73.修羅
「フィリス様は今、賊の討伐に出掛けていてな。すまないが少々待っていて欲しい」
王都にてオルフィス様と俺を出迎えた女性、メレノアはそう言って屋敷の応接室にて、こちらに茶を勧めてきた。
聖都ラミシス。現在ここはフィリス様による臨時の政権が敷かれている。廃位された国王ジニアスは未だ壁外の平野に生きたまま晒されており、その周りには騎士達や一部の民衆達の死骸。そして我らが兵たるハーピーらが群がっている。
都の空気は何処となく暗く、緊張感をはらんだものであった。それは招かれた屋敷の中も、そうして目の前の女が漂わせるそれもまた同様だ。
「メレノア。貴方はかつて従騎士の身分を捨て、ラミシスの王宮から逃れたと聞いていたが……再び此処に戻っていたとはのう」
「腹芸は止めにしよう、オルフィス・トエル。私は確かに貴方の姪御フィオナと甥御フィリスを身代わりにし、ただ一人逃げ伸びた卑怯者だ。しかしそんな私をも、フィリス様はお許しになった。それだけの話さ」
メレノアは自らの茶を一口飲み、再び口を開いた。
「それより、此処にきたのは貴殿のみか。到着も随分と早い。ノースフィールの領主らの中でも、特にフィリス様への貢献著しい者達を、この地で労うべく宴の準備を進めていたのだが」
「ああ、聖ラミシス国王フィリスの『即位の儀』への招待であったか。無論ノースフィールに戻ったコボルトらより、知らせは受けておるよ……ところでメレノア。腹芸は止めよと、初めにそう申したのはそなたであろう?」
「……」
「そなたが事を何処まで知っているかは、私の預かり知らぬ所。しかしこれだけは今問わねばならぬ……我らノースフィールの群雄が一人、ロクスをこの屋敷の何処に隠した」
「これは驚きだ。聖ラミシスの血筋のみならず、北の魔術師共もまた『千里眼』を扱うのか?」
「ほほ、我らのもとには『神』がついておるゆえ。その思し召しというものよ」
そのオルフィス様の言葉の後、ほぼ同時にメレノアと彼が杖を抜いて構える。
良く使いこみ馴染ませた魔術師の杖には、魔術の精度を上げ、詠唱を短縮させる効果がある。魔術の発動はメレノアの方が速い。俺は咄嗟にオルフィス様の前に割り込み、『石亜竜』ガルグイユの防壁魔術を発動させた。
防壁を破り貫通する氷の細矢を、黒曜石の剣で振り払う。ついで完成したオルフィス様の魔術が、赤黒い魔力で構成された蛇を杖先から生じさせ、メレノアの身を拘束する。
「チッ、そいつは『竜骸』使いか。二対一では分が悪い」
「さあ、メレノアよ。ロクスの居場所を吐いて貰おうか」
「……仕方ないな、今よりそこに案内する」
魔術による拘束を受けながら、メレノアはそう俯いて言葉を紡ぐ。存外素直な反応に、俺は……側近ノルドの姿に変装したまま、彼女に問いかけた。
「モシ案内した場所ガ嘘なら お前ヲ殺す」
「嘘など吐かぬさ。どうしてもというなら『操口』の魔術を使うなり、好きにすると良い」
俺とオルフィス様は目配せをし、一旦はメレノアの言う事に従い屋敷の中を進む。
……屋敷には、不自然なほどに人の姿が無かった。警備の人間に見つからぬ様、気を張っていたがそれも杞憂に終わり、やがて俺たちは屋敷の二階奥。とある部屋の前へと案内される。
「ロクスは此処にいる。私は今鍵を持っておらぬ故、扉は好きにこじ開けると良い」
「では俺ガ……」
「待て、ノルド。この扉には魔術の仕掛けが施されておる」
オルフィス様が俺を手で制し、そう告げる。彼は扉に触れることなく目を凝らし、そうして呟いた。
「……『反射』の魔術、『氷狼』の竜骸を核にしたか。これはまた随分とやっかいな仕掛けを」
「どうスル オルフィス様」
「私の手持ちでは、どうすることも出来ぬ。メレノアよ、先ほど『鍵』がどうと言っておったな。今それは何処にあるのだ?」
「もうすぐ此処に来る」
「来る……? ッ、ノルド! いや、イチロ! 今すぐ変装を解くのだ」
突然のオルフィス様の言葉に、俺は一瞬戸惑い警戒を怠った。
……次の瞬間、頭上から降りてきた『それ』がオルフィス様の首を刎ね、そうしてこちらの額に触れる寸前に、剣先を突きつける。
今、自身の目の前で何が起きたのか。未だ上手く理解が出来なかった。
「……イチロか。ノルドの姿に化けている様だが、俺の前では無意味なこと。なにせ奴は俺が、つい先ほど息の根を止めたばかりだからな」
上がる血飛沫と、それに塗れる前より赤く染まっていた男の姿に、脳が理解を拒む。
嘘だ。だってこんなに呆気なく。オルフィス様。
俺は視線を恐る恐る下に向け、そうして直視する。
自身と同じく、何が起きたか理解することなく絶命したのであろう……オルフィス様の生首を。
「ア、アアぁ」
「終わったのですか」
「いや、まだ二、三人残してきている。しかしパウロルや、特にコボルトらと親しかった者達の始末は終えた。あとは……」
魔術の拘束の解けたメレノアが、男の側へと歩み寄る。
彼女は自らの懐から一振りの短剣を取り出した。その手は微かに震え、しかし金茶色の瞳には悲愴なまでの覚悟が滲んでいた。
「……全てが終われば、本当に私はフィオナ様に会わせて頂けるのですね? もう誰も彼女を苦しめる者の居ない、安らかな世界で……」
「ああ。お前の身をノースフィールの地まで運ぶよう、ハーピー達に頼んである。今までご苦労だった、メレノア。俺もあと少し、やる事を終えたらお前の後に続こう」
男の言葉に、メレノアはかすかに微笑んで自らの首元に短剣を押し当てる。しかしその手はがくがくと震え、彼女の喉の切先に血を滲ませた後、カランと音を立て短剣が床へと落ちた。
「……」
男の視線が、一瞬こちらから外れる。
その隙を見計らい、俺は飛び退いて自らの剣を構えた。もう、手の震えもない。だってこのような修羅場を、自身は過去に何度も、何十何百と経験し潜り抜けてきたのだ。
思考を巡らせる。
今俺の目の前にいるのは『敵』だ。まともにやり合えば絶対に勝てない相手……オルフィス様と、そうして彼の口ぶりが本当なら、パウロル様達の仇。
おそらく彼は、『八足馬』スレイプニルの竜骸による長距離移動をしてきた。魔力の残量にはそこまで余裕がない筈だ。そこに付け入る隙があるだろうか。
俺は一つ息を吸って、吐き。そうしてオルフィス様の言葉を思い返す。
『もし私と彼の交渉が決裂した場合、実力行使も視野に入る。その際は首飾りの変装を解いてくれ。お主達コボルト相手であれば、彼も手加減を加えるやもしれん』
俺は姿惑わしの首飾りに魔力を込めるのを止め、ノルドの姿から本来のコボルトの姿へと戻る。
『王子はいまや復讐の鬼に堕ちた。これから先、例え何が起きようと、どうか気を強く持ってくれ』
ああ、もう分かっている。目の前に居るのは紛れもない、鬼よりも恐ろしい『何か』だ。だからもう、躊躇はしない。
「フィリス様」
俺たちが信じ、今まで付き従ってきた王。
その金茶の髪と白い肌は、仲間であった筈の領主らの返り血で赤く染まり、柔らかな金茶の瞳にはまるで鏡のように、こちらの姿が映り込んでいた。




