3.神のルール
「神の力というのにも限度がある」
埃っぽい廃城の広間を掃除する俺の耳元に、姿なき男神の声が響く。
「今回我が父にして母たるマティリアルに通したわがままで、私も随分と力を使ってしまった。大は小を兼ねるというが、神の場合これが当てはまらなくてね。特定の個人に対して力を行使するには、多大なリソースを消費するんだ」
「ということは私の肉体の治療や、我ら兄妹の移動にアストゥラル様はその力を」
「ご明察の通り……ああ、君の妹を治癒するリソースは残しておくから安心してくれたまえ。さて、今回君が人の国を滅ぼす王となるべく、五度。私の力を使う権利を与えよう」
木製のバケツにモップを浸し、汚れを落としたのちに絞る。あと二回ほどで終わるだろう。
「力というのは一体、どういうものなのでしょう」
「私は簡単にいえば『知』を司る神でな。この世の生物が、我が精神領域に接続する際に通る『門』を私の一存で操作できる」
「……つまり生き物に知性を授けたり、逆にそれを奪うことも出来ると」
「いやあ、物分かりが良くて助かるよ。で、私や妹は昔から微細なコントロールが苦手でね。その力を使う場合の最小単位は『種族』に限定させてもらう。例えば魔物に知性を授ける場合、ゴブリンとかグリフォンとかその単位で指定して貰えば良い」
「なるほど、良く分かりました。ありがとうございます」
力を込めて、しつこくこびり付いた床の汚れを落とす。
確かに、最初アストゥラルに『魔物を統べる王』になれと言われた時、疑問に思ってはいたのだ。
魔物は闇より出でて、中には魔法の力を操る種族すらいるものの、その知能は皆無に等しい。考える頭がなければ、軍を形成することも統率することも当然不可能だ。だがなるほど、神の力を使えば、最大五種の魔物に知能を授け、自身の配下とすることも可能ということか。
「……ちなみに知能を奪うというのは、人間に対しても有効なのでしょうか」
「お、鋭い着眼点だね。もちろん可能だとも。ただその場合、君や妹フィオナの知能も当然消えることになるけど」
まあ、それはそうか。だが今のはかなり有力な情報ではある。上手く使えば、紛うことなき切り札となるだろう。
「で、どうするつもりだい王様? 最初に知能を与える魔物はもう決まっているのだろう。ドラゴン? それともベヒモスとか」
「……アストゥラル様。貴方は私の思考が読めるのでしょう? いちいちお聞きにならずとも分かることだと思いますが」
「あっ、バレてた? まあでも、そんな寂しいこと言うなってフィリス。会話というのは存外楽しいものだ。君も話し相手がいた方が飽きないだろう?」
いや正直うるさ……ああ、ダメだ。ここは話題を戻そう。
「アストゥラル様。私は初めに知能を与え、臣下に加える魔物を『コボルト』に定めようと思っています」
「ふむ」
「まず強力な魔物に知性を与えるのはデメリットの方が大きい。相手がこちらの言うことを聞く保証はありませんし、何より人間側が万が一魔物を従えてしまった場合、数の面でこちらが圧倒的に不利になる。少なくとも今の段階で検討すべきことではないでしょう」
とある盤上遊戯のルールでは、取った駒を自身のものとして扱うことが出来る。知性を得た魔物について、人間側に利用されるリスクは常に頭に入れた上で、適切な強化のタイミングを見計らわなねばならない。
「ふむ、それでコボルトか。だがもう少し強い魔物の方が見栄えするのではないか? ほら、ゴブリンとかオークとか……」
「ゴブリンやオークは現状でも群れを形成する魔物ですが、知能を持って軍を形成したことが知れれば、人間側も即座に警戒し対策を練ってくることでしょう。その点コボルトは、生身の人間とそこまで変わらぬ強さしか持ちませんから、すぐに警戒されることはない筈。こちらの軍備を整える時間が取りやすい」
小鬼ゴブリンと豚鬼オークは非常に繁殖力が高く、その力も人より強い。一方コボルトは犬に似た頭と人型の体を持つ魔物で、数も力も前者には劣る。故に人間からも侮られやすく、知能を持ったことによる異常行動が観測されても、即座に手を打たれることはないだろう。その隙をつく。
「……これでよし」
最後の床を拭き終え、モップをバケツに戻すと俺は一息吐く。
小高い山の頂きに建てられた廃城。かつて貴族の軍事拠点として使われていたのだろうそこは、石造りの簡易な内装で、正直あまり住み心地は良くない。
その城の一室、おそらく宴会や催しの際に使用されていたのだろう広間。いくぶんさっぱりとした木の板の床は、俺が歩くたびにぎしぎしと音を立てる。
隅に置いていた大きな棺を、広間の中央へと置く。そうしてその中に、すっかりと小さくなってしまった妹の姿を横たえ、用意していたそれで辺りを飾る。
木製の巨大な棺の中、そこには安らかな寝顔のまま目を閉じて眠る妹、フィオナの姿があった。汚れていた金髪を切って整え綺麗にすすぎ、顔に付いた血を拭った妹の白い肌は美しい。厚手の白い布に覆われた体の周辺には、あたりで摘んできた花を乾燥させたものや、城に残されていた宝飾や小物を配置し、出来うるかぎり綺麗に飾った。
「フィオナ、俺はしばらく城を空ける。その間アストゥラル様がお前の面倒を見てくださるそうだ。どうか良い子で待っていてくれ」
「まあ面倒見るのは私でなく神マティリアルだけど……契約の期間内、フィオナの生命維持と肉体の保護を担うのは彼の仕事だ。私はせいぜい、この娘の身に危険が及びそうになったら君に知らせるぐらいか」
「いえ、それで十分でございます。私もあまり遠出はせぬよう、なるべく近隣で済ませますので」
俺が人間との戦争において初めにすべきことは、兵の確保だ。
そのため、事前に各地を旅してコボルトの生息地を確認する。そうして帰路のタイミングでアストゥラルの力を用い、知能を得たコボルトを即座に自身の軍へと勧誘するのだ。
ぶっつけ本番ではあるが、勝算が無いわけではない。
コボルトは魔物の中でも最弱の部類に近く、他の魔物に捕食される立場にある。知能を得た彼らはきっと強き者の庇護を求めることだろう。そこを狙う。
「……ああ、君も中々の悪だなぁ、フィリスよ」
「はは。何せこれから俺が成すのは、人類に仇なす巨悪。これぐらいのことは数に入りません」
俺の思考を読んだアストゥラルの、どこか愉快げな声が耳元に響く。
この声とも、しばらくお別れか。あまり名残惜しくもな……いや本当に残念だ全く。フィオナのためにも、用事が済んだ後はすぐさまこの城に戻ろう。
「一応伝えておくが、脳内で私の名を呼べばいつでも駆けつける。ふふ、有事に限らず一人が寂しくなった時に呼んでもらっても構わないぞ」
「ハハハ」
俺はそう愛想笑いを零した後、妹の棺のそばから立ち上がり、名残惜しくも出立の準備を整えるべくその場を後にした。




