68.贖罪
聖ラミシス王国第一王子フィリス・トエル・ラミシス。
かつて美王と称された国王ネメシスと、ノースフィールより嫁いで来た金髪碧眼の美姫フィリア。その長子として生まれた麗しい王子は、女神から賜りし聖痕の力でなく剣と魔術を用いて、国中の魔物を討伐してまわった。
魔術とは、元来野蛮な生贄を用いる忌まわしいものだ。しかし実際に会った者達が口にするフィリス王子の人柄はまさに高潔で品行方正。騎士団と違い決して多額の寄付金や支援を受け取ることなく、ほぼ無償に等しいささやかな報酬で、魔物の脅威に晒される街や村をいくつも救った。
我らの勇者。清く正しきフィリス王子。
故に彼が乱心した国王と、保身に走る妹姫の手により女神の生贄に捧げられた際。我らは騎士団長ジニアスの主導のもと、悪を滅し哀れなフィリス王子の魂を慰めるべく立ち上がった。
あれから月日が経ち、儀に捧げられた筈のフィリス王子が蘇った。失われた両目と手足の揃った五体満足で、北の地より魔物を率い騎士達を討ち倒し、そうしてトゥーリの街で自らの素性を明かし兵を募った。
『神は私に対しこう仰せになった……聖痕持つ者を捧げねば、女神が再び地上に戻る事はないと。故に私は王位を簒奪し世を乱す逆賊ジニアス・リラミスとその配下の聖痕騎士団らを神に捧げ、我ら人の手に女神と正しき秩序を取り戻す!』
彼はその言葉通り、チェティリ要塞にて騎士団長セシリア、副団長ドルガノを討ち取った後、こうして王都に攻め入り瞬く間にジニアスを捕縛した。
そうして俺たち王都の民は『悠久の神殿』に集められ……そこにあるものを目の当たりにし、皆一様に顔を蒼白にしていた。
変わり果てた美貌の女騎士団長。高潔な副騎士団長。彼らの遺骸が、神殿と広間を繋ぐ階段の下。そこに設けた台に晒されている。
そうして神殿の入り口には、生きているのが不思議な程に肉体を損壊された、元騎士団長にして元国王ジニアスの姿。彼は一矢纏わぬ肉体を縄で棒に括り付けられ、極めて無様な様を民衆の前にさらけ出していた。
「……王都ラミシスの民達よ! 今一度俺の話を聞いてほしい」
ジニアスの横に立つ金茶の髪と目を持つ男、フィリス王子はよく通る声で階下の俺たちへと語りかける。
「今から皆に、ラミシス王族と聖痕騎士団が今まで隠し通していた真実を話す。かつて女神は、ラミシス国王夫妻と四人の臣下に自らの肉を与え、聖なる力を操る術を与えたと皆には伝えられていることだろう……あれは、都合の良い嘘に塗れた虚飾にすぎない」
そう言って、フィリス王子は周りの兵らに神殿の扉を開けるよう命ずる。
扉が、重い音を立てて開く。暗闇に包まれた中の様子はよく分からない。兵の何人かが、松明を持ち内部を照らすべく踏み入る。そうしてうっすらと伺えた中の様子に、気の弱いものや女性の幾人かが悲鳴を上げ、何人かが口元を押さえ、えずいた。
そこには、腐肉のこびりついたおびただしい白骨の山。そしておそらく中途半端な防腐処理にて、腐ったまま形を保つ手足のない死骸が中央の棒に括り付けられ、虚な眼孔を階下の我らへと向けていた。
「譲位に伴い、ジニアスがサウスフィールから移してきた『聖炉』だ。女神も聖エーティエル歴307年のこの時まで、このように劣悪な環境で神殿内に監禁され、力を搾取され続けていた。見てみろ。このような状態になってまで、自ら望んで肉と力を差し出す神が一体何処にいるというのだ」
静まり返る民衆の中、一人の男がおずおずと声を上げた。
「フィリス様。それは、一体なんなのですか……? 女神エーティエル様は確か、82年も前に地上を去ったはず。現に中央の遺体も、女神でなくどうみても男性の……」
「無論、女神はもうこの地上に居ない。先ほど私が『聖炉』と称したのは、これが天上の女神へと『贖罪』の贄を捧げ、その力を引き出すためのものだからだ」
「贖罪、ですか」
「女神は望まず肉を食われ、長年その身を磔にされた。故に地上から女神が去りし後、騎士団の者どもは女神への贖罪としてこのように生贄を捧げ、一時の許しを得てその力を借りていたのだ」
確かに、聖痕の秘術を使う騎士達が『人柱』だの『芯材』だのという言葉をかわす所を見たことがある。しかし、その実態がまさかここまで悍ましいものだとは……。
「私は9年に一度、9度目の儀式の贄として捧げられ、そうして神の声を聞いた。もはや女神は中途半端な贖罪など望んでいない。自身の肉を食らった聖痕の所有者をみな魔物の餌とし、多くの騎士らを贄に捧げることで、ようやく彼女の深い怒りは解かれる。そう神はおおせになった」
隣のジニアスを一瞥し、フィリス王子は平静な顔で言葉を紡ぐ。
「ジニアス、セシリア、ドルガノらの肉の一部は、既に外の魔物へと食わせた。彼らの肉体、そうして騎士らの死骸は改めて王都ラミシスの壁外に運び出し、贖罪として捧げる。さすれば女神は我らを許し、再びその力を貸し与えることだろう」
「そ、それは一体いつのことに……? 女神の力を扱えなければ、魔物が攻めて来た時我らは一体どうすれば」
一瞬、フィリス王子の表情に暗い影が差す。しかし次の瞬間、その顔にはかつての父王似の美しい笑みが浮かんだ。
「女神の怒りが解かれるまでの間。このフィリス・トエル・ラミシスと配下の魔物兵が王都の防衛を担おう。またノースフィールの地からロミリスの名代オルフィス・トエルをはじめ、北の領主らを幾人か呼び寄せている。彼らの魔物討伐における実績は確かなもの。聖痕と女神が居ぬ間も、王都の守備は磐石のものとなろう」
その言葉に一部のものは胸を撫で下ろし、また一部のものたちは「北の魔術師を王都になど」と不満を口にする。どちらの心情も理解はできた。しかし今はそれ以上に、何かひどく嫌な予感がぞわぞわと自身の背を震わせていた。
「ところで」
フィリス王子は、何処かわざとらしいまでに明るく軽やかな声色で言葉を紡ぐ。
「女神エーティエルは一角獣ユニコーンを自らの供に選ばれるほど、潔癖で清純を好まれる御方だ。その女神に対し捧げた贄の乙女に、逆賊ジニアスや幾人の騎士らと共に手をつけ穢した者達が、この中に居る筈だ」
どっと背中から汗が噴き出る。フィリス王子の言葉には、十数ほど心当たりのある者がいる。なにせ彼らは……そうして俺は、衆目の面前でそれを行い、また酒の席でも度々その話を、周りに聞こえるよう話題に上げていた。ああ。これは不味い。
「女神はその事に関しても、大層お怒りになっておられる。故にあの日、この広間で王女フィオナに触れた男共をここに連れて来い。彼らもまた、女神の怒りを鎮める為の……贖罪の為の贄として、このジニアスと同じ罰を与え魔物の餌とする。さあ、誰ぞ目撃者はいないか。一人でも取り逃がせば、女神は我らヒトを見限り二度と地上に姿を現さぬやもしれぬぞ」
反射的に、逃げ出そうするも周りの人間に腕を掴まれ捕らえられる。
よ、よせ。違うんだ。俺たちはただ騎士団長ジニアスに言われるまま、実兄を売った魔女に罰を与えただけ。全ては敬愛するフィリス王子の為にやったことなのに、どうして今になってこんなことを。
周りの民衆に引き立てられ、前へと引きずられる最中。一瞬こちらへと向けられたフィリス王子の金茶の瞳はひどく底冷えし、その口元にはゾッとするほどに凄絶な笑みが浮かんでいた。




