教団戦4
「第三試合、ノクス教団の勝利!」
審判の宣言が広大な闘技場内に大きく響き渡ると同時に、ノクス教団の応援席および控え席から地鳴りのような大きな歓声が沸き上がった。
これで通算成績はノクス教団の二勝一敗。
全五試合で行われるこの激闘において、あと一勝でも積み重ねることができれば、ノクス教団が念願の全般的な勝利へと大きく近づくことになるのだ。
対する白翼教団の控え席は、まるで底なしの沼に沈み込んだかのような重苦しい沈黙と圧倒的な焦走感に包み込まれていた。
彼らの誇る絶対的柱であった教団長グランツが打ち破られ、続いて出陣した実力者である第三幹部ビスマスまでもが完敗を喫した。
残された幹部や団員たちの顔には隠しきれない焦りと動揺が色濃く浮かび上がっている。
「くそ……。」
「なんとかしてこの最悪の流れを止めなければ……。」
「次は……次は一体誰が行くんだ?」
白翼教団の神であるオパールは重々しく腕を組み、冷や汗を流しながら静かに残った幹部たちの顔を見渡した。
「ムスカ。」
名を呼ばれた一人の青年が、引きつった表情のまま重い足取りで前へ出る。
「……はい。」
彼の年齢は二十代前半ほど。
どこにでもいそうな茶色の短髪に、全体的に細身の体格をしている。
腰に備えた装飾の少ない一本の長剣だけが彼の唯一の武器であった。
内体に秘めた神力も身に纏う気もごく平均的な水準であり、突出した特殊能力や秘技といったものは何一つ持っていない。
レベルは二十五。
白翼教団の幹部という枠組みに名を連ねてはいるものの、先ほど倒れた教団長グランツやビスマスといった怪物たちと比べれば、その実力はあまりにも大きく劣っていた。
本来の戦術であれば、このような後半の決定的な局面ではなく前半戦の様子見で出すような戦力に過ぎない。
しかし、主力を悉く失って後がない今の白翼教団には、もう彼しか戦場へ送り込める幹部が残っていなかったのだ。
「必ず勝ちなさい。これ以上の敗北は絶対に許されませんよ。」
オパールは鋭く静かな声で絶対の命令を下す。
「……はい。」
なんとか口の端で返事こそしたものの、ムスカの額からは抑えきれない冷や汗がダラダラと大量に滲み出ていた。
一方、破竹の勢いに乗るノクス教団陣営。
「よし、次はいよいよ第四試合だな! 誰が行く?」
レオンがニシシと余裕の笑みを浮かべながら仲間に問いかける。
その時、控え席の奥で腰掛けていた一人の女性が、優雅な動作でゆっくりと立ち上がった。
「ここは私が行くわ。」
ノクス教団第四幹部――リリィ。
肩のあたりまでしなやかに伸びた美しい水色の髪。
雪のように透き通るような白い肌。
獲物を射抜くような切れ長の鮮やかな紫色の瞳。
その魅惑的な口元には、いついかなる時も崩れない余裕に満ちた妖艶な笑みが浮かんでいる。
肌の露出自体は過剰ではないものの、黒を基調とした洗練された軽装は、彼女のしなやかな身体の動きを一切邪魔しない機能美に溢れた作りになっていた。
腰の左右には一対の研ぎ澄まされた短剣が差されている。
さらにそれだけにとどまらず、彼女の太腿や両腕の内側といった死角には、無数の隠しナイフが隙間なく緻密に装備されていた。
身軽さを信条とする盗賊職らしく、身を守る防具は必要最低限にとどめられている。
その代わりに、移動速度と隠密性を極限にまで高め抜いた、まさに暗闘のスペシャリストに相応しい装備構成であった。
「アステル君。」
出陣の前に、リリィはふとこちらへ振り返る。
「五分で終わらせてくるわ。」
「頼もしいが、相手も必死だ。決して油断はするなよ。」
俺が真剣な眼差しで声を掛けると、リリィはクスッと可憐に喉を鳴らして笑った。
「相変わらず心配性ねぇ、アステル君は。」
「いい? 盗賊っていうのはね、正面からバカ正直に打ち合いをするような職業じゃないのよ。」
「相手がこちらの存在や罠に気付いた時には……ふふ、もう勝負なんてすべて終わっているものなの。」
そう言って彼女は軽く片手を振り、闘技場の中央へ向けて歩き出す。
足音一つ立てないその歩き方は、まるでしなやかな一頭の黒猫のようであった。
両者が広大な闘技場の石畳の上に立つと、観客席のあちこちから疑問と興奮の混ざったざわめきが湧き上がった。
「おいおい、ノクス教団の次の手は女か?」
「しかもあの身軽さ……盗賊職なんじゃないか?」
「あんなペラペラな軽装で大丈夫なのかよ。」
「相手の剣一発でも掠ったら終わりだぞ。本当にまともに戦えるのか?」
対峙したムスカも、彼女の装備と華奢な体格を見るなり思わず鼻で嘲笑った。
「まさか盗賊職を出してくるとはな。」
「その貧弱な小剣で、俺と正面から真っ向勝負でも演じるつもりか?」
挑発を受けたリリィは、首を可愛らしくちょこんと傾げる。
「あら? 誰が貴方みたいな人と正面から戦うなんて言ったかしら?」
その浮世離れした艶やかな笑顔に対し、ムスカは胸の奥で得体の知れない気味の悪さと嫌な予感を覚えた。
中央の審判が両者を見比べ、力強く旗を掲げる。
「第四試合!」
「始め!」
合図が響き渡ったその瞬間に、ムスカは腰の長剣を一気に抜き放った。
「はぁっ!」
気合の一撃とともに、一直線にリリィの胸元へ向かって突進する。
しかし。
目の前に確実に存在していたはずのリリィの姿が、影のように一瞬で消失した。
「なっ!?」
「どこへ消えた!?」
ムスカは慌てて右側に視線を走らせる。
――いない。
すぐさま左側へ視線を向ける。
――そこにもいない。
そして、彼の背後――。
「残念、そっちじゃないわ。」
耳元で吐息とともに囁かれる吐き気がするほど甘い声。
ゾクッと全身の背筋が凍り付くような強烈な戦慄が走る。
ムスカは半狂乱になりながら、反射的に長剣を背後へ向かって猛然と振り払った。
しかし、鋭い刃は虚しく空を切るだけだった。
「遅い速い以前の問題ね。」
リリィはすでに数メートルも離れた安全圏に軽やかに立ち、口元を手で覆いながらくすくすとおかしそうに笑っていた。
「もう少しだけ私を楽しませてちょうだいな。」
「くそっ! 舐めやがって!」
プライドを傷つけられたムスカは怒りに任せて再び猛然と突進する。
今度は自身の持てる剣技の全てを叩き込むかのように、連続で凄まじい斬撃を繰り出した。
鋭い音を立てて迫る横薙ぎ。
心臓を穿たんとする一直線の突き。
容赦なく振り下ろされる袈裟斬り。
どれも必殺の意図が込められた鋭い剣筋であった。
だが。
「ふふ、全然当たらないわね。」
リリィは紙一重の最小限の動作だけで、全ての刃を完璧に避け続けていた。
彼女のステップは滑らかで、まるで優雅な音楽に合わせて軽やかに舞っているかのようだった。
「どうしたのかしら?」
「そんな力任せの大振りばかりじゃ、私には一生当たらないわよ。」
「黙れぇぇぇっ!」
完全に焦燥しきったムスカは、体内の神力を無理やりに両足へ集中させ、爆発的な脚力で一気にリリィとの距離を詰めた。
「もらった! 今度こそ今だ!」
間合いを完全に捉えたと確信し、渾身の力を込めた必殺の一撃を振り下ろす。
しかし。
ガチャン。
激しい踏み込みの最中、彼の足元から冷たい金属摩擦音が響いた。
「え……?」
異変を感じたムスカの足首には、知らぬ間に極細の鋼鉄ワイヤーが何重にも強固に巻き付けられていた。
「しまっ……!?」
それこそが、リリィが戦闘開始の直後から超高速の移動の合間に、完璧な配置で仕掛け終えていた不可視の罠であった。
勢い余ったムスカの身体が、前方へと無惨にバランスを崩して倒れ込む。
「盗賊という職業はね……。」
転倒するムスカの視界の先で、リリィは優雅な手つきで静かに片手から短剣を滑り込ませるように抜いた。
「愚かな相手を、完璧に自分の土俵へと誘い込んで詰ませる職業なのよ。」
シュンッ。
それはまさに一瞬の出来事であった。
観客席の誰の目にも、その移動の軌跡すら視認できなかった。
次の瞬間には、前傾姿勢のまま固まっているムスカの無防備な首元へ、研ぎ澄まされたリリィの短剣の冷たい刃先が寸分の狂いもなく突き付けられていた。
「ほんの少しでも動いたら、その瞬間に首筋を切り裂いて命を散らすわよ?」
ムスカの額から、滝のような冷や汗が大量に流れ落ちる。
完全にこちらの視界と死角を完璧に制され、逃げ場などどこにも存在しなかった。
「……参った。俺の負けだ。」
長剣が虚しく地面の石畳へと落とされる。
「勝負あり!!」
審判が即座に手を挙げ、両者の間に割って入りながら旗を力強く振った。
「勝負ありッ!!」
審判が勢いよく旗を振り下ろした瞬間、闘技場全体に勝敗の決定を告げる大鐘の重厚な音が誇らしく高らかに鳴り響いた。
「第四試合――ノクス教団、第四幹部リリィの勝利!」
その決定的な宣言が場内に響き渡った途端、ほんの一瞬だけ、何万人もの観客が詰めかけた会場全体が水を打ったように静まり返る。
誰もが頭の中で、ここまでの両教団の壮絶な勝敗の数値を弾き出していた。
一勝。
二勝。
そして、このリリィの鮮やかな手腕によってもたらされた決定的な勝利で――通算三勝。
次の瞬間だった。
「うおおおおおおおおおおお!!」
地鳴りすら引き起こすほどの割れんばかりの爆発的な大歓声が、闘技場全体の空間をまるごと飲み込んだ。
何千人、何万人もの観客が一斉に席から立ち上がり、鳴り止まない拍手と歓喜の声援を送る。
「決まったあぁぁぁ!!」
「ノクス教団の完全な勝利だ!!」
「まさか本当にあの歴史ある白翼教団を打ち倒してしまうなんて!」
「今日、まさにこの場で歴史が塗り替わったぞ!」
「新興の勢力が第五位の教団を正面から倒したんだ!」
「信じられねぇ、なんて凄まじい試合だったんだ!」
興奮の坩堝と化した冒険者たちは互いに力強く肩を叩き合い、興奮のあまり飛び跳ねて喜びを全身で表現していた。
貴族や要人たちが集う特別席でも、広がるどよめきと衝撃は一向に収まる気配を見せない。
「これほどまでの歴史的な番狂わせは、教団戦の長い歴史の中でも見たことがない……。」
「たった数か月前まで、誰も見向きもしなかった最下位の弱小教団だったはずだぞ……。」
「あり得ない、到底信じがたい現象だ。」
「いや……これは決して偶然や奇跡などという生半可な言葉で片付けられるものではない。」
「個々の驚異的な鍛錬と完璧な組織力、実力で掴み取った正々堂々たる勝利だ。」
ギルド長もまた、高みの観覧席から静かに胸の前で腕を組み、口元に深く感心したような笑みを浮かべていた。
「やはり、あのアステルを中心に集まったあのノクス教団の面々は極めて面白い。」
「彼らの限界はここにとどまらない。まだまだどこまでも伸びるはずだ。」
「この街全体の勢力図や権力構造が根底からガラリと変わる日も、そう遠くはないかもしれんな。」
一方、敗れ去った白翼教団の控え席においては、底なしの泥沼のような重苦しい沈黙が惨めに行き渡っていた。
失態を演じたムスカは悔しさと恐怖で拳を強く握り締めながら固い床へ俯き、他の団員たちも誰一人としてかける言葉を見つけられずに固まっている。
教団の神であるオパールもまた、屈辱のあまり血が出るほど唇を強く噛み締め、悔しさに震える己の拳を見つめることしかできなかった。
その暗い落差とは対照的に、ノクス教団の控え席は最高の歓喜と弾けた笑顔で溢れかえっていた。
「やったぁぁぁ! 勝ったぁぁぁ!」
フィーナは瞳に嬉し涙を浮かべながらぴょんぴょんと無邪気に跳ね回り、そのままの勢いで戻ってきたリリィのしなやかな身体へ思い切り抱きつく。
「リリィさん、本当にすごいです! 本当に格好良くて素敵でした!」
「ふふっ。」
リリィは不意の抱擁に少し照れくさそうに妖艶に笑いながら、フィーナの柔らかな頭を優しく撫でてやった。
「ありがとうフィーナちゃん。でもね、これは私一人の力じゃないの。みんなが命がけで繋いでくれた最高の流れがあったからこその勝利よ。」
レオンはまだ痛む腹を抱えて大爆笑しながら、俺の肩を砕けんばかりの力で思い切り叩いた。
「おい見たかアステル!」
「俺たち、本当にあの白翼教団を相手に勝っちまったぞ!」
その激しい衝撃で少しよろめきながらも、俺は静かに笑い、闘技場の中央へと温かい視線を送る。
そこには、今日の試合が始まる前には誰一人として想像すらできていなかった、光り輝く素晴らしい景色がどこまでも広がっていた。
街の誰もが弱小と嘲笑い、踏みにじってきたノクス教団。
そのノクス教団が今、正々堂々と圧倒的な力と絆をもって、強大な白翼教団を打ち破ったのだ。
その瞬間、審判は中央へ堂々と歩み出ると、闘技場全体へ響き渡る声で力強く最終宣言を放った。
「以上をもって、本日の教団戦の全日程を終了とする!」
「最終勝者――ノクス教団!!」
地動をも起こさんばかりの二度目の大歓声が爆発し、その熱狂の渦はいつまでも、いつまでも止むことなく会場を包み込み続けるのであった。




