36.ニクスの旅(その1)
ヘレノス領の関所を抜けた後、ペトロス様とイチロとバルバラ、そうして俺は最短経路でイースタール地方の村々を抜けつつ、ノースフィールへの帰還を急いでいた。
「行きト ルートが違う」
「行きはユニコーンの輸送経路ヲ確保するタメ イクツか町に寄る必要がアッタ 帰りハもうソノ必要がナイカラな」
「ユニコーンを輸送する? ねえ、一体どういうこと?」
バルバラは俺とイチロの会話に興味を示し、キラキラと目で俺たちを見る。イチロはしまったという表情を浮かべ、俺は気まずげに、馬を手繰るペトロス様の後ろ姿に視線を向ける。
「……バルバラ、お前はノースフィールの地に着いたら何処かに身を寄せるのだろう? あまり不要な事は知りすぎるな。ノースフィールに入る前に、そのお喋りな口を縫い付けねばならなくなる」
「あら、そんなコトをしたらフィリス様の竜骸の場所も分からなくなっちゃうわよ? それでも良いのかしら」
あのペトロス様相手に、ここまで平然と言い返せるのはある種の才能といっていいだろう。やはりこの娘の減らず口は恐ろしい。
そう話している間に、馬車はとある大きな町の近くにまで着く。ここはノースフィールとの国境付近にある交通の要所の一つだ。
ノースフィールへの行き来は、必ずいずれかの町を通る必要がある。北と東には川による自然の国境が敷かれていて、橋を渡るには町にて通行許可証を購入する必要がある。
町に着くと、そこは行きと同様人の数こそ多いものの、皆の表情は何処か暗く辛気臭いものだった。それでも道中寄った村々よりは幾分マシか。
「……やはりウェスタールとは 全然チガウ」
「そういえばニクスは あの時ロクスとナフィアと一緒ダッタカ ナフィアが色々話シテクレタ ウェスティンはとても良いトコロだったッテ イイなぁ オレも行ってミタかったナぁ」
イチロの軽口に、釣られて笑ってしまう。
ペトロス様の話だと、ルミネスが治めるイースタールの地は税が重く、人々の暮らしを圧迫しているのだとか。比較的豊かなヘレノス領でも税の負担はかなりのものらしく、道中バルバラが愚痴っていた。
「大して兵を割いてくれる訳でもないのに、お金だけは容赦なく取っていくんだもの。セシリア様が騎士団長になってからはより酷くなったと、お父様が言っていたわ。ノースフィールの地はどうなの?」
「ロミリスの名代、トエル家が領主らを代表して国に税を納めている。オルフィス様は公明正大なお方だからな……民の血税を着服したりはせず、むしろ自ら身を切ってまで国と我らの仲を取り持っている。あのようなことがあったにも関わらず、忍耐強い方だ。流石はフィリス様の叔父君といえよう」
「あのような……ああ、フィリス様とフィオナ様の母君の話ね」
イチロの目に一瞬好奇の色が浮かぶが、ペトロス様の顔色を見て開きかけた口を閉じる。まあ、これはあまり聞かない方が良い話題ではあるだろう。
俺も諜報活動を行なった中での又聞きでしか知らないが、曰くオルフィス様の妹御フィリアは国王ネメシスに一目惚れして、周りの反対を押し切り側妃として嫁いだのだという。そうしてフィリス様とその妹を授かった後、彼女は顔に醜い痣の出来る病、いや、呪いを患った。
後にフィリス様は退治した竜の素材から薬を調合し、母の呪いを治癒したそうだが、その甲斐も虚しく彼女は……。
バルバラも流石に気を遣ったのか、先ほどの話を深掘りはせず、別の話題へと移り変わる。……本当によく喋る娘だ。特にヘレノスの関所を抜けてからは留まることを知らず、気付けば自身も彼女と普通に言葉を交わすようになっていた。
「ねえニクス、この町の先にある橋を越えたら、いよいよノースフィールに辿り着くのでしょう?」
「アア」
「橋ではヘレノス領の関所と同じよう、また狼のお面を被るの?」
「ナンダ 不満なのカ?」
「不満というほどじゃないのだけど、その。少し獣臭くて……」
その言葉に、あの時狼の仮面をバルバラに貸していたイチロが「え……」と、ひどく衝撃を受けたような声を仮面の中から漏らした。
「……ニクス、彼女が行方不明になった噂は、まだこの辺りには伝わっていないのだな」
不意に、ペトロス様がこちらへと語りかけてくる。思わず肩を跳ねさせ、俺は返事をする。
「ハ ハイ ソウみたいです」
「分かった。通行許可証は俺とイチロ、バルバラ、あとは……五人分購入しよう」
「五人? あとはバルバラ 隠サナイのか?」
「ああ……本当に知らせが届いて居ないのなら、彼女の存在を隠す必要はない。それにそうでなかった場合」
ペトロス様はそう意味深に言葉を切った後、俺たちの名を呼ぶ。
「イチロ、ニクス」
「うぅ……ハイ?」
「ハ、ハイ」
「一番目はイチロ、二番目はニクスとバルバラ、そうして三番目は俺だ
「……! ワカリマシタ」
「エ……」
「今回は三組に分けて橋を抜ける。もしバルバラの存在が知れているようなら、俺とイチロが両側で混乱を起こすから、その隙にニクスとバルバラは橋を渡るんだ」
なるほど。有事の場合は挟撃し、強引に橋を抜けるということか。だがその場合……。
「……ペトロス様、俺ガ三番目にナル」
「駄目だ。先鋒には橋を渡った先、追っ手から二人を守る大事な使命がある。竜骸持ちのイチロの方が適任だ」
「……」
「……お前は俺が教えたコボルト達の中で最も優秀な弟子。いざという時は頼んだぞ」
イチロはペトロス様の言葉に、微かに息を呑んだ後力強くうなずく。
何やら物々しい雰囲気に、バルバラはおずおずといった様子で「あの」と口を開いた。
「ずっと気になっていたのだけど。ヘレノスの関所ではイチロとニクスが囮になって検問を抜けることが出来たのよね? でもあの後、私達を追う追っ手や逃げた噂を一つも聞くことも無かった。これってその、いくらなんでもおかしいわよね……?」
「……」
「……貴方達、まさか」
バルバラの顔が、にわかに青ざめる。しかしその顔は何かを覚悟しているかのように静かでもあった。きっと旅の道中でも、薄々と察してはいたのだろう。彼女の目は、今まで顔を背けていた現実を恐る恐るにも直視しようとする、そんな人間の目をしていた。
彼女の問いかけに、ペトロス様はしばし沈黙した後、声を潜めてその唇から言葉を紡いだ。
「関所の人間は、皆口封じに始末した。事はとうに露見し、今頃はイースタール中に噂が広まりつつある筈だ……こちらにまで情報が届いていないのは、たまたま女神が我らに幸運の加護を与え、情報が回る前に逃げおおせられているか。それとも」
その先に続くであろう言葉に、思わず自身の肝が冷える感覚をおぼえた。
もし敵方が、仲間を皆殺しにされたことを知ってなお情報を統制しているのだとしたら、理由は一つしかない。
……公に情報を開示し、集める必要がないからだ。その場合、口封じの甲斐なく敵はこちらを油断させ捕らえるだけの情報を掴んでいる。イースタールの境界線には厳重な警戒網が敷かれていることだろう。俺たちが無傷でこの地から逃れることは、ほぼ不可能になるということだ。




