56.騎士の非道
太陽が俺たちのちょうど頭上に登り詰める頃。チェティリ要塞の西方にて、コボルトの監視兵の一人が声を張り上げる。
「敵影ヲ確認しましタ ロクス隊長!」
「アァ」
俺は目の強化魔術を発動し、遠方から来る騎兵を主とした軍の中に、セシリアと似た膨大なオドの存在を視認する。
「間違いナイ アノ中にドルガノいる フィリス様に報告ヲ」
「ハッ!」
「ロクス隊長 用意デキました」
そう言って部下が渡してきたのは紙と墨の棒だ。俺はそれを受け取り、遠目からドルガノの軍の構成をメモに取る。ドルガノは隊の奥、騎士達が彼を取り囲む形で隊列を組んでいる。そうして前方に居るのは……。
「っエ?」
到底信じ難い光景に、思わず手の中にある墨がボキリとへし折れる。
「ロクス隊長?」
騎士達に追い立てられるかのよう、前方を歩かされる歩兵達の姿。
…… 『コボルト』だ。
俺達の仲間が、いや、仲間である筈の彼らが。武器を持ってこの砦を攻めにやってきた。それが意味する事を理解した瞬間、喉奥から込み上げる吐き気に、俺は砦の壁上で一人えづいた。
「ドルガノ様! フィリス王子率いる軍より使者が来ております!」
「ふむ……丁重にもてなしてやれ」
チェティリ要塞より西方の平野。そこへ馬に乗って現れたのは、通常の個体より丸々と太った恰幅の良いコボルトの姿であった。
「ドルガノ・レミアス副騎士団長 俺はゴロス 貴方達ガ率いるコボルト兵を コチラに譲って頂きたく 取引ヲしにキタ」
これは、想定していた流れの一つだ。
第一王子フィリスがコボルトを率いていると聞き、至急騎士達や西の領主らに命じ、各地のコボルト達を集めて来たのだ。勿論彼らは兵としてまともな訓練など受けていない。戦場に出ればひとたまりもないだろう。
つまり彼らは兵ではなく、事実上の人質だ。
果たして魔物のコボルト達に、同族を想う良心が存在するのかという懸念はあったが、事実彼らはこうして交渉に来ている。効果はあったといえるだろう。
「……セシリア・ルミネスの身柄と引き換えであれば、取引に応じよう」
「ワカッタ 交渉成立ダ セシリアとコボルト 両軍から離れタ場所で交換スル」
やはりこちらの要求は見透かされているか。ゴロスと名乗るコボルトは二つ返事に頷いて、場所の取り決めをした後、自軍に帰っていった。
「……宜しいのですか、あのコボルトを行かせてしまって」
「要塞から来た連絡兵の報告、それにあの砦の様子を見れば分かるだろう。我々がすべき最優先事項は、敵方の手に落ちた騎士団長セシリアの奪還だ。今ここで交渉を決裂させるより、取引に応じた方がリスクも少ない」
こちらとしても、軍事拠点を得た敵軍と真っ当にぶつかるより、聖都ラミシスやその背後にある要塞に戦力を集め、彼らを迎え討つ方がまだ堅実だ。
セシリアを奪われた上、万が一にも自身が討たれることがあれば聖痕騎士団は……。
「(ヘレノスの関所で殺された娘や部下、そうして魔物の兵らに殺された多くの仲間に報いる為、今私がここで倒れる訳にはいかない)」
その為に、もはや手段は選んでいられなかった。
ゴロスの背を見送った後、こちらを見るコボルト兵達の目には怯えと微かな期待の色がある。
……私は一つ咳払いをした後、人語を解する魔物共、憎き我らの敵の同胞達に向け声を張り上げた。
約束の刻限になり、人質を交換する場には第六部隊長である俺ロクスと騎士達が向かい合っていた。騎士の背後には武器を持ったコボルト達が、不安げな目をしてじっと佇んでいる。
俺の横にいるのは、セシリアに化けたメレノアの姿だ。ただ、この変装は恐らくバレるだろうとフィリス様は言っていた。なのでセシリア本人も口布を噛ませ布袋に詰めた上、連れて来ている。
「セシリア騎士団長。まずは左胸にある『聖痕』を見せて頂きたい。私はルミネスの縁者。聖痕が反応すれば、貴方が本物である証左になる」
その言葉に、俺は無言でセシリア……メレノアの胸元の服を短剣で切り裂く。露出した胸元の左部には、聖痕所有者が持つとされる紋章『大聖痕』が刻まれていた。
メレノアは従騎士としてだけでなく、従者としてもセシリアにこき使われており、その中で彼女の大聖痕を何度か見たことがあるそうだ。先ほども化ける前、メレノアはセシリアの服を剥きその肉体を良く観察していた。おそらく見た目上であれば本物と区別は付かないだろう。
目の前の騎士は無言で、自身の鎧を外し上衣を脱ぐ。そうして現れた裸体には、左胸にセシリアのものよりは小さい紋章が刻まれていた。騎士達はこの『小聖痕』を媒介とし、秘術を扱うのだそうだ。
騎士が呪文を唱える。すると彼の胸にある聖痕が白く発光し、その状態を確認した後、彼は俺とメレノアの方を見て低く呟いた。
「その女は偽物か。だが近くに反応がある、本物のセシリア様を何処に隠した?」
なるほど、原理は分からないがそこまで情報を得られるものなのか。
メレノアはセシリアの姿をしたまま、無言で岩陰に置いた布袋を引き摺り、そうして袋の口を開くとその中身を地面に転がした。
騎士がひゅっと喉を鳴らし、口を噤む。まあこのセシリアの惨状をみたら無理もないだろう。彼女は哀れな姿のまま、しかもその右腕が切り取られ隻腕の状態で地面に打ち捨てられていた。上衣を剥かれ、まだらな赤黒い痣と土埃で汚れた肌の上、左胸の大聖痕だけが白く眩く輝いている。
「な、なんと惨いことを……」
「デモ、まだ生きてル 約束ダ セシリア渡す代わりニ コボルト達ヲこちらへ」
騎士達は怒りと恐怖に顔を青ざめさせながら震え、しかし一人がセシリアの身を回収すると同時、コボルト達が騎士の命令でこちらへと来る。
「オ前達 怖かっタだろう モウ大丈夫だからナ 俺たちニハ フィリス様と神ガ付いてる」
そう言って、俺はなるべく優しい声でコボルト兵達に声をかける。正直ひどくホッとした心地だった。
一時は彼らと戦わねばならないと思っていたが、フィリス様は少し悩んだ末、セシリアの身柄と引き換えに彼らを助け、臣下に加える判断を下した。やはり彼は俺たちコボルトの王なのだ。その温情に感謝しつつ、俺は遠くの地に住んでいたのであろう同胞の顔を見る。
皆その表情は硬く強張り、安堵とは全く正反対の色を浮かべていた。単に警戒しているのかと思ったが、ふと目のあったコボルトがこちらを見て泣きそうな顔をし、そうしてふと目を逸らした。
……嫌な予感がする。俺はメレノアに目配せし、自身も小さく呪文を詠唱する。
騎士達はセシリアを馬の上に引き上げ、そうして取引の場から離れると同時。一人の騎士が大声を上げコボルト達に命じた。
「攻撃開始!」
……俺は一人のコボルトが振り下ろした剣を、魔術で見切って躱す。囲まれる前に、馬の確保をしなければ。
メレノアはすでに自身の馬に跨っており、こちらに声を掛ける。
「一旦、自陣まで引くぞ!」
「アア、分かっテル!」
コボルト達はまともな武器の扱いも知らぬようで、その攻撃を躱すのは容易だ。俺も素早く自身の馬に跨り、そうして彼らに向かって声をかけた。
「お前タチ! どうシテ同じコボルトの仲間に 刃を向けル!?」
「許しテくれ 妻子ガ 人間達ニ捕まっテル」
「言う事聞かなかっタラ 家族殺すっテ ウゥ、スマない せっかく助けてクレタのに……」
そのコボルト達の言葉に、俺は頭をガツンと殴られたような衝撃を受けた。
つまり彼らは騎士団に捕まり、家族を人質にとられ、ロクに戦闘訓練もほどこされぬまま戦場に放り込まれたのだ。俺たちコボルト同士で殺し合いをさせる為に。
「……フ、ざけるな」
ふと俺の脳裏に、先ほどフィリス様が言っていた言葉がよぎる。
『俺は、お前に間違いを受け入れて欲しい訳じゃない。人間は優しくする価値もないクズなのだと学んで欲しかっただけだ。お前達のその優しさは、人間に利用され己の身を滅ぼす。どうして分かってくれないんだ』
「フザケるな!! ドルガノ・レミアス!!」
俺は心底から湧き出る怒りと憎しみのまま、大声で叫ぶ。
絶対に許せない。だがそれと同時に、負の感情に囚われている場合でないことも分かっていた。
……一人で彼らを制圧するのは無理だ。かといってこのまま自陣まで連れて行き、間違ってもそこで殺し合いが起きてしまってもいけない。それだけは絶対に避けねばならないだろう。だから。
「メレノア! 彼らを殺さズ しばらく引き止めてクレ! 俺は先に自陣ニ言って説明スル!」
「……ああ、分かった。お前達コボルトの信頼に、今私も応えてみせよう」
そう言って、メレノアは淡い金髪をたなびかせた姿のままニヤリと笑った。




