52.裏切り
「全く、聖痕騎士団の名が聞いて呆れる。最弱の魔物如きにここまでしてやられるとは」
そう苛立った様子で呟くセシリアの後ろで、俺は喉奥から溢れる嗚咽を必死に自らの手で抑える。
要塞内へと潜入した後、俺は目についた騎士の一人を不意打ちし、首飾りの力によって化けた後セシリアを捜索していた。本来の作戦では目標を見つけ次第、煙信号を焚き仲間に彼女の場所を知らせつつ、捕獲に臨む手筈だった。しかし。
「シェドネ、男のクセに何を泣いておるのだ」
セシリアがこちらへと振り返り、心底不愉快そうな表情でそう問いかける。
……シェドネ。たまたま俺が化けることになったこの騎士はセシリアの側近の様で、彼女の姿をこちらが見つけるや否や側にいるよう言い付けられ、信号を送る機会を見失ったまま今に至る。
「……セ、シリアさまと同じク 憂いてイルのでス 我が同胞達ノ情けないアリサマを……」
それは彼女を欺く為の嘘であった。情けないのは同胞達じゃない、俺自身だ。
先ほどセシリアの聖槍により命を散らした塔の上のコボルト兵達。俺がもっと強くさえあれば救えた筈なのに。すまない、皆。
そう誰に届くはずもない心中の懺悔の傍ら、俺の脳は今もなお冷静に働いていた。未だ訝しげな目でこちらを見るセシリア。そうして視界の端にチラつく緑の煙……。
俺は咄嗟に言葉を紡ぐ。
「アッ 見てくだサイ あのハーピー達の群れの奥にアルものを……」
「はぁ? 一体何れのことだ」
緑の煙が上がる方向の反対を指差し、セシリアの注意を引く。俺は彼女の視線が逸れたのを見計らい、素早く懐から麻痺毒を塗った針を引き抜いた。
今がチャンスだ。
しかし針を素早く打ち込むより先、彼女はバッと振り向きこちらの攻撃を躱した。
……やはりこの女、素人のように見えて隙が無い。騎士団長の名は伊達ではないという所か。
「ハッ、一体何の真似だシェドネ? 人に媚を売るしか能のないお前が、この私に敵うはずもなかろう!」
セシリアがこちらの手を捕え、不意にぐんとその身が宙に浮く。反転する視界の先には、こちらに飛びかかるニクスの驚いた顔があった。
「ッな……!」
「ニクス!」
こちらの声に、ニクスは騎士に化けた俺の正体に検討が付いたのだろう。彼は咄嗟に麻痺毒の針を手から落とし、そのまま背後のセシリアを押し込むよう、こちらに飛び込んだ。
「ッぐ!」
……セシリアとニクスの板挟みになった俺の体に衝撃が走り、体に仕込んだ護符の一つが割れた。加護が働いたのだろう。俺は辛うじて意識を飛ばすことなく、ニクスを抱え受け身を取る。
「……! 私の体に触れたな、この下郎が!」
セシリアはそう怒りに満ちた声を上げ、素早く腰に刺した剣を引き抜きこちらへと振り下ろした。
目の魔術を発動する暇はない。未強化の状態でセシリアの攻撃を見切るには、己の技量は不足している。
……こうなったら仕方ない。せめて相討ちになろうとも、この麻痺毒をセシリアに打ち込みニクスに託す。俺は彼女の攻撃を避けず、代わりに手の中の針をセシリア目掛けて振り抜いた。
迫り来る銀色の刃。ふと腕の中にあった熱がすり抜けると同時、俺の麻痺毒針が彼女の白い首筋に刺さり、セシリアの緑の目がぐるりと上を向く。
予期していた痛みはなかった。
代わりに目にしたのは。自らの服に赤く生温い液体が広がっていく光景。腕の中にいたニクスの肩は深々と剣の刃先で切り裂かれており、おびただしい量の血がそこから溢れていた。
「アッ、ァ……」
一瞬、頭が真っ白になる。何が起きたのか、脳が理解を拒んでいた。
俺のせい? どうして俺なんかを庇った? ひどい血だ、このままじゃあ……。
「ニクス」
「早ク……ロクス」
煙信号をと。そう力なく掠れた声で呟くニクスに、俺は震える手で信号灯を取り出し、煙を焚く。
セシリアの居場所を知らせる青い煙。俺達はここにいる。頼む、誰かニクスの手当てを出来るもの……治癒魔術を使えるものを。
不意に後ろから、数名の足音が響くのを耳にした。俺は咄嗟にニクスの体を地面に下ろし、そうして振り返り露台の入口の方を見つめる。
「これは一体……シェドネ殿! 今一度説明を」
やはりそこに居たのは、数人の騎士達の姿だった。後ろには灰色のローブを纏う女の姿もある。
露台の上には、倒れるセシリアと血塗れになったニクス……そうして服を血に染めた俺の姿だ。震える声を搾り、俺は必死に頭を働かせて言葉を紡いだ。
「セシリア様ガ 私をコボルトから助ケテ下さっタ だがその時 セシリア様も反撃ヲ食らい 倒れてシマッタのだ」
全くの嘘だ。実際のところ、セシリアは仲間である筈のシェドネを怒りのまま斬り伏せようとし、そうしてそれをニクスが……庇ってくれたのだ。だが今その真実は必要ない。
なるべく俺はゆっくりと、少しでも長く時間を稼ぐべく発語する。
「何カの毒か呪いカモしれない 今セシリア様ヲ動かすノハ危険ダ 至急医師カ、治癒魔術ヲ使えるモノをココに」
俺の言葉に、騎士達は背後にいる灰色のローブの人物に声をかけ、彼女が前へと進み出る。
「お前ハ」
「メレノアです。シェドネ正騎士様」
灰色のローブは従騎士……聖痕騎士団に従う魔術師達の特徴だ。治癒魔術を使えるかという問いに、彼女が是と答えたのと同時。俺は自らの腰にある剣を引き抜きセシリアの首元に向け、メレノアと騎士達に「動くナ!」と牽制の言葉を吐く。
「動けバ セシリアの命は無い メレノア! コレは命令だ スグにそのコボルトの治療をシロ!」
剣を握る手が、今にも汗で滑りそうだった。
やるしかない。このまま増援が間に合うまでの時間を稼ぎつつ、ニクスを治療させる。これ以上の手段はとてもではないが、思いつかなかった。
「シェドネ殿! 騎士団の敵に寝返るというのか!」
「黙レ! お前ラこそ聖ラミシスの王子 フィリス様ヲ裏切る卑怯者ダ! だがコノ女ヲ差し出セバ フィリス様は俺達をお許シになるハズ コノママ コボルト達ニ殺サレ あのハーピー達に肉を食ワレ 無様な死を遂げてモ良いのカ!?」
そんな俺の言葉に、驚くことだが目の前の騎士達はひどく動揺し、ひそひそと互いに言葉を交わし合う。
「……確かに、フィリス様は本物だ。セシリア様が竜骸付きの右手と呪痕を以て確かめたのだから間違いない」
「彼は魔物を従えてる! 女神を甦らせるなどと嘯いていたが、到底信用ならん」
「だがコボルト達の乗っていた馬を見たか? あれは女神様の象徴たる一角獣ユニコーンだ。聖獣を従えてるということは、本当に女神の加護を賜っているのでは……」
騎士達の顔には疑惑と不安、そうして俺達と同じく……戦を厭い疲弊し切った者どものそれが色濃く浮かんでいた。
時間を稼ぐだけのつもりだったが、ひょっとすればこのまま彼らを味方に付けられるかもしれない。
俺はメレノアがニクスの治療をしているのを横目に、ダメ押しで言葉を紡ぐ。
「セシリア様は動けナイ ドルガノ様もジニアス様モ居ない 今コソがチャンスなのダ メレノアに治療サセてるこのコボルトは セシリア様の身柄が目的ト言っテいた 彼に協力し、私達ハ正しき主人フィリス様ニ 改めて忠誠を捧げ赦しを乞オウ」
「シェドネ正騎士様。私は貴方の言葉に従います」
声の方に改めて視線を向ける。立ち上がりこちらを見るメレノアの横には、治癒と止血を施され、先ほどよりは顔色の良いニクスの姿があった。肺の奥から一つ、大きく息を吐く。良かった。間に合ったのだ。
「感謝すル、メレノア」
「……セシリア様の身柄をと、このコボルトは言ってたのですか? どのように彼女の身を運ぶかまではご存知で?」
「彼ラは煙で信号ヲ出していた 手っ取り早イのは複数のハーピー達に 運ばせるコトか」
「となると、セシリア様の身はなるべく目立たぬよう装う必要があるでしょう」
メレノアが、一歩こちらへと進み出る。俺は未だ彼女への警戒を解かず、一歩退きながら言葉の続きを促す。
「何が言いタイ」
「そう警戒なさらないで下さい、シェドネ様。貴方なら良くご存知の筈です。私がこの期に及んでセシリア・ルミネス……このクズ女への忠義を果たす理由はない。だから貴方は彼女を裏切り、私達にもそう持ちかけたのでしょう」
平坦なメレノアの声が、徐々に感情の入り混じったものへと変わっていく。低く重く、粘つくようなその声色には紛れもなく深い、憎しみの感情が籠っていた。
「その女の身柄を一度私に引き渡してください、シェドネ様。悪いようには致しません。ただセシリア騎士団長の麗しい容貌は人目につく。だからその長く艶やかな金髪を短く刈り、顔全面……いえ、服の下の肌にまで『赤斑』の呪いをかけます。誰よりも醜く惨めに、そうなれば決して誰も、彼女があの美貌名高き「セシリア・ルミネス」だと気付くことはなくなるでしょう」




