賭博場1
神拳聖魔将へと前代未聞の四重融合進化を果たした、まさに翌日のことだった。
俺はノクス教団ホームの中庭で、朝の爽やかな日差しを浴びながら、一人静かに頭を抱えて考え込んでいた。
目の前にある木製の丸テーブルの上には、先日フィーナと共に手に入れた『狂戦士の心核』と『導天の羽』の代金、そしてそれに伴う工房の加工費や鍛冶屋への特注加工費……それらの最終的な会計と、フィーナから一時的に立て替えてもらった(実質的に借りた)金の計算シートが置かれていた。
もちろん、フィーナから借りた金貨2000枚という巨額の負債は、守銭奴としての俺のプライドにかけても、いつか絶対に、一銭の狂いもなく全額完済するつもりだった。
だが、問題は――。
「いつ、どうやって返すか……だよな……。」
俺は頭を抱え、深いため息を吐き出した。
現在のノクス教団は、俺が加入した当初の極貧状態とは比べものにならないほど成長した。
信者や教団員は増え、戦闘部隊も各所で活発に稼働している。
高難度依頼の成功報酬。
討伐した魔物素材の売却益。
さらには、俺たちの活躍を聞きつけた富裕層からの寄付金。
以前なら胃が痛くなるような金額が、毎月定期的に教団の金庫へと転がり込んでくるようになった。
しかし、だ。それでも金貨2000枚という金額は、ポンと簡単に準備できるものではない。
団員たちの装備の更新費。
拡大し続ける教団ホーム施設の維持費および拡張工事費。
新たに加わった身寄りのない幼い信者たちへの生活支援費や食費。
教団を安定して運営していくための準備金――。
入ってくる金も大きくなったが、出ていく金も比例して膨れ上がっている。いくら金があっても、守銭奴の俺からすれば「まだまだ足りない」のだ。
そんな財政状況の中で、フィーナは俺を助けてくれた。
共鳴工房へ行くために必要だったあの狂ったような大金を、嫌な顔一つせず、迷うことなく貸してくれたのだ。
あの時のフィーナの無邪気な笑顔が脳裏に蘇る。
『一つだけね!』
そう言って、嬉しそうに笑っていたフィーナ。
仲間が困っているから助ける。そこに損得勘定など一切挟まない、眩しいほどの善意。
「……金銭の貸し借りは、人間関係を破滅させる第一歩だ。仲間だからこそ、一刻も早くきっちり清算して、利息分(気持ち)も含めて返さないとな……!」
俺はシートを固く握り締め、勢いよく立ち上がった。
そして、ホーム内を歩いてフィーナを探す。
しばらく廊下を進み、中庭の訓練場へと足を運ぶと、そこには一人で弓の引き絞り運動を繰り返しているフィーナの姿があった。
帽子についた『導天の羽』が、朝日を受けて美しい翡翠色の光を散らしている。
「フィーナ。」
「ん?」
フィーナはピタッと動きを止め、振り返った。
オレンジ色の短い髪がふわっと揺れ、いつものように太陽のような明るい笑顔を向けてくる。
「どうしたの、アステルさん? 朝から難しい顔して。」
「前に借りた、金貨2000枚のことなんだが。」
「あー……。」
フィーナは「なんだ、そんなことか」と言いたげに首を傾げた。
「まだ気にしてたの?」
「当然だろ! 金貨2000枚だぞ!? 家が何棟建つと思ってるんだ! 夜も7時間しか眠れないレベルで気になってる!」
「ふふっ、十分に眠れてるじゃない。別に急がなくてもいいのに。私、今すぐお金が必要なわけじゃないし。」
「そういうわけにはいかないんだ。金の貸し借りを曖昧にするのは、守銭奴の矜持が許さない。俺の精神衛生上、非常に良くないんだよ。」
俺が至極真剣な表情で説き伏せると、フィーナは少し驚いたように目を丸くした。
そして――。
あっと何かを思いついたような顔をすると、突然、悪戯っ子のニャンコのように口元をニヤリと吊り上げた。
「……ふ~ん。じゃあさ。」
フィーナは弓を背中に担ぎ直し、一歩こちらへ踏み込んでくる。
「返してくれるなら、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだけど。」
……嫌な予感がした。
フィーナがこういう顔をするときは、大体ろくでもないことか、予想の斜め上をいく提案を思いついた時だ。
「手伝えること……? 内容によるぞ。労働で相殺するにしても、俺の時給換算はかなり高いからな。法外な労働条件なら拒否する。」
「本当? 何でも手伝ってくれる?」
「話を聞け。何でもとは言っていない。だが、合法的に借金が減るなら前向きに検討する。」
フィーナの笑顔がさらに大きくなり、目がキラキラと輝き出した。
「じゃあ決まり!」
「……おい、嫌な予感が加速度的に増してるんだが、具体的に何をするんだ?」
「秘密っ! さ、行こ!」
そう言って、フィーナは俺の腕を強引に掴み、凄まじい力でグイグイと引きずり始めた。
通されたのは、アクセルの街の中心部からかなり離れた、怪しげな区画だった。
普段、一般的な冒険者や一般市民が近寄らない裏通りを進んでいく。
路地を進むにつれて、周囲を歩く人間の雰囲気がガラリと変わっていった。
高級な絹の服を纏い、ボディガードを従えた見るからに胡散臭い貴族。
ジャラジャラと大量の金貨が入った重そうな革袋をいくつも腰に下げた、目つきの鋭い大商人。
そして、全身に血臭と殺気を纏った、巨大な体を持つならず者風の戦士たち。
「……おい、フィーナ。ここは一体何の場所だ? 闇市か? それとも裏のオークション会場か?」
俺が警戒して身構えると、フィーナは振り返ってニシシと笑った。
「賭博場だよ!」
「……。」
一瞬、思考がフリーズした。
「……賭博場?」
「うん! そう、賭博場! この街で一番大きくて、一番動くお金が大きい裏の最高級賭博場だよ!」
フィーナは遠足に来た子供のように楽しそうに頷く。
目の前には、地下へと続く巨大な石造りの館がそびえ立っていた。
表通りの店とは明らかに違う異様な威圧感。入口には豪華絢爛な金の装飾が施され、門の前には身の丈二メートルを超える屈強な警備員が四人も仁王立ちしている。
そして、重厚な鉄の扉の上には、禍々しくも輝かしい文字で看板が刻まれていた。
『地下闘技賭博場』
重い扉を押し開けて中へ入ると、ムッとするような熱気と、酒と汗と、そして狂おしいほどの「欲望の匂い」が一気に押し寄せてきた。
「次の第5試合、誰に賭ける!?」
「決まってんだろ! 8連勝中の《赤鬼のグラド》だ! 金貨100枚ぶち込め!」
「いや待て! 今回の挑戦者は王都から流れてきた超大物らしいぞ! 倍率はどっちだ!?」
至るところで怒号と歓声、そして悲鳴が飛び交っている。
中央には、強固な魔導結界で囲まれた巨大な円形の石造り舞台。
その周囲をぐるりと取り囲むように、階段状の巨大な観客席が広がっていた。
そして壁際手前には、大量の金貨を機械的に処理する受付カウンターがズラリと並んでいる。
「ここは……ただのバクチ打ちの店じゃないな。」
俺は中央の舞台を見下ろした。
そこでは今まさに、二人の戦士が血みどろの死闘を繰り広げていた。
一人は身の丈を超える巨大なバトルアックスを持った巨漢。もう一人は身軽な動きで隙を狙う細身の刺客。
だが、どちらもギルドで見かけるような普通の冒険者とは根本的に違う。
生々しい殺気がある。相手を「殺す」か「無力化する」か、本気の生命の奪い合いをしているのだ。
「ここではね。」
フィーナが俺の隣に並び、解説を始める。
「裏社会から集められた選りすぐりの戦士や、ワケありの猛者たちが戦うの。観客はその勝敗にお金を賭けるってわけ。」
「勝敗に金を賭ける……闘技場賭博か。」
「そう。でも、ただのお遊びの試合じゃないよ。」
その瞬間――。
舞台の上でゴォォォォンと重厚な鐘の音が響き渡り、観客たちが一斉に総立ちになって狂喜の悲鳴を上げた。
大男の振るったバトルアックスが石畳を砕き、刺客の胸甲を吹き飛ばす! 鮮血が舞い、観客席から金貨が雨のように投げ込まれる。
「この闘技場ではね、正真正銘の本気の戦いが行われるの。もちろん、運が悪ければ死ぬ危険だってある。」
フィーナの声が、少しだけ低く真面目なトーンに変わる。
「だからこそ、動く賭け金も尋常じゃないの。一晩で家が建つ人もいれば、全財産をスって奴隷に落ちる人もいる……そういう場所。」
なるほど。
ただの娯楽ではない。命と全財産を秤にかけた、欲望の煮凝りのような場所だ。
富裕層や貴族はスリルと娯楽を求めて金を投げ捨て、一獲千金を狙う者は命を賭ける。
すると、フィーナが上目遣いで俺の顔をじっと見つめてきた。
「実はね、アステルさん。私、ここでドカンと稼ごうと思って連れてきたの。」
「……え?」
俺は目を丸くした。
「フィーナが……賭け事をするのか?」
「うん!」
彼女は帽子に飾られた、あの翡翠色の『導天の羽』へ愛おしそうに指先で触れた。
「私には、固有スキル《超運》があるでしょ? 普通ならあり得ないような幸運を引き寄せる力。それに、この共鳴マジックアイテム《導天の羽》と帽子が組み合わさったことで……私の『運命を引き寄せる力』は、以前の何倍にも跳ね上がってるの。」
フィーナはニヤリと、守銭奴の俺すら慄くような極上の悪徳スマイルを浮かべた。
「これを使って大穴を当て続けたら……かなり凄まじい金額になると思わない?」
「っ……!!」
守銭奴の俺の脳内で、瞬時に計算機が音を立てて爆速回転を始めた!
確かに……! 以前、黄金ブックの群れを引き寄せて金貨3000枚相当を一瞬で叩き出したのも、フィーナの異常な《超運》のおかげだ。
彼女の能力は単なる戦闘用ではない。『確率の神に愛され、勝ちを引き寄せる力』なのだ!
それをこの、無制限に金が動く裏賭博場で解放したらどうなる……!?
「つ、つまり……賭け金でドカンと稼いで、俺の借金を一瞬で相殺しようってワケか!?」
「そう! これなら一発で金貨2000枚どころか、もっと稼げるでしょ?」
フィーナは元気よく答える。
「もちろん、ここに来るような勝負師や主催者もバカじゃないよ。変な仕込みをしてる奴もいるし、裏で八百長を仕組む奴もいる。でも……私たちの運と力なら、全部力ずくで突破できると思うの!」
その瞳には、絶対的な自信が宿っていた。
俺は腕を組み、真剣に思考を巡らせた。
本来なら、フィーナに借りを返すために地道に依頼をこなすはずだった。
だが、この裏賭博場という場所には、それ以上の莫大な金銭的メリットが存在する。
超高額の配当金。
さらには、ここへ集まる裏社会の猛者たちとの戦闘経験。
何より――昨日《神拳聖魔将》へと進化したばかりの俺の身体は、どれほどの戦闘力を秘めているのか、試してみたくてウズウズしていたのだ。
「……乗った。フィーナ、お前の作戦で行こう!」
俺が返答すると、フィーナは「やったぁ!」と嬉しそうに飛び跳ねた。
「本当!? じゃあ……」
フィーナは素早く受付カウンターへと歩を進める。
「受付で、エントリーの手続きしてくるね!」
「……ん? エントリー……? 手続き……?」
俺は思考が一瞬フリーズし、急いでフィーナの背中を追いかけた。
「おい待てフィーナ!! エントリーってなんだ!? 賭け枠の投票じゃないのか!?」
フィーナは振り返り、最高に無邪気で、最高に悪魔的な笑顔を弾けさせた。
「だって、アステルさん! 人の試合に賭けるより……アステルさんが自分で舞台に上がって戦った方が、圧倒的に勝率100%だし、倍率も爆上がりして稼げるでしょ!?」
「な……ッ!??!?!」
嫌な予感が完璧に命中した!!
「俺が出場するのかよ!!??」
「そうだよ! 『アステルさんが勝つ』に、私の全財産と借りたお金を全額ブチ込むの! アステルさん、私に負け分を背負わせる気? 絶対勝ってね!」
「お前なぁぁぁぁぁ!! 理由がそこら辺の悪党より悪質だぞ!!」
だが、俺の悲鳴も虚しく、フィーナは受付の係員へ手慣れた手つきで書類を提出してしまった。
しかし……驚愕しつつも、俺の胸の奥で熱い血が騒ぎ始めていたのも事実だった。
神拳聖魔将になってから、まだ一度も本気の全力を出していない。
この裏の死線で、俺の新しい力がどれほど稼ぎ出せるのか――。
「フ……フハハハ! 良いだろう! フィーナ、俺に全額賭けろ! 一銭も残さず、倍率の限界まで叩き込め! 俺が負けるわけがない!!」
俺の血が完全に覚醒した。借金返済どころか、この地下賭博場の金庫を空にしてやる!!
受付を済ませ、出番を待つ待機部屋へと向かいながら、俺は改めて周囲の雰囲気を観察した。
ここは冒険者ギルドの明るい雰囲気とは正反対だ。
ギルドには仲間を探す者、手堅い依頼で生活費を稼ぐ者が集う。
だが、この地下賭博場に集まる人間たちの目的はただ一つ。
極限の『金』。そして『圧倒的暴力』。
観客席では、肥え太った貴族が万金に相当する酒を煽りながら狂ったように下品な笑声を上げ、大商人たちは札束と金貨の袋を何個もテーブルに積んで盤面を鋭く睨みつけている。
その一方で、出番を待つ控室の戦士たちの表情は鬼気迫るものがあった。
誰一人として遊びで刃を握っていない。
負ければ金も、積み上げた名声も、そして時には命そのものすら失う。
「……壮絶な場所だな。」
俺がポツリと呟くと、受付から戻ってきたフィーナが隣で頷いた。
「うん。でもね、ここはただの違法賭博じゃないんだよ。裏社会では『力こそが絶対の正義』だから、ここで勝ち続けた戦士は、王都の裏の権力者や大富豪からパトロンになってもらえたり、一気に名声が跳ね上がるの。」
「なるほどな。実力を最もわかりやすいカタチ――『金と勝利』で証明できる場所というわけか。」
「そういうこと! ちなみにね……。」
フィーナが声を潜め、真面目な顔で尋ねてきた。
「死んじゃった場合はどうなると思う?」
「……結界で保護されているんじゃないのか?」
「基本的には、命が危険になると強力な自動防護結界が動いて攻撃を遮断するわ。でもね……『無制限デスマッチ』を申請した試合や、結界の耐久値を一撃で突き破るような過剰火力の場合……普通に死ぬよ。」
「なるほど。文字通りの命懸けか。」
俺は口角を吊り上げた。命懸けであればあるほど、観客は狂喜し、賭け金の倍率は跳ね上がる。守銭奴にとっては最高の舞台だ。
その時、会場の中央からゴーッと耳を裂くような大歓声が響き渡った。
「勝者! 《死神の使徒ルーク》!!」
司会者の絶叫とともに、舞台の上で血を流して倒れる巨漢と、勝ち誇る剣士の姿が見えた。
「配当金の支払いが開始されます! 続いて、本日のメインイベント――第8試合の出場者を募集!!」
司会者の声が場内に響き渡る。
「参加条件は、冒険者ランクB以上、またはそれに準ずる猛者! 試合形式は無制限バトル! 勝利基本報酬――金貨300枚!!」
「金貨300枚……!」
ただ勝つだけで、一試合で金貨300枚。そこに賭け金の配当が上乗せされるのだ。
フィーナがニヤリと俺を見つめる。
「ね? 美味しいでしょ?」
「ああ、ヨダレが出そうだ。行くぞ、フィーナ!」
「うん!」
フィーナは受付のカウンターへと歩み寄ると、腰に下げていたずっしりと重い革袋を、ドカンッ!! と豪快にカウンターへ叩きつけた。
「エントリー名『アステル』に、持ち金全額――金貨500枚、全額ストレート勝ちにベットで!!」
「……ハ?」
受付の男が固まった。提出された金貨袋の重みと、そこに詰まった本物の金の輝きを確認し、顔を引きつらせる。
「え、えぇぇ!? お、お客様、正気ですか!? この試合、相手はあの男ですよ!? 飛び入りの無名冒険者に金貨500枚全額!? 負けたら一瞬で無一文ですよ!?」
「いいのいいの! どうせ勝つから!」
フィーナは当然のように言い放つ。
「ちょ、ちょっと待ってください! まだオッズ(倍率)も確定していませんし、相手のスペックも出していません!」
「関係ないよ。アステルが負ける未来なんて、私の《超運》と『導天の羽』が見せてくれないもん!」
その堂々とした宣言に、周囲のギャンブラーたちが一斉にざわめき立った。
「おい……あの小娘、正気か!?」
「無名の新人に金貨500枚だとう!?」
「狂ってる……! 破滅するぞ!」
視線が一斉に、フィーナの隣に立つ俺へと突き刺さる。
(ふ……いいぞ。もっと煽れ、もっと俺を無名だと見下せ! オッズが跳ね上がれば跳ねあがるほど、俺たちの儲けは跳ね上がる!!)
俺は心の中でゲスい笑みを浮かべながら、あえて腕を組み、不敵な笑みを浮かべて見せた。
受付の魔導計算盤がガガガッと激しい音を立てて光り、賭け金が確定される。
その瞬間――会場全体のオッズモニターの数値が、狂ったように変動した!!
『アステルの倍率:15.5倍(大穴)』
「15.5倍……ッ!!」
俺の脳内で計算が弾けた。
金貨500枚×15.5倍=金貨7750枚!!
それに勝利報酬の金貨300枚が上乗せされる!!
(がはっ……! き、金貨8000枚オーバー!!? 一試合で教団の金庫が爆発するレベルの大金が手に入る!!??
俺の血が沸き立ち、全身の細胞が歓喜で震えた! 負けられない、絶対に負けられない!! 15.5倍の金を、絶対に回収する!!
バババババンッ!! と場内の魔導照明が一斉に中央の舞台へと集中した。
司会者が狂ったような大声でマイク(魔導具)に向かって叫ぶ!
「お待たせいたしましたぁぁぁ!! 本日のメインイベントッ!! 挑戦者は、飛び入り参加の命知らずな無名冒険者――アステルぅぅぅぅ!!」
「「「オオオオオオオッ!!!」」」
数万人を超える観客の怒号と歓声が、地下闘技場全体をグラグラと揺らす。
巨大な魔導スクリーンには、俺の偽名と「倍率15.5倍」の文字がデカデカと映し出されていた。
俺は静かに、観客席からの圧倒的な圧力を全身で受け止めながら、石造りの舞台中央へと歩み出た。
そして、対戦相手のゲートがゴゴゴゴ……と音を立てて持ち上がる。
現れたのは――まさに『歩く要塞』だった。
全身を漆黒の超重量魔導鋼鉄鎧で隙間なく覆った巨漢。
身長は二メートル半を超え、踏み出す一歩ごとに石畳がメリメリと音を立てて亀裂を生む。背中には、大人がすっぽり隠れるほどの巨大な両刃の戦斧を軽々と担いでいた。
「現れたのは、当闘技場にて現在無敗の7連勝中!! 《鉄斧のゾルト》だぁぁぁぁぁ!!」
「ゾルト! ゾルト! ゾルト!」
観客席から地鳴りのようなゾルトコールが巻き起こる。
観客の9割以上が、実績のあるガルムに金を賭けているのだ。俺に賭けているのは、実質的にフィーナと、一攫千金を狙った数人の狂人だけ。
ゾルトは巨体を揺らしながら俺の前で立ち止まり、背中の巨大戦斧をドゴォン!! と床に突き立てた。
「おい、小僧。」
鎧の隙間から、地響きのような低い声が漏れ出る。
「悪いことは言わねぇ。命が惜しけりゃ、今すぐ降参して消えな。俺のこの斧は加減って奴が効かねぇんだ。か細い骨ごと、お前をひき肉にしちまうぞ。」
俺は静かに、新しく組み上げた胸当ての胸の中心――『狂戦士の心核』へ意識を集中させ、腰の剣をゆっくりと抜いた。
「アドバイスは感謝する。……だが、俺には絶対に負けられない理由があるんだ。」
「あぁ? なんだと?」
「金貨8000枚だ。お前を倒せば、俺の懐に金貨8000枚が入る。それを邪魔する奴は……たとえ神だろうと叩き潰す。」
ゾルトは一瞬呆気にとられた後、甲冑を揺らしてゲラゲラと狂笑した。
「ハハハハハ! 金のために俺の前に立ったか! 面白ぇ! 覚悟は出来てんだろうな!?」
ゴォォォォォォン……ッ!!!!
開始を告げる巨大な鐘の音が、地下闘技場に鳴り響いた!
「試合開始ぃぃぃぃぃッ!!」
その瞬間――ッ!!
ドゴォォォォンッ!!
ゾルトの巨体が、爆発的な脚力で地面の石畳を粉砕しながら突進してきた!
二メートルを超える巨体からは到底考えられない神速。重戦車が音速で突っ込んでくるような圧迫感!
観客席から悲鳴と悲鳴が上がる!
「速ぇぇぇ! ゾルトの『突進破砕』だ!」
「終わった! 新人、一瞬で潰されるぞ!」
頭上から、空気を切り裂くブォォォンッという絶望的な破壊音とともに、巨大な戦斧が振り下ろされる!
直撃すれば、人間など防具ごと縦真っ二つの肉塊だ。
だが――。
(遅い。)
神拳聖魔将へと進化した俺の動体視力と脳内処理速度は、ゾルトの動きをまるで「スロー映像」のように捉えていた。
俺は一歩、わずか数センチだけ体を半身にずらした。
ドゴォォォォォォンッ!!!!!
振り下ろされた戦斧が俺の鼻先数ミリをかすめ、舞台の強固な石畳を深く穿ち、爆風と破片が飛び散る!
「なっ……!? 避けた……!?」
ガルムの目が見開かれた。
その膨大な隙を、俺が見逃すはずがない。
俺は踏み込み、ガルムの巨大な懐へと滑り込んだ。
(よし……試させてもらうぞ。新職業《神拳聖魔将》の力を……!!)
俺は体内で循環する三つの力を同時に練り上げた。
まず、気功術で右拳の筋力と密度を限界まで引き締める。
次に、魔力を流し込み、圧倒的な推進力と衝撃波の核を作る。
そして最後に、神力を重ね合わせ、不可視の聖なる破壊のヴェールで拳を包み込む!
三つの力が、体内で一切の反発を起こさず、一瞬で完璧な融合を果たした!
「【神武法・穿つ聖拳】!!」
ドッ……パンッ!!!!!
俺の右拳が、ゾルトの胸を覆う超重量の魔導鋼鉄鎧の真芯へと叩き込まれた!
次の瞬間――激しい金属打撃音を置き去りにして、空気が爆発した!
「ガハッ……!??!?!」
ゾルトの二メートル半の巨体が、まるで大砲から打ち出された砲弾のように吹き飛んだ!!
バゴォォォォォォォォンッ!!!!!
十メートル以上空中で吹っ飛んだガルムは、闘技場を囲む厚さ一メートルの防護壁へ激突! 巨大なクモの巣状の亀裂が壁全体へと走り、大量の粉塵が舞い上がった。
観客席全体が、水を打ったように静まり返った。
「……は……?」
「い、いま……何が起きた……?」
「ゾルトが……吹き飛んだ……!?」
静寂の中、壁にめり込んでいたガルムが、ボロボロと落ちる瓦礫を押しのけて立ち上がった。
胸の鋼鉄鎧には、俺の拳の形が深々と凹み、激しい亀裂が入っている。
「ハ……ハハハ……!!」
ゾルトは口から血を吐き捨てながら、狂気的な笑みを浮かべた。
「すげぇな……小僧……! 新人と思ってナメてたぜ……!! だが、俺はこれくらいじゃ倒れねぇ!!」
ゾルトの全身から、赤黒い気力がドバッと吹き出した!
魔法ではない。自らの生命力を極限まで燃やし尽くす、武法系強化スキル!
「スキル《狂戦士化》ぁぁぁぁ!!」
ゾルトの筋肉がさらに一回り肥大化し、砕けた鎧を内側から弾き飛ばす! 瞳が真っ赤に染まり、圧倒的な威圧感が会場を支配した。
「死ねぇぇぇぇぇッ!!」
地面を削りながら、ガルムが再び肉薄する! 振り下ろされる戦斧の速度は、先ほどの倍! もはや目視不可能な超音速の刃!
「終わりだぁぁぁぁ!!」
空気が裂け、衝撃波だけで石畳がめくれ上がる。
しかし――俺は冷ややかな目でそれを見つめていた。
「威勢はいいが……大振りすぎる。」
俺は胸の『狂戦士の心核』を完全起動させた。
胸から溢れ出した神力が全身の神経系へと駆け巡り、俺の身体能力を爆発的に跳ね上げる!
ドスッ!
魔力で加速し、神力で底上げされた俺の身体は、ガルムの超音速の戦斧の軌道を、紙一重でかわしながら背後へと回り込んでいた。
残像すら残さない超神速。
「なっ……!? 消えた……!?」
背後を取られたことに気づき、ゾルトが戦慄した表情で振り向こうとする。
だが――もう遅い。
俺は腰の剣を両手で強く握り締めた。
剣身に、魔力を流し込む。
そこに神力を高密度で圧縮して重ねる。
さらに気功術で、腕の威力を極限まで引き上げる。
三力融合の極大技――!
「【神魔斬】!!」
ズバァァァァァァァンッ!!!!!!
空間そのものを切り裂くような、白金色の巨大な一閃が奔った!
直後――絶大な衝撃波が一直線に闘技場を突き抜けた!
ガキィィィィンッ!! ドゴォォォォンッ!!
ゾルトが掲げようとした巨大な戦斧が、まるで紙くずのように真っ二つに両断された!
それだけに留まらず、着ていた残りの鋼鉄鎧が粉々に砕け散り、圧倒的な衝撃波の圧力がガルムの巨体を真横から飲み込む!
「グアァァァァァァァッ!??!?」
ゾルトの体が宙へと浮き上がり、そのまま闘技場の外壁を突き破って、場外の通路へと吹き飛ばされて叩きつけられた!
ドゴォォォォォォン……ッ!!
瓦礫の山の中で、ゾルトは白目を剥き、完全に気絶していた。
勝負あり。
……完全なる、圧倒的沈黙。
数万人で埋め尽くされた地下闘技場の中に、指一本動かす者の気配すら無かった。
誰もが、目の前で起きた「無名の新人による、7連勝の猛者の秒殺劇」という現実を受け止めきれずに固まっていた。
数秒後――。
「し……勝者ァァァァァァァァッ!!!! 挑戦者――アステルぅぅぅぅぅぅッ!!!!」
司会者の叫び声が、静寂を突き破った!
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!!???」
「「「キャァァァァァァッ!!!」」」
瞬間、地下闘技場全体が崩壊するかのような大歓声と悲鳴、そして狂喜のどよめきに包まれた!!
「バケモノだ!! 新人がゾルトを赤子扱いしたぞ!?」
「一撃だ……! 技を見切ることすら出来なかった!!」
「何者なんだあいつはぁぁぁぁ!!」
歓声を上げる観客、全財産を失って頭を抱えるギャンブラーたち。
その喧噪の中、受付カウンターではフィーナが跳び上がって両手を高く突き上げていた!
「やったぁぁぁぁぁぁぁッ!! アステルさん最高ぉぉぉ!!」
フィーナは腰を抜かして震えている受付嬢に向かって、満面の笑みでカウンターを叩いた。
「ほらね! 言ったでしょ! アステルさんが負けるわけないんだから! さあさあ、倍率15.5倍の配当金、金貨8000枚オーバー! 一銭残さず払ってくださいねー!!」
受付嬢は顔を青ざめさせながら、大量の金貨袋を半泣きで運んでくるしかなかった。
こうして、俺の《神拳聖魔将》としての初陣は、裏闘技場での圧倒的な勝利と、金貨8000枚という狂ったような大金の獲得という、最高の形で幕を閉じた。
手に入れた莫大な金貨の袋を抱え、俺とフィーナはホクホク顔で地下賭博場を後にした。
「くくく……ふはははは! 見たかフィーナ! 金貨8000枚だぞ! これでお前への借金2000枚を一瞬で全額完済だ! さらに教団の金庫に金貨6000枚以上の純利益が転がり込む!!」
えへへ、アステルさんがすごすぎて、私も賭けがいがありました! これで『貸し』は完済ですね!」
フィーナは嬉しそうに帽子を直しながら笑った。
だが――この日、裏社会に轟いた無名の新人の噂は、瞬く間に街中、そして王国全域へと広まっていくことになる。




