宴会
夕焼けの赤銅色が夜の静寂へと溶け込み始めた頃、俺とフィーナは両手いっぱいの紙袋やリボンで飾られた箱を抱え、ノクス教団のホームである巨大な屋敷へと戻ってきた。
ずっしりと手応えのある金貨袋は、俺の腰のベルトでズシリと重い存在感を放っている。遊技館で手に入れた優勝賞金金貨二十枚と、道中の勝利手当。そして何より、昼間の地下闘技賭博場で得た金貨一万枚という正真正銘の莫大な財宝だ。
正面の重鉄門をくぐった瞬間、見張りをして立ち話を楽しんでいた信者たちが、目を丸くして俺たちを注視した。
「お、お帰りなさいませ、アステルさん、フィーナさん!」
「……って、その山のような荷物は一体どうされたのですか!?」
俺が口を開いて「まあ、色々と臨時収入があってな」と説明するより早く、隣のフィーナが満面の笑みを咲かせて駆け出した。
「ノクスーーーー!! ただいまーーー!!」
教団の奥深くにある執務室の扉が、バカーン! と勢いよく開かれ、建て付けの悪い木製扉が悲鳴を上げる。
「どうしたのフィーナ、そんな大声出して……って、えぇ!?」
深夜まで続くはずの書類仕事に追われ、疲れた表情で羊皮紙に向き合っていたノクスが、驚きで顔を上げた。
その瞬間、フィーナは抱えていた紙袋や箱を、ノクスの執務机の上へとドカン! ドカン! と次々に並べ始めた。積み上げられた書類が崩れ落ちそうになる。
「見て見て、ノクス! 新しい帽子! それに可愛いワンピース! あとね、新しいブーツも買っちゃった! それからクッキーとチョコレートもいっぱい!」
「え、えぇぇぇぇぇぇ!!?? 何これ何これ!? お金どこから出てきたの!? うちの今月の予算はもうすっからかんなはずでしょ!?」
ノクスは目玉が飛び出さんばかりの顔でぽかんと口を開けた。
フィーナはエッヘンと胸を張り、鼻高々に自慢してみせる。
「全部アステルが稼いだんだよ! 今日ね、闘技賭博場で勝ちまくって支配人さんに泣かれて追い出されて、それから遊技館でも勝ちまくって支配人さんに泣かれて追い出されたの! 最後には営業終了にしちゃったんだよ!」
ノクスは数秒間、完全にフリーズした。時間が止まったかのように動かない。
「………………え?」
俺はため息を吐きながら執務室に入り、苦笑い混じりに事情を説明した。
地下闘技賭博場で八連勝を重ね、相手の裏社会組織を破産寸前に追い込んで責任者に頭を下げられたこと。
その後、フィーナに誘われて行った遊技館のカードゲーム大会で、貸し出しデッキの永久連鎖を使って無傷で優勝したこと。
そして、偶然にもその遊技館の支配人が、昼間の闘技賭博場の支配人と同一人物(兼任)であり、俺の顔を見るなり恐怖で店を強制閉店させたこと。
「……ふう。まあ、そういうわけで、フィーナの買い物の代金を差し引いても、教団の金庫には金貨一万枚以上の純利益が転がり込んだわけだ。これでしばらくは資金難に悩まされずに済むぞ」
俺が腰の金貨袋をトントンと叩いてみせると、話を聞き終えたノクスは、ブルブルと震える手で机を押さえた。
「ちょ、ちょっと待って……。整理させて……」
ノクスはひくひくと眉輪筋を痙攣させながら俺を見つめる。
「つまり……アステルは半日で……王都の裏と表の大規模な娯楽店舗を二軒……営業終了(実質閉店)まで追い込んだってこと……!?」
「……まあ、結果的にはそうなったな。あっちが勝手に降参して閉店しただけだ。俺は正当にルールに従って稼いだだけだから、一切の落ち度はない」
そう答えた、まさに次の瞬間だった。
ノクスがバンッ! と音を立てて勢いよく立ち上がった!
「すごーーーーーーーーい!!!」
執務室の天井を突き破らんばかりの歓喜の絶叫が響き渡った!
「やっぱりアステル最高!フィーナ、 金運の神様! もう大好き!! 信者のみんなぁぁぁぁぁ!!」
ノクスは神官服の裾を翻して執務室から廊下へと飛び出し、教団の建物中に響き渡る大声を張り上げた!
「今日は大祝いだよーーー! アステルがまた莫大な財宝を持ち帰ってくれたよーーー!! ノクス教団、緊急大宴会開催ーーーーっっ!!」
一瞬の静寂。教団全体が何事かと息を呑んだ次の瞬間——。
「「「うおおおおおおおおっっっ!!!」」」
「宴会だぁぁぁぁぁ!」
「酒だ! 肉だ! アステル様万歳!!」
割れんばかりの地鳴りのような大歓声が、建物全体を揺らしたのだった!
一時間後。
ノクス教団の中庭には、普段の質素な生活からは考えられないほどの長机が何列も並べられ、信者たちが次々と豪華な料理を運んできていた。
直火で香ばしく焼き上げられた巨大なローストボア(大猪の丸焼き)。
高級香草をふんだんに使った魔鳥のソテー。
麦の香りが芳しい焼き立ての厚切りパン。
色鮮やかな極上の熟成果物。
濃厚なクリームと香辛料が効いたシチュー。
そして、フィーナが買ってきた大量の高級お菓子や果実酒まで並び、長机は隙間がないほどに埋め尽くされていた。
「乾杯の前にっ!」
ノクスが木製の椅子の上へピョンと飛び乗った。
鮮やかな青を基調とした神官服をひらりと翻し、小さな胸をぐっと張って、中庭に集まった六百人以上の信者たちを見渡す。
「今日は、我が教団の至宝であるアステルとフィーナが、教団のために凄まじい大金を稼いできてくれました! これで我がノクス教団の金庫は潤い、みんなの明日のお肉も保障されましたー!」
信者たちから一斉に雷鳴のような拍手と口笛が上がる。
フィーナは「えへへ……」と照れ臭そうに鼻の頭を掻いていた。
「だから今夜は無礼講! ノクス教団、大宴会の開幕です!! かんぱーーーーい!!」
「「「かんぱーーーーーい!!!」」」
木製のジョッキやグラスが一斉に叩きつけられ、カツン! コツン! と快い金属と木の音が中庭に響き渡る。
楽団を担当する信者たちがヴァイオリンやリュートを打ち鳴らし始め、陽気で軽快な音楽が夜空へと溶けていく。
誰かが酒を片手に踊り始めると、それにつられるように周囲の者たちも輪になって踊り出した。
鍛冶師の豪傑ゴルドは、自分の顔ほどもある巨大な肉の塊を片手で持ち上げ、「ガハハハ! 流石はアステル様だ! これで新しい鉄鉱石が山ほど買えるぞ!」と豪快に笑い転げている。
隣では、剣士のレオンが新人信者たちを相手に、熱っぽく剣術談義を繰り広げている。
槍使いのセリスは、長槍を車輪のように回転させる大道芸を披露し、周囲から「おおっ!」と大きな歓声を浴びていた。
さらには、最近まで部屋に引きこもり、敗北のショックから立ち直れずにいた白翼教団の元教団長までもが、晴れやかな表情でノクス教団の仲間たちと酒を交わしていた。
「アステルさん!」
フィーナが両手にお皿を山盛りにしてやってきた。
「これすっごく美味しいよ! ほら、食べて食べて!」
断る隙すら与えられず、俺の手元の皿に巨大な肉とシチューがどっさりと盛り付けられる。
「おい、多すぎるだろ。俺はそんなに食えん」
「ダメだよー! いっぱい食べて体力をつけないと、また明日から稼げないでしょ!」
そう言って、自分も豪快にローストボアの肉を頬張るフィーナ。口の周りにタレをつけて美味そうに食べるその姿に、周囲の信者たちから温かい笑い声が上がった。
(……やれやれ。まったく騒々しい連中だ)
俺は口元に浮かぶ笑みを隠すように、果実酒を一口煽った。
宴も終盤に差し掛かり、中庭の中央に組まれた巨大な焚き火がパチパチと心地よい音を立てて爆ぜていた。
見上げれば、雲一つない夜空に満天の星々が散りばめられている。
ノクスが静かにやってきて、俺の隣の丸太へ腰を下ろした。
「……今日は楽しかったね、アステル」
「ああ。まあ、たまには悪くないな」
「みんな、笑ってる」
ノクスは目を細め、中庭を見渡した。
楽しそうに酒を酌み交わす信者たち。料理を囲んで将来の夢を語り合う若者たち。肩を組んで教団の讃歌を大合唱している者たち。
最初に俺がこの教団に足を踏み入れた頃、ここは破産寸前で、明日のパンすら満足に買えない極小の弱小教団だった。
それが今や、六百人を超える大所帯となり、こうして全員が腹一杯に肉を喰らい、笑顔で大宴会を開けるまでになったのだ。
(金は裏切らない。だが……その金を使って作るこの光景も、そう悪くはないな)
守銭奴である俺の胸の奥に、じんわりと温かいものが広がる。
「……ありがとう、アステル」
ふと、ノクスが焚き火の光に照らされた横顔で、消え入りそうな小声で呟いた。
「ん? 何か言ったか?」
「アステルが……うちの教団に来てくれて、本当に良かったなって」
ストレートすぎる感謝の言葉に、俺は少し面食らい、気恥ずかしさを隠すように素っ気なく視線を星空へと向けた。
「……俺も、この教団に来られて良かったと思ってるよ。報酬もしっかり払ってくれるしな」
「ふふっ」
焚き火の赤い炎が静かに揺れる中、ノクス教団の歓声と歌声は深夜遅くまで途絶えることなく、誰もが忘れられない最高の一夜となったのだった。
翌朝。
昨日までの大宴会の熱気と余韻がまだほののかに残る中、俺は太陽が地平線から顔を出すのと同時にパチリと目を覚ました。
窓から差し込む清々しい朝日が、部屋の床を淡く照らしている。
「……うぐっ。昨日は流石に食い過ぎたな……」
軽く胃のあたりを摩りながらベッドから起き上がり、首や肩を鳴らす。
宴会は確かに最高に楽しかった。だが、だからと言って毎日の日課である鍛錬を休む理由にはならない。
この異世界で生き残り、さらなる財を成し、教団を守り抜くためには、圧倒的な強さが必要不可欠だ。一日たりとも無駄にはできない。
俺は黒い訓練着に着替えると、静かに部屋を出て教団の裏手にある広大な訓練場へと向かった。
早朝の空気はひんやりと冷たく、肌を心地よく引き締めてくれる。
周囲には誰もいない。宴会の疲れで、信者たちもフィーナもノクスも、まだ熟睡しているのだろう。鳥のさえずりと風の音だけが響く完全な静寂だ。
俺は訓練場の中央に立ち、深呼吸をして意識を集中させた。
(よし……今日も基本からだ)
身体の奥底に眠る「力」の奔流を呼び覚ます。
右腕へ《魔力》を巡らせる。青く澄んだ魔導のエネルギー。
左腕へ《神力》を巡らせる。黄金に輝く聖なるエネルギー。
そして、全身の血の巡りとともに《気力》を爆発させる。
前世での知識と、この体が得た《神拳聖魔将》の権能。
普通であれば反発し合い、自滅を引き起こすはずの異なる属性のエネルギーを、俺は互いに混ざり合わせることなく、独立した三つの循環として全身に走らせる。
「……ふぅぅぅぅ」
息を吐き出しながら、型の確認に入る。
踏み込み。一歩。
風を切り裂く拳の突き。
回転を加えた鋭い蹴り。
そこへ、右腕の魔力を解放して火属性魔法を乗せる。
「《ファイア・ブレイク》!」
ドガンッ!!
拳から放たれた圧縮炎が、前方数十メートル先に設置された頑丈な訓練用木人を一瞬で粉砕し、乾いた爆発音が早朝の空気に響き渡った。
(良し、魔力と拳の連動は完璧だ。次は……神力だな)
俺は左腕の黄金の神力を拳へと集中させる。
まだ高階級の神官が使うような高度な攻撃用聖法は使えない。だが、神力を純粋な物理衝撃へと変換し、身体能力を爆発的に跳ね上げる訓練は毎日欠かさず続けている。
魔力。神力。気力。
この三つの異なる概念の力を完全に自在に制御できるようになれば、俺の戦闘力はさらに一段上の領域へと到達するはずだ。
額から汗がポタポタと落ち、石畳を濡らす。
時間を忘れるほどに修練へと没頭していた、まさにその時だった。
ガラガラガラ……ガチャッ!!
訓練場の静寂を切り裂いて、教団の正面玄関の方角から、重々しい金属の擦れ合う音が聞こえてきた。
「……ん?」
俺は拳を止め、汗を拭いながら首を傾げた。
こんな早朝から、一体誰だ? 行商人が荷物を届けにきたのか?
違和感を覚えて建物の方へと歩み寄ると、正面玄関の大扉に、異常な光景が広がっていた。
玄関の分厚い木製扉の外側に、巨大な鉄製の錠前が二つ、ガッチリと取り付けられているのが見えたのだ。
それだけではない。大人が腕ほどもある太い鉄の鎖が幾重にも巻き付けられ、内側から絶対に開かないよう厳重に施錠されている。
「……なんだあれ? 鎖と鍵……!?」
鍵というレベルではない。あれは監禁、あるいは封鎖だ。
嫌な予感が背筋を駆け抜けた、その瞬間。
ガラガラ……ガチャッ!! ガチャッ!!
今度は教団の裏口、そして非常用の勝手口の方角からも、全く同じ重々しい金属音が連続して響き渡った。
「なっ……!?」
俺は即座に裏口へと回り込んだ。
案の定だった。裏口の扉にも、太い鎖と巨大な南京錠が巻き付けられ、完全に封鎖されていた。
(教団のすべての出入口が……外から封鎖されている……!?)
俺の脳内で、警報が鳴り響く。
宴会の余韻が残る早朝の教団。全員が泥のように眠っているこのタイミングを狙い、何者かが意図的にノクス教団の人間を建物内に閉じ込めようとしているのだ!
「おいおい……冗談だろ……」
俺は足音を殺し、壁の影に身を潜めながら、正面の広場を覗き込んだ。
そこで、俺はついに「それ」を目撃した。
朝日が差し込む教団前の広場に、無数の人影が静かに佇んでいた。
一人や二人ではない。
十人、二十人、三十人……。
全員が気配を極限まで消し、身を包むのは光を反射しない漆黒の外套。
その外套の隙間からは、洗練された鋼の単分子剣や、長大な暗殺槍、異型の投擲武器が覗いている。
無言。
誰一人として一切の私語を交わさず、微動だにしない。
ただ、冷酷な屠殺者のような死んだ瞳で、封鎖したノクス教団の建物だけをじっと見つめている。
背後に上がる朝日が影を作り出し、彼らの表情を深く隠している。
だが——漂ってくる空気だけで分かった。
こいつらは、ただの街のならず者やチンピラではない。
鍛え上げられた殺人技術を持つ、本物の『プロの暗殺者集団』だ。
(チッ……! 一体何者だ……!? 昨日の地下闘技賭博場の報復か? それとも遊技館の裏にいる組織か? あるいは……俺の持っている『金貨一万枚』を狙った強盗集団か!?)
俺の腰の剣を持つ手に、自然と力が入る。
金の匂いにつられた害虫か、それとも破産させられた組織の刺客か。
どちらにせよ、俺の稼いだ財産と、この教団の平穏を脅かす存在を許しておくわけにはいかない。
教団の中では、信者たちもノクスもフィーナも、昨日の大宴会の疲れでまだぐっすりと眠っているはずだ。
もし奴らがこのまま建物に火を放つか、一斉に突入を開始すれば、大惨事になりかねない。
最初に動いてこいつらを食い止められるのは、訓練のために早起きしていた俺一人しかいない!
(俺の金と、俺の快適な拠点を脅かす奴らは……一粒残らず叩き潰す!!)
冷徹な怒りが、俺の胸の中で静かに燃え上がった。
俺が訓練場の影からゆっくりと姿を現すと、黒い外套の男たちは、まるで俺が出てくるのを最初から知っていたかのように、一斉にその死んだ視線を俺へと向けた。
ズゾ……と摩擦音を立てて、集団の中央に立っていた一際大柄な男が一歩前へと踏み出した。
男は外套のフードを深く被り、その下から低く、地の底から響くような声で口を開いた。
「……ようやくお出ましだな。神拳聖魔将アステル」
「俺の名を知っているか。……何者だ、お前たち」
俺は剣の柄に手をかけたまま、間合いを測る。
「我らの名を気にする必要はない。我らはただの足跡……『影』に過ぎん」
大柄な男は冷酷な声で言い放つ。
「貴様が昨日、地下で稼ぎ出した『忌まわしき金』……そして、その存在そのものが、我らが主の逆鱗に触れたのだ」
「主だと……?」
俺の頭の中で、様々な仮説が高速で組み上げられていく。
昨日の闘技賭博場のバックにいた大物か。あるいは王都の裏社会を仕切る巨大な闇組織か。
「理由などどうでもいい。」
俺は冷酷に言い返した。
「俺の金に手を出そうとする奴、俺の教団の邪魔をする奴は、誰であれ容赦しない。朝っぱらから人の拠点を封鎖しておいて、タダで帰れると思うなよ?」
「フッ……威勢の良いことだ」
男は外套の中から、禍々しい紫色の光を放つ一本の短剣を抜き放った。
「だが、気付いていないのか? 我らが貴様一人を相手にするために、わざわざこれほどの戦力を投入した理由を……」
その言葉と同時に、周囲を取り囲む十人以上の暗殺者たちが、一斉に殺気を解き放った!
広場の空気が凍りつき、朝の静寂が完全なる死の空間へと変貌する。
朝日が昇りきる前の冷たい光の中、俺と謎の刺客集団との、息詰まるような睨み合いが始まった。——。




