教団戦争3
ノクス教団侵攻部隊、総勢三百名。
夜明け前の静まり返った街道を、息遣いすら殺した一糸乱れぬ隊列が進軍していた。空は未だ深い紺色に覆われ、冷気が肌を刺す。しかし、歩を進める者たちの胸中に渦巻く熱量は、極寒の夜気を吹き飛ばすほどに凄まじかった。
先頭を歩くのは俺――アステル。
そのすぐ両脇には、冷徹な眼光で周囲を警戒するレオンと、巨大な戦槌を肩に担ぎ不敵な笑みを浮かべるゴルド。さらに後方には、囚われのフィーナを除く幹部たちがズラリと勢揃いしている。
総勢十名の幹部。その背後には、青い外套を纏った三百名もの教団員たちが静かに、だが力強い足取りで続いていた。
誰一人として、無駄口を叩く者はいない。
吐く息が白く乱れる音と、草を踏みしめる靴底の音だけが暗闇に響く。全員の頭にある目的は、ただ一つ。
フィーナ奪還。
そして、昨日無惨に命を散らした三十七人の仲間の無念を晴らす――豪商ガスト教団への完全なる報復だった。
やがて、視界の開けた小高い丘の向こうに、ぬっと黒い巨大な影が浮き上がってきた。
「……あと百メートル。」
俺は前方の敵本部を見据えながら、抑えた声で小さく呟く。
街の第三位に君臨する豪商ガスト教団の本拠地。それは単なる教団施設ではなく、重厚な石造りの巨大な外壁、天空を突く無数の高層見張り塔、そして重鉄で補強された強固な分厚い城門を備えた、まさに「要塞」そのものだった。
その要塞を視界に捉えた瞬間、俺はすっと右手を挙げ、歩みを止めた。
ピタリ。
後ろに続く三百人の教団員たちも、申し合わせたかのように一斉に足を止める。完璧な静寂が再び場を支配した。
俺はゆっくりと振り向き、暗闇の中で瞳を燃え上がらせる仲間たちを見渡した。
「全員、聞け。」
静かな声だった。叫ぶような大声ではない。しかし、内に秘めた神威と絶対の意志を乗せたその声は、重厚な空気の波となって隊列の最後尾までハッキリと届いた。
「ここから先は、生きるか死ぬかだ。」
全員の身体がびくりと跳ねる。俺は容赦のない現実を突きつける。
「圧倒的な戦力差、敵の要塞、立ちふさがる死の恐怖……それらを抱いたままでは絶対に勝てない。迷いは刃を鈍らせる。躊躇は死を招く。」
俺は胸の前で、指関節が白くなるほど拳を強く握りしめた。
「だから――」
「怒れ。」
暗闇の中で、教団員たちが一斉に顔を上げる。
「昨日、目の前で仲間を殺されたあの吐き気のする怒りを思い出せ。」
「仲間を、フィーナを理不尽に攫われた悔しさと惨めさを思い出せ。」
「そして……その感情の全てを、我らが神へ捧げろ!!」
一瞬の静寂。
呼吸すら止まったかのような絶無の間。
次の瞬間だった。
「うおおおおおおおおおおおっ!!」
三百人の怒号が、夜明け前の静寂を叩き割り、天空を激しく震わせた。
地鳴りのようなその咆哮に呼応するように――遥か後方、ノクス教団本部の方向から、夜空を切り裂く眩い黄金色の神力が一直線に天へ向かって昇り立った。
ノクスだ。
最上階から戦場を見つめる俺たちの神が、信者たちの炸裂した怒りに、全力の加護をもって応えたのだ。
黄金色の神力の奔流が空を駆け抜け、光の雨となって進軍部隊の一人ひとりへ降り注ぐ。
シュアァァァッ!
神力を浴びた教団員たちの瞳が、瞬時に鮮やかな金色へと染まり上がっていく。血管が浮き立ち、全身から黄金と青の神力が炎となって噴き上がった。
「狂戦士化、開始!!」
幹部の一人が叫ぶ。
激痛。
死への恐怖。
肉体の疲労。
それら人間を縛り付ける一切の制約を置き去りにした狂戦士たちが、一斉に武器を構え、眼前の要塞へ狙いを定めた。
「突撃ッ!!」
「「オオオオオオオオッ!!」」
三百人の足が大地を激しく蹴った。ドスンという轟音と共に、ノクス教団の怒涛の濁流が豪商ガスト教団の要塞へ向けて雪崩れ込んだ。
要塞の壁上から驚愕と狼狽の悲鳴が上がる。
「敵襲!! 敵襲――ッ!!」
「ノクス教団だ! 新興教団の連中が攻めてきたぞ!!」
カンカンカンカンッ! と警報の鐘が狂ったように鳴り響く。
城壁の上に配置された敵の弓兵部隊が一斉に弦を放ち、夜空を覆い尽くすほどの無数の矢の雨がこちらへ降り注いだ。
しかし。
狂戦士と化したノクス教団員たちは、止まらない。
ザシュッ! ザクッ!
肩へ矢が深く突き刺さろうと、脚を射抜かれようと、スピードを落とすことなく走り続ける。
腕を射抜かれて血を流しても、握りしめた剣を絶対に離さない。
まるで「痛み」という感覚そのものが脳から消し飛んでしまったかのような、異常なまでの進軍。
「城門を突破しろ!! 押し潰せぇぇ!!」
俺は最先頭で風を切り、城門へ向かって飛び込む。
あと少し。城門の肉薄まであと数十メートル――。
その時だった。
ガコンッ!!
嫌な金属音と共に、足元の石畳が一瞬で崩れ去った。
「なっ!?」
俺の視界が垂直に落ちる。足元の接地感が完全に消失した。
巨大な落とし穴。
進路上に巧妙に隠されていたトラップだった。幅は十メートル以上、底を見下ろせば、黒光りする無数の鉄杭が牙を剥くように突き出している。
「アステル!!」
後方からレオンの切迫した叫びが響く。だが、落ちる速度には間に合わない。
(くっ……やりやがる!)
俺は落下しながら、咄嗟に腰の剣を抜き放ち、落とし穴の垂直な岩壁へ深々と突き刺した。
ギギギギギギギッ!!
凄まじい火花が暗闇を散らし、腕にのしかかる過酷な重力で肩に激痛が走る。なんとか鉄杭の餌食になる直前で落下速度を殺し、壁面に留まった。
「くっ……!」
だが、敵の罠はそれだけでは終わらなかった。
直後。
落とし穴の上空に、数畳分もの巨大な幾何学魔法陣が無数に展開された。
「罠にかかったぞ! 焼き払え!!」
穴の周囲に群がっていた敵の魔術師部隊が一斉に詠唱を完了させる。数十発もの巨大な火球が、身動きの取れない俺に向かって穴の中へ降り注いだ。
轟ッ!! ズドオォォォン!!
凄まじい爆発音が穴の底で連続して炸裂し、真っ赤な爆炎と黒煙が穴から噴き出した。
灼熱の熱風が肌を焼き、呼吸すら困難なほどの煙が視界を覆い尽くす。
「ハハハッ! やったぞ! 先頭の幹部を一丁上がりだ!」
敵兵たちが壁の上で歓声を上げる。
しかし。
落とし穴の外では、敵の思惑を遥かに超越した、想像を絶する光景が広がっていた。
先頭の俺が穴に落ち、魔法の集中砲火を浴びたにもかかわらず、狂戦士となったノクス教団員たちは微塵も脚を緩めなかった。
「アステル様に続けぇぇぇ!!」
なんと彼らは、目の前の巨大な落とし穴へ、自ら「人柱の橋」となるために躊躇なく跳び込んでいったのだ。
底の鉄杭に刺さりながらも後続の踏み台となる者。
仲間を先へ進ませるため、背中を差し出して崖の橋渡しとなる者。
上空からの火球が直撃し、全身を炎に包まれながらも火達磨のまま敵の防衛線へ飛び込み、剣を振り続ける者。
砲撃で足を吹き飛ばされても、血を撒き散らしながら地面を這い、敵兵の足首へ噛み付くように剣を突き立てる者。
「進めぇぇぇぇ!!」
「神様のために!!」
「フィーナさんを……フィーナさんを今助けるんだぁぁぁ!!」
極限の加護と怒りによって狂戦士化した彼らは、もはや人間の常識や生物としての生存本能の枠組みでは測れなかった。
骨が折れようと。
腕が千切れようと。
全身に死に至るような大火傷を負おうと。
誰一人として、半歩すら退こうとはしない。
その地獄絵図のような、狂信と執念の入り混じる異様な光景に、要塞を守る豪商ガスト教団の兵士たちは初めて真の恐怖を覚えた。彼らの顔から余裕が消え去り、引きつった悲鳴へ変わる。
「ば、化け物だ……!」
「こいつら……人間じゃない! 痛みを感じていないのか!?」
「止めろ! 止めろぉ! 何で足が吹き飛んで立っていられるんだ!!」
ノクス教団三百名。
その全員が、ただ一柱の神への信仰と、仲間を傷つけられた絶望的な怒りだけを胸に、街第三位を誇る要塞へ向かって雪崩れ込んでいた。
そして――爆炎が渦巻く深い落とし穴の底。
敵兵たちが俺の死を確信し、勝ち誇った歓声を上げていたその瞬間。
モウモウと立ち込める黒煙と燃え盛る炎の奥深くで、一つの金色の光が、ゆらりと静かに立ち上がった。
ゴォォォ……ッ!!
爆発の余波を切り裂き、燃え盛る火炎が左右へと割れていく。
そこに立っていたのは――俺だった。
全身を焼き尽くすはずだった数十の火球。その灼熱の炎は、俺の皮膚に触れる直前で狂暴な渦を描いてねじ曲がり、まるで意志を持つ僕のように、俺の周囲へと吸い寄せられ、収縮していく。
そして――俺は深く息を吸い込み、静かに呟いた。
「……神威転化。」
その一言が落ちた瞬間、世界の理が塗り替わった。
ドクンッ!!
胸の奥で心臓が大きく跳ね上がる。
体内で暴走するノクスの神力が、絶妙な制御のもとで全身の血管を黄金色に染め上げていく。
視界が超感覚によって研ぎ澄まされる。
周囲の雑音がすうっと消え失せる。
目の前の敵たちが発する、どす黒い“恐怖”の感情だけが、ハッキリと鮮明に視認できた。
俺はゆっくりと右拳を握りしめる。
その瞬間、胸の肉体に埋め込まれた《狂戦士の心核》が、俺の神威転化の波動と凄まじい速度で共鳴を始めた。
ゴォォォォッ!!
握りしめた拳に、一輪の火が宿る。
だがそれは、魔法使いが放つような生易しい炎ではない。
ノクスの神力と、俺の魔力、そして心核の狂気が融合して生まれた純白に近い黄金の“聖火”。
触れたものの存在構造そのものを破砕し、焼き尽くす絶対の光だった。
「……来い。」
俺は燃えさかる落とし穴の底から、崖を垂直に踏み荒らしながら地上へと歩み出した。
一歩。
また一歩。
足を踏み降ろすたびに、足下の石畳が超高熱によってドロドロに溶け落ちていく。
崖の上で歓声を上げていた敵兵たちが、顔を激しく引きつらせて後ずさる。
「な、なんだあれは……!」
「炎の中から……丸焦げどころか無傷で出てきたぞ!?」
「化け物……化け物だぁぁぁ!!」
その悲鳴は、純粋な恐怖そのものだった。
俺は笑った。
いや、自覚はないが、口元が吊り上がっていたらしい。
脳が灼けるように熱く、理性の端々が狂気に侵食されている。
だが、不快ではなかった。目の前の敵すべてが、ただただ“砕き壊すべき障害物”にしか見えない。
「三力の導手……アステル!!」
敵の誰かが俺の異名を叫んだ。
次の瞬間。
要塞の防衛線を指示していた豪商ガスト教団の幹部クラス――6人の凄腕たちが、危機感を募らせて一斉に躍り出た。
「神ガスト様のために!!」
「この化け物をここで止めるぞ!!」
前後左右、さらに頭上。六方向からの完全なる同時死角攻撃。
一斉に放たれる大剣の一閃、刺突槍、着弾即死級の黒魔法、肉体を腐腐させる呪術の波動。
退路のない完全包囲。
だが――遅い。遅すぎる。
俺は静かに一歩、踏み込む。
ドガァン! と足元の地面が爆ぜた。
右拳を深々と後ろへ引き絞る。
拳の周囲で、幾重もの聖火の環が超高回転で収束していく。
「……邪魔だ。」
放たれたのは、技術も何もない、ただ直線的に振り抜かれた一撃。
しかしそれは、もはや「拳」という物理現象の域を超えていた。
収束された聖火の超高密度なエネルギー波そのものだった。
ゴォォォォッ!!
白銀の光線が一直線に空間を穿つ。
六人のうち、最前線で大剣を振り下ろそうとしていた大男の右腕に、聖火の端がほんの僅かに接触した。
次の瞬間――。
サッ……。
音もなく、大男の右腕が肩口から綺麗さっぱり消滅した。
「……え?」
本人が何が起きたのか理解できず、間抜けた声を呟いた時には、もう全てが遅かった。
血すら流れない。断面が超高熱で一瞬にして焼き塞がれ、肉体の一部が“存在ごと”世界から削り取られていたのだ。
続けて二人目。
三人目。
四人目。
直線上に並んでいた敵幹部たちへ、聖火の波撃が次々と伝閃していく。
触れた瞬間、防具の金属も、鍛え上げられた肉体も、展開していた防御魔力も、全てが等しく“無”へと還っていく。
「ば、馬鹿な……!!」
「一撃……たった一撃で、幹部クラスが……!!」
難を逃れた残りの二人、凄腕の呪術師と槍使いが、生気を失った顔で狂ったように後退しようとした。
だが――次の瞬間、俺は既に彼らの眼前に立ち塞がっていた。
引き絞った左拳を、息を吸う間もなく振り抜く。
ドンッ!!
空間が歪むような打撃音が、ワンテンポ遅れて戦場に響き渡った。
最後の二人から発せられた防衛魔力が破砕され、その身体が眩い光の奔流に呑み込まれて消え去っていく。
静寂。
ただ、俺の拳から立ち上る聖火の不気味な爆ぜる音だけが、虚空に響いていた。
俺は静かに、黄金に輝く拳を下ろした。
周囲を取り囲んでいた数百人のガスト教団の一般兵たちは、もはや指一本すら動かすことができなかった。
彼らは戦術や戦力差といった概念を超えて、ただ生存本能で理解してしまったのだ。
目の前に立つこの男は、人間でも、冒険者でもない。
自分たちの全てを理不尽に粉砕する、“破壊の権化そのもの”なのだと。
「……進め。」
俺が低く、短くそう呟いた瞬間。
背後から、死の恐怖を克服したノクス教団の狂戦士たちの凄まじい咆哮が、再び天を突いた。
「「うおおおおおおおおおおお!!」」
足が折れていようと。
全身の皮膚が灼けていようと。
彼らは一切止まらない。
俺が開けた巨大な風穴、俺が示す破壊の背中を追い、ただただ前へ、前へと雪崩れ込んでいく。
街第三位を誇り、不落と謳われた豪商ガスト教団の要塞は今、内側から凄まじい音を立てて崩壊を始めていた。




