第6話:冷たい眼鏡と書類の束
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煉十郎が去り、再び静かになった重々しい玄関広間で、私は変わらず「地味で大人しい令嬢」の体勢のまま、荷物の横で小さくなっていた。
(……とりあえず、第1関門は突破ね! さて、案内役の律さんはどこかしら……?)
するとその時、低く冷ややかな声が広間に響き渡った。
「……当主様」
びくりと肩を震わせ、声がした方向へ視線を向けると、そこにはいつの間にか一人の青年が音もなく立っていた。
隙なく着物を着こなし、冷たい光を放つ眼鏡をかけた姿は、いかにも「仕事ができる有能な側近」そのもの。その手には、およそ一人で抱える量とは思えない、分厚い書類の束がずっしりと収められていた。
(……うわ。この人、絶対に敵に回しちゃいけないタイプの完璧主義者だわ……)
私は地味な令嬢を演じながらも、その圧倒的なプロフェッショナルオーラに、内心で微かに戦慄した。
律の登場に気づいたのだろう。奥の廊下から、煉十郎の情けない声が聞こえてくる。
「げぇっ、律……!?」
慌てて反対方向へ逃げ出そうとした煉十郎の襟首を、律が目にも留まらぬ速さでガシッと掴み、鮮やかに捕獲した。
「……いやぁ、今ちょうど、紗夜ちゃんを歓迎するお茶の準備をね?」
引きつった笑みで必死に言い訳をする煉十郎だが、律の切れ長の目は一切笑っていない。
「……当主様、いい加減にしてください!」
律の冷徹な怒声と共に、手にした分厚い書類の束が、煉十郎の頭へと容赦なく振り下ろされた。
広間に、ガンッ! と鈍く小気味よい音が響き渡る。
「……痛いじゃないか、律!? なんでその分厚い書類をわざわざ縦にして叩くの!? せめて横の面にしてよ~!」
涙目で頭を押さえる当主に対し、律は深くため息を吐きながら眼鏡のブリッジを押し上げ、怒涛の未処理書類の山について淡々と正論で説教を始めた。
「何を言っているんですか、当主様。これは貴方が今までサボって放置し続けた書類です。つまりすべて当主様の自業自得なのですから、多少の痛みはご愛嬌でしょう」
「それ横暴すぎない!?」
私は、床に伏せて怯えるフリをしながら、その主従漫才を薄目でしっかりと見届けていた。
(……あ、あの律さんって人、容赦なさすぎて最高ね。でも、上があんなダメでだらしないチャラ男だと、下の苦労はさぞかし絶望的でしょうね。うん、これは煉十郎様への同情の余地ゼロだわ……!)
私の脳内では、律さんへの圧倒的な同情心とリスペクトが芽生え始めていた。
「さあ、書斎へ戻りますよ。今度こそ逃げられると思わないでください」
律は書類の束で容赦なく背中を突き流すようにして、煉十郎をそのまま執務室へと連行していった。
当主の姿が見えなくなると、律は一瞬で非の打ち所がないビジネススマイルへと切り替え、私に向き直った。
「お見苦しいところをお見せいたしました。蒼月家秘書官の律です。それでは、お部屋へご案内いたします」
「は、はい……っ」
私は小さく身をこわばらせ、怯えているフリをしながら彼の後ろをついていく。
けれど、うつむいた私の心の中では、律さんに対する信頼度が早くも急上昇していた。
(律さん、心から応援してるわ! 私は空気として完全に気配を消すから、絶対にあなたの仕事を増やさないわ。安心してね!)
苦労人である有能秘書官への深い敬意を払いつつ、私はこの蒼月家での「隠密隠居ライフ」の成功を、確信せずにはいられないのだった。
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「虫を出す平民と笑われた私、羽化したら世界唯一の水晶蝶! 表は天使、裏は冷徹な公爵令息に独占されます」→毎週水曜日の20時10分に投稿
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