前進するノクス教団
一か月という時間は、ひとつの組織の運命を劇的に塗り替えるには十分すぎる歳月であった。
かつては街の片隅で細々と祈りを捧げることしかできなかった弱小なノクス教団は、もはや過去の面影すら感じさせないほど強固で巨大な組織へと変貌を遂げていたのである。
かつては頼りなかった十人の幹部たちは、それぞれが十人前後の優秀な部下を率いる頼もしい隊長となり、毎日のようにギルドから持ち込まれる多種多様な依頼を処理するために勢いよく街の外へと飛んでいく。
教団の規模拡大に伴って専門化された組織の機能は実に細やかであり、聖物の脅威に対処する聖物討伐班。
野山に蔓延る害獣や魔獣を駆逐する魔物討伐班。
武装したならず者や敵対勢力を押さえる武物討伐班。要人や物資を守り抜く護衛班。
貴重な薬草や鉱石を採掘する採集班。
未知の領域や遺構を調査する探索班、といった具合に明確な役割分担がなされていた。
それぞれの班が自らの責任を自覚し、信じられないほどの効率の良さで次々と依頼を完遂していったのである。
俺自身も第一班の隊長として最前線に立ち続け、未熟な部下たちに対して徹底的に戦術の基礎や実戦での立ち回りを叩き込みながら、多忙を極める日々の依頼を的確にこなしていた。
戦場においては一瞬の判断ミスが命取りになるため、俺は常に大声を張り上げて部下たちへ指示を飛ばす。
「四方から囲め!」
「前衛は一歩も引くな、聖物の注意を自分に引きつけろ!」
「後衛の術者は焦るな、神力を温存してここぞという局面で打て!」と、実戦さながらの緊張感を持って采配を振るい続けた。
最初は急激な実戦の連続に困惑し、足並みが揃わずに戸惑っていた部下たちであったが、過酷な実戦経験を積むにつれて目覚ましい成長を遂げ、今では俺が指示を出すよりも早く互いの動きをカバーし合えるほどの完璧な連携を見せるようになっていた。
「隊長!」
「目標の討伐、完全に完了いたしました!」
「よし、素早く魔石を回収して帰還の準備をしよう」という会話が日常のものとなり、一つの依頼を成功させるたびに、膨大な額の金貨と価値ある素材が続々とノクス教団の金庫へと運び込まれていった。
そして回収された利益は一部の幹部で独占されることなど決してなく、教団全体の利益として装備のさらなる強化、新たな戦術や知識が記された教本の購入、さらには次世代を担う新人の育成費用へと惜しみなく投資されたのである。
この健全で効率的な循環が機能し始めたことで、俺の第一班だけでなく他の幹部たちが率いる部隊も次々と目覚ましい成果を挙げ始めることとなった。
熱血漢のレオンが率いるレオン隊は、普通の冒険者パーティでは全滅すらあり得る高難度の討伐依頼を連続で達成してみせ、気品溢れるアイリが率いるアイリ隊は、極めて気難しいことで知られる貴族たちの護衛依頼において完璧な仕事をし、上流階級から非常に高い評価を獲得した。
さらに腕利きの鍛冶師ガイルは、入手した希少な素材を用いてノクス教団専用の高品質な装備を次々と量産し始め、噂を聞きつけた街中の一般冒険者たちから注文が殺到するという絶大な成功を収めていた。
このようにして、教団全体が一つの巨大で精密な組織として力強く機能し始めていたのである。
その怒涛の快進撃がもたらした結果は、すぐに目に見える数値となってあらわれることになった。
「ノクス様!」と息を切らせながら、事務手続きを担当している少女の教団員が慌ただしい足取りで礼拝堂へと駆け込んできた。
彼女の手には何枚もの羊皮紙で構成された分厚い集計書類が握られており、「今月の教団全体の集計作業がすべて完了いたしました!」と叫ぶように報告する。
その声を聞いたノクスは、神壇の椅子から身を乗り出すようにして目を輝かせた。
「どうだったの?」と期待と不安が入り混じった表情で尋ねるノクスに対し、事務を担当していた少女は自身の胸を大きく張り、誇らしげな笑みを浮かべながら急いで続きを報告する。
「教団員数……現時点で、三百二十七名です!」
「……え?」という声と共に、ノクスは事務担当の少女から差し出された名簿を両手で受け取った姿勢のまま、まるで時間が停止してしまったかのようにぴたりと動きを止めてしまった。
普段の彼女は表情がくるくると変化する明るく賑やかな少女のような神であるが、その瞬間ばかりは本当に世界の時間が止まってしまったかのように、口を半開きにした間抜けな表情のまま完全に固まっていたのである。
「ご、ごめん……私の耳がおかしくなったのかもしれないから、もう一回だけ言ってもらっていいかな?」と、少し震えた情けない声で聞き返すノクスに対し、事務担当の少女は誇らしさと嬉しさを隠しきれない様子で力強く頷くと、もう一度胸を張ってハッキリと報告を口にした。
「はい! 本日付けをもちまして、ノクス教団に所属する正式な教団員数は三百二十七名となりました!」
「さらに驚くべきことに、教団協会から正式な公式通知が届きまして、このアクセルの街に存在する七つの教団のうち、我がノクス教団は第五位へと昇格したことが公的に認められました!」
その瞬間、広大な礼拝堂の空間が一瞬で静まり返った。
そこに集まっていた幹部や部下たちの誰もが、一言の言葉すら発することができない。
あまりにも劇的で予想を超えた報告に対し、全員がその言葉が意味する現実を脳内で咀嚼し、整理しようと必死になっていたのである。
静寂が支配する空間の中で数秒の時間が経過した後――。
「えええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!?」という、礼拝堂の天井を突き破らんばかりのノクスの絶叫が響き渡った。
「う、うそでしょ!? 本当に!? 私たちが、あの弱小だった私たちが本当に第五位になったの!?」と、彼女は信じられない様子で手元の名簿を何度も何度も見返し、そこに記載された教団員たちの名前を一人ずつ指で丹念に数え始めた。
「三百二十七……」
「第五位……」
「本当に……?」
「何かの間違いなんじゃないの?」
「これって夢?」
「私、実はまだベッドの中で寝てるんじゃないかな?」と混乱の極みに達したノクスは、現実かどうかを確かめるために自分の両頬を思い切り両手でつねり上げた。
「いったぁぁぁぁ!」と涙目になりながら真っ赤になった頬を押さえる可憐な姿を見て、引き締まった緊張感に包まれていた教団員たちの間から、堪えきれないといった風の小さな笑いが漏れ出した。
事務担当の少女は苦笑いを浮かべながら、優しく首を横へ振って見せる。
「間違いなどありません」
「これは教団協会と冒険者ギルドの双方で厳重に確認が行われた、紛れもない正式な順位発表です」
「もう私たちは最下位の弱小教団などではありません、ノクス教団は堂々の第五位なんです」
その言葉が少女の口から発せられたまさにその瞬間であった。
ノクスの大きな瞳から、ぽろりと大粒の涙が溢れ出して頬を伝った。
「……よかった」と、消え入りそうな声で小さく呟いた次の瞬間。
「やったぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーっ!!」と、まるで無邪気な子供のような満面の笑顔を咲かせながら、ノクスはその場で何度も跳ね上がるようにして飛び跳ね始めたのだった。
「第五位だよ!」
「みんな聞いた!? 私たち、本当に第五位になったんだよ!」と、込み上げてくる怒涛の嬉しさを抑えきれない様子で、彼女はその場でドレスの裾を翻しながらくるくると楽しそうに回り始める。
彼女の美しい長い青い髪が空気を含んでふわりと舞い上がり、軽やかなスカートの裾もリズムに合わせて揺れていた。
「えへへ……」
「えへへへ……」
「もう……もう最下位じゃないんだ……」と呟くその笑顔は、かつてアステルが初めてこの荒れ果てた教団の門を叩いた日に見せた、どこか寂しげで諦めを含んだ笑みとは全く異なっていた。
それは過去の辛い日々を乗り越え、自分たちの手で掴み取った成果に対する、心の底からの純粋な幸せに満ち溢れた笑顔であった。
「ノクス様」
「な、なに?」と声をかけられたノクスに対し、近くにいた部下が「鼻水出てます」と指摘する。
「えっ!?」と驚いたノクスは、慌てて着ている服の袖でゴシゴシと鼻のあたりを拭い取ろうとした。
しかし、そこに付着していたのは鼻水などではなく、ただの溢れ出た綺麗な涙であった。
「ち、違うもん!」
「これは鼻水じゃない! 涙!」
「嬉しさのあまり出てきた誇り高い嬉し涙だから!」と、顔を真っ赤に染め上げながら必死になって言い返すノクスの姿を見て、礼拝堂の中に集まっていた全員の笑い声が大きく弾けた。
「もう! みんなして笑わないでよ!」と頬をぷくっと膨らませて腕をぶんぶんと振り回すノクスの姿は、人々に崇められる厳かな神というよりは、等身大の年相応な可愛らしい少女そのものであった。
そんな賑やかなやり取りを微笑ましく見ていた幹部のレオンが、突然思い立ったように勢いよく立ち上がった。
「よぉぉぉぉし!!」
「今日は歴史的なお祝いだ、宴だぁぁぁぁぁ!!」と、礼拝堂の空間全体がビリビリと震えるほどの圧倒的な大声で叫ぶ。
「酒をありったけ持ってこい!」
「一番でかい肉を焼きまくれ!」
「今日の費用は全部俺の奢りだぁ!」と意気揚々と宣言するレオンに対し、俺は冷静に一歩を踏み出してツッコミを入れた。
「いや、お前がそんな大金を溜め込んでいるわけないだろ」という至極真っ当な指摘に対し、レオンは「細かいことは気にするな!」と豪快に笑い飛ばすと、隣で呆れていた鍛冶師のガイルを突然その太い腕で担ぎ上げた。
「うおぉぉぉ!」
「俺たちが第五位だぁぁ!」
「危ないだろ、今すぐ離せぇぇぇ!」と暴れるガイルと、それを軽々と担ぎ上げるレオンのやり取りを見て、周囲にいた教団員たちは大爆笑に包まれた。
「アハハハハ!」とノクスもお腹を抱え込み、目元に涙を浮かべながら大笑いしている。
「レオン! 暴れちゃダメだよ、危ないから!」
「今日は最高の祝いの日なんだからな! 今日だけは全部許されるんだ!」
「許されるわけないだろ!」という賑やかなやり取りが繰り広げられ、礼拝堂の中には途切れることのない温かな笑い声がどこまでも響き渡っていた。
しばらくして宴の騒ぎが少し落ち着いた頃、ノクスは歩みを進め、俺の目の前までゆっくりと歩み寄ってきた。
さっきまで子供のように大騒ぎしていた姿が嘘のように、その表情はとても穏やかで、慈愛に満ちていた。
「……アステル」
「ん? どうした?」
「ありがとう」と、彼女は少し照れくさそうに頬を染めながら優しく微笑んだ。
「最初はね、この教団には本当に誰も来なくて……」
「毎日毎日、一生懸命お堂を掃除しても、誰一人としてあの重い扉を開けてはくれなかった」
「神様へのお供えものも全然なくてね」
「何度も何度も『私なんか、神様に向いてないのかな』って落ち込んで、一人で泣いてたんだ」と、過去の孤独を思い出すようにノクスの声が少しだけ震えていた。
「でもね、君が最初にこの教団に来て、私という存在を信じてくれた」
「あの日、君が手を差し伸べてくれたことが、今に続くすべての始まりだったんだよ」
そう言いながら、ノクスは自身の小さな両手を伸ばし、俺の手をぎゅっと温かく包み込んでくれた。
「本当に……本当にありがとう」とその手に込められた確かな温もりと微かな震えから、彼女が今日という日をどれほど切望し、どれほど苦しい思いに耐えながら待ち望んでいたのかが、言葉以上に痛いほど伝わってきた。
俺は静かに、誇らしげな笑みを浮かべて首を振った。
「違うよ、ノクス」
「ここまで来られたのは、決して俺一人の力なんかじゃない」
「レオンも、ガイルも、カインも、ルナも……ここにいる全員が力を尽くしたからだ」
「朝早くから夜遅くまで戦い抜いた幹部たちや、それを懸命に支えてくれた新人のみんな、誰か一人でも欠けていたら今日のこの瞬間はあり得なかった」
「朝早くから夜遅くまで戦い抜いた幹部たちや、それを懸命に支えてくれた新人のみんな、誰か一人でも欠けていたら今日のこの瞬間はあり得なかった」
「そして何より、どんなに苦しい状況でも、お前自身が神として諦めずに立ち続けてくれたからだ」
俺の言葉を聞いたノクスは、少しだけ大きな目を潤ませながら、力強く大きく頷いた。
「うん!」
「これからは第五位の神として、街のみんなに恥ずかしくないように、もっともっと頑張るね!」
その力強い宣言に対し、礼拝堂には再び割れんばかりの大きな拍手と歓声が鳴り響いた。
この運命的な日、ノクス教団に所属するすべての者たちが、初めて胸を大きく張って「自分たちは誇り高く強い教団なんだ」と心から思えるようになったのである。
しかし、新興勢力であるノクス教団のあまりにも急激で異例な成長を、快く思わない者たちが存在したのもまた事実であった。
街の最も活気に溢れる中心部。
巨大な建築技術の粋を集め、白く輝く純白の大理石で建造された威容を誇る神殿。
そこは、ノクス教団の躍進によって順位を押し出され、これまで第五位の座を頑なに維持していた歴史ある白翼教団の本部であった。
厳かな神殿の最も奥深くに存在する部屋では、険しい表情を浮かべた幹部たちが重苦しい雰囲気の中で円卓を囲んでいた。
「ノクス教団だと……」
「たった数か月足らずで、我々の築き上げてきた第五位の座へ届いたというのか?」と、一人の幹部が苛立ちを隠せない様子で力任せに木製の机を叩きつける。
「路地裏に潜んでいた新人ばかりの集まりである教団が、我々白翼教団を追い抜くなどという不祥事は前代未聞です」
「このまま放置しておけば、街の信者や貴重な寄進金をさらにノクス教団に奪われることになります」
円卓の最奥に用意された重厚な椅子へ腰掛ける教団長が、深く思索に耽るように静かに目を閉じた。
「……ならば、圧倒的な力をもって格の違いを分からせてやるしかあるまい」
教団長の発した重苦しい一言によって、部屋全体の空気が一瞬で張り詰めたものへと変貌する。
「教団戦を正式に申し込む」
「勝者は街中の人々へ、その圧倒的な実力と格の違いを証明することになる」
「そして敗者は、これまで積み上げてきた絶大な信頼をすべて失うことになるだろう」
教団長の方針を聞いた幹部たちは、決意を秘めた表情で一斉に席を立ち上がったのであった。
そして翌日。
一通の重厚な封書が、活気に満ちあふれるノクス教団の元へと届けられた。
高級な羊皮紙を封じた赤い封蝋には、白翼教団の象徴である気品ある白い翼の紋章が刻印されている。
ノクスが静かにその封蝋を切り、中から引き出した一枚の羊皮紙を広げた。
そこに記されていたのは、白翼教団からの挑戦状であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ノクス教団へ。
我々、白翼教団は貴教団の急成長を称えると同時に、貴教団へ正式に教団戦を申し込む。
日時は今から七日後。
勝敗は双方の教団が選出する代表者たちによる団体戦によって決定される。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読み上げられた内容を聞き、さっきまで賑やかだった礼拝堂は静まり返った。
ノクスは手にある羊皮紙を、決意を込めてゆっくりと力強く握り締める。
「……ついに、来るべき時が来たね」と、静かだが力強い声を漏らす。
急激に成長した新興教団が、旧来の勢力とぶつかり合い、越えていかなければならない避けては通れない試練。
こうしてノクス教団にとって初となる――運命の教団戦が、静かにその幕を開けようとしていたのである。
そして訪れた教団戦当日。
決戦の地となるアクセルの街は、朝一番から地響きのような異様な熱気と熱狂に包まれていた。
「今日はあの大一番、教団戦の開催日だぞ!」
「第五位の座を懸けた、白翼教団とノクス教団の勝負らしい!」
「最近噂で持ちきりのあのノクス教団が出るんだってな!」
普段であれば荒くれ者の冒険者たちしか足を運ばない殺風景な闘技場も、この日ばかりはまったくの別世界へと変貌を遂げていた。
すり鉢状になった広大な観客席には、決戦の目撃者となろうとする数千人もの観客が殺到して押し寄せ、席に座りきれなかった人々による立ち見の群れが通路まで埋め尽くしている。
目ざとい商人たちは観客を目当てに無数の屋台を並べ、街の新聞社は歴史的瞬間を逃すまいと特集記事を執筆するために多くの記者を現場へ送り込み、街全体が巨大な祭りのような喧騒と賑わいを見せていたのである。
そして、この激闘に対して熱い視線を注いでいるのは、決して一般の市民や冒険者だけではなかった。
闘技場の一角に設けられた豪華な貴族席には、このアクセルの街を治める領主をはじめ、力を持つ有力な貴族たちがズラリと居並んでいる。
「突如として現れた新興教団が、歴史ある白翼教団相手にどこまでやれるものか見物だな」
「ここで負ければ一発屋として消え去るのみ、だがもし勝つようなことがあれば街の歴史が根底から変わるぞ」と、誰もが興味津々といった眼差しで眼下の闘技場を見下ろしていた。
さらに、その貴族席よりもさらに高い位置。
特別な許可を得た者以外は立ち入ることすら決して許されない、特別観覧席が存在していた。
そこには、このアクセルの街を代表する上位教団の神々が一堂に集結していたのである。
神々はそれぞれが司る教義に応じた異なる豪奢な衣装を身にまとい、下界で見守る自身の教団員たちや眼下の舞台を静かに見つめている。
その神々の中でも、ひときわ眩い存在感を放ち、集まったすべての人々の視線を吸い寄せている人物がいた。
「……あれが」
「キリスト様……」
アクセルの街において圧倒的頂点に君臨する第一位。
二千人を超える熱狂的な信者を抱える、最強のキリスト教団の主神であった。
俺はその姿を視界に収めた瞬間、思わず息を呑んだ。
腰まで伸びた長く透き通るような美しい銀髪。
雪のように白く隙のない滑らかな肌。
吸い込まれてしまいそうなほど深く澄んだ蒼い瞳。
その耳は人間よりも明らかに長く、まるで物語に登場するハイエルフのような人間離れした美しさを誇っている。
そして何よりも見る者の目を奪うのは、その背中に存在するものだった。
純白の輝きを放つ羽毛で覆われた美しい翼。
左右に二枚ずつ、合計四枚にも及ぶ巨大で神聖な翼が、神々しい光の粒子を撒き散らしながら静かに羽ばたいているのである。
そのあまりにも完成された姿は、美しいという単純な言葉だけでは到底表現しきれない。
まさに古代の神話や伝承の中にのみ登場する、本物の天使そのものの威厳であった。
「……すごく、綺麗」と、隣に立っていたルナが圧倒されたように思わずぽつりと呟く。
一方でノクスは、その神々しい姿をまじまじと見つめながら、どこか羨ましそうに苦笑いを浮かべていた。
「やっぱり神様って、背中に羽が生えてるとすごくかっこいいなぁ……」と呟きながら、自分の背中のあたりをペタペタと手で触ってみる。
もちろん、彼女の背中には羽らしきものは一枚も生えていない。
「私にもいつか羽が生えてこないかなって、昔は毎日鏡を見て確かめてたんだけどさ、結局一本も生えてこなかったんだよね」
「……お前、そんなことを本気で気にしてたのか」
「そりゃ気にするよ!」とノクスは子供のように頬をぷくっと膨らませる。
「だって神様なんだから、大きな羽が生えてる方がそれっぽいし格好いいじゃん!」
その素朴で無邪気な悩みに、緊張感に包まれていた周囲の仲間たちは思わず吹っ切れたように笑い出してしまう。
しかし、上位神であるキリストは、そんな騒がしいノクスたちの方へふっと視線を向けると、非常に優しく穏やかな笑みを浮かべたのだった。
そこには新興勢力に対する敵意も、下位の神を見下すような蔑みの色も一切存在しない。
ただ静かに、自身が統率する街に新たに台頭してきた若い神の姿を温かく見つめているだけであった。
だが、そのあまりにも穏やかで澄み切った瞳がかえって、彼女の底知れない圧倒的な神威と威厳を物語っていたのである。
闘技場の中央広場では、冒険者ギルドの長であるヴァルドが太い腕を組みながら、今まさに始まろうとしている試合の準備状況を厳格な目で見守っていた。
「まさかこれほどの観客と熱気が集まるとはな……」と呟く彼の隣では、ギルドの職員たちが汗を流しながら慌ただしく動き回っている。
「ギルド長!」
「現在の賭け試合における全体の掛け金ですが……」と、職員が恐る恐る厚い帳簿を差し出してきた。
ヴァルドはその数字に目を落とし、驚きで小さく目を見開いた。
「金貨一万千八百枚……だと?」
「はい、街の大規模な商会や大貴族たちまでもが大量に賭けに参加しており、過去の教団戦における最高額を大幅に更新しております」
観客席のあちこちからは、怒号に近い熱い声が飛び交っていた。
「俺は伝統と実績のある白翼教団に全財産を賭けるぜ!」
「いや待て、ノクス教団の最近の快進撃は本物だぞ!」
「一発逆転の大穴狙いでノクス教団に賭けた!」と、勝敗の予想を巡って場内全体の熱気は最高潮に達している。
ノクスは熱狂に包まれる巨大な闘技場を見回し、緊張を鎮めるように深く深呼吸をした。
「こんなに大勢の人たちの前に立つなんて、神様になってから初めてのことだから緊張するなぁ……」
このたった一戦の結果によって、これまで積み上げてきたノクス教団の本当の価値が決まることになる。
俺たちはどこまでもチャレンジャー、失うものなど何もない挑戦者だ。
だからこそ、絶対に勝利を掴み取る。
そう心の中で固く誓いながら、俺たちは光が差し込む闘技場の真ん中へ向かって、ゆっくりと力強い一歩を踏み出したのだった。




