77.卑王
即位の儀よりまだ日のある今日。突如『悠久の神殿』付近の広間に呼び集められた民衆は、不安げな眼差しをこちらに向ける。
「……今日、諸君らを呼び集めたのは他でもない。女神エーティエルは、我らが捧げた血と肉の贖罪をしかと受け取り賜うた。故にこれより、『女神降臨の儀』をとり行う事とする!」
その言葉に、民達は一拍遅れてわっと歓声をあげ喜びの意を示した。
これでようやく、俺たちは救われる。
ありがとう女神エーティエル様。
フィリス王、万歳!
そんな、ある種無邪気な声が方々から上がる。
……かつてであれば、それを無辜なる民達の喜びと感謝の証とし、自身も素直に受け取っていたことだろう。
だが、俺はもう『人間』そのものを信じられなくなってしまった。
頭では分かっている。人間と知性ある魔物達との間に、きっと大きな違いはない。彼らの中には、妹フィオナや叔父オルフィス、パウロル達のよう、善良な人間だってきっとまだ沢山居る。
「フィリス王子!」
民衆の中から、一人の少女がこちらへと歩み出た。肩で切り揃えた黒い髪、青い瞳に薔薇色の頬を持つ美しい少女の姿。
「私は、商都ウェスティンより来た親なし子です。女神降臨の儀には、新たな贄が必要となるはず。どうか私の身を、女神様の依代としてお使いください」
その乙女の青い瞳には、心からの慈愛と献身、そうして壮絶なまでの覚悟の色がありありと浮かんでいた。
「……ありがとう。民の幸せを願う貴女の純粋な想いに、いと慈悲深き女神エーティエルもきっと応える事だろう」
ああ、そんなものは真っ赤な嘘だ。女神はとうに死んでいる。俺たち王族や騎士達の悪意と、民の無知と無関心によって、この神殿にて一人惨めに死んでいったのだ。
「娘よ。壇上に上がり、私の隣に来い……そうして聖ラミシスの民よ! これより我らの恒久の平和の礎となるべく、その尊き身を捧げようとする娘の姿を良く見るが良い」
一歩一歩、階段を登るうら若き乙女の姿に民衆の視線が集まる中、俺は脳裏でかの男神の名を呼ぶ。
「お、いよいよ始めるのかい?」
「(ええ、アストゥラル神よ。まずは一つ目の望みを叶えて頂きたい)」
「オッケー……よし、出来た出来た」
そんな呑気な神の声が響いた後、いよいよ娘が壇上へと上がる。悠久の神殿を背後に、民の前へと向きなおる娘の姿に、周囲から感嘆の息が漏れた。
「おお、なんと美しい」
……それが彼女の容姿のことを指しているのか、それとも心映えを指しているのか。最早そんなことはどうでも良かった。
俺はたまらず乾いた笑みを零した後、辺りに響く大声を上げ、かつて守ろうとした己の民達に最期の言葉を残す。
「ああ、我が聖ラミシス国の人間達よ! お前達より弱く、哀れで、そうして美しいこの娘を捧げた先に築かれる未来は、さぞやより素晴らしく美しいものとなることだろう! もうお前達は何かに悩まされることも、苦しみを味わうことも無い。罪を罪とも思わぬ、無辜なお前達に相応しい世界がこれより来るからだ!」
その演説に一部の民衆が顔をしかめ、不安と不審を露わにする。今更気づいた所でもう遅い。神より授けられた知性を正しく使うこともせず、怠惰と利己に流され続けた結果、自分たちが一体『何』を自らの王として担ぎ上げてしまったのか。それを知る機会も必要性も、これより永遠に失われるのだから。
「……フィリスよ。これまで私は、女神の肉を喰らった王の末裔たる君に『罰』を与えて続けきた。今、その罪を許そう。これより私が成す神の御業は、この間違った世界に在りながらも悩み、苦しみ、そうして正しくあろうと足掻いた君達『善』き者にとっての救いと……」
「私は今、お前達に約束する。もう善き者が、悪しき者共に虐げられる事のない美しい世界を。善も悪も全てが平等に均され、等しく皆が魔物に食い散らかされ、その腹に収まる。そんな滅びの終焉を約束しよう!」
「善き……いや、前言を撤回しよう。やはり君は邪悪の権化だ、フィリス・トエル・ラミシス。見てみろ君の隣に居るかわい子ちゃんの絶望に染まりきった表情を。本当に良心というものは傷まないのかい君?」
「……男神アストゥラルよ! 愚かな人間共に、どうか神の裁きを」
「はいはい分かった。私も今、君との最後の約束を果たそうじゃないか」
ああ、最後の最期までやかましい神様だったなと。そう頭の中で思う。
この声とも、いよいよお別れか。あまり名残惜しくもな……いや本当に残念だ全く。
「私もこんな別れになってしまうのを心底残念に、名残惜しく思うよ。君がしわくちゃのお爺さんになるまでしつこく取り憑いてやかましくしてやろうと思ってたのに……」
アストゥラル。
「何だいフィリス」
妹のフィオナと魔物達のことを、どうかよろしく頼む。
「……『自分でやれ』と言いたい所だけど、まあいい。任された。だから君はもう安心して、ゆっくり休むと良い。人の勇者。そうして魔物達の王フィリスよ」
フィリス様の恐ろしい演説に皆が固まる中、不意にその瞬間は訪れた。
「イチロ! 今だ!」
「ああ……!」
人ごみから勢い良く飛び出したイチロが、『霊兎』アルミラージの竜骸を発動させ一気に階段を跳び上がる。
『姿惑わしの首飾り』で人間に変装したイチロを前にして、以前のフィリス様であれば咄嗟に身構え対応していただろう。しかし……。
「ッ! ウオォーー!!」
イチロはフィリス様と、そうして隣にいた少女の身を抱え、急いで壇上から飛び降りる。
……それから数秒し、ハーピー達の落とした爆弾により先ほどまで彼らのいた地面が木っ端微塵に吹き飛び、爆風が吹き荒れた。
俺とイチロは急いでヒトのうごめく広間から逃げ出し、王都の街道を駆け抜ける。
その後を追いかけるのは、先ほど神殿の付近に爆弾を落とした数体のハーピー達の姿だ。
「ちょっとアンタ達! 何してんのよ!」
「フィリス様の合図があったら、爆弾で吹っ飛ばせって命令されてるのよアタシ達! 早くフィリス様を渡しな!」
「バカーーーッ! お前タチ! 命令されたカラって 自分たちの王ヲ吹っ飛ばそうトする臣下ガ 何処に居るッテいうんだ!!」
「ギャハハ! 何処にって、今ココに居るじゃないのよぉ!」
「アンタたちって本当イイコちゃんねぇ! 王の命令だからこそ従うんじゃないの! アタイら伊達に汚れ仕事やってないのよ! 根性無しのアンタ達コボルトとは違ってねぇ!」
ああ……話してて頭が痛くなる。彼女達のプロ意識の高さと、その欠如した倫理観には往々にして着いていけない。今回フィリス様に告げ口されたり不審を持たれることを恐れ、ハーピー達に対する根回しはあえて行っていなかったが。その判断は正しかったようだ。
「ソレよりアンタの隣! 何で動ける人間がいるのよ!? フィリス様の話じゃあ、人間はみんなバカになるって言ってたのに」
「エッ、ひょっとしてアタシ達早まった?」
「待って。爆弾の音がしたら、外にいるハーピー達がジニアスとかいう奴を食べるって……」
ハーピーの一人がそう言うや否や彼女達は沈黙の後、ギャアギャアと悲鳴に近い声を上げ、慌ててこちらを追うのを止めて壁外へと飛び立っていった。
「……ロクス、だいぶ杜撰な計画ダガ 運が味方したナ」
「そう言うナよイチロ……オレだって潜入トカ、ソレなりに頑張っタ」
「ああ、済まナイ 今のは自虐のつもりだっタ ロクスは本当に 良くやっテくれたよ」
いや、先ほどのイチロの働きこそ遜色のないものだった。やっぱり俺は何をやらせても締まらないなぁ、トホホ。
……あの後俺とイチロは王都に残り、無知性化した後のフィリス様を奪還する作戦を練り、機会を伺っていた。
俺はフィリス様自身の口より、人間を無知性化した後、彼が死ぬということを伝えられている。
本来であれば俺は屋敷に監禁されたまま、全てが終わった後にハーピー達の手により扉から出される手筈であったのだ。しかしイチロの決死の救助によりそれが覆った。
『俺はハーピーの姿化けテ 情報集めル おそらくフィリス様は自身の殺害ヲ ハーピー達に命ずるダろうカラ』
その推測には、ある程度の根拠があった。なぜならあの監禁部屋の扉には、フィリス様の竜骸による反射の魔術が掛けられている。彼が無知性化すれば、本来誰も開けられなくなる筈だったが……。
術者が死ねば術は解かれる。それが魔術の基本的な原則だ。それゆえ俺を救出するハーピー達には、フィリス様を確実に殺せという命令が下されていた。プロ意識の高い彼女達は、自らに命じられた任務を必ず達成しようと行動するだろう。
……それにフィリス様は、ハーピー達に『屋敷の奥にはとっておきのご馳走が隠してある』と伝えていた。俺が彼女らの姿に化けて潜入する時、遠くからとは言え直接本人が言っているのを聞いたから、確かな情報である。フィリス様……そしてハーピー共め……。
「コレからどうする? 王都の外ニ向かうか?」
「アア、フィリス様ヲ イチロ達運んだウォルフとかいうヤツに預ける その後屋敷のメレノアとオルフィス様回収しよウ ……ちなみに、イチロ その女ハ」
「俺の、知り合イだ」
「ソウカ……じゃあ一緒ニ連れて帰ろウ」
今イチロが運んでるフィリス様と女は、打ち込んだ麻痺毒により眠りについている。
……フィリス様が言っていたよう、これから俺達がすべきことは山のようにあるのだろう。
だがまずは彼らを無事に王都から運び出し、ノースフィールの地に帰る。あそこには、あの始まりの地には、俺たちの仲間が帰りを待っているからだ。
例えこの先にどんな困難が待ち構えていようと、もう恐れるものは無い。
だって俺たちは最大の試練を乗り越えた……その証に、かけがえのない我らの『王』の確かな温もりが、今此処にあるのだから。




