教団戦争2
夕日が戦場を赤く染めていた。
昼間の激闘が嘘のように、あたりには静まり返った重苦しい静寂が漂っている。勝利したはずのノクス教団には、歓声はほとんど残っていなかった。あるのは、かけがえのない仲間を失った者たちの、押し殺したすすり泣きだけだった。
「……そっちの担架、慎重に運べ!」
「回復魔法の使い手はまだ残っているか!? 重傷者がいる!」
現場では悲痛な声が飛び交い、簡易的な傷病兵のテントへと担架が次々と運ばれていく。傷ついた者は治療班が懸命に手当てを施しているが、彼らの顔にも疲労と絶望の色が濃く滲んでいた。
しかし、懸命な救護活動も虚しく、その中には、もう二度と目を開けることのない者たちも大勢含まれていた。
青い外套を纏った三十七人。
泥と血にまみれたその衣装は、彼らが最後まで誇り高く戦い抜いた証だった。彼らは最後の瞬間まで武器を放さず、大切な教団のため、そして自分たちの敬愛する神のために命を懸けた英雄たちだった。
ノクスは、一人ひとりの亡骸の前へ、吸い寄せられるように静かに歩み寄る。
まだあどけなさの残る若い少年。
残された家族のことを笑顔で語っていた父親。
昨日まで食堂で、ノクスと笑いながら一緒に食事をしていた仲間。
一人ひとりの顔を静かに見つめ、ノクスの胸は張り裂けそうになっていた。自らが至らないばかりに、信者たちにこんな悲しい思いをさせてしまった。自分を信じてくれた子供たちを守ることができなかった。その罪悪感が、激しい痛みとなって彼女の全身を苛む。
ノクスはゆっくりと膝をついた。
「……ごめん。」
神であるノクスは、泥にまみれた地面へ直接、額を深く付ける。
土の冷たさが伝わってくるが、彼女の胸の痛みに比べれば何でもなかった。
「守れなくて……本当に、ごめんね……。」
その姿を見た周囲の誰もが、言葉を発することができなかった。ただ涙を流し、息を詰まらせるばかりだった。教団員たちも涙を拭いながら同じように膝をつき、二度と動かない仲間たちへ向けて、静かに深い黙祷を捧げた。
しばらくして、ギルドの調査員が戦果と被害をまとめた羊皮紙の報告書を手に、恐る恐る歩み寄ってきた。
「……戦闘結果の集計が完了しました。報告します。」
調査員の震える声に、ノクスをはじめ、その場にいた幹部全員がゆっくりと顔を上げる。
「まず、ノクス教団の被害状況です。」
調査員は唾を呑み込み、報告書に視線を落とした。
「戦死者……三十七名。」
「重傷者……二十九名。」
「軽傷者……二十五名。」
数字が読み上げられるたび、重く冷たい空気が周囲を支配していく。
調査員は息を整え、言葉を続けた。
「次に……豪商ガスト教団の被害状況です。」
「戦死者……七十名。」
「重傷者……三名。」
「軽傷者……五名。」
数字だけを見れば、誰がどう考えてもこちらの完全な勝利だった。
敵は七十人もの熟練した戦力を失った。こちらの被害の約二倍だ。新興教団が街第三位の巨大教団を退け、相手に倍の損害を与えたとなれば、本来なら大歓声が上がってもおかしくない偉業である。
しかし。
ノクスは少しも笑わなかった。その表情は凍りついたように動かない。
「……三十七人。」
ノクスはその数字を、自らの胸に刻み込むように何度も呟いた。
「私の……大切な信者が……三十七人も殺された……。」
ノクスの瞳に宿っていた黄金色の威光は失われ、そこには深淵のような暗い、静かな怒りが満ち始めていた。涙はもう枯れていた。今彼女の胸を支配しているのは、理性を焼き尽くすほどの静かなる決意だった。
「……もう、守るだけじゃ駄目。」
ノクスは地面につけていた手を力強く握りしめ、ゆっくりと立ち上がる。その華奢な身体からは、先ほどまでの悲壮感とは打って変わった、圧倒的な圧力が滲み出ていた。
「今度は……私たちが攻めるよ。」
その一言で、その場にいた幹部全員がハッと顔を上げた。静かだが決して揺らがないその声に、全員の背筋に鋭い緊張が走るのだった。
夜。
重苦しい空気のまま、教団本部の作戦会議室で緊急会議が開かれた。
部屋の壁には、豪商ガスト教団の本拠地周辺を描いた詳細な都市地図や羊皮紙が何枚も貼られている。
中央の大きな作戦卓を囲むのは、俺たち幹部だけだった。
ノクスは地図の中央、ガスト教団の本拠地を示す記号の前に立ち、凛とした声で口を開いた。
「現在の状況を整理するよ。こちらの総戦力は六百三十五名。」
ノクスは卓上の青い駒を指差す。
「今日の戦いで三十七名が戦死し、戦える人数は現在五百九十八名。」
数字を正確に把握しているノクスの口調に、部屋の空気が一気に引き締まる。悲しみにとらわれている暇はないのだと、全員が改めて自覚させられる。
「ここから……戦力を二部隊に分ける。」
ノクスは卓上に置かれた青い駒を、二つの山に分けた。
「第一部隊。」
「人数は約三百名。」
「この部隊は、教団本部の防衛に専念してもらう。」
その配置を聞いて、レオンが少し首を傾げた。
「待ちたまえ、ノクス。幹部をほとんど攻撃に回すとなると、本部の防衛指揮は誰が執るんだ? ガスト教団が迂回してこちらの本拠地を急襲してくる可能性も否定できないぞ。」
レオンの当然の疑問に対し、ノクスは小さく微笑んだ。その笑みには、仲間への絶対的な信頼が込められていた。
「安心して、レオン。」
「防衛は、前に白翼教団を倒した時に仲間になってくれた、元白翼教団の幹部たちに任せるよ。」
「……! なるほどな。」
その言葉を聞いた瞬間、緊張で張り詰めていた部屋の空気が少しだけ和らいだ。
かつてノクス教団と激闘を繰り広げ、敗れた後に改心してノクス教団へ加わった元白翼教団の幹部たち。彼らは現在、ノクス教団の幹部補佐としてそれぞれの部隊を率いており、その実力と指揮能力は折り紙付きだ。
「彼らなら、私たちが留守の間も完璧に本部を守り抜いてくれる。実力も経験も十分にあるからね。」
ゴルドも大きく頷き、太い腕を組んで豪快に笑った。
「たしかに、あいつらなら何の問題もねぇな! 筋も通ってるし、防衛の戦術に長けてる奴らだ。守りを任せて、俺たちは心置きなく敵の懐で暴れ回れるってわけだ。」
信頼できる防衛体制が整っていることを確認したノクスは、もう一つの青い駒の山を、地図のガスト教団本拠地へ向けて一気に力強く押し出した。
「そして……第二部隊。」
「人数は約三百名。」
「こちらが、豪商ガスト教団への侵攻部隊となる。」
ノクスの黄金の輝きを宿した瞳が、幹部一人ひとりの顔をまっすぐに見つめる。
「この侵攻部隊には……フィーナを除く幹部十名全員が参加する。」
部屋の空気が、再び一気に破裂しそうなほど張り詰めた。
教団の持つ最強の戦力を一箇所に集中させ、敵の本拠地へ直接叩き込む。
これは単なる救出作戦の域を超えていた。自らの大切な家族であるフィーナを取り戻し、仲間を奪った豪商ガスト教団を叩き潰すという、ノクスの不退転の覚悟そのものだった。
俺は静かに拳を握りしめ、ノクスを見つめた。
準備は整った。
失われた三十七人の無念と、囚われたフィーナの想いを胸に、俺たちの本当の反撃が始まろうとしていた。




