第27話:結界の外の歪み
第一部の作成が終わりましたので、投稿を毎週月曜日・金曜日・土曜日の週3回に変更いたします!
30話まではこの頻度で投稿していきますので、是非読んでいただけると嬉しいです!!
夜の縁側でのあの出来事から、数日が経った。
私の部屋には、いつもと変わらない穏やかで平和な時間が流れているはずだった。
――しかし、私は押し入れの奥からトコトコと出てきた琥珀の様子が、明らかにどこかおかしいことに気がついた。
「……琥珀、どうしたの? そんなに身を硬くして……」
いつもなら「きゅ~!」と愛らしく鳴きながら真っ先にお菓子をおねだりしてくるところなのに、今日の琥珀は短いお耳をピンと垂直に立て、部屋の窓の向こう――すなわち、屋敷の外の方向をじっと鋭く睨みつけていた。
「きゅ……っ、きゅるるるる……っ」
琥珀は低く喉を鳴らし、これまでに見たこともない程辺りを警戒していた。
(……どうしたのかしら? こんなに剥き出しの敵意を露わにする琥珀は初めて見たわ……)
私は胸騒ぎを覚えながら琥珀をそっと抱き上げ、一体何に対してこれほど警戒しているのかを探ろうと意識を集中させた。
その瞬間、屋敷全体を包み込む空気がどこか異様に重く、肌にどろりとまとわりつくような、強烈に嫌な感覚が身体中に駆け巡った。
(……うわっ!琥珀が反応するまで全然気づかなかったけれど、何処からか禍々しい気配が漂ってきているわね……!)
この不穏な気配が一体どこから来ているのかを探るため、私はひとまず琥珀を部屋に残し、足早に庭へと出て屋敷を囲む「結界」の状態を確認することにした。
蒼月家の広大な敷地は、現当主である旦那様の強大な「水の霊力」によって紡がれた、清らかで強固な結界によって守られている。
(……確か精霊術の一族は、当主が代替わりするときに結界の術式も引き継ぐのよね)
古くから伝わる精霊術の家系では、代替わりの際、結界の源となっている霊基に手をかざし、新当主の精霊力の波形をそのまま結界へ組み込む。
そうして張られた結界は、並大抵の悪霊や穢れならば、触れた瞬間に跡形もなく浄化させてしまうと言われていた。
私は異変を確かめるべく、その結界の基点となっている、蒼月家の中庭の奥にある湧き水の池へと足を運んだ。
池の中心には、青く神秘的な光を放つ一本の宝剣が、石枠で組まれた強固な土台に深く突き刺さっている。そこは周囲の空気さえも澄み渡る、とても幻想的な空間だった。
(……ここが結界の中心ね。見たところ、かなり強力な結界が張られているようだけど……琥珀のあの反応は、どう考えてもただ事じゃないわ)
私は微かな震えを抑えながら池の縁にしゃがみ込み、そっと透き通った水面に指先で触れてみた。その刹那、結界が激しく歪み軋む音が鼓膜を震わせた。
――キィィィィィン……っ!!
「……っ、な、何の音……っ!?」
私は弾かれたように驚いて手を引っ込めた。すると、旦那様の清らかな水の霊力で満たされているはずの池の、まさにいま私が触れた部分がドロリと黒く濁った。
しかし私が驚いていたほんの一瞬の間に、その邪悪な濁りは、元の透き通った水に戻っていった。
(……元に戻った……? でも、いまの濁り方は普通じゃなかった。明らかに、凄まじい『悪意』によって、この結界が少しずつ侵食され始めているわ……!)
私がこの異常事態をどうやって旦那様に伝えるか、必死に思考を巡らせていた、まさにその時。
結界のさらに向こう側――屋敷の敷地外をぐるりと囲む深い森の奥から、おぞましい「怨嗟の声」が、地鳴りのように不気味に響き渡った。
(……もう! 今度は一体何なのよ……っ!?)
私は耳を強く塞ぎながら、声のした方角を睨みつけた。
すると、透明であるはずの結界の膜の向こう側に、一瞬だけ、巨大で禍々しい影がぐにゃりと浮かび上がった。
それはこれまでの悪霊とは、放つ怨念の格が違っていた。まるで古い書物に記されているような、凄惨な魔物の姿のようだった。
髪を逆立て、周囲の大気を腐らせるほどの濃密な邪気を四方に撒き散らしながら、それがこちらにゆっくりと向かってきているのがはっきりと分かった。
その巨大な悪霊が通り過ぎた背後の森は、大樹の葉が一瞬にして黒く枯れ、幹がボロボロに朽ちている。
まさに「この国の歪み」そのものが実体化して凝縮されたかのような、圧倒的な威圧感と絶望感だった。
「――っ、く……っ」
私はあまりの邪悪な気配に息を詰まらせながら、その巨大な気配に完全に圧倒されていた。
(……なにあれ……っ!? あんな禍々しい悪霊、一度も見たことないわよ……!?)
私は、あの化け物が結界にそのまま激突した際の衝撃波に備え、身を固くして身構えた。
――しかしその異形の影は結界の前で立ち止まり、しばらくの間、結界の壁の向こう側からじっとこちらの様子を見ていた。
その後ゆっくりと振り返り、再び深い森の奥へと引き返していった。
邪悪な気配が完全に去った後、私は激しく震える膝をどうにか抑えつけながら、張り詰めていた息を深く吐き出した。
身体中から冷や汗が吹き出す中、私の脳裏に、律さんから告げられたあの言葉が鮮烈によぎった。
『――あの方は、この国の歪みを一身に背負っておられます』
(……旦那様は、幼い頃からずっと……こんな化け物たちを相手に、たった独りで戦い続けてきたっていうの……?)
すぐ目の前まで迫ってきている、厄災の予感。
そして、それを清らかな水で独り受け止めようとしている旦那様のあまりにも深い孤独に、私は激しく心を乱されるのだった。
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