74.理由
後ずさり、間合いを取りながら攻め手を考える。
……駄目だ。何処から打ち込んでも敗北する未来しか見えない。国中の魔物を、ドラゴンさえも討ち倒したといわれる英雄。勇者フィリス。いくら実戦の経験を積んだとはいえ、コボルトの自身が敵う相手ではないのだ。
彼は『暴力』によって俺達を制圧しにかかったが、正しくそれは理にかなったものなのだろう。強い者が力を振るえば、弱い我らは従わざるを得ない。弱肉強食。生まれた時から俺たち生物の身に染み付いている、残酷な自然の理だ。しかし。
「(……まだ諦めない)」
剣を交える以外に、きっとこの状況を打開する方法はある筈だ。
「(思い出せイチロ。ウォルフやオルフィス様、メレノア、そしてフィリス様が言っていた事を)」
神アストゥラルは、我らコボルトに知性を授けた。そうしてその時、俺の家族はとうに死にかけ手遅れの状態であった。もうあの時のような想いはしたくない。だから知恵を振り絞り足掻く。
そうしている内に、ふと俺の頭に一つの案が浮かんだ。
それは作戦というには余りに馬鹿らしく杜撰なものだったが、もうこれに賭ける他ない。
「……何をしている、イチロ」
「動かないデください」
そう言って、俺はゆっくりと歩みを進め扉の方へと近づく。
フィリス様は、俺の命令に従い動くことはなかった。思惑通りに事が進み、ホッとするのと同時……俺はただ泣きたくて仕方がない気持ちになった。
構えていた黒曜石の剣をそのままに、俺は今、懐から取り出した短剣を自らの首筋に押し当てている。
自らの命を人質に取っているのだ。
フィリス様は、殺していい命とそうじゃない命の区別を明確に付けている。
ウォルフが言っていたフィリス様の計画、人類の無知性化の目的が本当に俺たち『魔物』の為だとするなら、そしてオルフィス様の言葉が誠であるなら、この脅しは効くと思ったのだ。そうしてそれが今、現実になっている。
扉の前まで来て、俺は首筋の短剣をそのままに剣を振り上げた体勢で、フィリス様の目を見る。
「フィリス様、今から俺はコノ扉を竜骸の力使って本気で壊す」
「……」
「メレノアはフィリス様が扉開ける鍵ダト言ってた コノ扉を開けるか、『反射』の魔術解かないと多分俺は死ヌ でも、もし死んでも後悔はナイ 俺はロクスを助け出して……そうしてフィリス様、貴方ト話しガしたい どうして俺たちニ何も言わずこんなコトをしたのか、それを知っタ上でこの計画ヲ止めて、貴方をノースフィールに連れて帰ル その為に、俺は自らの命ヲ懸けヨウ」
フィリス様はしばしの沈黙の後、言葉を紡ぐ。
「なぜ、俺を連れ帰ろうと思うんだ? 今俺は、お前の目の前でオルフィスの首を刎ねただろう。憎くはないのか」
「……憎いニ決まってルだろ!! フィリス様……イヤ、フィリス 俺は今貴様がシタことを決して許さなイ でも俺はソウだとしても仲間は ニクスやナフィア達は 貴方に帰ってキテ欲しいと心からソウ思ってる筈ダ だから連れて帰ル 俺のためじゃなイ、全てはノースフィールで俺たちの帰りヲ待つ 仲間の為ダ!」
そう言って俺は、石亜竜の竜骸に魔力を込め、扉に向け勢いよく剣を振り下ろした。
……魔術による反射の防壁は、発動しなかった。木製の扉が派手な音を立てて破壊され、吹き飛ぶ。次いで中からロクスのものと思わしきコボルトの悲鳴が聞こえた。
「ナニ!?? 一体ナニが起きタ!?」
「ロクス俺ダ! イチロが今 お前助けに来タ!」
「……! イ、イチロ 無事だったノカ!」
奥から足音とジャラジャラ鎖を引き摺る音がし、俺は見ずとも中の状況を察する。ロクスはきっと今、鎖に繋がれているのだろう。参った。フィリス様を警戒している状況で、俺が今部屋の中に入るのはリスクが高い。なんとか長剣だけ投げ渡し、ロクスに自力で鎖を破壊して貰うか……。
「イチロ」
先ほどとは打って変わって、柔らかみを帯びたフィリス様の声色が聞こえる。
ぞわぞわと背筋が怖気立ち、同時にひどく懐かしく泣きたい気持ちが胸へと来去した。
今もなお覚えている。彼に拾われたあの日。壊滅したコボルトの集落でただ一人俺だけが生き残り、彼の治癒魔術を受けた後。俺は妻子を殺した人間達への憎しみに身を任せるまま、正面からフィリス様に襲い掛かりその喉笛を食いちぎり殺そうとした。
それを彼は、自らの腕で攻撃を受け止め、そうして今と同じ優しい声色で俺へと語りかけたのだ。
『俺も人間達に、母を殺され妹を傷つけられた。お前が抱く憎しみは、自分の事のように良く分かるよ』
……ああ、その彼の言葉があまりに優しく、真に迫ったものだったから。俺はつい『縋って』しまったのだ。
その後もニクス、ヨンカ、ゴロス、ロクスと仲間が増え、サブロと再会し。そうして彼らもまた、フィリス様に負けずと劣らない優しい心を持っていることを知った。無邪気に「国を作りたい」「皆が幸せになれる世界を築きたい」と語る皆を目の当たりにし、俺はいつしかその明るい未来を彼らと共に夢見て、必ずフィリス様と俺たちの手で実現するのだと。そんな希望を抱いてしまった。
きっとコボルトの中で俺が最も、フィリス様の気持ちを痛いほど理解出来る。
……だからこそ、なぜフィリス様が今。優しい声色で俺の名を呼ぶのか。その理由もまた分かってしまった。だから。
「俺を宥めテ 剣を下ろさせヨウとしてもムダだ もうフィリス様の甘言ニハ乗らない だって貴方に本当に必要なのハ 他者に何かを与え利用するコトでなく……他者カラ与えられ、守られルことだからダ」
「? 何が言いたいんだ、イチロ」
「フィリス様 貴方ハきっと真剣ニ、俺たちコボルトの幸せを願イ行動してクレている デモ……それはずっと一人ヨガリなんダ たった一人で戦っテ、ずっと苦しクテ ダカラ思い詰めテ、貴方は道を誤っタ 以前の俺もソウだっタから分かる でもナフィアは、ソンナ俺を見捨てず救ってクレた」
「……」
「俺自身ハきっとフィリス様を許せなイ でもナフィアや仲間達はソウじゃない ……貴方の心も救っテくれると 信じてるカラ連れて帰るンダ なあ、オ前もそう思うダロウ? ロクス」
破壊した扉の先。ロクスはずっと無言で俺達の話を聞いていた。
ウォルフの話によると、ロクスは王都占領から暫くして、フィリス様の計画遂行の邪魔にならぬよう屋敷奥に監禁されていたらしい。
……ロクスは人間の無知性化後。混乱するであろう状況を事前に把握し取り纏める人材として、フィリス様がそばに置いているのだとウォルフは話していた。今の時点で、ロクスがその役割を果たすため何処までのことを聞いて、何を思っているかは分からない。だからこれはある種の賭けであった。
「……確かにイチロ言う通リ チャント話せば 皆分かっテくれると思ウ」
「そうか……ソウだよな! ロクスもソウ思って……」
「デモ俺は フィリス様の計画ヲ 彼自身の為ニモ実行シタ方ガ良いト思ってる ……イチロ、フィリス様ガ人間を無力化しようとシテルのは 俺達コボルトや魔物の為ダケじゃなイ 別の理由ガあるんダ」




