9.嘘と誠
目の前の青年の言葉に、一拍置いて口を開く。
「フィリス王子。女神を呼び戻すとは一体どういうことか」
「……女神の肉を食った末裔を捧げねば、彼女がこの地に戻ることはないという神の御告げを俺は聞いた」
フィリスの金茶の瞳が、再びこちらを見る。その硝子のような目には感情の色が伺えず、言葉もまた淡々としたものであった。
「……末裔というのは、一体何処までを指す言葉なのか。少なくともこの国の特権階級たる『騎士』らは、皆国王夫妻や四人の臣下の血を引くものだ。彼らを皆殺しにせよと?」
「いや、『右手』リラミス、『左手』ルミネス、『右足』レミアスの長……『聖痕』の持ち主を贄に捧げる必要があると、俺はそう解釈した」
聖痕。それは女神の力を独占した『騎士』らの用いる特殊な魔術体系である。
「聖痕は一子相伝の秘術。『右目』『左目』は父ネメシスと弟フォロスの死により失伝し、『左足』……ロミリス家は唯一『聖痕』を作る事なく北の地で絶えた」
「つまり女神に捧ぐは、現存する聖痕の所有者。現騎士団長セシリア、副騎士団長ドルガノ、そうして現国王ジニアス。この三名ということか」
彼ら三名は聖痕の所持者としてこの国を支配し、そうして同時に、魔物の脅威から民を守護する役割を担っている。彼ら全員を女神の生贄に捧げるということが、この国にどういう結末をもたらすかフィリスは間違いなく理解していることだろう。
「汝が祖国、ラミシスを滅ぼすおつもりか。フィリス王子」
聖痕は、所持者の『血』を通じてその血族らに力を与える魔術だ。この地から全ての聖痕が失われれば、現状不完全ながらも民を魔物の脅威から守っている女神の加護の紛い物、その力すら失われることとなる。
ノースフィールだけは唯一『騎士』の力に頼らずとも魔物に対抗する戦力を有しているが、他の地方の民は自らの身を守る術もなく、やがて皆が等しく魔物の餌となることだろう。
……もし本当に、聖痕の全てを捧げることで女神が再び聖なる力をもってこの地に戻るのであれば、話は別なのだろうが。
金茶の髪と目を持つ青年は、こちらの言葉にしばし沈黙した後口を開く。
「俺は失われし女神の加護の残滓に縋り、我が妹フィオナを犠牲にしたこの国のあり方を心底侮蔑し、憎悪している。叔父上……いやオルフィス・トエル。貴方もまた俺と同じ考えの筈だ。ラミシス王家は貴方の甥御である俺を生贄にし、そうして女神の『右手』賜りしリラミス家の主ジニアスは、民衆を扇動し貴方の姪御のフィオナにすら手を掛けた」
ああ。今この時になってようやく、フィリスがなぜ私への面会をこのタイミングで申し出たのかはっきりと理解した。
「叔父上。貴方は肉親を奪い続けた憎き簒奪者どもと、魔を率いこの間違った国を滅さんとする甥御の俺の、どちらに肩入れする」
「……もし私がここで、貴方に敵対すると口にしたらどうなる?」
「俺が神へと捧ぐ首の一つに、今汝のものが加わることとなるだろう」
フィリスにはそれを有言実行するだけの力がある。それは彼自身の腕っぷしもあるだろうが、何よりこの男はノースフィール中から集いし魔物、コボルトという独自の戦力を有しているのだ。しかも操れる魔物の種類が、ただそれだけとも限らない。
肉親故の長い付き合いだ。目を見れば分かる。
彼は本気だ。今自身がここで首を縦に振らねば、フィリスは自らの叔父を討ち取り、その首を元にノースフィール中の小領主らに戦線布告をし、一騎当千の武を以ってこの地を魔物の住処へと塗り替えることだろう。なるほど、各地での魔物を使った略奪や先ほどのパフォーマンスも、この脅しの為の布石ということか。
「ッフフ」
自身の口から、声が漏れた。そうして今度はそれを抑えることなく、大口を開け笑う。
「ハハハハ! かつて魔を討ち国の勇者と謳われた男が、今度は人を討ち自らの祖国を滅ぼす国賊となるか!」
「叔父上……これは冗談などではない」
「だからこそ笑えるのではないか。フフ、甥御フィリスよ。我らノースフィールの民とて、中央の『騎士』どもの横暴には心底うんざりしている。良いだろう。ロミリスの名代トエル家は、汝が神より授かりし使命を重んじ、その野望への道のりを支援しよう。他の領主らにも、私の方から上手いこと掛け合っておく」
「ああ、恩に着る。オルフィス叔父上……では我らの旧交の復活を祝うべく、さっそく俺から叔父上に贈り物をさせて頂こう」
「もしや、コボルト共が屋敷の外に積み上げているアレのことか?」
私室にもうけられた窓の外から、今しがた見えている光景。
屋敷の庭先ではコボルトが十数名、忙しなく荷車に積まれた物を運び込んでいた。
……あの巨大な甲羅は、亜竜タラスクか。手強いと知られているかの魔物の革や骨などの素材が屋敷の敷地内にみるみると積み上げられていく。
上位の魔物の素材は、魔術や『聖痕』の秘術を使用する上での良い触媒になる。素材の質次第では、加工して魔術道具とすることも可能だ。つまりあれは神秘の力を扱う、我々権力者らにとっては価値の高い代物……他所に売り払えば、我がロミリスの領地にて略奪された村々の税収分も賄えることだろう。
「一人で狩ったのか。誰の助けも借りずに」
「ああ」
「……初めは竜骸もなく素の手足にて蘇ったのであろう。よくぞここまで力を取り戻したものだ」
「確かに最初は、オーガの一体を倒すのにも手こずった。だが一度竜骸を完成させれば後はより強い魔物を倒し、その竜骸を元に次の魔物を……と、ただ軌道に乗せていくだけだ」
……大鬼オーガは、いっぱしの戦士5人がかりで討伐にあたる程度には手強い魔物なのだが。
「フィリス、貴方は魔物や我らの助けがなくとも、一人で聖痕の所持者らを討ち取ってしまえるのではないか?」
「まあ、かつて使用していた竜骸を手に入れれば、それも不可能ではないだろう」
そうさらっと何でもないことの様に言葉を発したのち、ぽつりとフィリスは呟く。
「……ただ『俺』の悲願は、彼らの命を奪うことだけではないからな」
フィリスはそう言って、静かにその金茶色の目を伏せた。
……先ほど、彼が神に命ぜられたと口にした使命を思い返し、言葉にせずともその胸の内が理解出来てしまった。
かつてこの国の民を守るべく、女神の『右目』『左目』賜りし一族の末裔ながらも聖痕の秘術には頼らず、その身を蝕む竜骸をもちいて戦った誇り高き王子。
その彼が神に縋り生きながらえ、民の犠牲に目をつむってでも国を滅ぼすと決意するに至ったその背後には、妹を奪った者どもに対する深い怒りと憎しみがある。自身もまた大切な存在を失った者同士、その気持ちはただ痛いほどに理解が出来た。




