42.おかえり
あの後、ニクスにも在庫確認の手伝いをして貰った後、俺たちはフィリス……ウォルフ様とオルフィス様の居る執務室の前まで来ていた。
オルフィス様が来たのは、今回イースタールのヘレノス、そしてノースフィールの境の関所で起きた騎士達との諍いについて、ロミリス名代の彼が始末をつけるためだ。
俺とニクスは扉に耳をあて、中の様子を伺う。あいにく二人はまだ話の最中のようで、長引くようなら出直すかと、会話の内容に聞き耳を立てる。
「……も、ドルガノが負傷し……今は事を構える気はな……」
「……から出せるのは……あと二週間…………、ロクス、ニクス。用があるなら入れ」
突如自身らの名を呼ぶウォルフ様の声が聞こえ、俺たちは思わず飛び上がった。しばらくして、静かに開いた扉の隙間からオルフィス様が顔を出す。
「おお、当たっておる。得意の『千里眼』は健在だな、ウォルフ殿」
「世辞はよしてくれ。俺の目じゃ千里どころか一里も危うい」
「アノ、オルフィス様 俺タチは用済んだ後デ 大丈夫デスから」
「良い良い、おおむね話し終えた後だ。ウォルフ殿。品は手筈どおりに頼んだぞ」
「ああ、尻拭いをさせて申し訳ないが、よろしく頼む。オルフィス殿」
その言葉に頷いた後、オルフィス様は部屋を出て俺たちの入室を促す。おずおずとニクスを連れて中に入ると、ウォルフ様は席に座ったまま仮面越しに視線を投げかけ、俺たちを迎えた。
「ロクス、先ほどはご苦労だった」
「ハ、ハイ アノ、ウォルフ様 オレとニクスと三人 話シタイことアッテ」
「なんだ?」
「……ウォルフ様! オ、オレタチ どうしても『聖戦』シナきゃダメか? オレ、戦いで皆が傷ツクの嫌ダ」
ニクスの言葉に、執務室がしんと静まりかえる。ウォルフ様はしばし沈黙した後、言葉を発する。
「ニクス。俺たちが『聖戦』を起こす理由を、今ここで言ってみろ」
「……オレタチが 安全に暮らセル国作るタメダ 女神ノ聖痕ヲ返サナイと 神様ハまた俺タチの知性取り上げるっテ」
「そうだ。聖戦は知性を授ける代わりに、神がお前達に課した試練だ。いくら俺に訴えようと、神がそう決めた以上戦いから逃れることは出来ない」
ウォルフ様の言葉は、どこまでも簡潔なものであった。てんで取りつくしまもない。隣にいるニクスがしょんぼりと肩を落としたのを見て、俺はおずおずと口を開く。
「アノ、ウォルフ様 オレタチが国作るのは傷つかナイため ダカラ国作るタメに傷付くの オカシイと思う 神様ハドウシテ 俺タチに戦争サセル? 神様スゴイから 女神の聖痕モその気にナレバ ヒトリで取り返せるハズ」
「……これは神の言葉でなく、あくまで俺個人の考えだが」
そう前置きして、ウォルフ様は再び言葉を紡ぐ。
「神が戦いの試練を課したのは、お前達コボルトに学びを与えるためだと思う」
「学ビ?」
「ああ。俺たちの神アストゥラルが司るのは『知性』だ。無償の愛と庇護を人間に与えた女神エーティエルと違い、自らの頭で考え、世界の厳しさと立ち向かう力を授ける神格。……俺も試練を与える彼のやり方は正しいものだと思ってる」
「ドウシテですか? 俺ハ女神様のやり方 イイと思う アストゥラル様はイジワルだ」
ニクスの率直な言葉に、ウォルフ様がゴホッと仮面の下でむせる音が辺りに響いた。しばらく肩を震わせた後、ウォルフ様はどこか愉快そうにこちらへと語りかける。
「フフ、そうだなニクス。神様はまったく意地悪だ。だがそれ以上に……女神が力を与えた人間達は救えないほどに意地が悪かった。ゆえに神も『学んで』しまったのだろう」
「神様イジワルなの ニンゲンのせい?」
「そうだな。そうして俺も、神様をイジワルにしてしまったニンゲンの一人なのだろう」
「フィリス様 スゴク優しくて親切 イジワルじゃない」
「そんな事はないさ。意地悪じゃなきゃ……お前達が『聖戦』で傷付いていく事を良しとはしなかった。だがなニクス、ロクスよ」
ウォルフ様はそう言った後、がたりと席を立つ。
「それでも俺は……フィリス・トエル・ラミシスは、お前たちを大切な仲間として心から愛している。ニクスやロクス達が傷付けば自分のことの様に悲しいし、その苦しみを取り払ってやりたいと思う。俺はお前達コボルトの王として生涯使命を全うする。共に神の試練を乗り越えた先、お前達にはどこまでも幸福で安らかな世界を築いて欲しいと……本気でそう思ってるんだ。だからどうか俺のことを信じて着いてきてくれ」
ウォルフ様が狼の面を外し、彼の……フィリス様の素の顔が俺たちの前に曝け出される。
柔らかな金茶の髪と瞳。その顔には笑みが浮かび、しかし何処までも悲しく、寂しげな色を帯びていた。
ニクスはフィリス様の顔を見て、様々な感情の籠った目から透明な涙を零し、衝動的に彼の懐へと飛び込んだ。
「フィリス様ぁ! オ、オレ ゴメンなさい ペトロス様助けられナカッタ イチロもバルバラも置いテッタ! オレ一人ダケが……ウゥ」
「ニクスだけでも無事に戻ってきて、本当に良かった。俺達は皆、お前の帰りを待ってたんだ。おかえり、ニクス」
幼いコボルトを抱き止めるフィリス様の姿を、俺はぼんやりと遠目から眺めていた。するとこちらの様子に気付いた彼が、無言でこちらに手招きをする。
俺達だけの頼もしい王様。勇者フィリス。その顔を見ていると無性に安堵の感情が胸に溢れ、不安で凝り固まっていた心が解けていく。それと共に、ふと自身の涙腺が緩み涙が零れるのが分かった。
ようやく胸に落ちた実感と感情。ああ、俺は忙しさと独りよがりの責任感を言い訳に、ただペトロス様を……大切な仲間を亡くした悲しみから目を背けていただけなのだと自覚した。
「ウゥウ、フィリスさまァ」
俺はみっともなく泣きながらフィリス様に抱きつき、ニクスと共にその逞しい腕に抱かれた。
こうして彼のそばに寄るのは、ウェスタールの任務以来か。フィリス様からは、どこまでも優しく頼もしい彼本来の匂いがした。
……俺たちは『聖戦』できっと、さらなる喪失の痛みと悲しみを味わうことになるだろう。いっそ心を殺してしまえば楽だったのに。俺たちに試練を与えた神と我らの王は、どうやらそれすらも許してはくれないようだった。
その後ニクスは何とか立ち直り、俺達コボルトとナフィアは数日置いて仲間内のささやかなパーティーを開いた。
元々はイチロが「皆の好きなものを集めて仲良くなろう」と企画していたのだと、ゴロスがそう話していた。皿に積まれた赤いカエルイチゴ……ヨンカの好物を目の当たりにし、俺はかつてイチロを恋敵と誤解したことを割と真面目に後悔した。疑って悪かったよイチロ……帰ってきたら誠心誠意謝る。許してくれ。
「ン〜〜このイチゴ甘くて美味シイ! ナフィアが見つけて摘んでキテくれたんデショ? ほんとにアリガト」
「えへへ、喜んでもらえて良かったです……! 良ければこの甘パンもどうですか? 私の好物なんです」
「ナフィアこれ ウェスティンで買ったヤツ……な訳ナイカ」
「ゴロスさんとパウロルさんに協力してもらって、味を再現してみました。これで皆でいっしょに食べれますね。ニクスさん」
「ハーッハハ! 皆一緒かぁ、ココにイチロが居ないのが残念でならねえゼ、ヒヒっ」
「サブロ、それオレのブラッドサーペント肉……」
パーティーは始終賑やかな様子で進み、俺は好物の肉入りパンをかじりながら皆の話に耳を傾けていた。
少しずつだが、俺達はペトロス様を失った悲しみから立ち直り、普段の調子を取り戻しつつあった。
「そうだニクス、コレ食ってミロ」
「ナニ……ヒッッ、ソレ フィリス様作ったレッドサーペントの干し肉……?」
「ちがう違う、コレはドラ……いや素材を変えタ改良版の干し肉だ。ニクスはマダ食ってナイだろ?」
イチロは未だ城に戻ってきていない。しかし俺たちの中には「彼なら大丈夫」という共通認識……いや、れっきとした確信があった。
「どうだニクス? 味の方は?」
「干しタテの枕を齧っタみたいな味」
「アハハハハ!」
なぜなら騎士団が未だ、イチロの所在を追うのにやっきになっているからだ。ドルガノは左腕を失った時の傷が原因で床に伏しており、彼を慕う騎士達が怒り狂ってイースタールとノースフィールの境を探して回っている最中だ。しかし彼が捕まったという情報はまだこちらに入っていない……しかも。
「やっぱイチロにもコレ食わセテ、感想聞きテェな」
「アンタがソンナこと言うから 帰って来たクてもこれないんジャナイ?」
「イチロの好物、窓際オイタラ 来るカナ」
「ソンナ ゴロスじゃナイんだか……イヤ 何でもナイ」
城の窓際に、艶やかな黄色の林檎がゴロスの手により置かれる。
それはイチロの好物なのだそうだ。その情報源は、かつて彼と同じ群れにいたサブロだ。
「しかしアイツも憎イ奴だぜ。俺たちに顔スラ見せず土産ダケ置いてクんだから」
そうサブロは、自身の両手を頭の後ろで組みながら呟く。
……数日前。このノーラントの山城に差出人不明の贈り物が届いたのだ。
城の入り口に置かれたのは、布に巻かれた一本の人間の左腕。刃傷でドルガノと名を彫られた腕に突き立てられていたのは……かつてイチロがペトロス様から授かった黒曜石の短剣の一振りであった。




