教団戦2
「第二試合に出る選手。前へ出ろ!」
審判の力強い宣告が広大な会場に響き渡ると同時に、重厚な闘技場の鐘がゴーン、ゴーンと重々しい音色で鳴り響いた。その振動は観客席の足元を揺らし、その場にいる全員の肌を泡立たせる。ついに、ノクス教団と白翼教団の誇りと威信をかけた教団戦における、最大の激戦が始まろうとしていた。
ノクス教団からこの第二試合に出場するのは、俺――アステルと、親友であり頼もしい剣士であるレオン、そして厳しい訓練を乗り越えて第一班から選出された八人の精鋭たちだ。俺たちは互いに視線を交わし、短く頷き合ってから、静かに、しかし確かな歩調で中央の広場へと足を踏み出していった。
対する白翼教団陣営の整列を見た瞬間、その圧倒的な存在感に空気が凍りついた。彼らの先頭に立っているのは、白翼教団の頂点に君臨する教団長、グランツだ。その背後には、異様な威圧感を放つ七人の幹部と、選りすぐりの二人の精鋭が寸分の乱れもなく整然と並んでいる。
グランツを一目見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。
――デカい。
第一印象はただその一言に尽きた。彼の身長は優に二メートルを超えている。いや、二メートルはあると言った方が正確かもしれない。露出した皮膚から窺える全身の肉体は、長年の鍛錬と激戦によって鍛え上げられ、まるで硬質な岩のように大きく隆起した筋肉で覆われていた。腕の太さだけでも、俺の胴体と同じくらいはあるだろう。
彼は光沢を放つ純白の重鎧を身にまとっていたが、その莫大な重量をまるで感じさせない、地についた堂々たる立ち姿を崩さない。背中には、人間の身長ほどもある圧倒的な大きさを誇る巨大な両手剣を背負っている。その無骨で巨大な剣だけでも、重量は百キロを超えているに違いない。
頭髪は短く切り揃えられた白い髪。日焼けした頬には、過去の激戦を物語る一本の大きな古傷が深く刻まれていた。そして何よりも恐ろしいのはその眼光だ。見つめられただけで射すくめられるような鋭い瞳には、迷いや慢心、油断といった隙が一切存在しない。まさに無数の戦場を潜り抜けてきた歴戦の戦士そのものであった。
ただそこに立っているだけで、彼を中心にして凄まじい威圧感が波のように押し寄せてくる。重圧によって周囲の空気さえも重く沈み込み、息苦しさすら覚えるほどだった。
静まり返っていた観客席からも、次々と驚愕と戦慄を含んだ声が上がった。
「で、でかい……。あんなバケモノみたいな奴が存在するのか……?」
「さすが白翼教団の教団長だ……。圧倒的じゃないか……。」
「まるで移動する要塞じゃねぇか。あんなのに勝てるわけがない……。」
「レベル四五の怪物……! 噂には聞いていたが、ここまでの圧とは……!」
周囲のざわめきを聞きながら、俺も思わず腰の剣を握る手にぐっと力を込めた。手のひらにじんわりと冷や汗が滲むのを感じる。
(なるほど……。)
(あれが白翼教団最強と謳われる教団長か。)
圧倒されているのは決して見た目の巨体や威容だけではない。彼が身にまとう全身から溢れ出る神力、そして発せられる気の圧力の凄まじさ。それだけで、並の冒険者や兵士であれば戦う前から腰を抜かし、立っていることすら難しいだろう。戦いを交える前から、彼が本物の強者であるという事実が、痛いほどはっきりと伝わってきた。
緊張感が限界まで高まり、会場全体の空気が張り詰めたその瞬間、中央に立つ審判が勢いよく腕を振り下ろした。
「始めッ!!」
開戦の合図と同時に、耳を突く爆発音が響き渡り、レオンの身体が弾丸のような速度で飛び出した。
「うおおおおおおっ!!」
レオンは気合の雄叫びを上げながら全身に気を巡らせ、踏み込んだ地面を深く砕き割るほどの脚力で一気にグランツの懐へと肉薄する。そして渾身の力と速さを乗せた一撃を、グランツの首元へ向けて一瞬の躊躇もなく振り抜いた。
ガギィィィィン!!
硬質な金属同士が激しくぶつかり合い、鼓膜を撃ち抜くような甲高い衝撃音が会場中に響き渡る。一瞬にして生じた火花が鮮やかに舞い散った。しかし、レオンのその必殺の一撃を、グランツは背中の大剣ではなく腰に差していた片手剣一本を軽々と掲げ、完全に受け止めていた。レオンの踏み込みによる衝撃波を受けながらも、グランツの身体はミリ単位すら揺らいでいない。
「さすがだ。よい踏み込みだな。」
「だが、まだ甘い。」
グランツが静かに言い放つと同時に、俺も遅れることなく魔法の詠唱を完了させ、追撃を放った。
「《火球魔法・連射》!」
俺の掲げた手から、高熱を帯びた十数発の巨大な火球が生成され、一列に並んで一直線にグランツへ向けて飛んでいく。追撃としては完璧なタイミングであり、回避は困難に見えた。
しかし、グランツは一切動じることなく、片手剣を恐ろしいほどの高速で振るった。空気を切り裂く剣風とともに、飛来する火球は爆発する間もなくすべて正確に切り裂かれ、虚空へと霧散していく。
「魔法の精度も悪くない。」
「だが実戦では、その程度では私には届かん。」
言葉が終わるか終わらないかの次の瞬間、グランツの巨体が目の前から消えた。
速い!
彼の纏うレベルの数値だけを見るならば、レオンと同格のはずだった。しかし、長年の激戦で積み重ねてきた圧倒的な戦闘経験、そして神力を宿した最高級の装備品によって補強された彼の実力は、数値上のレベルを遥かに超越した領域に達している。
「くそっ、させるか!」
俺とレオンは瞬時に呼吸を合わせ、何度も連携を重ねて怒涛の攻撃を仕掛けた。俺が遠距離から魔法を放つことでわずかな隙や牽制を作り出し、その隙を見逃さずにレオンが鋭い踏み込みで近接から斬り込む。グランツの圧倒的な筋力によってレオンが押し返されそうになれば、すかさず俺がホーリーボルトを放って追撃を阻止し、援護に入る。
しかし、幾度となく攻撃を重ねても、グランツの完璧な防御を破るような決定打は一向に入らない。
「ちっ!」
「本当に強ぇ……! 隙がなさすぎるぞ!」
レオンが歯噛みしながら叫ぶ。グランツの鉄壁の如き立ち回りに、苛立ちと疲労がじわじわと募っていく。
一方、俺たちがグランツの足止めに全力を注いでいるその頃――。
「第四隊、右から回り込め!」
「回復班は後衛の配置を維持! 前線に隙を作るな!」
俺の部下であるノクス教団第一班の精鋭たちは、白翼教団の幹部たちを相手に見事なまでの組織的連携を見せていた。彼らは個々の実力差を理解し、決して無理な単独行動は取らない。常に三人で一人の敵を包囲し、徹底的な集中攻撃とカバーによって、確実に敵の数を減らしていく戦術を徹底していた。
「ぐぁぁっ!」
激しい打撃音と叫び声が上がる。一人、また一人と、ノクス教団の洗練された連携の前に白翼教団の幹部たちが崩れ落ちていく。
試合開始からわずか十分後には、あれほど威容を誇っていた七人の幹部全員が完全に倒され、戦闘不能となっていた。
「班長! 幹部および精鋭の制圧、完了しました!」
部下の頼もしい報告の声が響く。
「よし!」
俺は戦況の推移を確信し、勝利への手ごたえを感じて叫んだ。だが、幹部たちが全滅したその光景を目にしたグランツの表情から、それまでの余裕が消え去り、凄惨なものへと変化した。
「……私の部下たちを、よくもここまでやってくれたな。」
彼の低い声とともに、抑えきれない怒りと連動するように凄まじい神力が爆発的に吹き荒れ始めた。
「本当は……こんな手、使いたくはなかったのだがな。」
「だが、お前たちはここで終わりだ。一人残らず叩き潰す。」
グランツは胸元に手を伸ばすと、そこに仕込まれていた禍々しい赤黒い輝きを放つ結晶を取り出し、容赦なく握り潰した。結晶が砕け散ると同時に、禍々しいオーラが彼の全身に吸い込まれていく。
『固有奥義――《戦神解放》』
地鳴りのような轟音が響き渡り、グランツの全身の筋肉がさらに激しく膨れ上がった。彼から放出される神力と気が、一気に倍増していくのが目に見えて分かった。そのあまりの重量感と密度の高さに耐え切れず、彼が立つ足元の地面がメリメリと激しい音を立てて大きく陥没していく。
「なっ……!?」
「全体的な能力が、急激に二倍近くまで上がっただと……!?」
劇的な変化に驚愕しながらも、レオンはすぐさま剣を鋭く構え直した。
「へっ、面白ぇ……!」
「まだまだ終わらせねぇぞ、熱くなってきたじゃねぇか!」
レオンは気合を再充填し、二人は正面から激しく激突した。しかし、今までギリギリのところで互角を保っていた戦いの均衡は、固有奥義を発動したグランツの圧倒的な暴力の前に、一瞬にして崩れ去った。
グランツが振るった大剣の一撃が、激しい不協和音とともにレオンの愛剣を遥か上空へと弾き飛ばす。
「しまっ――」
無防備になったレオンに対し、間髪入れずにグランツの二撃目が襲い掛かる。高密度の神力を極限までまとわせたグランツの巨拳が、空間を置き去りにする速度で突出し、レオンの胸の中央を容赦なく貫いた。
「がっ……!?」
鈍い破壊音とともにレオンの身体が宙を舞い、激しく血を吐き出しながら、勢いよく離れた地面へと転がり落ちた。そのままぴくりとも動かなくなる。
その光景を目撃した瞬間、俺の頭の中で何かがぶちりと音を立てて切れた。
「レオン……。」
目の前には、胸を深く穿たれ、無残に倒れているかけがえのない戦友の姿。急激に血の気が引いて全身が冷たくなっていく感覚がある一方で、頭の中だけが異様な熱気を帯びて焼けるように熱い。
呼吸が浅く乱れる。怒りと衝撃で視界の端が深紅に染まっていく。
……動け。
頼むから動いてくれ、俺の身体。
次の瞬間、溜め込まれた抑えきれない怒りが、言葉となって爆発した。
「グランツァァァァァァッ!!」
俺は両手を強く握り締め、全身の力を限界まで絞り出す。
「神威転化。」
俺の発声に応じるように、眩い黄金色の光が渦を巻き、俺の全身を優しく、かつ力強く包み込んでいく。さらに俺は、神代騎士の教本から紐解き、過酷な練修の末に習得した極限の神術を発動させた。
その術式が完成した瞬間、俺の体内に残っていた全魔力と全気力が、一滴の無駄もなく、完璧な変換効率で怒涛の如く神力へと変わっていく。
体内の魔力が消える。
循環していた気が消える。
それに代わって、生み出された膨大な神力が爆発的な勢いで体内で増幅され、外へと膨れ上がっていく。さらに神術自体の持つ増幅効果が重なり、その神力は通常時の三倍という、常軌を逸した領域へと到達した。
ゴォォォォォォ……。
純白と黄金が混ざり合った圧倒的な神力が巨大な竜巻となって渦を巻き、闘技場全体の空間そのものを目に見えて震わせる。
その異常な光景と密度の前に、観客席の最前列にいた高級神官たちは、恐怖のあまり思わず総立ちになった。高位の聖職者である彼らだからこそ、今目の前で起きて止まない現象の異常性が、痛いほど理解できてしまうのだ。神官たちは全身をガタガタと激しく震わせていた。
「な、こんなの……。」
「あり得ない……! あり得ないぞこんな現象は!」
「この神力量……一人の人間が、一生をかけて到達できるような規模じゃない……!」
「いや……違う、そうではない!」
ざわめく神官たちの中で、長く生きてきた年老いた大神官が、目を見開いたままゆっくりと首を横へ振った。
「問題は、神力量そのものではないのだ。」
「この神力の……驚異的な密度がおかしいのだ。」
「見ろ……これほどの質量でありながら、一切暴走していない……!」
「これほど膨大で、荒々しく膨れ上がった神力を、この少年は完全に制御し切っているのだ……!」
年老いた大神官の絞り出すような言葉に、周囲の神官たちは言葉を失い、ただ息を呑んだ。
通常であれば、これほど膨大な神力を一度に体内で練り上げ、増幅させれば、人間の精神と肉体は耐え切れずに即座に暴走を起こす。制御を失った神力は暴発し、術者自身の肉体と精神を内側から焼き尽くして灰にしてしまうのが絶対の法則だった。
だが、アステルの神力は違った。
どこまでも巨大に膨れ上がった神力は、美しい黄金の光となって彼の身体の周囲を静かに、寸分の狂いもなく巡り続けている。それはまるで、自らの意思を持った一匹の聖なる生き物が、主であるアステルに絶対の忠誠を誓い、静かに従っているかのようであった。
「信じられん……。」
「こんな完璧な制御力、私は長い生涯の中で一度も見たことがない……。」
「一体、どれほどの過酷な修練と精神力を積めば、あのような領域に届くというのだ……。」
神官たちは皆、ただ茫然とアステルを見つめ、完全に言葉を失っていた。彼らの胸を占めていたのは、もはや恐怖ですらない。ただただ圧倒的な領域に対する、純粋な驚愕と敬畏であった。
そして、その言葉にならない凄まじい光景を、特別席から見つめていたノクスは──
変化の最初こそ驚きで目を丸くしていたものの、やがてその口元にふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「……えへへ。」
大歓声と静寂が交錯する会場の中で、誰の耳にも届かないほど小さく、可愛らしく笑う。
さっきまで不安と祈りを込めて胸の前でぎゅっと握り締めていた自分の小さな手を、嬉しさを噛み締めるように静かに抱き寄せる。彼女の透き通るような赤い瞳は、周囲の狂乱には目もくれず、ただ真っすぐにコートの中央に立つアステルの姿だけを映し出していた。
「すごい……。」
「本当に、すごいよ。アステル……。」
つぶやいたノクスの声は、わずかに震えていた。
しかし、それは決して恐怖や不安による震えではない。目の前の頼もしい少年の姿が心から嬉しくて、誇らしくて、胸がいっぱいになっていたからだ。
神々が目を見張り、神官たちが驚愕で言葉を失い、数万人もの観客たちがただその圧倒的な存在感に圧倒されている。そんな喧騒の渦中で、ノクスだけは誇らしげに、少しだけ胸を張った。
まるで「どう? これが私の自慢の信者でしょ?」とでも言いたげな、小さく得意げな表情。誰にも気付かれないくらい控えめで小さな仕草だったが、その顔はどこか幼い子どものように素直で無邪気な輝きに満ちていた。
「やっぱり……。」
「私の見る目、絶対に間違ってなかった。」
彼女の頭の中に、アステルと出会った日の記憶が色鮮やかに蘇る。
アステルが初めてこの弱小なノクス教団の門を叩いてくれた日のこと。まだ実績も力もなく、誰からも相手にされなかったこの小さな教団の冷たい扉を開けてくれた、たった一人の少年。
その時、不安そうにしながらもまっすぐな瞳で「あなたを信じてみます」と言ってくれた彼の言葉を、ノクスは今でも何よりの宝物として明確に覚えている。
だからこそ、今度は自分が彼を極限まで信じる番だった。
「アステル。」
ノクスは愛おしさを込めて、優しく穏やかに微笑む。
「思いっきりやっちゃえ。」
その笑顔には、アステルの勝利に対する不安も迷いも一切存在しなかった。そこにあったのは、ただただ大好きな教団の仲間を心から信頼し、誇りに思う、まっすぐで温かい想いだけだった。
俺は静かに集中を極限まで高め、震える右手をゆっくりと前方、グランツへ向けて突き出した。
「これで……終わりだ。」
右手の一点へと集束し、極限まで圧縮された莫大な神力が、凄まじい輝きを放ち始める。やがてその光は熱を超越した白銀に輝く聖なる炎へと姿を変えていった。
「《ホーリーフレイム》!!」
轟ッ――!!
叫びとともに、白銀の聖炎が一直線の光の柱となって解き放たれた。
それは単なる炎の攻撃ではない。熱による焼却ではなく、極限まで高められた圧倒的な神力そのものを直接相手に叩きつける、神聖なる絶技であった。
「ぬあああっ! 受け切ってみせる!!」
迫り来る死の予感に対し、グランツは全身の気を絞り出し、固有奥義の神力を大剣へ集中的に注ぎ込んで絶対の防御態勢を取った。
しかし、次の瞬間。
白銀の光が接触した刹那、グランツが誇る巨大な大剣がガラス細工のように脆く砕け散った。
続いて、彼が身にまとっていた白翼教団最高峰の純白の重鎧が、灼熱と神力の圧力の前に一瞬で蒸発するように消失する。
彼が全神力を注ぎ込んで展開していた防御の障壁すらも、激流の前の薄紙のように容易く吹き飛ばされた。
「そ……んな……バカな……。」
信じられないという驚愕の言葉を最後に残し、グランツの巨大な身体は白銀の聖炎の輝きの中に完全に飲み込まれ、細胞一つ残さず跡形もなく消滅した。
ドォォォォン……と、遅れて届いた凄まじい轟音が止むと、広大な闘技場の床には、白銀の炎が突き抜けた完璧な一直線の巨大な焼け跡だけが深く刻まれていた。
会場を埋め尽くしていた数万人の観客は、誰一人として声を上げることもできず、あまりの現実離れした結末と惨状に、ただ呆然としてその光景を見つめ続けることしかできなかった。




