狂戦士の心核と導天の羽
街へ戻る道中、俺の口角は自然と吊り上がりっぱなしだった。
守銭奴としての本能が、懐にある本物の重みを感知して歓喜の悲鳴を上げている。
腰袋に突っ込んだ《黄金の紙》。羊皮紙一枚に込められた恐ろしい密度の魔力と、それが意味する莫大な「換金価値」が、歩くたびに俺の腰骨に心地よい重みとしてズシリ、ズシリと伝わってきた。
「まさか……まさか本当にドロップするとはな……。黄金ブック一匹で金貨五百枚、五匹で二千五百枚……追加の一枚で合計六枚。正気じゃない、夢でも見ているんじゃないだろうな」
俺が何度も腰袋の口を少しだけ開けては中身を覗き込んでいると、隣を歩くフィーナが軽快な足取りで鼻歌を歌いながら、胸を張ってニシシと笑った。
「ふふん! だから言ったじゃないですか、アステルさん! 私、《超運》持ちですから! 運だけは神様から愛されてる自信があるんです!」
「神から愛されているというより……歩く金鉱脈だな、お前は。ノクス教団の地下金庫に閉じ込めておきたいくらいだ」
「えっ、それは流石に嫌です!」
フィーナは楽しそうに笑いながら、オレンジ色のショートヘアを揺らした。その屈託のない笑顔を見ていると、本当に世界の幸運という幸運が彼女の周りに引き寄せられているのではないかと思えてくる。
街の賑やかな大通りを抜け、俺たちは真っ直ぐ冒険者ギルド本部の素材買取所へと向かった。
買取所の窓口には、普段から見慣れた不機嫌そうな中年男性職員が座っていた。俺は挨拶もそこそこに、腰袋から大事に、慎重に、壊れ物を扱うかのように《黄金の紙》を一枚取り出し、カウンターの上へそっと置いた。
「素材の買取を頼む。」
職員は最初は「はいはい、何ですか」と投げやりな態度で視線を落とした。……落とした、次の瞬間。
「……ッ!??!?!」
職員の目玉が飛び出さんばかりに見開かれた。顎が外れそうなほど口ぐぐっと開き、椅子をガタッと鳴らして立ち上がる。
「こ、これは……《黄金の紙》!??!?」
「ああ。黄金ブックの群れを討伐した時に手に入った。」
「ほ、本物ですか!? 黄金ブックだって!? 超レアモンスターじゃないですか!!」
職員の大声に、周囲で討伐報酬を受け取っていたベテラン冒険者たちが一斉にざわめき立った。
「おい、いま黄金の紙って言ったか!?」
「黄金ブックが出たのかよ!? どこだ、どのエリアだ!?」
「マジかよ、ドロップ引いたのかあいつら……!」
視線が集まる中、職員は震える手で鑑定士を呼びに奥へ走った。数分後、老眼鏡をかけた白髪の老鑑定士が凄まじい鼻鼻息で奥から飛び出してきた。
老人はルーペと魔力測定器を取り出し、黄金の紙に慎重に魔力を流し込む。何度も、何度も頷き、最後に感極まったように深く息を吐き出した。
「間違いない……! 純度九十八%を超える、極上の《黄金の紙》じゃ……! 一枚あたりの市場買取価格は、規定通り金貨五百枚!」
「で、では……それを六枚で頼む。」
俺が腰袋から残りの五枚をズラリとカウンターへ並べると、鑑定士も受付職員も、周囲の冒険者たちも全員が息を呑んだ。
「ろ、六枚ぁぁぁぁ!??!?」
「買取総額――金貨、三千枚になります……っ!!」
受付嬢は顔を蒼白にさせながら、奥の金庫から巨大な麻袋を二人がかりで運んできた。
ジャラジャラジャラジャラッ――!!!
金属の重厚で、この世で最も美しい狂おしい音が響き渡る。
金貨三千枚。
一般の冒険者が一生かかっても拝めない大金の山が、俺の目の前に差し出されたのだ。
俺は麻袋を持ち上げようとしたが、あまりの重さに腕の筋肉が悲鳴を上げた。
「ぐっ……お、重っ……!! だが、この重みこそが……生命の重み……金の輝き……!!」
俺の魂が歓喜で震える。これだけあれば、教団の破産リスクを劇的に抑えつつ、あの『共鳴工房』の狂った加工費用と素材代を全額キャッシュで支払うことができる!
フィーナは横で嬉しそうにパチパチと拍手をしていた。
「やりましたね、アステルさん! これで夢の共鳴ができますよ!」
「ああ……! 全部お前のおかげだ、フィーナ! お前は今日から我が教団の聖女だ!」
「えへへ~! じゃあ、これで貸しがまた増えて『六つ』ですね!」
「……調子に乗るなよ?」
俺たちはギルドを後にし、吸い寄せられるように街の中央区へと向かった。
目的地は、老婆から教えてもらった共鳴工房――《共鳴工房アルケミア》。
繁華街の喧噪から一段離れた区画に立つその建物は、周囲の店とは明らかに一線を画していた。
白磁のような美しく強固な石造りの外壁。入口のドアには、銀の歯車と複雑な古代魔法陣が精巧に組み合わされた立体的な紋章が掲げられている。二階の小窓からは青白く幻想的な錬成光が漏れ出し、内部からは「キィン……コォン……」と澄んだ金属の共鳴音が微かに響いていた。
ギィ……と重厚な扉を開けると、澄んだ鈴の音が店内に響き渡る。
「いらっしゃいませ。共鳴工房へようこそ。」
カウンターの奥から現れたのは、一人の若い女性だった。
年齢は二十代半ばほど。透明感のある長い銀髪を後ろで緩く束ね、知性を感じさせる丸眼鏡を掛けている。白衣のようなデザインの魔導ローブを身にまとい、腰のベルトには見たこともない細密な測定工具やルーン刻印用のタガネがズラリと下げられていた。
「珍しいお客様ですね。当店は完全紹介制ですが……どのようなご用件でしょうか?」
俺は路地裏の魔術書屋の老婆から聞いた話と名刺を見せ、単刀直入に用件を切り出した。
「神術《神威転化》と、それに適したマジックアイテムを共鳴させたい。」
女性――工房主の錬成技師は、丸眼鏡の奥の瞳を大きく見開いた。
「……《神威転化》? 神力の質を根本から変質させる、あの伝説の固有神術ですか……!? それを扱える術者が、本当に現代に存在するなんて……。」
彼女は興奮を抑え込むように深く息を吸うと、奥の厳重に鍵がかかった棚から、重厚な漆黒の木箱を恭しく抱えて戻ってきた。
パチリと鍵が外され、箱が開かれる。
中には、深紅に輝くラグビーボールほどの結晶が収められていた。
ただの鉱物ではない。晶体の表面には太い魔力脈が走り、まるで生き物の心臓のように――ドクン、ドクン、と重厚な鼓動を打っていた。
「これが、《狂戦士の心核》です。流入した神力をダイレクトに肉体の限界突破へと変換する、最高級のマジックアイテム。……価格は、本体代金と解析・共鳴前処理費を合わせて、金貨二千枚になります。
普通なら絶望して店を飛び出す金額だ。だが、今の俺の腰元には、ギルドで換金したばかりの金貨三千枚の重みがある!
「買います。一括現金で。」
ドンッ!! と俺は金貨が詰まった巨大な麻袋をカウンターの上へ叩きつけた。あまりの衝撃と金貨の音に、眼鏡の女性技師も息を呑む。
「……素晴らしいお支払いです。お買い上げありがとうございます。《狂戦士の心核》は本日よりお客様の所有物となります。」
俺はズシリと重い《狂戦士の心核》を手に取った。手のひらを通じて、手応えのある鼓動と、体内の神力が引き合わされるような感覚が伝わってくる。間違いない、これは本物だ!
その時だった。隣でじっとその光景を見ていたフィーナが、おずおずと手を挙げた。
「あの……すみません。私のスキル《超運》にも合うマジックアイテムって、何かあったりしますか?」
「え?」
女性技師は少し意外そうにフィーナを見つめた。
「固有スキル《超運》……ですか? 確率や因果律を無意識に引き寄せる、あの希少スキルの?」
「はい! さっきも黄金ブックをいっぱい倒してきたんです!」
女性技師は顎に手を当て、しばらく思案するように天井を見上げた。
「……《超運》の適性を持つ方、ですか。……まさか、生きているうちにそのスキルを持つ方にお会いできるとは思いませんでした。……ありますよ。工房の最奥、開かずの保管庫に、一つだけ。」
「えっ!? 本当ですか!?」
フィーナが目を輝かせる。女性技師は静かに頷き、工房の地下へと続く階段を降りて行った。
数分後。彼女が抱えて戻ってきたのは、何重もの太い銀の鎖と、複雑なルーン鍵で封印された長方形の厳重な箱だった。
カチャン、カチャン、と慎重に鍵が外されていく。箱の蓋がゆっくりと持ち上がると、中から溢れ出したのは、息を呑むほど美しい淡い金色の光だった。
そこに収められていたのは、一枚の翡翠色の羽根だった。
長さは三十センチほど。金属のようでありながら、鳥の羽のようにしなやかで、風もないのに生き物のようにゆっくりと光の軌跡を描いて揺れている。
「《導天の羽》。超運の固有スキルを持つ者だけが同調できる、幻級のマジックアイテムです。」
「導天の羽……。」
フィーナが吸い寄せられるように箱を覗き込む。俺も身を乗り出した。
「どんな効果なんだ?」
女性技師は静かに説明を始めた。
「この羽は、普通の人間が身につけてもただの綺麗な装飾品です。ですが、《超運》を持つ者が保持し、弓矢などの射撃術と共鳴させた瞬間――『因果の選択』が始まります。」
「因果の選択……?」
「簡単に言えば、放たれた矢が、自ら最も『命中する確率が高い未来の軌道』を選び取って跳びます。障害物があろうと、敵が超高速で回避しようと、嵐が吹いていようと、矢が自律的に風を切り、岩を迂回し、敵の不可視の弱点へと吸い込まれていく。……命中という『結果』を引き寄せる羽です。」
「な……ッ!?」
俺は絶句した。それはもはや射撃技術の領域を超えている。運命そのものを矢に上乗せして放つようなものだ。
「ただし、相手が展開した物理遮断結界や、絶対防御の盾そのものを突き破る力はありません。ですが『当たるか外れるか』の概念において、この羽は100%『当たる』未来を選択し続けます。」
「お、おいフィーナ……お前の矢が全部誘導弾になるってことか!?」
「すごいです……! そんなの、夢みたいです!」
フィーナが瞳をキラキラさせて感動している。女性技師は優しく微笑んだ。
「この《導天の羽》は、代金金貨一千枚。ですが、今の貴方様のお手元には、先ほどの残金金貨一千枚がちょうどございますね?」
「……ッ!!」
俺の計算脳が火花を散らした。
金貨三千枚の買取金。
《狂戦士の心核》で二千枚。
残りは、ぴったり一千枚。
(ぐぬぬぬぬ……!! 綺麗に全額持っていかれる計算じゃないか!! 俺の懐に残るはずだった金貨一千枚が……!!)
血を吐くような思いで葛藤する俺の横で、フィーナが申し訳なさそうに俺の袖を引っ張った。
「あの……アステルさん。私のために、そんな大金……使わなくても大丈夫です。私、普通の矢でも頑張れますから……!」
その遠慮がちな、健気な瞳を見た瞬間――守銭奴の俺の中で、別の計算式が成立した。
(待てよ? フィーナの射撃が『必中』になれば、今後の高難度討伐の成功率は100%に近くなる。さらにフィーナの《超運》でレア素材がガポガポ落ちる。つまり……ここでの一千枚の投資は、将来的に金貨数万枚の利益となって俺(教団)に返ってくる……!!)
「……買う!! 買いましょう、それも!!」
俺は涙目で残りの金貨一千枚をカウンターへ押し出した。
こうして俺たちは、全財産と引き換えに、二つの規格外なマジックアイテム――《狂戦士の心核》と《導天の羽》を手に入れたのだった。
二つの超高価なマジックアイテムを抱えた俺たちは、そのまま共鳴工房へと直行した。
ガラガラと扉を開けると、打ちつけられる鉄の熱気と槌の音が押し寄せてくる。
奥で巨大な大槌を振るっていた頑固オヤジの親方が、汗を拭いながらこちらを振り向いた。
「おう、アステルにフィーナじゃねえか。今日は何の用だ? 剣の刃こぼれか?」
「親方、緊急の特注加工を頼みたい。」
俺は慎重に、布に包んだ《狂戦士の心核》を取り出し、テーブルの上へ置いた。
ドクン……ドクン……と深紅の光を放ちながら脈打つ結晶を見た瞬間、親方の手が止まった。作業していた周囲の弟子たちも、一斉に息を呑んで静まり返る。
「……つ、おいおいおい……冗談だろ……? これ、《狂戦士の心核》じゃねえか!! 本物かよ!!」
「さらに、これだ。」
フィーナが大事そうに《導天の羽》を並べると、店内の温度が一瞬で氷着したかのように静まり返った。
「《導天の羽》ぁぁぁ!!? 一生に一度拝めるかどうかのマジックアイテムをが二つ同時に!? お前ら、国宝でも盗んできたのか!?」
「何言ってんだ!正当な報酬で買った本物だ! 親方、これを俺たちの装備へ『組み込み加工』してほしい!」
親方は何度も深呼吸をし、職人としての鋭い目つきを取り戻すと、真剣な顔で問いかけてきた。
「……組み込む場所はどこだ?」
俺は迷わず、愛用の白い金属胸当て(チェストプレート)を机の上にドンッと置いた。胸の中心、心臓の真上にあたる位置を指差す。
「ここだ。チェストプレートの中心へ、《狂戦士の心核》を埋め込んでくれ。俺が神術《神威転化》を発動した時、最も神力が集まり、全身へ循環する基点になる場所だ。」
親方は頷いた。
「理にかなってる。心臓の直上なら、魔力回路の伝導効率も最大になる。……よし、任せろ。」
隣でフィーナが、いつも被っているオレンジ色のリボンがついたお気に入りのニット帽子をちょこんと机に置いた。
「私は、ここに《導天の羽》を縫い込んでほしいです!」
「……帽子に、か?」
親方が驚くと、フィーナはニコッと笑った。
「はい! 弓を射る時、私は頭で風の音や気配を感じるんです。それに、この帽子は私のトレードマークですから!」
「なるほどな……頭部への魔力回路接続か。面白い、狙撃の邪魔にならん位置に特殊な魔導糸で織り込んでやろう!」
そこからの職人たちの動きは凄まじかった。
羊皮紙に素早く設計図が描かれ、神力回路のバイパス、衝撃吸収機構、結晶固定用の耐熱用特殊金具、帽子へのルーン刺繍など、緻密な工程が組み上げられていく。
「親方、完成までどれくらいかかる?」
親方は腕を組み、不敵に笑った。
「普通の加工なら一日だが、相手は国宝級の代物だ。失敗は許されん。……二週間だ。二週間時間をくれ。俺の職人生命を賭けて、最高の一品に仕上げてやる!」
「分かった。任せたぞ!」
それからの二週間は、嵐の前の静けさのような、充実した日々だった。
俺は教団の庭で団員たちの訓練を指揮しつつ、自らの気功と神力の制御をより緻密に高める鍛錬に没頭した。フィーナもまた、帽子がない間も弓の空引きを欠かさず、イメージトレーニングを繰り返していた。
そして――ついに訪れた、約束の二週間後。
俺とフィーナは、高鳴る胸を押さえながら、再び鍛冶屋の扉を押した。
「親方! 出来たか!?」
静まり返った工房の奥で、腕を組んだ親方が待っていた。その顔には、一切の妥協を排し、自らの限界を超えた仕事を完遂した者だけが持つ、圧倒的な誇りと満足感が溢れていた。
親方は無言で、作業台にかかっていた黒い布を、勢いよく引き剥がした!
「待たせたな、二人とも……! 鍛冶師人生すべての技術を注ぎ込んだ……最高傑作の完成だ!!」




