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4.犬亜人コボルト



 突如、我らの頭上に天啓が舞い降りた。


 今まで自身らの生きてきた時間には一体何の意味があったのかと。そんな己の生に対する自問自答の念すら湧き出てくるほど、頭のすみからすみまでひどく冴え渡る心地。


 それは自身のみならず、行動を共にしていた仲間らも同じだった。

 今まで威嚇や求愛など、本能的な欲求に基づく感情のみしか発露してこなかった喉から『ニンゲン』と同じ、言語を介した高度な意思疎通を可能とする言葉が口をついて出る。……誰に教わった訳でもないのにも関わらずだ。これを天啓と呼ばずして何というのか。


 仲間の一人が巣穴の入り口より走り出て敵襲を知らせる。オークが五体こちらに向かっているとのこと。以前であれば敵の種類や数など、その概念すら理解することも出来なかったことだろう。


 ……だが同時に、理解が出来た所でどうすることも出来ない。俺たちコボルトは非力な魔物だ。今ここにいるコボルトの数は十三体。うち戦闘可能な個体は七。一方オークはその一体に対しこちらが三体がかりで掛からなければ勝てない相手だ。終わった。


 俺の腕にしがみつき、声を殺しすすり泣きながらこちらへ身を寄せる幼い妹。ああせめて彼女や子供達だけでも、何とか逃してやれないだろうか。


 俺たちに天啓をおろした神は残酷だ。ただ物事を理解するだけの頭脳を授けられた所で、絶望的な環境下においてはただ自らに襲いくる悲劇を認識し、嘆き悲しむことしか出来ない。むしろその苦しみは増すばかりだろう。


 ああ、神でも悪魔でも何でも良い。どうか俺たちを助けてくれ。


 これまで認知すらしていなかった超常的存在に祈りを捧げながら、今まさに入り口付近で交戦していた仲間が、頭からオークに食われる瞬間を目の当たりにしていた最中であった。


 ……突如オークの首から血飛沫がほとばしり、ぐらりとその頭が真横に転がり胴体から落ちる。


 倒れ込む巨体のしかばねを越え、現れたのはその手に血濡れの剣を持ち、全身に返り血を浴びた逞しいニンゲンの青年の姿だった。


 一つに纏めた金茶色の長い髪。短い前髪の下にある同色の瞳は鋭く氷のように冷え切っていて、見るものを震わせる鬼神の如き圧を纏っていた。


 ああ、我らのもとに遣わされたのは悪魔の方であったか。

 

 そう思いながら俺は妹の身を抱いて、巣穴の奥へと尻込むよう後ずさる。きっと次に殺されるのは俺たちに違いない。ぎゅっと目を瞑り、やがて訪れる死の瞬間を覚悟し、待っていたその時だった。


「……我が名はフィリス。俺の言葉が分かるか? その身か弱き魔の眷属どもよ」


 男の言葉に、まだ対話が可能かもしれないと俺は一縷の望みを見出し、必死にニンゲンの雄フィリスに向け命乞いをする。俺たち雄のコボルトはどうなっても良い。だがせめて子女は、妹や子供らはどうか見逃して欲しいと、そう震える声で懇願した。


 男はこちらの言い分を黙って聞いた後、その唇からふっと小さく息を漏らし、言葉を紡いだ。


「……なるほど。お前達コボルトは、俺の肉親どもよりよほど気高く崇高な精神を備えているらしい」


 そう皮肉げな笑みを浮かべた後、フィリスと名乗るその男は麻布で剣にこびりついた血をぬぐい、言葉をつぐ。


「俺は、お前達コボルト族に知能を授けし男神アストゥラル様が遣わした神の使者。そうして汝らを守護する者にして、男神が定めた絶対の王である。俺に従いその手足として仕える意志があるのなら、お前達の妻や子供らの安全は、このフィリスが神の使者たる王の責をもって保障しよう」


 そう言い切った後、男は剣を鞘にしまい。そうして乱雑に血を拭った手のひらをこちらに差し出した後、その顔に笑みを浮かべる。


 和らいだ金茶色の瞳はほのかに目尻が垂れていて、どこか優しげで気品のある雰囲気を漂わせていた。それでいて、その肉体と声色は逞しく、そうして何処までも頼もしいものであった。


 ああ……ああ! 我らに知能を授けし神は、けして哀れな俺たち犬亜人を見捨ててなど居なかったのだ!

 

 俺は腕に閉じ込めた妹と目を合わせ、共に安堵の涙を流し喜ぶ。そうして互いに頷き合い、俺は皆より一歩前へと進みでて、我らが王フィリスへと感謝の言葉を述べた。


 

「フィリス! アリガトウ! オレタチのオウは オマエ オレタチは フィリスに シタガウ」

 

「…………ああ、ありがとう。そうと決まればここは危険だ、俺が安全な場所へとお前たちを連れて行こう。着いてきてくれ」


 俺と妹、そうして後ろに控えていた子供らや生き残りの男衆を連れ、フィリスは巣穴を出て歩み出す。外に出たその周辺には、血を流し倒れるオークの姿が、巣穴に残した分を含めちょうど五体地面に転がっていた。


「フィリス ツヨイ! ゼンブ ヒトリで ヤッタのか?」

「ああ、俺の手足は『竜骸』で強化してあるからな……それより」

「ナニ?」

「……いや、なんでもない。犬頭の声帯では、その発話が限界ではあるのだろう。一つ聞いても良いか」

「アア!」

「オークが五体この巣穴に向かって来ただろう。お前たちコボルトの数が十体だとする。この場合コボルトが倒せるオークの数は何体だ?」

「……? オレタチ サンタイで オークたおせる ダカラ オークはサンタイたおせて ノコリのオークはニタイ アマル」

「ああ、正解だ。答えてくれてありがとう……相応の知能はあるようだな」


 ……後半ぼそっと呟いた内容は聞き取れず、質問の意図もよく分からなかったが、まあフィリスは納得しているようだし良いだろう。


 俺たちの群れは十三体のうち二体が死亡し、今は十一体存在する。フィリスの後をついて行くと、開けた場所には大きな荷車の側に集まる別集団のコボルト達の姿があった。その背や手に、いくらかの荷袋を担いでいる。


「フィリスさま オカエリなさい! オレタチのナカマ ふえるました!」

「ああ、おなじコボルト同士仲良くやっていくんだぞ」


 一体の雌コボルトがこちらへと歩み寄ってきて、笑顔でこちらに挨拶する。


「ハジメマシテ! ワタシたち フィリスさま シタガウ ナカマ ヨロシク!」

「ヨ、ヨロシク」


 つやつやとした毛並みを持つ彼女を前に、ドギマギしながら言葉を紡ぐ。妹や他の仲間も、恐らく先にフィリス様に導かれていたのであろう同胞と、仲良く打ち解けているようだった。


 総勢四十ほどにもなった群れの中、俺はその雌コボルトに問いを投げかける。


「このニモツは ドウシタ? ニンゲンの モチモノだ フィリスが ヨウイしたのか?」

「フィリスさまには サマつける! これニンゲンの ルール!」

「ス、スマナイ フィリスさま オボエタ」

「ヨロシイ ……コレはフィリスさま ニンゲンからウバッタ ワタシたちは タタカワズ ミテタダケ フィリスさま ツヨイ カッコイイ」


 そう雌コボルトは、どこかうっとりとした調子でフィリスの方を見て呟いた。


 ……何だろう。何やら胸がもやもやして落ち着かない。俺はまだ、この感情が意図するものを上手く掴めずにいた。なにせ知能というものを授かってまだ大した日にちも経っていないのだ。世の中にはまだ、わからないことが多い。


 それでも、俺たちの胸には「フィリスさま」に着いていけば大丈夫だという、そんな期待と信頼の気持ちが確かにあった。


 知能を手に入れた以上、もっとこの世界のことをよく知りたい。この身で感じて、見聞きしたものを彼女や妹らと共有し、共にこの世界に生きる喜びを噛み締めたい。


 その為に、俺は生きるべくこの人について行く。神の使者フィリス。彼はきっと紛れもない、俺たち弱き者の希望なのだから。


 

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