第26話:夜の縁側、大人の本音
第一部の作成が終わりましたので、投稿を毎週月曜日・金曜日・土曜日の週3回に変更いたします!
30話まではこの頻度で投稿していきますので、是非読んでいただけると嬉しいです!!
夜が更け、屋敷全体がしんと寝静まる中、私は昼間に律さんから聞いた旦那様の過去がどうしても頭から離れず、布団の中で横になりながらぼーっと天井を見ていた。
隣では、既に琥珀が「きゅ~……」と微かな寝息を立てながら、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。
私は少し火照った身体を夜風に晒して落ち着かせようと、琥珀を起こさないように部屋を抜け出した。
(……早く、このざわつく心を落ち着かせないと。私の最終目標は、あくまでこの家と円満に離縁すること、なんだから……)
暗い廊下を歩きながら、私は自分に言い聞かせるように何度も胸の内で繰り返す。そうして、淡い月明かりが差し込む縁側へとたどり着いた。
――けれど、そこには月の光を全身に浴びながら、一人で静かに盃を傾けている旦那様の姿があった。
(……っ!)
不意に目に入ったその姿の美しさに、私は思わず息を飲んだ。
昼間のヘラヘラとした空気は一切なく、ただ黙って夜風に吹かれている横顔は、どこか冷徹で、月の光に溶けてそのまま消えてしまいそうな程儚く見えた。
あまりの雰囲気の変わりように動揺した私は、咄嗟に後退り(あとずさり)をしようとして、サッという小さな衣擦れの音を立ててしまう。
(……しまった!)
私がそう思った瞬間、旦那様がゆっくりとこちらを振り返り、私の視線と真正面からぶつかった。
私を見た旦那様は、一瞬だけ驚いたように目を見張ったが、すぐに穏やかな微笑みを浮かべると、自分が座る座布団の隣をぽんぽんと優しく叩いた。
「……おや、紗夜ちゃん。こんな夜更けにどうしたんだい? 眠れないのかな?」
「……は、はい。なので、少しだけ夜風に当たれば、眠れるようになるかな、と……っ」
私はおどおどしながらも、旦那様が促した場所から少しだけ離れた位置に、ちょこんと小さくなって腰かけた。
それから、私は盗み見るようにそっと旦那様の横顔を窺う。旦那様は何も言わず、ただ静かに中庭を見つめていた。
いつもと違いすぎる、大人の男の静謐な佇まいに、私の心臓はうるさいほどドキドキしていた。
しばらくの間、二人きりで静寂に包まれた庭を眺めていると、旦那様は手元の盃をそっと揺らし、池の水面にきれいに映り込む月を見つめながら、ぽつりと静かに呟いた。
「……紗夜ちゃん、ここでの生活は楽しいかい? ……僕はね、君がこの屋敷に来てくれてから、ずっと寒々しかったこの場所が、少しだけ明るくなった気がしているんだ。……君のおかげで、ずいぶんと居心地が良くなったなと思ってね」
旦那様はそう言い終えると、今度は私の方へとゆっくり顔を向けた。
青白い月の光に照らされながら、心底愛おしそうに、そして慈しむように微笑む旦那様。その瞬間、私は初めて、彼の分厚い仮面の奥にある「本当の素顔」に触れられたような気がした。
『――紗夜様が嫁いでこられてから、あの方の笑顔は、少しずつ本当の優しさを帯びるようになったと私は思っています』
昼間に律さんから告げられた言葉が鮮烈に脳裏に蘇り、私の胸は嬉しさと切なさと、どうしようもない愛おしさで激しく入り乱れていた。
「……わ、私は、何もしておりません……っ! 私の方こそ、ここまで良くしていただいて……何てお礼を申し上げれば良いのか……っ」
顔や耳まで真っ赤になっていくのを感じ、私はそれを隠すように、下を向いて消え入りそうな声で返すのが精一杯だった。
旦那様はそんな私の様子を見て、もう何も言わなくてもいいよ、と全部分かっているかのように、私の頭をそっと、大きな手で愛おしそうに撫でた。
「……夜風が冷えてきたね。そろそろ部屋に戻ろうか。おやすみ、紗夜ちゃん」
旦那様はただ低く優しい声でそう告げると、立ち上がって静かに去っていった。
旦那様が去った後も、私はしばらくの間、縁側でぽつんと佇んでいた。
私は、旦那様の温もりがまだ残る頭にそっと手を当て、夜空に浮かぶ月を見上げた。
(……もう、夜の旦那様は反則だわ……。あんな真っ直ぐな顔で、優しいこと言われたら……私の決意が、鈍っちゃうじゃない……っ)
旦那様への情が日に日に大きく膨れ上がっていく。私は胸を締め付ける愛おしさと切ない苦しさを抱え込みながら、自分の部屋へゆっくりと戻るのだった。
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