10.雌伏の時
元々女神エーティエルの力は『祈り』によってもたらされるものだった。その力は魔物を退ける純白の光弾や光柱、光壁を生み出すなど甚く単純なもので、女神に祈りさえすれば、魔力の有無問わず誰にでも扱うことが出来るものだ。
しかし当時のラミシス国王夫妻と四人の臣下は、その力を独占すべく『竜骸』に通ずる原始の魔術、『食した物の力を自らの中に取り込む』古い呪いを用いた。
その結果、女神が万人に分けへだてなく与えていた聖なる力の大部分が女神を食らった簒奪者らのものとなり、また彼女の身に宿りし無尽蔵の魔力も彼らの血肉として取り込まれることになった。彼らはこの呪いにより得られた力を『聖痕』の秘術と称し、後にその血族のみを構成員とする『聖痕騎士団』を立ち上げた。
女神が死亡したことで彼らの末裔、王家と騎士らもまた聖なる力を操る術を失ったが、女神の肉体に含まれていた魔力とその血は依然今世にまで受け継がれている。
聖痕のくさびと血による縁を通じて、彼らは自らの魔力と『犠牲』を払い、女神の聖なるそれと似て非なる力を一時的に異界よりこの地に呼び戻す魔術を編み出した。
それは女神への祈りやかつての聖痕によりもたらされる白き力とは対になるよう、赤黒い光を放つ。
血と肉の贄により、大いなる力を得る原始の魔術。
「まったく『聖痕』ってのはロクでもないね。女神エーティエル亡き後でさえ、霊魂領域エーティリスに不正に侵入し力を引き出している輩が跡を絶えないのだから。人間というものは全く小賢しいことを考える」
「……男神アストゥラルよ」
「なに? 考え事をしている最中に話しかけるなと? ……いいや断るね。君が城を空けている間、私は退屈で退屈で仕方がなかったのだ。フィリス、汝は旅の最後まで結局私の名を呼ぶことはなかったな。なんて薄情なやつだ。君が冒険の最中でタラスクと戦い、コボルト達と心温まる交流をし、叔父オルフィスと旧交を温めている間。私はこの城で一人寂しく、君の妹御と留守番をしていたのだぞ。話し相手もいない中で過ごす孤独な一ヶ月を想像したことがあるか?」
めんどくさい神様だな。ああ、いや。これはあまりに身勝手で恩知らずな考えであろう。お許しください神よ……ええと。
「貴方様が我が妹を見守ってくださったお陰で、私はこうして三百もの犬亜人の臣民を得ることが出来た。全てはアストゥラル様のお力と類まれなる献身のおかげ。その温情に報いるべく、俺も誠心誠意貴方様の御心に沿うべく尽力する心づもりです」
「……一日一時間、話す時間をとってやるからそれで我慢してくれと?」
「それか、今この城には六十人のコボルト達が住んでいる。彼らと一度言葉を交わし、親交を深めるのは如何でしょう? コボルトらは自らに知性を授けた神アストゥラル様を信仰している。貴方様がお声の一つでもおかけになれば、彼らもさぞ喜ぶことでしょう」
「それが出来るのなら当にそうしている。フィリス、神の大いなる力を全ならぬ一のことに使うのは多大なリソースを要するのだ。君は神に捧げられ、契約を結んだ身ゆえ例外だが、現状私と直接会話ができるのはフィリス一人だけだと思ってくれ」
そうだったのか。それはなんとまあ、融通のきかない……神様も苦労しているのだな。
「分かればよろしい。さて、フィリスよ。聖ラミシス王国北部、ノースフィールの領主らの協力は取り付けた。コボルト達も人間らの指導のもと、兵としての鍛錬を積んでいる現状。次にどんな手を打つ?」
脳裏に響く神の声を聞きながら、俺は席を立ち、窓の外から城下の様子を眺める。
小高い山の上に立つ廃城。その城内には六十体、そうして山の各地に散る家屋には現在百体ほどのコボルト達が、人間の生活を模した暮らしを営んでいる。
コボルト達の集団における主な産業は、山地で育つ家畜を用いた牧畜。またそれらの副産物や魔物の素材を加工し物を作る製造業だ。また中には人手の足りない村にて農作業を手伝う者、引き続きノースフィール各地を旅して仲間を募る者もいる。このノーラント山に流れ着くコボルトの集団は、日々数を増しその規模を膨らませている。
「この『忘れ去られた地』にて敵の目を欺き、コボルトらの戦力を更に増強します」
現状、自身はトエル家と一部を除くノースフィールの領主らに、自らの素性を明かしていない。『ウォルフ』という偽名を名乗り、コボルトを率いる旅の魔術師として、オルフィス・トエルの庇護を得て領内での活動を行なっていた。人前では極力狼の面を被り、自らの顔を晒さないようにしている。
うかつに自らがフィリス王子であると周りに明かせば、それが騎士団の耳に入り、兵を挙げ攻めてくる可能性が高まるからだ。
「しかしだなぁ……いくら犬亜人の数を集め鍛えあげようと、『聖痕騎士団』を打ち倒すことは叶わぬだろう。なにせ妹の権能の紛い物といえ、彼らの力は魔物討伐に特化したもの。コボルトなんぞ一溜りもないだろう。やはりドラゴンか? ドラゴンを我らが軍勢に加えるか?」
「アストゥラル様は竜がお好きなのですね。あまり良いものでもないですよヤツらは……それよりは騎士団、ひいては民兵に対するアピールとして考えていた計画を実行に移します」
「あー念の為の確認だが、本当にやる気なのか? あんなにも美しく気高く、聡明で麗しい生き物を……」
この神、意外と魔物に対する選り好みがあるんだな。いや、厳密にいえばアレは魔物でなく別種の存在ではあるのだろうが。
女神エーティエルのもたらした聖なる力は、魔物に対して絶大な威力を発揮する。しかし逆に『聖獣』と呼ばれる存在にはその力が一切通用することはない。
聖獣の代表格、かつて女神エーティエルの旅に同伴していたという聖なる獣。森の奥深くに住まい、心清らかな乙女以外には決して懐かぬという誇り高き存在。
一角獣ユニコーン。これをアストゥラル神の権能により無知性化し、我が兵達の軍馬として用いようと考えていた。
「かの獣は女神エーティエル、ひいては『聖痕騎士団』のシンボルとして神聖化された存在。それを難なく我らコボルトの軍勢が率いている姿を見せれば、騎士ひいては民兵の精神的な動揺を誘えることでしょう」
おまけに一角獣は、女神の力と非なれど類する『聖痕』の秘術に、ある程度の耐性を持つのだとか。護符を用いた防具により強化すれば、コボルトらが騎士達と戦うに当たっての有効な手立てとなるだろう。
「うーん……まあ作戦としては分からなくもないが、『一角獣』は森の奥深くに住まう生き物。どう見つけ出して集めるつもりか」
「そこはいくつか考えている案がありますが、まずは捜索にあたり、とある魔物の力を借りようと思っております」
「ふむ」
「あとはそれに伴い、アストゥラル様の存在と御力を今一度ノースフィールの皆々方に知って頂こうかと」
「お? なんだ。コボルト以外に我が信者を増やすべく宣教でもする気か」
「ハハハ。まさにその通りにございます」
今は戦力増強の時。しかしこれ以上派手に動くのであれば、周囲への根回しが必要となってくる。
……『聖痕騎士団』とも互角以上に戦える軍を作る為にも、やるべきことは多い。今は一つ一つ積み上げていく他なかった。




