78.ノーラント城
いつもの通り、厩舎でユニコーンさんのお世話をしていた時のことだった。
彼のつやつやとした黒い瞳が瞬いて、そこにかつて見た理性の光が戻る瞬間を、確かに私は目の当たりにした。
「……ユニコーンさん?」
『お前ハ……確かナフィアと言ったカ ウう、思い出せない、私ハ今まで一体何ヲ……』
「っ! う、うう、良かった……知性が戻ったのですね! また貴方と、お話しが出来る。あの時のこと、ちゃんと謝れる……!」
思わず涙ぐみ、私は彼の白い首に抱きつきしがみつく。ユニコーンさんは困惑した様子で、それでも私が落ち着くまで待ってくれていた。やはり彼はとても優しい。本当に、元に戻って良かった。
「あの、以前はピクシーさん達を攫ってしまって本当に済みませんでした。知らずに『妖精の花』を摘んでしまったせいで、一人亡くなってしまって……他のピクシーさん達はあの後森に返しましたが、私、本当に許されないことを」
「……ああ、段々思い出しテきた ナフィアよ、もう良い 確かにお前ハ過ちを犯しタが 知性を無くした私ヲ、お前が親切ニ世話シテくれた事も思い出しタ 私はお前ヲ許す ダカラそうメソメソと泣くんじゃなイ」
ユニコーンさんは、そう言って慰めるよう私の顔に頬を擦り寄せる。温かくも優しい声色。ああ、彼を心配させてしまっている。泣くのを止めたいのに、私の目からは次々と涙が溢れて止まらなかった。
「ナ、ナ ナフィアーーー!!」
急速に近づいてくる大声と同時、息を切らしたロッカが厩舎の入り口から姿を覗かせる。
そうして私がべそべそと泣いているのを見て、彼女はぎょっとした顔で言葉を紡いだ。
「チョット どうしちゃったノよ! ナフィア」
「ロッカさん! ユニコーンさんの知性が戻ったんです、グス 早く、皆に知らせないと」
「エエッ!? ナンデ次から次へト……ナフィア、こっちモ大変ナことガ起きたのヨ 覚悟して聞きナサイ」
「えっ、は、はい。なんでしょう……?」
「大広間で眠っていた『姫様』ガ 目を覚ましたのよ! しかも手足がヒトリでに生えテ……今、ヨンカが姫様を診てる ナフィアも急いで来てチョウダイ!」
「つまり貴女達コボルトは神様により知性を与えられ、フィリス兄様の指示で聖痕騎士団と戦ってきたと」
「エエ、それにしても、貴女がフィリス様の妹だなんテ……ナフィアはこの事を知ってタのかしら」
「ナフィア?」
「私達だけデなく、ハーピーも神に知性を与えられタの。その一人のナフィアは、侍女トして貴女の側にずっとイタのよ。今はユニコーンの世話に出ているケド」
「ヨンカさん! ひ、姫様は……!」
「アラ、噂をスレば」
カーテンで締め切られた暗い大広間。その中央には、いつも私がそばで眺めていた姫様……フィオナ姫が、その身を起こしてこちらを見つめていた。
肩より伸びた金色の髪に、透き通るような青い瞳と白い肌。しなやかな足をたたみ、細い手を床につき座り込むその少女は、私の方を見てにこりと優しく微笑んだ。
「綺麗な花を持ってるのね。それに素敵な赤い帽子、とても似合っているわ。私はフィオナというの。貴女の名前を聞いても良いかしら」
その愛らしく美しい笑顔に、私はすっかり緊張してしまってモジモジとしたまま言葉を失う。やがてヨンカさんが「ナフィア」と苦笑いで私の名を呼ぶのに合わせ、意を決して言葉を紡ぐ。
「私は、ナフィアと言います。その、このお花はフィオナ姫のために……」
「あら嬉しいわ。ありがとう、ナフィア」
「えへへ。わ、私。姫様とずっと、お友達になりたかったんです。私たちは似てるとオルフィス様も仰っていました。だから、私とフィオナ様はきっと仲良くなれると思うんです」
私の言葉にフィオナ様は青い目を丸くした後、朗らかな笑い声を一つ上げて、ゆったりとした動作で立ち上がる。ふらつく彼女の体を咄嗟に駆け寄って支えると、フィオナ様は口元に浮かべた笑みをより深くして言葉を紡いだ。
「ナフィアは可愛いのね 私、貴女のことをとても気に入ったわ、ぜひお友達になりましょう。これからよろしく、ナフィア」
そう言ってフィオナ様は、私の体に腕を回し抱きしめた。とてもドキドキして、でも私は意を決して自らの翼を彼女の背に回す。
「アナタ達、本当に並ぶとソックリね」
「ええ、何だか妹が出来たみたいで嬉しいわ。私は末っ子だったのだけど、本当は少し『姉』というものに憧れてたの」
「姉、ですか?」
「そう! 私にはね、メレノアという腹違いの姉が居たのよ」
「……」
「そうだったのですね!」
「ええ。とても、大好きな人だった。今は何処かで元気に過ごしてる筈なのだけど……いつか貴女達にも会わせてあげたいわ」
「それデネ! あの後フィオナ姫と知性ノ戻ったユニコーンを合わせタのだケド 喧嘩ニなっちゃっテ あのウマ言うに事カイテ 『ナフィアと同じ顔ナノに臭イ!』って姫様に向かっテ……本当に失礼ヨね しかもあろウことカ 姫様を角デ突こうトして イヨイヨ怒ったフィオナ姫がユニコーンにヘッドロックを」
「ゴロス 助けてクレ ロッカずっと喋ってル」
「お前が誘っタんだろ ニクス 漢トして責任ヲ取れ」
そ、そんな重い責任を負った覚えはない。
夜になり、俺とゴロスとロッカは城の一室で軽食を摂りながら、コボルト同士の話し合いに興じていた。
ヨンカとナフィアはまだ姫様につきっきりだ。本当に今日は色々なことがあった。フィリス様の妹であったという姫様の目覚め、ユニコーンの知性が戻ったこと。そして。
「……ロッカ 今から大事ナ話しスル 聞いてくレ」
「何よオ、ニクス 私がしてる話ダッテ大事な」
「イイから ロッカにモ聞いて欲しいンだ ロクスも関係するコトだから」
ロクスの名に、ロッカはぴたりとその口を閉ざした後、大きな瞳からボロボロと大粒の涙を溢した。
「ロ、ロクスお兄ちゃん……う、ウぅ」
「オイ、ニクス 泣かせてドウスル ようやくサブロの件からモ 立ち直ッてきタのに」
「それでも、ロッカはチャント知るべきだ ゴロス、イチロがオルフィス様とウォルフ連れテ 王都向かっタの知ってルだろ?」
「ア、あぁ 理由は聞けなかっタが 何か知ってルのか? ニクス」
「……俺とイチロはウォルフから 近々フィリス様ガ神様にお願いシテ 『人間』の知性奪うって話ヲ聞いてタ そしてロクスはそれを邪魔しようトしたカラ 王都に監禁サレてるんダって イチロ達はその真相確かめルため 城を出た」
俺の言葉に、ゴロスとロッカは息を呑んだ。
今日起きた出来事の一つ。それはノースフィールにて人間達が一斉に会話能力を失い、一部に至っては四つ足で動くようになったという奇妙な現象だ。
……コボルトとハーピーは神アストゥラルにより知性を与えられ、そうしてユニコーンは奪われた後に戻された。薄々と、俺たちの頭にはある悍ましい仮説が組み立てられていたが、皆あえてその追求を後回しにしていたのだ。しかし。
「ウォルフの言う通リ 人間達ニ異変あっタ その話がいよいよ本当カモしれナイと そう言うことカ」
「アア」
「お、お兄チャンが監禁!? 急いで助けニいかなキャ!」
「イヤ、おそらくロクスはモウ 解放サレてる筈ダ フィリス様は人間の知性無くなるノニ ロクスを閉じ込めたママにはしないハズ」
俺の言葉に、ゴロスとロッカは顔を見合わせた後、ひどく困惑した様子でこちらを見た。
「ホ、本当に フィリス様がやったと言うノカ……?」
そのゴロスの震える声色を前に、俺は静かに目を閉じた。信じられないと、そう思う気持ちは痛いほどによく分かる。故に俺もあの時、イチロに全てを委ねて知らぬふりをしてしまった。
しかしこうなった以上、最早自分も腹を括るしかないだろう。
……フィリス様は、いつだって俺たちコボルトの事を考えてくれていた。
『サブロは死の間際、俺にこう言った。残された者達を幸福な世界に導いて欲しいと。俺は彼の意志を継ぎ、必ずやその言葉を実現するとお前達に約束しよう』
それは最後に会った時、彼が俺たちに約束したことだ。
今思えばそれがどういう意図をはらんでいたか、そうしてなぜ『生きて帰る』という約束を自身と交わさなかったのか。その意味をじわじわと理解し、手が震える。
「ニクス 他に何カ知ってルことハ」
「……」
「今俺たちニ その話ヲしたのハ 何かして欲しいコトがアルからだろ? 遠慮せず正直に話してクレ」
ゴロスの言う通りだ。
ウォルフの話が本当なら、今すぐ確かめなければいけない事がある。だが同時に、自身とイチロが聞いたありのままの話を、正直に伝えるべきではないと分かっていた。
目的のため、仲間に嘘を吐いて都合よく動かそうとすることへの罪悪感。フィリス様も、きっと何度も同じ思いを味わっていたのかもしれない。
そう思いながらも、俺は重い口を開いてゴロスとロッカにその『嘘』を告げた。
「……『理由は分からない』ガ オルフィス様やパウロル様達、ノースフィールの領主 命狙われてテルって ウォルフが言ってタ だからノースフィールに残っテル 領主達の安否ヲ今確認したイ 悪いがその役目を ゴロスとロッカにお願いしたいんダ 俺はオルフィス様ト……そしてフィリス様の安否ヲ確認するタメ王都ニ向かって イチロやロクス達と合流すル」




