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76.最後の仕事



「アストゥラル神よ」


 こちらの呼びかけに、数拍おいてかの男神の声が脳裏に響く。


「はいはーい」

「今、どちらにおられるのですか?」

「正直にそれを言ったとして、私に何かメリットはあるのかい?」

「ええ……今正直に吐けば四肢と両の目玉でなく、腕か足の一、二本で許しましょう」

「ハハハ、笑えない冗談……何? 冗談じゃないって? ちょ、待ったフィリス」

「ドラゴンに変じて移動したのは失策でしたね。北に派遣していたハーピー達の警戒網に掛かった結果、こうして俺はノースフィールの領主らの異変に気付き、先手を打つことが出来た。ハハ、彼女らは優秀な兵隊ですからね。貴方が変身を解いて留まっているだろう箇所も、目処はついてる。何よりお忘れですか? 俺にはロクスに授けた、規格外のオドを持つ者を見抜く目の魔術が……」

「フィリス、私が全面的に悪かった。どうか怒りを収めてくれ。ほ、ほら。君と私はまだ協力関係にあるじゃないか。人間を無知性化する為に、私の力が必要なのだろう?」

「俺たち人間は、かつて女神エーティエルの肉を取り込みその力を得た……どこまで喰らえば、精神領域とやらの門を操作する権限を得られるのか。貴方が得たという肉体で実際に試してみるのも、悪くないとは思いませんか?」


「……わ、私を脅したってムダだ! 本当にいざとなったら、己が身を削ってでも私は『人間』の知性を取り上げる。その後に『夜鬼王』の種族も無知性化してやる。そうされてしまったら、困るのは君の方だろう!?」


 そのアストゥラル神の訴えは、至極最もなものであった。故に俺は、自らの中にあった強い怒りを辛うじて抑えるよう努める。


「全て冗談です、アストゥラル様。俺と貴方はずっと、善き心の友の筈だ」

「全然冗談じゃなかったんだよなぁ……いやあでも、君がそこまで怒るとは本当に思ってもみなかった。悪かったよ、フィリス」


 ……あまりに悪意がない男神の声色に、ようやく俺も心中の平穏を取り戻した。


「なぜこんな馬鹿な真似をしたのか、理由をお聞きしても?」

「おっ、歯に衣着せぬ物言い〜……はいはい、分かった。ちゃんと真面目に話すよ。私が君を裏切りイチロ達に計画を話したのは、彼らコボルト達を心底哀れに思ったからだ」

「哀れに?」


「ああ……もし計画通り君が自死すれば、コボルト達は何も知らぬまま、君との永遠の別れを経験することになる。それはあまりに残酷なことだと思わないか? 自分の立場になって考えてみろフィリス。もし君が……妹のフィオナ姫が儀の生贄になることを知らず、全てが終わった後にそれを知らされたら、君は一体どういう気持ちになる?」

「……」

「私も、もし自分が今の精神構造をもって妹エーティエルの危機に居合わせていたら一体どうしていただろうと、そう考えたことも無くはなかった。故にナフィアに助けを求められ、そうして祈られた時も血迷ってしまったのだろうな……フィリス、命はひとたび失われれば取り返しの付かないものだ。コボルト達がお前の死を後から知れば、酷く悲しみ、一生後悔することになるだろう。だから私は彼らに知を授け、選択の機会を与えた」

「なるほど。つまり貴方はコボルト達に同情したが為、このような愚を犯したと」

「……その言い分には反論させて貰おう。そもそも愚を犯し続けているのは君の方だ。フィリス・トエル・ラミシスよ。彼らコボルトは君の私利私欲に巻き込まれ、卑劣な嘘で丸め込まれ、要らぬ戦いを強いられた哀れな被害者。そうして君が人間達に代わる『正しき者』として、妹フィオナを任せるに足ると認めた者達だろう。今になって、そこを履き違えて貰っては困る」


 そう告げるアストゥラルの言葉には、ある種の芯の強さが備わっていた。ああ……そうか。


「……神よ。貴方が言う通り、俺は愚かな『人間』です」

「ああ」

「だから人間の知性は取り上げる。その是否について、我らの間に相違はない」

「うん、無いね」

「つまり求める結果と、目指すものは同じであるにも関わらず、貴方は俺の『やり方』を否定したという事になる……俺の歩んできた道のりは何処までも歪で、間違いだらけのものだからか」


「その通りだフィリス。でも私は、敢えてそんな君を強く止めることはしなかった。むしろ楽しんでいたと言っても良い。私としては『聖痕』をこの地上から取り除いてくれれば文句は無かったし、その過程で色々面白いものも見れたからね」

「そんな貴方がコボルト達に肩入れしはじめ、正しくあろうとしたのは、肉の器を得て彼らと共に生きる覚悟を決めたから。そういう事なのですね、男神アストゥラル。いや、神の使者ウォルフよ」

「……そもそもは、それだ! 君は私に随分と罪を擦りつけてくれたものだからね、寛大な私とて愛想の一つや二つは尽かして当然だと思わないか!?」


 逆ギレ……いや、これはまあ正当な怒りだろう。


「そうだろう? だから今回の件は痛み分けということにしようじゃないか」

「分かりました」

「ふぃ〜〜……じゃあ、また用が出来たら呼んでくれ。君と話してる間、私の肉体は無防備になるんだ。留守にしてる間、手足の指を魔物に齧られでもしたら、溜まったものじゃないからね」

「護衛としてハーピーを貴方の元に遣わせましょうか?」

「やめろやめろ、何で本当に齧ってきそうな魔物をチョイスするんだ。おい、本当にやめてくれよ。フリじゃないからな?」


 その言葉を最後に、アストゥラルの声が途絶える。



「……ハーピー達も、そこまで悪い魔物では無いのだが」

「フィリス様ぁ、今アタシ達のこと呼んだ?」

「ああ、呼んだとも。もし北の森に人間の青年が倒れていても、決してつまみ食いはせぬよう皆に伝えてくれ」

「? ハァイ」


 彼女らはクスクスと何かを囁き合いながらも、自らの仕事に戻る。


 ……自身が今居るのは、王都の付近に設けた死体置き場。目の前には、聖痕の秘術の応用で生かされたジニアス・リラミスの姿があった。


 四肢と陽物を切り落とし、目玉を抉り、髪と肌を火で炙ったその姿は最早人の原型を留めてはいない。しかしこの状態でも、彼はまだ生きているのだ。


「もうすぐお前に会えなくなるのが、無念でならないよ。ジニアス……今までお前達が力を振るうべく捧げてきた『芯材』達の気持ちが、今となっては良く理解出来ることだろう。なにせ今お前の生命を維持しているのは、彼らに施す秘術を応用したものなのだから」


 女神が『悠久の神殿』にて命を落とした後。彼らは己の血族の一人を『祀り』擬似的な女神として機能させ、聖なる力を引き出す術を編み出した。それが芯材を用いた『聖炉』の秘術だ。


 この秘術が炉と称される由縁は、本来女神を祀っていた際には不要であった薪を必要とするからだ。大いなる力には代償が伴う。燃料は人でも魔物でも良いが、それを芯材の持つ『聖痕』を媒介に上位世界へと捧げ、力を引き出す。


「天から得られた力を、今はお前の生命を維持する為の魔力に充てている。やはり燃料は、同族の肉体が最も適しているようだ。ハハ、よかったなジニアス! お前には随分と人望がある。定期的に南のリラミスの地より薪材が……騎士達が兵を率いてお前を助けに来るのだからな」


 今、彼の周囲に積まれている亡骸は、皆リラミスの末裔たる騎士達のものだ。俺とハーピー達、一部の残されたコボルトらが捕縛したものを生贄とし、残りは全てハーピー達の糧食として地に撒いた。


 悠久の神殿に移されていた、本来の聖炉はすでに破壊している。騎士達はもはや聖痕の秘術を扱えず、しかし一縷の望みを……ジニアスの心臓に根付いた『大聖痕』を取り戻し、新たな聖痕所持者の血液を元に、再び聖炉を作ろうとしているのだろう。何とも哀れで、無様なものだ。


「俺たちは実に三百年もの間。祖先が築いた過ちの産物に縋り、間違いを正すどころかこんな悍ましい物まで生み出して、更なる過ちの歴史を重ね続けた。だがそれも、もうじき終わりを迎える」


 コボルトらの心残りとなる領主らを殺害し、ロクスとハーピー達に後を託した。


 後は王都の民衆を呼び集め……自らがすべき仕事を終わらせるだけだ。

 魔物の軍勢を率い、人の王国を滅さんとする王としての、最後の仕事を。


 

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