賭博場3
『地下闘技賭博場』の巨大な重鉄門が重々しい音を立てて閉まり、俺たちは地上へと戻ってきた。
闘技場を後にした俺たちは、興奮冷めやらぬ余韻と熱気が残る街の大通りを、ゆっくりとした歩調で歩いていた。
時刻はすでに夕刻。
夕暮れの空は焼けるような赤と濃い紫のグラデーションに染まり、整然と並ぶ石畳の舗道には、俺たちの背丈の倍以上の長い影がゆらゆらと伸びている。
俺の右手、そして左手には、ずっしりとした金属の質量。
今日だけで稼ぎ出した、金貨一万枚という正真正銘の莫大な財宝が入った革袋だ。歩くたびに「ジャリ……ジャリ……」と、重厚で甘美な金属音が掌を通じて腕全体、そして脳髄へと心地よく響いてくる。守銭奴の俺にとって、これ以上の癒やしの効果音はこの世に存在しない。
「くくく……素晴らしい。この重み、この肌触り。金貨一万枚の質量というのは、まさに至高の芸術だな……」
俺が恍惚の表情で金貨袋を撫で回していると、隣を歩くフィーナが軽やかなステップを踏みながら、鼻歌を歌っていた。
「いやー! 楽しかったね、アステルさん!」
「……お前は楽しみすぎだ。途中から完全に観客と一緒にノリノリで叫んでいただろ」
「だって、あの巨大な賭博場の責任者の人が、汗びっしょりになりながら『もうご勘弁を〜!』って頭を下げてくるなんて、普通生きてて見られないよ? あはは、思い出すだけでもおかしいや!」
ケラケラと鈴を転がすように無邪気に笑うフィーナを見ていると、呆れつつもこちらまで口元が緩んでしまう。
まあ、今回の件でフィーナへの借金2000枚は一銭の狂いもなく完全返済できたし、ノクス教団の金庫には二度と資金難に悩まされないレベルの巨額の余剰資金が転がり込んだのだ。多少の騒ぎなど、この莫大な金銭的利益に比べれば誤差のようなものだ。
しかし、空を見上げれば、まだ日は完全には沈み切っていない。地平線の端には仄かな黄金色の光芒が残っている。
「さて、目的の金も手に入ったし、このままホームへ帰るか?」
俺が尋ねると、フィーナはぴたりと足を止め、クルリと振り返った。オレンジ色の短い髪が夕風に揺れ、その瞳にはいたずらっ子のようなギラリとした光が宿っている。
「えー? まだ日は沈んでないよ? せっかくだし、もう一軒行こ?」
「……おい、まさかとは思うが、また別の賭博場に乗り込んで破産させる気か? いくらなんでも裏社会の組織を連続で潰して回ったら、命がいくらあっても足りんぞ」
「ちがうよー! 今度は命懸けの勝負じゃないから安心して!」
そう言ってフィーナに袖を引かれ、連れて来られたのは、王都の目抜き通り沿いに位置する、一際壮麗な建築物——高級遊戯館『グランド・アルカナ』だった。
扉をくぐると、視界に飛び込んできたのは天井から吊り下げられた煌びやかな水晶のシャンデリア。磨き上げられた大理石の床。幾何学模様の金の装飾が施された豪奢な壁面。
館内には数え切れないほどの客が集まり、上質な酒や果実水を片手に高らかに談笑している。
しかし、館内の奥へ進むにつれて、ただの社交場とは異なる異様な熱気と歓声が押し寄せてきた。
人だかりの中心には、重厚なマホガニー製の大きな円卓がいくつも並び、その上で色鮮やかなカード群が幾術的な光を放っていた。
「ふふん、これが《アルカナ・デュエル》!」
フィーナが得意げに腰に手を当て、胸を張って説明する。
「この国……ううん、大陸全体で今一番大流行してる、最新の盤上カードゲームなんだって!」
俺は人だかりの隙間から、卓の上を覗き込んだ。
そこに並べられていたのは、精巧なイラストと魔導インクで印刷された美しいカードたちだ。
凶悪な咆哮を上げる魔物の絵が描かれたカード。
複雑な術式が刻まれた魔法陣のカード。
伝説の武器や、美しく輝く精霊のカード。
壁に貼られたルール表に目を走らせると、互いに一定のライフポイント(LP)を持ち、手札からカードを召喚したり魔法を発動させたりして相手のライフを削り合い、最終的に相手のライフをゼロにした方が勝ち、というシステムらしい。
(……ほう。これは……前世で俺が死ぬほどやり込んだトレーディングカードゲーム(TCG)や、◯ケモンカードゲームと酷似しているな)
「初心者大会、ただいま参加者最終募集中です!」
店員の威勢の良い声が館内に響き渡る。
「本日のトーナメント、優勝賞金は……なんと金貨二十枚! 参加費は無料となっております!」
その瞬間、フィーナの目がキラーンと光り、俺の服の袖を激しく引っ張った。
「アステルさん、アステルさん! やってみようよ! 金貨二十枚だよ!」
「いや待て、フィーナ。俺は今の今までこのゲームのルールすら知らなかったんだぞ? カードの一枚すら持ってないのにどうやって参加するんだ」
「大丈夫! ほら、そこに『初心者用貸し出しデッキセット』って書いてあるもん! 全部お店が用意してくれるよ!」
押し切られる形で、俺は対戦卓の椅子へと座らされることになってしまった。
対戦席に着くと、店員から木箱に入った五十枚の「貸し出し用デッキ」が手渡された。
俺はデッキを受け取り、まずはカードの一枚一枚に目を通していく。
……正直に言って、提示されたデッキの第一印象は「極めて弱い(クソデッキ)」だった。
攻撃力の高い大型モンスターカードは一枚も入っておらず、相手の場を全滅させるような派手な魔法カードもない。基本的には、小器用な小型の精霊や、地味な補助魔法ばかりが詰め込まれたシナジーの薄い構築に見えた。
だが——カードを一枚ずつ精読し、効果のテキストを脳内で噛み砕いていくうちに、俺の手がピタリと止まった。
俺の目は、特定の三枚のカードに吸い寄せられていた。
《循環の精霊》(ユニットカード)
効果:このカードが場に存在する限り、自分がカードを手札から「引く」または「手札に戻す」効果が発生した時、自分は追加の行動権(AP)を1得る。
《帰還の術式》(魔法カード)
効果:自分の場のカード1枚、または使用したこのカード自身を「手札へ戻す」。
《連撃の短剣》(装備/永続アイテム) 効果:自分の手札にカードが「戻る」たび、相手のライフポイントに1点の直接ダメージを与える。
俺は静かにその三枚のカードを卓上に並べ、じっと見つめた。
(……おいおいおい、嘘だろ?)
俺の脳内で、前世のゲーマーとしての緻密な計算回路が超高速で火花を散らした。
1. まず《循環の精霊》と《連撃の短剣》を場に出す。
2. 《帰還の術式》を発動し、自身を手札に戻す。
3. カードが手札に戻ったため、《連撃の短剣》が感知して相手に1点ダメージ。
4. 同時に「手札に戻る効果」が発生したため、《循環の精霊》が反応して行動権(AP)が1増える。
5. 増えた行動権(AP)を使って、手札に戻った《帰還の術式》を再び発動する。
6. 最初に戻る——。
「……循環、回収、誘発、再発動……」
思考を巡らせるごとに、俺の背筋に冷たい電流が走った。
このカードの組み合わせは、一度パーツが揃ってしまえばコストの概念を完全に踏み倒し、プレイヤーのターンを永遠に終わらせることなく、相手のライフが尽きるまで1点ダメージを無限に叩き込み続けることができる。
「どうしたの、アステルさん? 難しい顔して」
不安そうに覗き込んでくるフィーナに対し、俺は極めて低い小声で呟いた。
「フィーナ……このゲーム、まだルールやカード間の相互作用が全く研究され切っていないぞ」
「え?」
「この三枚のカード……組み合わせると、ゲームの根本的な崩壊を引き起こすレベルのおかしな現象が発生する」
「おかしな現象?」
「ああ。条件さえ揃えば、相手に一度もターンを渡すことなく、一方的に勝利を確定させられる」
前世のTCG界隈であれば、発売から数日で発見され、次の改定で即座に「禁止カード(禁札)」に指定されるような悪名高き無限ループ——いわゆる『永久連鎖』だ。
しかし、ここは異世界。カードゲームという文化が生まれたばかりの未開の地。
開発者すらも、この地味な貸し出しデッキの中に隠された悪魔のような永久連鎖に気付いていないのだ。
(くくく……ふははは! 勝利報酬は金貨二十枚! 借り物(無料)のデッキで永久連鎖を叩き込み、無傷で賞金を掠め取る……これぞ守銭奴の真骨頂!!)
俺の心の中で、邪悪な守銭奴の笑いが爆発した。
「それでは皆様お待たせいたしました! 《アルカナ・デュエル》トーナメント一回戦、始めます!」
店員のコールとともに、対戦相手が勢いよく向かい側の席へとついた。
現れたのは、十五、六歳ほどの青年だった。
漆黒のなびくロングマントを羽織り、右目には重々しい黒い眼帯。細い指先には銀色の指輪がジャラジャラといくつも嵌められている。
「フハハハハハ!」
青年は卓をバンッ! と叩き、館内に響き渡る高笑いを上げた。
「ついに……ついに我が封印されし深淵の力、《終焉黒竜デッキ》をこの地上に解放する時が来たか……!!」
周囲の観客たちが、呆れたような苦笑いを浮かべる。
「またあの痛い子だ……」
「毎回あの中二病全開の名乗りから始まるんだよな、あの少年」
観客のヒソヒソ話をまったく意に介さず、青年は立ち上がり、マントをバサァッと翻して両腕を天井へ広げた。
「聞け、愚かなる平民どもよ! 我が名はルシフェル・ダークネス・ヴァン・ノワール! 闇の深淵より生れし暗黒の支配者なり!」
「……長いな。」
思わず素の本音が口から漏れてしまった。
「な、貴様ぁ! 今、我が崇高なる真名に対して何か言ったか!?」
「いや、別になんでもない。早く始めてくれ」
「くっ……まあいい! 我が深淵の暗黒波動を前にすれば、貴様のごとき無名の凡夫など、一瞬で虚無の闇へ飲み込まれる運命なのだからな!」
「そうか。」
「……チッ、その不気味なほどの余裕、いつまで保っていられるかな!?」
「デュエル、開始!!」
試合が始まった。
先攻を取ったルシフェルは、派手なパフォーマンスとともに手札からカードを卓へ叩きつけた。
「現れよ! 我が魂の半身! 暗黒の虚無より出でよ——《黒炎竜アビスドラグ》!!」
卓上に埋め込まれた魔導具が反応し、ブワッと黒い炎の演出とともに、身の丈を超える巨大な黒竜の光学幻影が卓上へと浮かび上がった。
「「「おおおおーっ!!」」」
観客席から大歓声が上がる。
確かに演出は格好いい。幻影の竜が咆哮を上げるたびに、卓上の空気が震えるような迫力がある。
だが——俺のゲーマーとしての冷徹な目が、カードのテキストを見逃さなかった。
(……ふむ。召喚コストにカードを三枚も消費している割に、効果は『1ターンに一度、相手に2点ダメージを与える』だけか。演出は派手だが、カード一枚あたりの効率としては極めて劣悪だな)
「フハハハ! 我が漆黒の竜の咆哮を受け、絶望に身を捩るが良い! 闇の炎!」
黒竜の幻影が吐き出したブレスが俺を包み込み、俺のライフポイント表示が「20」から「18」へと減少した。
ルシフェルは満足そうに腕を組み、不敵な笑みを浮かべる。
「どうだ? 我が最強の竜の威容に、恐怖で膝が震えているのではないか?」
「いや、まったく。」
俺は至って平然とした手つきで、山札からカードを一枚引き、静かに卓上へ置いた。
「俺のターン。まず、ユニットカード《循環の精霊》を召喚。」
卓上に、手のひらサイズの小さな光の精霊の幻影がぽつんと現れた。
「ハハハハ! なんだその惨めな雑魚カードは! 我が最強の黒炎竜の足元にも及ばぬゴミクズではないか!」
ルシフェルの嘲笑を完全に無視し、俺は二枚目のカードを場に配置する。
「永続アイテム《連撃の短剣》を発動。続いて、手札から魔法カード《帰還の術式》を発動。対象は《帰還の術式》自身。これを発動し、手札へ戻す。」
俺は発動したカードを、そのまま自分の手札へと回収した。
「ぬ? カードを発動して……そのまま自分の手札に戻しただと? 何の意味があるのだそんな無意味な行動に——」
「カードが手札に戻ったため、《連撃の短剣》の効果が誘発。相手プレイヤーに1点の直接ダメージ。」
カツン、と小さな効果音が鳴り、ルシフェルのライフが「20」から「19」へと減った。
「ぬぐっ!? 1点だと……!? ふん、蚊に刺されたような痛痒だな! 我がライフはまだ19もあるのだぞ!」
「さらに、カードが手札に戻ったことにより、《循環の精霊》の効果が誘発。俺は追加の行動権(AP)を1得る。」
俺は静かに、手札に戻ってきた《帰還の術式》を指で摘まみ上げた。
「追加の行動権を使い、手札に戻った魔法カード《帰還の術式》を再び発動。対象は自身。手札へ戻す。」
「なっ……!?」
「手札に戻ったため、《連撃の短剣》により1点ダメージ。さらに《循環の精霊》により追加の行動権を獲得。」
カツン。ルシフェルのライフ「18」。
「ちょ、ちょっと待て! 貴様、なぜ同じカードを何度も——」
「追加行動権を使い、《帰還の術式》を発動。手札へ戻す。1点ダメージ、追加行動権獲得。」
カツン。ライフ「17」。
「待て! ストップだ!」
「《帰還の術式》を発動。手札へ戻す。1点ダメージ、追加行動権獲得。」
カツン。ライフ「16」。
五回目。六回目。七回目——。
ルシフェルの額から、タラリと冷や汗が吹き出し始めた。卓上の黒炎竜の幻影が、どこか手持ち無沙汰そうに首を傾げている。
「あ、あの……貴様……いつまでカードをこねくり回しているのだ……? ま、まだ貴様のターンが終わっていないというのか……!?」
「当たり前だ。俺のターンはまだ始まって間もない。」
「ひえっ……!?」
観客席の空気が、嘲笑から困惑、そして凄まじい衝撃へと変わっていく。
「おい……なんだあれ……!?」
「あの男、同じカードを一秒間に何回も出しては引っ込めてるぞ!?」
「ルシフェルが何も出来ずに、ライフだけがガリガリ削られていくんだが!?」
俺は感情を殺し、機械のような正確さで作業を繰り返した。
発動、手札回収、1点ダメージ、行動権獲得。
発動、手札回収、1点ダメージ、行動権獲得。
「あ、悪魔だ……! 貴様、悪魔の所業だぞ!! 我が《黒炎竜アビスドラグ》になにかさせろ! 反撃の機会を与えろぉぉぉ!!」
「断る。カードゲームにおいて、相手に反撃の機会を与えるのは愚者のすることだ。」
二十回目。
カツン。
ルシフェルのライフ表示が「00」へと変わった。
静寂。
数秒の完全な沈黙の後、審判の店員が半ば引きつった顔で叫んだ。
「勝者……アステル選手!! 」
「「「う、うおぉぉぉぉぉぁぁぁ!!???」」」
会場が爆発的な歓声と悲鳴に包まれた!
「なんだ今のゲームはぁぁぁ!?」
「一回も相手にターンが渡らなかったぞ!?」
ルシフェルは膝から崩れ落ち、がっくりと床に両手をついて天を仰いだ。
「我が……我が誇り高き終焉黒竜が……一度も攻撃することなく……消滅したというのか……」
ルシフェルは震える指先を、悪魔を見るような目で見上げてきた俺へと向けた。
「き、貴様……伝説の闇の禁忌……『永久連鎖術師』の生き残りか……!?」
「違う。俺はただの、今日このゲームを始めたばかりの初心者だ。」
そう言いながらカードを丁寧に片付ける俺の姿に、会場全体が大爆笑と大きな拍手に包まれたのだった。
第一試合での「一方的な永久連鎖」という強烈すぎるパフォーマンスにより、俺が座る卓の周囲には、いつの間にか二重三重の人だかりが出来上がっていた。
観客たちは酒杯を手に持ち、興味津々の眼差しで俺の手元を凝視している。
「次の挑戦者の方、おつきください!」
店員の呼び出しに応じ、人だかりを割って一人の老人がゆっくりと歩み出てきた。
真っ白な髪は肩まで長く伸び、背中は丸まっている。一見するとどこにでもいる穏やかな近所の好々爺だ。しかし、その足取りには一切の揺らぎがなく、長年この遊技館で数千、数万の勝負を潜り抜けてきた者だけが纏う、不思議な静寂の雰囲気を漂わせていた。
「よろしくお願いします。」
俺が丁寧に頭を下げると、老人は目尻に深くシワを寄せ、優しそうな笑みを浮かべた。
「おお、若いのお。よろしく頼むぞい……。」
ここまでは、ごく普通の心温まる光景だった。
しかし、老人が席に着き、カードを手に取った直後だった。
「……ところで、お主は誰じゃ?」
「え?」
俺は思わず聞き返してしまった。
「いや、あの……さっき挨拶させていただいた、対戦相手のアステルですが。」
「ほうほう、そうじゃったか。よろしく頼むぞい。」
老人は納得したように大きく頷き、手札を愛おしそうに並べ始めた。
「……第二試合、開始!!」
試合が始まった。
老人は一切の迷いなく、一枚目のカードを静かに場へ置いた。
「ほれ。」
出されたのは、攻撃力は皆無だが、非常に高い耐久値を持つ鉄壁の守護術式カードだった。
派手さはないが、相手の攻撃を完璧に受け止める、極めて質実剛健で堅実な立ち上がりだ。
(ほう……あの中二病の少年とは打って変わって、無駄のない洗練されたプレイングだな)
俺も貸し出しデッキからカードを展開し、永久連鎖のパーツを集めるべく盤面を整えていく。
「……ふむふむ。」
老人は俺の場をじっと見つめ、感心したように何度も頷いた。
「強いのう。若いのに、スキのない見事な盤面じゃ。」
「ありがとうございます。」
「ところでのお、若いのお……お主は誰じゃ?」
「さっきも聞きましたよ!!」
ズコーッ!! と観客席全体がずっこけ、一斉に大爆笑が巻き起こった。
「始まったぞ!」
「じいさんのいつもの病気だ!」
「毎回初対面からスタートするんだよ、あのじいさん!」
老人は「カッカッカ」と申し訳なさそうに頭を掻いた。
「すまんのう。年を取ると、どうにも物忘れが激しくなってのう……。」
しかし——驚くべきことに、会話の途切れ途切れな様子とは裏腹に、カードを置く老人の手元には一切の迷いも狂いも存在しなかった。
一枚。二枚。三枚。
老人は俺の永久連鎖の始動を予知していたかのように、手札を捨てる効果を持つカードや、カードの再利用を一時的に封じる妨害術式を、絶妙なタイミングでピンポイントに叩き込んできた。
(くっ……! 強い……!!)
俺の額に一筋の汗が伝う。
物忘れは激しい。こちらの名前すら三秒で忘れる。
だが、カード勝負の局面における直感と技術は、完全に身体に刻み込まれている『達人』のそれだった。
「若い頃から、何千回、何万回とこの盤に向かい合ってきたからのう……。」
老人は穏やかな目のまま、静かにカードを配置していく。
「頭は忘れてしまっても、この指先と手が勝負の勝ち方を覚えておるのじゃよ。」
その言葉には、長年の鍛錬に裏打ちされた本物の重みがあった。
しかし——俺には、負けられない理由がある。
優勝賞金、金貨二十枚。これを逃すわけにはいかないのだ!
「……ですが、ここです!」
俺は老人の隙を突き、手札から温存していた代用パーツを並べた。
【共鳴】——【回収】——【追加行動】!
俺の卓上が、再び淡く怪しい光を放ち始める。
「ほぉ……。」
老人の細い目が、感嘆に細められた。
「見たこともない、珍しいカードの組み合わせじゃのう……」
「俺の勝ちです、おじいさん!」
発動、手札回収、1点ダメージ、追加行動。
発動、手札回収、1点ダメージ、追加行動。
老人の張り巡らせた完璧な鉄壁の防陣の隙間を縫うように、永久連鎖の1点ダメージが濁流となって老人のライフを削り取っていく。
カツン、カツン、カツン、カツン——。
老人の守勢が少しずつ、しかし確実に崩壊していく。そして最後の一撃が決まった瞬間、審判の声が響き渡った。
「勝者、アステル選手!!」
老人は悔しがる様子すら見せず、「楽しかったのう」と満足そうに笑って静かにカードを片付けた。
「良い勝負じゃった。また今度、勝負しておくれ。」
「もちろんです。勉強になりました。」
俺が差し出した手を、老人は温かい手で強く握り返してくれた。
そして、数歩歩き出した直後——くるりと振り返り、不思議そうな顔で俺を見た。
「ところでのお……お主は誰じゃ?」
「「「ギャハハハハハ!!!」」」
会場全体が、この日一番の温かい爆笑に包まれたのだった。
「第三試合に出場する選手、卓にお着きください!」
大会もいよいよ佳境。予選を勝ち抜いた俺の前に現れたのは、二十代前半に見える一人の青年だった。
仕立ての良い漆黒の礼服を完璧に着こなし、長い前髪を細い指でスッと押し上げながら、洗練された動作で椅子へと腰を下ろす。
その瞬間、観客席の雰囲気がガラリと変わった。これまでの賑やかな歓声ではなく、どこか緊張感を孕んだどよめきが広がっていく。
「来たぞ……本物が来た……。」
「この遊技館の絶対王者、レオンハルトだ……!」
「通算百九十八連勝中……プロのカードゲーマーすら返り討ちにしてきた怪物だぞ」
レオンハルトは、氷のように冷たい青い瞳で、俺を真っ直ぐに見据えてきた。その眼光には、圧倒的な格上の余裕と矜持が宿っていた。
「新人。」
低く、透き通った声が卓上に響く。
「運と、奇妙なルールの盲点を突いたハメ技だけでここまで勝ち上がってきたようだな。」
「ハメ技ではなく、カードの正当な効果の組み合わせ(コンボ)だ。」
「同じことだ。」
レオンハルトは優雅に手札を切りながら、薄く冷酷な笑みを浮かべた。
「俺はこの『グランド・アルカナ』において、通算百九十八連勝。勝率は九十八・七%。貴様のような浅薄な知識しか持たない初心者が立ち入って良い領域ではない。悪いが……ここで終わりだ。」
静かな口調。だが、そこには一切の揺らぎがない「絶対的な自信」が存在していた。
俺は自分の貸し出しデッキにそっと手を置き、静かに口角を吊り上げた。
「連勝記録っていうのはな……いつか誰かに破られるために存在しているんだよ。」
レオンハルトの眉が微かに動いた。
「……面白い。ならば、その言葉が虚勢ではないことを、盤上で証明してみせろ。」
審判の手が高々と掲げられる。
「トーナメント決勝戦——開始!!」




