教団戦争1
教団本部の最上階。そこに刻まれた意匠は、かつて新興教団として産声を上げたばかりの質素さを残しつつも、どこか神聖な威厳を漂わせていた。しかし、今その高所を包み込んでいるのは、神々しさとは程遠い、絶望と緊迫が交錯する重苦しい空気だった。
ノクスはたった一人、最上階のアーチ状に開かれたバルコニーの欄干に身を乗り出し、下層に広がる凄惨な戦場を見下ろしていた。
彼女の視線の先――眼下では、青い外套を纏った信者たちが、まさに自らの命を削りながら必死の戦闘を繰り広げている。
青い外套は、ノクス教団の象徴であり、彼らの誇りそのものだった。その青が、泥と硝煙、そして流血によって無惨に汚れ、破れ去っていく。
剣を振るう者。
泥に塗れながらも、盾を掲げて敵の怒涛の攻勢を押し止めようとする者。
背後の仲間を守るため、弓の弦が指に食い込んで血を流しながらも矢を放ち続ける者。
倒れ伏した仲間の傷口を手繰り寄せ、必死の思いで治癒魔法を唱える聖職者。
そして、命の灯火が消えかかった仲間を担ぎ上げ、肩を貸しながらも、絶対に後ろへは引かず、前へ前へと進もうとする者。
誰一人として逃げてはいなかった。
誰一人として、怯えて背を向ける者はいなかった。
ノクスが与えた小さな温もりと、神としてのささやかな加護を胸に抱き、彼らはその誇りを胸に戦っていた。
その健気で、あまりにも残酷な姿を見つめていたノクスは、華奢な指先を小刻みに震わせながら、胸の前で小さく拳を握りしめた。
「……頑張って。」
その言葉は、消え入りそうなほど弱々しく、祈りの形をした切実な願いだった。
どうか一人でも多く無事でいてほしい。誰の命も失われてほしくない。私が神であるならば、私の大切な子供たち、大切な家族を守る力を与えてほしい――。
だが、その儚い願いとは裏腹に、戦況は残酷なまでに暗転し始める。
ガスト教団の陣形が割れ、そこから重厚な威圧感を纏った三人の影が姿を現した。豪商ガスト教団が誇る三大幹部――戦斧使いの巨漢、銀髪の凄腕剣士、そして白い法衣を纏った精鋭魔術師。彼らが前線へ足を踏み入れた瞬間、戦場の空気は一変した。
彼らの振るう一撃、放たれる一筋の閃光、展開される広域破砕魔法。それらが前線を直撃するたびに、ノクスが愛した青い外套たちが、まるで羽虫のように次々と地面へ打ち捨てられ、倒れていく。
一人。
二人の若者が、悲鳴を上げる暇もなく弾き飛ばされる。
五人。
十人。
見慣れた顔。昨日まで教団の食堂で笑い合い、ノクスの差し入れに目を輝かせていた信者たちの顔が、二度と動かない物言わぬ塊となって転がっていく。
ノクスの黄金に揺らめいていた瞳から、ゆっくりと、そして確実に光が消えていった。瞳孔が収縮し、まるで深い底なしの闇がその瞳を塗りつぶしていくかのようだった。
「……やめて。」
誰の耳にも届かない、掠れた小さな声。
しかし、現実の戦場は止まらない。ノクスの祈りなど嘲笑うかのように、鉄と血の匂いが狂気を増していく。
また一人、腕を失った信者が倒れる。
また一人、若き少女の聖職者が胸を貫かれて崩れ落ちる。
戦場を覆う鮮やかな青い装備が、刻一刻と、どす黒い赤色へと染まり上がっていく。
「……やめて……お願いだから、やめて……!」
神にとって信者とは、単なる信仰の集金システムでも、都合の良い駒でも、戦争を遂行するための手札でもない。
一人ひとりの慎ましい願いを受け止め、ささやかな日常の幸せを祈り、加護を与え、ともに未来を歩んでいくべき……かけがえのない「家族」なのだ。
その家族が、自分が何もできない高みで見下ろす目の前で、容赦なく踏みにじられ、命を奪われていく。
その地獄のような光景は、神としてのノクスの理性を、正気を、静かに、しかし確実に削り取っていった。
胸の奥が焼き切れるように熱い。視界の端が赤く明滅する。脳の奥底で、何かが激しく警鐘を鳴らし、同時に冷たい破滅の感情が渦を巻き始める。
そして――。
戦場の中央、前線の一角で。
まだ年端もいかない一人の若い教団員が、背後の傷付いた先輩を庇うように盾を掲げ、敵の巨大な戦斧をその身に受けて力尽き、崩れ落ちた瞬間。
ノクスの頭の中で、プツリと、何かが完全に切れた。
「……もう。」
ノクスはゆっくりと、力なく垂れていた顔を上げた。
そこに存在していたのは、気弱で心優しい少女の面影ではなかった。
彼女の瞳は、眩いばかりの黄金色へと塗り替えられていた。
輝きというにはあまりにも苛烈で、眩悪なまでに神聖な、絶対の威光。
抑え込み、制御していたはずの神力が暴走を起こし、溢れ出す。その圧倒的な圧力が、教団本部の巨大な建築物全体を物理的に震わせ始めた。ギギギと悲鳴を上げる石造りの壁、軋む天井。
最上階の祭壇に並べられた巨大な燭台が一斉に、炎の領域を超えた金色の神火を吹き上げ、教団内部の全回廊へ向かって脈動するように金色の光が駆け抜けた。
「これ以上……。」
空気が重密化し、音を立てて震える。
天を覆う雲が渦を巻き、大気が唸りを上げる。
戦場にいる全兵士どころか、街全体の住民たちが、その異様な気配と地響きのような威圧感に気付き、恐怖に目を見開いて空を見上げた。
「私の信者を傷付けるなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
それは、世界を揺るがす神の咆哮だった。
少女の華奢な喉から発せられたとは信じがたいその叫びは、不可視の神力の衝撃波となって天空を突き穿ち、戦場全体を嵐のごとく駆け抜けていった。
次の瞬間。
戦場で傷付き、打ちひしがれ、死を覚悟していた青い装備を纏うノクス教団の信者たち全員の身体から、怒涛のごとき金色の神力が噴き上がった。
「な、何だ……!?」
「身体が……熱い! 燃えるようだ!」
「力が……奥底から溢れてくる!」
神の加護が、ノクスの爆発した怒りによって限界を超えてオーバーフローし、強行発動したのだ。
理性を凌駕する愛と激怒によって引き出された、悲壮なる一時的極限強化。
教団員たちの瞳が、ノクスと同じ凶凶しくも美しい金色へと染まり上がる。
彼らの表情から、死への恐怖、敗北への迷い、肉体の痛みが完全に消え去った。
胸を貫かれた激痛も、重い傷の疲労も、すべてが神威の奔流によって塗りつぶされる。
彼らの頭の中に残されたのは、ただ一つ――自らの神を守り、神の愛に応えるという、野生よりも純粋で苛烈な本能だけだった。
「前へ!」
「神のために! 我らの神のために押し返せ!」
ガタガタと崩れかけていたノクス教団の前線が、突如として地鳴りのような猛攻を開始する。
先ほどまで虫の息だった信者たちが、人間離れした速度と腕力で武器を突き出し、ガスト教団の兵士たちを容赦なく薙ぎ払っていく。
敵兵たちが狂乱の悲鳴を上げる。
「何だこいつら!?」
「化け物か!? さっきまで瀕死だったはずだぞ!」
「攻撃が……刃が通らん! 押し返される!」
金色のオーラを纏ったノクス教団の部隊は、もはや恐怖を知らぬ完璧な一糸乱れぬ連携で前進を開始した。
大盾を構えた重装兵が、敵の集団を物理的な質量で吹き飛ばして道を切り開く。
その隙間から武術家が音を置き去りにする速度で飛び込み、隙だらけになった敵の喉元を打ち砕く。
後方からは魔術師たちが、極限強化された詠唱速度で連昌魔法を浴びせかけ、傷付いた仲間には聖職者の神聖光波が注がれ、瞬時に傷口が塞がっていく。
勢いは止まらない。止まるはずがない。
豪商ガスト教団の誇る鉄壁の前衛陣は、まるで濁流に呑まれた紙細工のように総崩れとなり、怒濤の勢いで後方へと押し込まれていった。
「ば、馬鹿な!」
「何だこの戦力は!? 押されているだと!?」
戦況の完全な逆転に、余裕を崩さなかったガスト教団の三幹部も、初めてその顔に戦慄と引きつりを浮かべた。
一方、俺――アステルは、その全身を貫く神力の奔流を、皮膚の表面から細胞の奥深くまで直接感じ取っていた。
「ノクス……。」
胸の奥、魂の根源から、神力が今までとは比べものにならないほどの圧倒的な質量で湧き上がってくる。
身体中が焼けるように熱い。血流が激流となって全身を駆け巡り、脳が研ぎ澄まされ、筋繊維の一本一本に爆発的な力が充填されていくのを感じる。
「これが……神の怒りか。」
俺は静かに目を閉じた。
荒れ狂う神力に呑み込まれそうになる自我を、冷徹な精神力で繋ぎ止める。この圧倒的なエネルギーを、無駄なく完璧な破壊力へと昇華させるために。
「《神威転化》。」
体内で暴走しかけていたノクスの神力が、俺自身の魔力、そして長年鍛え上げてきた気力と混ざり合い、包み込まれていく。三つの相反するようなエネルギーが、神の加護という触媒によって絶妙な均衡を保ちながら全身の脈管を巡り始める。
続けて、俺は胸元に意識を向けた。
服の下、胸の中央でドクドクと不気味な脈動を打ちながら、禍々しくも深紅に輝く結晶が存在する。
《狂戦士の心核》。
「発動!」
轟ッ!!
俺の体内で、純粋な神力と狂戦士の心核が爆発的な共鳴を起こした。
黄金と深紅、二つの相反する光が渦を巻き、俺の全身を密度の高い魔力の鎧となって包み込む。
筋力、肥大化。
反応速度、超神速へ到達。
魔力、臨界点を突破。
気力、無限の如く湧出。
すべての身体スペックが、次元の違う階層へと一気に引き上げられていく。
「これが……。」
俺は静かに、しかし鋼鉄よりも固く拳を握りしめた。
「《狂戦将》。」
黄金と深紅のオーラを揺らめかせる俺の変貌を見て、敵幹部の一人、巨大な戦斧を担いだ男が惨烈な笑みを浮かべた。
「ハッ! 景気のいい後光じゃねぇか! 面白い、ようやく骨のある奴が出てきたか!」
男は地響きを立てて踏み込むと、身の丈を超える重厚な戦斧を頭上高く掲げ、空気の壁を切り裂く音とともに俺の脳天目掛けて振り下ろした。
迫る死の刃。だが、極限まで研ぎ澄まされた俺の視界の中では、その一撃すらも鈍重な亀の歩みのように見えていた。
俺は半歩だけ、最小限の動きで身体をずらす。
ドォォォォン!!
戦斧が空を切り、地面に叩きつけられた。激しい衝撃波とともに石畳が砕け散り、大量の土砂が舞い上がる。
「なっ……外した!?」
戦斧使いが信じられないといった様子で目を見開く。
「違う。」
俺は低く呟き、男の死角――極小の間合いへと滑り込むように潜り込んでいた。
右拳に、神威転化によって圧縮された激しい炎を纏わせる。
「ハッ……!」
息を吐き出すとともに、男の分厚い胸甲の隙間、みぞおちへ目掛けて炎の拳を容赦なく叩き込んだ。
ズドォォン!!
爆発的な衝撃が走り、二メートルを超える巨漢の体が宙に浮き、重音を立てて大きく後退する。
だが、休む暇はない。
間髪入れず、横合いから銀髪の剣士が音もなく斬り込んできた。
視界を覆いつくすような鋭い一閃。狙いは俺の首筋。
俺は左腕の甲に纏わせた魔力で剣の側面を叩き、その軌道を僅かに受け流す。キィンと甲高い金属音が鳴り響く。
そして、受け流した瞬間の相手の踏み込みを利用し、さらに距離を詰めた。
「速っ……!?」
銀髪の青年の冷静だった表情が、初めて完璧に崩れ去った。
俺は間合いを殺した至近距離から、怒涛の連続打撃を繰り出す。左右の掌打、肘打ち、膝蹴り。神力によって補強された打撃の一撃一撃が、青年の肉体を打ち打ち砕き、体勢を完全に崩させていく。
そこへ、体内から溢れ出る火属性魔法を乗せた拳を重ねる。
「《ファイア》!」
至近距離での爆炎が炸裂した。青年の悲鳴とともに激しい火柱が上がり、彼は炎に包まれながら後方の瓦礫へと弾き飛ばされていった。
最後に残ったのは、白い法衣を着た魔術師だ。
彼は後方で冷や汗を流しながら、必死の様相で巨大な三重魔法陣を展開しようとしていた。古代語の詠唱が高速で紡がれる。
「遅い。」
俺は大地を蹴った。一瞬で距離が霧散する。
魔法使いにとって最も危険な間合い――至近距離へと一気に踏み込む。
大規模魔法や高威力の攻撃魔法は、魔法陣を構成し魔力を練り上げるための「時間」と「距離」を必要とする。至近距離に肉弾戦のスペシャリストが肉薄した時点で、勝負は決しているのだ。
「ひっ……!」
魔術師は青ざめた顔で舌打ちをし、後方へ転がり込むように後退しようとするが、俺の速度には遠く及ばない。
拳が届く。
魔術師の胸元へ、神力を秘めた一撃が容赦なく叩き込まれた。
ドガァン!!
激しい衝撃が走り、未完成だった魔法陣は幾何学模様の破片となって空中へ霧散した。
魔術師は白目を剥いて倒れ込み、戦場を支配していた敵幹部たちの強固な陣形は、完全に、そして無残に瓦解した。
その絶望的な光景を目の当たりにしたガスト教団の兵士たちは、一瞬だけすべての動きを止め、戦うことすら忘れて硬直した。
誰もが、敵も味方も理屈を超えて理解していた。
圧倒的な戦力差でノクス教団を追い詰めていたはずのこの戦場の均衡が、たった一人の男――アステルの乱入と、神の怒りによって、今まさに大きく、致命的に傾こうとしていることを。
俺の拳が、体勢を立て直そうと必死にもがいていた戦斧使いの幹部の腹部へ、深々とめり込む。
鈍く、重い衝撃音が戦場に響き渡った。
次の瞬間、二メートルを超えるその巨体は、まるで大砲から放たれた砲弾のように凄まじい速度で後方へ吹き飛び、地面を何度もバウンドしながら転がっていった。
「が……はっ……ゲホッ……!」
血を吐き出しながら、男は震える腕で必死に身体を起こそうとする。しかし、身体に巡った神威の衝撃は内臓を打ち砕いており、二度と立ち上がることを許さなかった。膝が折れ、男は地面に伏せる。
俺は息を整えながら、ゆっくりと、彼に向かって歩み寄った。
荒れ狂っていた戦場が、嘘のように静まり返っていく。
兵士たちも、教団員たちも、息を呑んで俺たち幹部同士の死闘の結末を見つめていた。
男は血に濡れた手で、地面に落ちた戦斧の柄を必死に握り直そうとする。その眼光には、まだ敗北を認められない執念が宿っていた。
「ば……馬鹿な……。」
「こんな……昨日できたばかりの……新興教団ごときに……俺様が……!」
俺は男の怨嗟の声に答えない。同情も、慈悲も、今の俺には一切必要なかった。
彼らは奪ってはならないものを奪った。踏みにじってはならないものを踏みにじった。
フィーナを攫い、ノクスの心と信者たちの平穏を裂いた。
言葉での対話など、最初から求められていない。理由など、それだけで十分すぎた。
俺は炎と黄金の光を纏わせた右拳を、静かに、そして高く構える。
「これは……。」
俺の低い声が、静寂に包まれた戦場に響く。
「フィーナを攫った報いだ。」
ドォォォォン!!
地面が揺れるほどの渾身の一撃が、男の顔面に炸裂した。
敵幹部の身に着けていた最高級の重鎧が、ガラスのように粉々に砕け散り、巨体が再び宙を舞う。
そのまま数十メートル先の大地へ叩き付けられ、ピクリとも動かなくなった。
豪商ガスト教団幹部――一人、完全撃破。
「か、幹部が……!」
「あのバアル様が……倒されたぞ……!」
敵兵たちの間に、一気に波紋のような動揺が広がっていく。
だが、その隙は本当に一瞬だった。
「うおおおおおっ!!」
その決定的な隙を絶対に見逃さなかったのが、ノクス教団第一幹部・レオンだった。
彼は身に纏う黄金の神威をさらに爆発させ、これまで互角の死闘を繰り広げていた銀髪の剣士との距離を一気に詰める。
「終わりだ。」
レオンの刃が閃く。
それは長年の鍛錬によって研ぎ澄まされた、無駄の一切を削ぎ落とした神速の三連撃。
銀髪の剣士は目を見開き、必死の様相で剣を交差させて受け流そうとするが、ノクスの加護を得たレオンの剣圧は重く、鋭く、相手の防御を強引にこじ開けていく。
「くっ……!」
「何故だ……何故なんだ……!?」
「さっきまで……さっきまでは完全に互角だったはずだぞ!?」
銀髪の剣士が血を吐きながら叫ぶ。レオンは冷徹な眼差しで、刃を押し込みながらニヤリと不敵に笑った。
「違うな。」
「さっきまでは、お前らの方が『勢い』があっただけだ。」
ガキィィィン!!
激しい火花とともに剣同士がぶつかり合う。レオンはそのまま全身の筋力を注ぎ込み、力任せに敵の剣を弾き飛ばして体勢を完全に崩させた。
「しまっ──」
「遅い。」
横薙ぎの一閃。
レオンの剣の腹が敵幹部の首筋を正確に捉え、衝撃で銀髪の青年は大きく吹き飛んだ。そのまま地面を何重にも転がり、手放された剣の横で完全に意識を失った。
二人目、戦闘不能。
そして、戦場の反対側では――。
「ガハハハハッ!! 痛快、痛快だぜぇ!!」
ゴルドの豪快で地響きのような笑い声が戦場全体へ轟いていた。
彼は身の丈ほどもある巨大な戦槌を、まるで軽木でも扱うかのようにぶんぶんと振り回りし、白い法衣の魔術師を文字通り追い詰めていた。
「どうしたァッ! 自慢の魔法はもう終わりかよォ!」
魔術師は青ざめた顔で必死に距離を取ろうと後退する。だが、神力によって脚力を爆発的に強化されたゴルドから逃げ切れるはずもなかった。
ドゴォォォン!!
ゴルドが振り下ろした戦槌が、容赦なく大地へ叩き付けられる。
大震災のような衝撃波が走り、地表が激しく亀裂を立ててめくれ上がった。魔術師は足場を失い、豪快に転倒する。
「しまっ……!?」
「終わりだァッ!!」
宙に浮いた魔術師のみぞおちへ、ゴルドの丸太のような拳が深々とめり込んだ。
魔術師は大量の血を吐き出しながら吹き飛び、激しい音を立てて倒れ込む。辛うじて受け身を取ったものの、手にしていた高価な杖は真っ二つに折れ、骨を何本も折られて満身創痍となっていた。
ガスト教団が誇る三大幹部。
全員が、完全に打ち破られた。
その絶望的な光景を目の当たりにしたガスト教団の兵士たちは、もはや戦う意思を完全に喪失していた。手から武器を落とす者が相次ぐ。
「幹部様たちが……全滅……?」
「あり得ない……嘘だろ……。」
「相手は……相手はただの弱小教団じゃなかったのか……!?」
地面に伏し、息も絶え絶えの白い法衣の魔術師が、血を吐きながら最後の力を振り絞って叫んだ。
「全軍……!!」
「後退……!! 撤退しろぉぉぉ!!」
その絶叫の一言で、緊張の糸が完全に切れた。
「退けーっ!」
「撤退だ! 陣形を崩すな!」
「負傷者を回収しろ! 早くしろ!」
敵兵たちは蜘蛛の子を散らすように慌ただしく仲間を担ぎ上げ、なりふり構わず後方へと逃走を開始した。
息も絶え絶えの銀髪の剣士も、仲間に担がれながら、悔しさに顔を歪めて俺たちを激しく睨み付けた。
「覚えていろ……ノクス教団……。」
「次は……次はこうはいかんぞ……!」
パンッ!!
敵の殿を務める密偵が、地面へ大量の煙幕弾を投げつけた。
爆ぜる音とともに激しい白煙が一気に広がり、視界のすべてを真っ白に覆い尽くしていく。
「逃がすか!」
俺が足を踏み込み、追撃に移ろうとしたその瞬間、横から伸びてきたレオンの手が俺の肩をしっかりと掴んだ。
「待て、アステル。」
「……!」
「深追いはするな。」
レオンは煙の奥を睨みつけながら、硬い声で言った。
「これはまだ、前哨戦に過ぎない。」
「敵の本陣、そして教祖や本隊がこの先で待ち伏せしている可能性が高い。ここで深追いして戦力を削られるのは、相手の思うツボだ。」
「……たしかに、その通りだな。」
俺は構えを解き、深く息を吐き出した。
風が吹き抜け、白煙が徐々に晴れていく。その頃には、豪商ガスト教団の部隊はすでに数百メートル先、街の奥深くへと退いていた。
戦場には、静寂だけが残された。
静寂。そして次の瞬間――。
「勝ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
ノクス教団の信者たちが、一斉に天空に向けて爆発的な歓声を上げた。
彼らは手にしていた武器を掲げ、互いに抱き合い、流れる血も気にせずに勝利を喜び合った。涙を流しながら神の名を叫ぶ者、倒れた仲間の無事を確認して胸を撫でおろす者。
初戦。
圧倒的格上とされた豪商ガスト教団に対し、ノクス教団は奇跡的な大勝利を収めたのだ。
歓声が街にこだまする中、俺はただ一人、煙の消え去った街の奥、ガスト教団の本拠地がある方角を静かに見つめていた。
胸の奥の熱狂が、冷たい現実によって急速に冷やされていく。
フィーナは、まだ戻ってきていない。
彼女がどこに囚われ、どんな目に遭わされているのか、まだ何も解決していないのだ。
この初戦の勝利は、戦争の終わりなどではない。
ノクスが神としての怒りを解放し、俺たちが血を流して掴み取ったこの勝利は、ただの始まりに過ぎないのだ。
――本当の戦いは、フィーナを取り戻すための地獄は、ここから始まるのだった。




