑みを浮かべた。
「豪商ガスト教団。」
「教団長、ゼルヴァ。」
教団長。つまり、この教団が祀る「神ガスト」の最側近であり、実質的に千二百名を超える巨大教団のすべてを取り仕切る最高実務責任者。幹部たちとは一線を画す、真のトップの一人だった。
「神ガスト様は、お前のような新興の小勢力相手にご自身がお出ましになるまでもないとお考えだ。」
「ゆえに……まずは私が、お前という存在をここで完全に刈り取らせてもらう。」
その宣言と同時に。
ズズズズズ……ッ!
ゼルヴァの身体から、地鳴りのような音と共に凄まじい神力が爆発的に噴き上がった。
黄金色の神力が渦を巻き、彼を中心として物理的な衝撃波が広がり、足元の石畳に放射状の亀裂が入っていく。周囲で激しい戦闘を繰り広げていた両軍の兵士たちが、その圧倒的な圧力に圧迫され、思わず息を呑んで動きを止めた。
「……強い。」
俺の口から、冷や汗と共にその言葉が漏れ出た。
今まで倒してきた幹部たちとは、纏っている神力の密度も、存在の重さも、ハッキリ言って次元が違っていた。
ゼルヴァは静かに腰の長剣を抜いた。無駄のない滑らかな動作。鋭利な刃が朝の光を受けて、冷ややかに輝く。
「来い、アステル。」
「ここから先へは、一歩たりとも進ませはしない。」
俺は深く、重く息を吐き出した。
体内の《狂戦士の心核》を強く意識し、思考を研ぎ澄ます。
神力、魔力、気力。三つの異なるエネルギーが全身の脈管を激しく駆け巡り、全身の筋繊維を極限まで励起させていく。
豪商ガスト教団・最高幹部、教団長ゼルヴァ。
この男を倒さなければ、フィーナのもとへは行けない。最大にして最強の壁との死闘が、今まさに幕を開けようとしていた。
教団長ゼルヴァが静かに剣を上段に構えた瞬間、周囲で成り行きを見守っていたガスト教団の兵士たちの顔色が一変した。
「き、教団長だ……!」
「教団長自らがお立ちになったぞ!」
「勝てる! 俺たちの勝ちだ! あのお方が負けるはずがない!」
先ほどまで全滅の恐怖に怯えていた敵兵たちの瞳に、狂信的なまでの希望の色が舞い戻ってくる。
その異様な持ち直し方を見て、俺は眉をひそめた。
単なる最高幹部という立場への信頼だけではない。この男の強さには、兵士たちにそう確信させるだけの「絶対的な実績」があるのだ。
周囲で後退していた敵兵たちのひそひそ話が、研ぎ澄まされた俺の耳に届いた。
「教団長様なら負けるはずがない……あのお方はギルド認定Sランク、レベル七十の怪物なんだぞ!」
「幹部連中とは元より積んでいる修羅場の数が違うんだ!」
レベル七十――。
その具体的な数字を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。
現在の俺自身の素のレベルは四十。
レベル差、実に三十。この世界において、レベル差が十も開けば絶望的な戦力差とされる。三十という数字は、本来であれば一瞬で肉体を刻まれるような、戦いにすらならない絶対的な壁だった。
しかし――。
俺は静かに、力強く右拳を握りしめた。
全身を包み込む、神力と魔力が交錯する黄金と深紅のオーラ。
体内に埋め込まれた《狂戦士の心核》。
ノクスの加護を限界まで引き出す《神威転化》。
この二つを共鳴させることで発動する、俺の最強形態――《狂戦将》。
今の俺は、自らの肉体の限界を遥かに超えた領域の力を手にしている。格上だから何だというのだ。
「面白い。」
俺は口元を凶暴に吊り上げた。
「なら、そのSランクとやらをここで叩き潰してみせるまでだ。」
ゼルヴァの瞳が僅かに細められた。
「……ほう。」
「その眼……己と私との決定的な格差を理解しながら、恐怖を知らぬか。」
「違うな。」
俺は大地を力強く踏みしめ、一歩前へ出た。
「ただ……恐怖なんかよりも、仲間を傷つけられた怒りの方が遥かに強いだけだ!」
次の瞬間。
ドォォォォンッ!!
互いの足下の石畳が同時に爆砕した。
音を置き去りにした超神速の突進。
聖火を纏わせた俺の拳と、ゼルヴァの神力を宿した長剣が、広場の中央で真正面から激突した。
ガギィィィィィィンッ!!
鼓膜を突き破るような金属摩擦音が響き渡り、凄まじい衝撃波が円状に広がった。周囲にあった豪華な噴水が爆発するように粉砕され、大量の水煙と土煙が舞い上がる。
「なっ……!?」
剣を押し込んでいたゼルヴァの表情に、初めて明確な驚愕が走った。
「力が……互角だと……!?」
俺自身も、手応えに驚いていた。
押されていない。格上のSランク相手に、物理的な押し合いで一歩も退いていない。いや、それどころか、狂戦将の暴虐な筋力と聖火の圧力によって、わずかに押し返してすらいる。
《狂戦将》となった今の俺ならば、レベル三十の格差を強行突破し、Sランク相手でも十分に渡り合える!
「まだだぁぁぁッ!」
俺は体勢を入れ替え、怒涛の連続拳を叩き込んでいく。
ドカドカと激しい打撃音が響き、ゼルヴァは驚異的な反応速度で剣の腹を使い、それらを受け流しながら即座に鋭い反撃の閃光を繰り出してきた。
鋭利な斬撃。
爆炎を伴う拳。
重厚な蹴り。
神力と神力がぶつかり合うたびに、広場の各地で小規模な爆発が起き、大地が深々と抉れ飛んでいく。
「素晴らしい……実に素晴らしいぞ、アステル!」
ゼルヴァは激闘の中で、歓喜の笑みを深めた。
「レベル四十の領域で、これほどの神威と破壊力を叩き出す者など、私の人生で初めて見た!」
「だが――ッ!」
ゼルヴァの纏う黄金の神力が、一気に跳ね上がった。
「修羅場を潜り抜けてきた経験の差は、勢いだけでは埋められん!」
一瞬の隙を突き、視界から消えるほどの神速の突きが放たれた。俺は咄嗟に身体を捻り回避を試みたが、鋭利な刃が左肩を浅く切り裂いた。
スパッ! と鮮血が舞う。
だが、《狂戦将》となった俺の思考に不覚や躊躇は生じない。痛覚など端から遮断されている。
俺は血を撒き散らしながらも一切引かず、そのまま空いた右拳をゼルヴァの胴体へ振り抜いた。
ドゴォォォッ!!
「ぐっ……!?」
聖火を纏った激しい衝撃がゼルヴァの腹部を打ち抜き、彼の大衣を破砕して大きく後退させた。
互角。
レベル四十とレベル七十。本来あり得ないはずの対決は、完全に互角の死闘と化していた。
周囲で見守る両軍の兵士たちは、ただただ呆然と開いた口が塞がらない様子だった。
「教団長様と……あいつ、互角にやり合っていやがる……」
「嘘だろ……相手はレベル四十の若造だぞ……!?」
しかし、流石は豪商ガスト教団の頂点に君臨する男だった。ゼルヴァはどれほど打撃を受けても、決して体勢を崩し切ることはなかった。幾度となく拳を叩き込んでも即座に体勢を立て直し、冷徹な剣技で俺の肉体を削り削り、確実に反撃を食らわせてくる。
激闘は、すでに十分以上続いていた。
広場は激しい破壊によって見る影もなく崩れ去り、互いに全身傷だらけとなっていた。
俺の体内の神力も、《狂戦将》の負荷によって徐々に限界へと近づきつつあった。息が荒くなり、視界の端が明滅し始める。
(くっ……流石に硬い……! 決め手がないか……!)
俺が歯を食いしばった、その時だった。
「アステル――ッ!!」
聞き慣れた、力強い叫びが響き渡った。
振り返ると、血煙の向こうから、凄まじい剣気と共に敵兵を次々と斬り伏せながら走ってくるレオンの姿があった。
「こちらの制圧は完了したぞ!」
さらに、反対側の建物の上から、ドシンと豪快な音を立てて巨漢が飛び降りてきた。
「ガハハハハッ! 待たせたなアステル!」
ゴルドが血煙を浴びた戦槌を豪快に叩きつけ、牙を剥き出しにして笑っていた。
「外の雑魚どもは全員片付けたぜ!」
それだけではなかった。
崩れ落ちた正門から、さらに後方の建物から、ノクス教団の幹部たちが次々とこの中央広場へ集結してきたのだ。
セリスをはじめとする、総勢十名の幹部たち。
誰一人欠けることなく、全員が無事で、その瞳に黄金の神威を宿して立っていた。
ゼルヴァはぐるりと周囲を見回し、満身創痍の身体で小さく舌打ちをした。
「まさか……我が教団の防衛部隊が……全滅したというのか……。」
俺は肩で息を吐きながら、凶暴な笑みを浮かべた。
「そうだ。残っているのは……お前一人だ。」
レオンが滑らかな動作で長剣を構え、ゼルヴァの側面に回り込む。
「一対一の勝負は、ここまでだ。」
ゴルドが巨大な戦槌を肩に担ぎ直し、反対側から圧力をかける。
「ここからは……ノクス教団幹部十人対お前一人だぜ!!」
他の幹部たちも一斉に武器を構え、完璧な包囲網を形作った。
ゼルヴァは血を拭い、自らの圧倒的不利な状況を悟ると、どこか吹っ切れたような苦笑を漏らした。
「なるほど……。我が教団が長年築き上げた戦力が、ここまで追い詰められるとはな……。」
しかし、彼の眼から戦意が消えることはなかった。彼は最期まで、その誇り高き長剣を下ろそうとはしなかった。
「来い……ノクス教団の勇士たちよ。」
「豪商ガスト教団・教団長として……最後まで我が使命を果たそう!」
「行くぞオオオオッ!!」
俺の怒号を合図に、十人の幹部が一斉に飛び出した。
四方八方、上下左右から繰り出される、完璧に連携された連続攻撃。
ゼルヴァはSランクの名に恥じぬ凄まじい剣技で、レオンの鋭い斬撃を打ち払い、ゴルドの戦槌を受け流し、幹部たちの猛攻を驚異的な粘りで防ぎ切ってみせる。
しかし、多勢に無勢。そして何より、彼ら全員が神ノクスの加護によって極限強化されていた。
旋風のようなレオンの一閃が、ゼルヴァの肩口を大きく引き裂く。
「くっ……!」
体勢が崩れた瞬間、ゴルドの猛烈な戦槌の一撃がゼルヴァの右膝を粉砕した。
「ガハッ……!?」
崩れ落ちかけるゼルヴァに対し、他の幹部たちが怒涛の追撃を重ね、彼の防御を完全に解体していく。
そして――トドメの瞬間。
俺は体内に残るすべての神力、魔力、気力を、右拳の一点へと凝縮させた。
狂戦士の心核が爆発的な輝きを放ち、純白の聖火が腕全体を飲み込む。
「これで……終わりだぁぁぁぁぁッ!!!!」
全身全霊を込めた必殺の一撃が、無防備となったゼルヴァの胸元へ直撃した。
ズゴオォォォォォォンッ!!
爆発的な衝撃波と聖火の光線が広場を突き抜けた。
教団長ゼルヴァの巨体は宙へと吹き飛び、本殿へと続く大理石の大階段の中腹へ激しく激突した。
ガシャーン……と悲痛な音を立てて、彼の腰から抜かれた名剣が手から離れ、石段を転がり落ちていく。
静寂が、戦場を包み込んだ。
ゼルヴァは胸を大きく打ち砕かれながらも、最期に満足気な薄い笑みを浮かべ、静かにその目を閉じた。
豪商ガスト教団・教団長ゼルヴァ。
討伐――。
その絶対的な存在の敗北を目撃した瞬間、残されていた豪商ガスト教団の兵士たちの心は、完全に粉々に折れ散ったのだった。




