40.罪人イチロ
俺とバルバラが関所に戻る途中、正面からこちらに向かい、馬で駆ける騎士達の姿が遠くに見えた。
バルバラの白い顔が青ざめ、体が震える。彼女は斜め後ろを歩く俺に対し、硬い声色で言葉を紡いだ。
「イチロ。もし私の身に危険がふりかかっても決して変装を解いてはダメよ。貴方は生きて、ニクスと共に戻るの」
「……」
その約束は出来なかった。ニクスはバルバラの言葉を信じたようだが、イースタールの境全体に警戒網を張り、おまけに副騎士団長まで出てくるほどの大事だ。彼女も無事では済まされない可能性が高い。
……元々バルバラを連れ出し、そうして騎士団に追われるきっかけを作ってしまったのは自身だ。これから起こる事の責任は、自分がとる。
先頭を走る騎士の一人が、こちらの姿をみとめ後ろにいる男へと呼びかけた。
「ドルガノ様! バルバラ嬢が女を連れて戻ってきました」
「何?」
兵の呼びかけに振り向いたのは、白い外套に白銀の甲冑を纏った中年の騎士。顔の左半分には血の滲む包帯が巻かれており、どうやら傷を負っているようだ……ペトロス様がやったのだろうか。
「……ドルガノ・レミアス副騎士団長様! 私はバルバラ・ヘレノス。どうか私に騎士様の庇護をお与えください」
そう言って彼女はドルガノの方に向けて膝をつくと、こうべを垂れて懇願する。
彼は部下に二、三言指示を出した後、バルバラの方を向く。そうしてチラッと村娘に化けた俺を見て、口を開いた。
「隣に居るのは?」
「私の身を案じ、付いてきてくれた村の者です」
「ふむ……お前達は先に行け。私は彼女らを関所に連れて行く」
そう言ってドルガノは隊を分け、俺とバルバラは残った隊に伴われイースタールの関所へと戻された。そこはまだ戦闘の爪痕も生々しく、血痕や爆破の焦げ跡が未だ地面や壁に残っていた。
ふと胸の内に、どす黒い感情が湧き上がるのを覚える。ここでペトロス様は俺たちを逃すべく戦い、敵に情報を渡すまいと爆弾で自決したのだ。俺のせいで……そうして、今ここにいるやつらのせいで。
「バルバラ嬢よ、なぜここに戻ってきた。やはり貴方はヘレノス城内にてならず者に攫われ、不本意にここまで連れて来られたのか?」
「城内の侵入者に攫われたのは事実です。しかしそれ以降は自らの意思で、彼らと行動を共にしこの地まで来ました」
「それは何故だ」
「ジニアス国王陛下との婚姻から逃れる為です」
率直過ぎるバルバラの言葉に、ドルガノは目を見開いた後、大きく息を吐いた。その顔にはあからさまな呆れの色が浮かんでいる。
「それが事実であるなら、何と愚かなことか」
「ええ、故に自らの愚かさを自覚し、こうして戻って参りました」
「……いささか悔いるのが遅すぎたな、バルバラ嬢よ。貴方と父サヴァンの立場は今非常に厳しいものとなっている」
「父までもが? それは一体どういう……」
「貴方には今、ヘレノスの関所で騎士と自らの領民たる兵を殺害した嫌疑がかかってる」
ドルガノの言葉に、関所でのことが脳裏をよぎる。あの時俺は兵を引きつける為、バルバラに似た黒髪の女の姿に化けていた。その時のことが、曲解された形で敵方に伝わっているのか。最悪だ。
「そ、そんな、私は」
「……私自身は、バルバラ嬢が犯人だとは思っていない。か弱い娘御一人に我が部下が負けるはずもないからな。先ほど貴方と共に居たペトロスらの仕業なのだろう。……だがその真偽を確かめる前に、ペトロスは命を絶ってしまった。バルバラ嬢の無実を証明する為、新たな証人が必要だ。この関所で彼の他もう一人狼の面を被った小男が、貴方を門の外へと逃した筈」
そう言葉を紡ぐドルガノの目は冷たく、しかしその瞳の奥はさながら炎のように燃え上がっていた。
ああ。彼の目にある熱には、自身にも今しがた、そうして過去にも覚えがある。
「残りは一匹。ヘレノスの関所にいた部下の中には、バルバラ嬢と同い年の……騎士になったばかりの我が娘の姿もあった。彼女と部下の命を奪った賊共を、私は決して許しはせぬ。たとえノースフィールに逃れようとも、必ずや草の根をかきわけ探し出し、その命をもって償わせよう」
ーーあれは仲間や家族の命を奪われた、心ある者の強い怒りと憎しみの目だ。
故に俺は手足の竜骸に魔力を込め、瞬時にドルガノとの間合いを詰めて黒曜石の剣を抜く。
「っ!グゥッ……」
ドルガノも素早く自らの剣を抜いて攻撃を受けるが、刃が触れ合った時に腕力の差を悟ったのだろう。首元目掛け下から振り上げる刃の軌道を逸らし、代わりにドルガノの腕が血飛沫を上げて宙へと舞った。
ーー彼の気持ちはよく理解できる。かつて神から知性と心を授かった瞬間、俺の妻子はすでに人間達に嬲られた後で、自身の目の前で息を引き取った。人に襲われたコボルトの集落で、俺だけが後から来たフィリス様の治癒魔術により生き延びたのだ。
「な、何をしてるのイチロ!」
バルバラの悲鳴にも似た声を無視し、俺は『霊兎』アルミラージの竜骸で一気に飛び上がり斬り落としたドルガノの腕を掴む。そうして顔を青くする彼女に向かい、大声を張り上げた。
「このイチロ様に騙サレタとも知らず バカな女ダ!」
俺は姿惑わしの首飾りの魔術を解き、狼面を被った本来の姿を晒す。そうして苦悶の表情で自らの肩を押さえるドルガノに向け、斬り取った腕をかざして挑発する。
ーー知性を得る前の、妻や子供達との記憶もおぼろげな俺でさえ当時は怒りに飲まれた。その出来事に由来する、人間そのものに対する憎悪もいまだ消えてはいない。自身ですらそうであるのに、生まれた時より思考する頭と物事を感じ取る心を持っていた彼、ドルガノの怒りと憎しみはさぞや深いものなのだろう。だから。
「お前のムスメ殺シタのは俺! デモお前もペトロス様を殺シタ いい気味ダ! ハハハハ! 気に入らないニンゲンをゴミみたいに殺スノは楽シカッタなぁ!」
俺の言葉に、ドルガノの顔は失血と怒りで蒼白になっていた。他の騎士が未だ呆気に取られてる隙に、俺は一気に飛び上がり、関所の壁の上へと降り立つ。
ーー憎まれ、殺意を向けられるのは俺だけで良い。いや、そうであるべきなのだ。俺はこの旅で、何度も重要な選択を間違えた。そのせいでペトロス様が死に、バルバラを追い詰め、そうしてニクスの心を深く傷付けた。
自身のしたことは、もう取り返しがつかない。憎しみに満ちたドルガノの目を見て、ようやく理解した。ニンゲン……俺たちと同じ心ある者らの命をいたずらに奪うのは、それほどに重い罪なのだ。もう後には引けない。
「コレ見ろ! バルバラ隠してた勇者フィリスの竜骸 俺が奪ってヤッタ! ペトロス様ヲ殺した 憎きオ前達になぞくれてヤルものか ハハハハ!」
自身の懐から袋を取り出し、ドルガノ達にみせびらかす。……今、フィリス様の竜骸を持っているのはニクスだ。これは彼らに自身を追わせる為のパフォーマンスに過ぎない。
騎士達の秘術がこちらに放たれる瞬間。俺は自身の立つ関所の壁を蹴った。今自らの背後にあるそれ……イースタールとノースフィールを隔てる川の中へと身を投げるために。




