50.原罪
昔の夢を見た。まだ俺が勇者と呼ばれる前、妹も幼かった時分のことだ。
「ねえフィリス。母上のお顔はどう? 綺麗になってる?」
そう言ってこちらを向く母の顔は、まるきり別人のそれであった。首元にかけられた『姿惑わしの首飾り』の魔術による幻影である。もう何十回も、何百回も見た光景だ。
「……ええ、とても綺麗です。母上」
本当は、たとえ顔の半分がアザに覆われていようと、元の母の顔が一番綺麗だと言いたかった。しかしそれを口にすると母はたちまち取り乱し、ひどい時には俺に手を上げ暴力を振るった。ゆえに笑顔を繕い、心にも無い言葉を口にする。
俺の言葉に母は上機嫌な笑みを浮かべると、身支度をすませいそいそと部屋を出た。きっと父の元へ向かうのだろう。
父ネメシスは若い頃それは大層な美男子であったらしく、母はずっと父に恋をしていた。例え顔に醜いアザが出来た後見向きもされなくなり、いまや自分と別人の顔を装わなくては会っても貰えない。そんな手酷い扱いを受けていようともだ。
部屋を出て、書庫へと向かう。母の顔のアザは病によるものだと医師は言っていたが、そんな筈がない。いくら厚く白粉を塗ろうと浮かび上がるアザなど、呪い以外の何ものでもないだろう。
俺は母の呪いを解くべく、いつしか聖痕の秘術でなく魔術を学ぶことに熱心になっていた。目当ての本も専ら魔術関連か、魔物に関するものだ。
廊下を小走りで進む最中、曲がり角で一人の人物にぶつかる。俺の体は歳の割に大きい。どうやら相手は女性だったようで、床に尻もちをつき項垂れる淡い金髪を目に、俺は慌てて膝をつき手を差し出す。
「す、すまない! 大丈夫か……?」
女は差し出した手を反射的に引っ叩き、そうして下からこちらを憎々しげに睨め付けた。
人形の様に整った美しくも白い顔。柔らかくウェーブした淡金色の髪に、緑の瞳。自身より五つは年上だろうか。彼女の名は確か……。
「フィリス王子」
不意に景色が切り替わり、まだ若さの名残りがあった彼女の面立ちも、すっかり艶然とした大人のものに変わっていた。
「……セシリア・ルミネスか」
「ええ、先日我が領内に出現したベヒモスを単身で討伐されたとか。本日はそのお礼をしに参りました」
そう言って、人気のない王宮内の一角。女の豊満な肉体がこちらにしなだれかかる。
彼女は女神の『左腕』に由来する聖痕を受け継いだ、ルミネス家の若き女当主だ。騎士団長ジニアスの愛人で……確か近頃は我が父ネメシスにも色目を使っているのだとか。
セシリアの容貌は確かに人並外れて美しい。だが、同時に彼女の在り方は自身にとって何処までも浅ましく、醜悪なものに思えた。
……薄皮一枚の美醜に踊らされ、男の愛を得るため媚びる姿のなんと醜く滑稽なことか。
セシリアの手が自身の胸をまさぐり下へとさがっていくのと同時、俺は彼女の体を突き飛ばし床へと転ばせた。
「礼など不要だ。セシリアよ……もしお前に私への純粋な感謝の念があるのなら、その献身を私でなく哀れな民達に向けてくれ。そも此度のベヒモス討伐は、お前たち騎士団が寄付金の少なさを理由に討伐を断らなければ起きなかったこと。その卑しい肉体も、私相手よりジニアス騎士団長に使った方がさぞ有意義なことだろう」
そう言い捨てて踵をひるがえす最中。こちらに向けられるセシリアの緑の目には、殺意にも似た憎しみが籠っていた。
ああ、そうだ。嫌いなものに上部だけ媚びへつらわれるより、素直に嫌われる方が余程良い。
俺だって妹のフィオナが居なければ、こんな場所になど寄りつこうとも思わなかっただろう。
女神の血肉を食らった者どもにより築かれた伏魔殿。その成り立ちからそもそも狂っていたのだ。
……だから俺は王宮を出て、魔物との戦いに身を投じた。民を守るという大義名分の元、怒りと憎しみのままに剣を振り下ろす先を違えることの無いよう。
「……サマ フィリスさま!」
「ヨカッタ! 目覚まシタ」
体が鉛のように重い。意識が覚醒した後、瞼を開けば
そこには幌馬車の天井と二体のコボルト達の顔があった。
「オレ 皆ニ知らせテくる」
「アア!」
……コボルト達の顔はどれも同じように見える。だが装備の質から、おそらく後方支援の兵達だろう。しばらくして、コボルト兵に連れられたゴロスが馬車の中へと入ってくる。
「フィリスさま」
「……戦況はどうなってる」
「ロクス達ガ要塞に侵入シテ 一刻経過しタ ニクスから煙信号キテ 今ハーピー達ヲ突入サセてる」
成程、今の所は順調な様だ。
「ロクスからの信号は?」
「ソレはまだ……」
「そうか」
怠い身体に鞭を打ち、上体を起こそうとした所をゴロスに止められる。
「フィリスさま! まだ顔が青イ チャント安静ニしなキャ」
「少し偵察に行くだけだ、無理はしない」
「ダメ! サッキもフィリスさま 倒レテ気絶シタ 説得力なイ!」
……事実ゆえに言い返し辛い。ここはアストゥラル神を連れて来るべきだったかと、一瞬脳裏に浮かんだ考えを振り払う。
かの神は気まぐれに、時折こちらへ力を貸してくれることがある。広範囲の知性体の心を読む力や、誰にも見えず触れられない精神体で移動する彼の特性は、敵陣の偵察をする上でも最適だ。
だがアストゥラル神を呼び出せば、妹の側にはナフィアを除き誰も居なくなってしまう。神を瞬時にこちらへ呼ぶことは出来ても、再びノースフィールに戻らせることは出来ないのだ。
彼とはある契約を交わし、万が一の保険としている。呼ぶのは最後の手段にする必要があった。だから。
「……分かった。その代わり、新たな煙信号が来たら直ぐに知らせてくれ」
俺の言葉に、ゴロスは大きく頷いた後馬車から出ていく。
要塞への侵入は果たした。後は可能な限り敵戦力を削り、セシリア・ルミネスを捕えるだけだ。
俺は女神でも、かの男神でもない居ぬかもしれぬ神に祈りながら目を瞑る。
……今までさんざ憂さ晴らしで魔物達を殺し、また自らの復讐に彼らを巻き込む自身に、今更祈る資格などないのだと知りながら。




