49.神の試練
ノーラント山の頂きにある古城。ついこの間までは、フィリス様やロクスさん達がいて賑やかだったそこも、『聖戦』が始まってからはすっかりと寂しくなってしまった。
私は日々の仕事、以前軍糧を開発するため捕まえられたピクシー達と、以前妖精の森で出会ったユニコーンさんのお世話をする。
『聖戦』の前、男神アストゥラル様により知性を奪われたユニコーンが各地より集められた時。私は一目で、かつて私に色々なことを教えてくれた親切な彼の姿がそこにある事に気が付いた。
「ユニコーンさんは林檎がお好きなんですね」
私の手から嬉しそうに林檎を食べる、白い毛並みに薄紫のたてがみを持つ美しい彼。もうその口から、私たちと同じ言葉が発せられることはない。ベロベロと口周りに付いた甘い汁を舐め取り、次いでこちらの顔をべろりと舐めた彼の、黒曜石のようにきらきらと光る無機質な目。
聖戦はロクスさん達コボルト、そうして私達ハーピーの知性を永遠のものとするため、神から課せられた試練なのだとフィリス様は話していた。
それならひょっとして、突如知性を奪われてしまったユニコーン達にも試練が与えられていたのかもしれない。彼の状況は、その試練を乗り越えられなかったことによる罰なのだろうか。……今となってはもう分からない。なにせ彼とはもう、言葉を交わすことが出来ないのだから。
「ナフィア。ここに居たか」
「オルフィス様? それにパウロル様まで……」
久々の再会に笑みが浮かぶが、しかし二人の顔は何処か浮かない様子だ。理由を問う前に、オルフィス様は城の前に来るよう私に言いつけた。何か急ぎの用事だろうか。私はユニコーンさんに別れの挨拶をした後、道具を片付け彼らの後に続く。
城門の前には、僅かに城に残っていたコボルト十数名の姿があった。皆女子供で、その中の一人。ロクスさんの妹のロッカさんがこちらに気付き駆け寄ってくる。
「ナ、ナ、ナフィア……」
「どうしたんですか、ロッカさん? そんなに取り乱して」
「今よりその理由を説明しよう」
そう言ってオルフィスは沈痛な面持ちのまま、皆の前に立ち口を開いた。
「近いうち、この城に聖痕騎士団が攻めてくる」
「えっ! ど、どうして……」
「ノースフィールは今、東西から挟まれ騎士団の侵攻を受けているのだ。想定よりも敵の数が多く、既に西部の戦線は崩壊し、騎士達が領内に雪崩れ込んできておる」
「……き、騎士の人達は、ここがフィリス様のお城だと知っているのですか?」
「ハァ……そうだ。騎士達は『操口』の魔術を操れる者を連れていてな、最初に殺された領主の口から秘密が漏れた」
パウロル様はそう言って、赤褐色の髪をぐしゃりとかきまぜながら言葉を紡いだ。
「今よりここを、トエル家とベーテス家、周辺領主の家臣団を集めた軍事拠点とする。だからお前達非戦闘員は、城から離れ近隣の村へ避難しろ」
突然のことに私はしばらく頭が回らず、うまく言葉を紡ぐことが出来なかった。しかしふと頭に彼女の顔が浮かび、一拍置いたのち口を開く。
「私は、姫様と一緒にこの城に残ります」
「ナ、ナフィア! ダメよ危ないワ! 私達と一緒に避難しまショ」
「私はいいんです、ロッカさん……オルフィス様。姫様は今諸事情につき、城から離れられない状況。私は姫様の侍女ですから、主君を置いて一人だけ避難することなど出来ません」
私の言葉に、パウロルは少し驚いたようにオルフィス様を見る。きっと彼は詳しい事情を知らないのだろう。
「そうなのですか? オルフィス様」
「ああ……その件だがナフィア、一度二人で話をしようか」
その後ロッカ達はパウロル様の案内で近隣の村へと連れられ、私はオルフィス様と二人、古城の広間の中へと足を踏み入れた。
分厚いカーテンにより閉めきられた、暗い広間の中央。そこには棺から出されたフィオナ様の青ざめた姿と、赤黒い光を帯びて輝く床一面の魔法陣の姿があった。
「……経過は順調なようだな」
「はい。フィリス様に言われたよう、夜はカーテンと窓を開け、姫様の体が月の光に当たるようにしています」
これはフィリス様達が城を空ける数日前、侍女の私に命じた仕事だ。
竜の心臓と大妖精の翅、夜鬼王の牙。これらを用いた儀式により、姫様の体を『人間』から『夜鬼王』へと生まれ変わらせる。
夜鬼は魔物の一種だが、ユニコーンさん達と同じよう彼らの祖となる夜鬼王には知性があるのだそうだ。
夜鬼王は日に当たらない限り、人間よりも遥かに長い寿命を生きることが出来る。かつて人間の魔術師の中にも、不老と長寿を得るためこの魔術を用いようとする人々が居たのだとか。
なぜフィリス様が自らの妹御のフィオナ様を『夜鬼王』にしようとしているのか、その理由は分からない。しかし。
「私は、ロクスさん達のよう戦場で戦うことを許されませんでした。だからせめて、自分に与えられた仕事は全うしたいのです」
それが彼にとって、姫様にとって必要なことなら叶えたいと。そうただ純粋に私は思った。
オルフィス様は、一つ大きなため息を吐いたのち言葉を紡ぐ。
「そなたは顔だけでなく、その中身も我が姪御に良く似ておるようだ」
「そ、そうなのですか……?」
「……かつて妹のフィリアが心を病み自死した時、私とフィリス王子は姫にノースフィールへと移り住むよう幾度も説得を重ねた。聖ラミシスの王宮は……この例えはそなたらに失礼やもしれぬが、正しく魔物の巣窟であったからな。しかしフィオナは『王女として自身に与えられた使命を全うしたい』と首を縦に振らず、最後まで国と民のために尽くしたのだ」
王女としての使命。それがどんなに重いものなのか、私にはまるで想像もつかない。
「……でもそのせいで、姫様は手足を失い眠ったままの姿に」
「ああ。故に我が甥御は、フィオナを強い魔物の姿に生まれ変わらせようとしてるのだと思う。フィリスは神との契約が果たされれば、姫は元の姿に戻ると話していた。だがそれでもなお、彼の胸にある恐怖と疑心は消えないのだろう。母を亡くした上、今度は妹まで亡くすなど。きっとフィリスにとって、これ以上の悲劇は到底耐え難いことのはず」
「……」
「そなたがどうしてもと言うなら、この城に留まり姫のそばに居ても良い。ただ敵がもしこの城に攻めてきた暁には、例え一人だけでも逃げ延び命を繋ぐのだ。ナフィアよ……そなたはフィオナによく似ている。妹のみならずそなたまで失ってしまったら、いよいよ甥御は心の支えを失い、母と同じ道を辿るやもしれん。だからどうか、いざと言う時はフィリスを……我が甥御の事を頼んだぞ」
そう語るオルフィス様の目は穏やかで、しかしその瞳の奥には悲壮な覚悟が見え隠れしていた。
……姫様とフィリス様を襲った悲劇も、そうしてこれから起こるであろう恐ろしい戦いも、自身にはまるで遠い世界の出来事のようだ。
でも、それでも私は決めたのだ。これ以上汚いことなど何も知らず、ただ一人だけ綺麗なままの自分ではいたくない。きちんと知るべきことを知り、いざと言う時に大切なものを守れる存在でありたい。だから。
「はい、オルフィス様。私は……ただ私が出来る精一杯のことをしたいと思います。姫様の側にいることを許して頂き、ありがとうございます」
そう言って、私はオルフィス様に頭を下げて礼を述べる。
神様は、私達に知性を授けられた。だから私は逃げない。自分なりのやり方で最後までしがみ付き戦う。それがきっと、神様が我らに与えた試練なのだろうから。




