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この電脳都市に錆びついたキスを  作者: 愛上おかき


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Ch.3-2-6 銃を磨く前に

  ◇2327年11月14日(日) 17:21


 ”トノヤマ・メディカル第四研究所”。

 コーポ層の外れ、狭間の地にそびえ立つ城のような施設は、見上げざるを得ないほどの大きさだ。

 白が基調となり、継ぎ目のない強化ガラスの壁面は研究所という名にふさわしく、有害な酸性雨を真珠のような雫に変えて滴らせ、沈んだ太陽の光を辛うじて反射している。


 そう、昼過ぎからおあつらえ向きに雨が振ってきたのだ。

 潜入に雨はありがたい。多少なりとも視界が悪くなり、監視の目をある程度欺ける。


 正面ゲートは少なくとも五人の警護が見張っており、出入りする車両もくまなくチェックされている。

 まあこれから暗殺を企てるやつが、ノコノコと正面突破するわけがない。ただ念の為見ておいただけだ。


 少し離れた位置から研究所入口を十分に見た俺は、身を隠したまま裏側へ回った。


 狭間を背にした研究所は、まだ人の温もりを感じさせた正面とは違い、無機質な冷たさを放ち佇んでいる。

 そこにあるのは何人も拒絶する白いコンクリートの壁。その手前には錆びついた鉄条網と監視カメラが敷かれており、今まで誰の侵入も許さなかったことを伺わせた。

 それも今日までなのだが。


「遅いぞ」


 監視カメラの死角、物陰に溶け込むようにして一人の男が声をかけてくる。

 シュウ。気負う様子は欠片も感じられず、ただ背中に二振りの刀をクロスさせるように差して、俺を待っていた。


「三十分集合だろ、時間ぴったりだ」


「五分前行動という言葉を知らんのか? だからお前は三下なんだ」


 いちいち人を苛つかせるのがうまい野郎だ。

 ただ、これ以上口論しても何の実にもならないので、ここは我慢して研究所への侵入口へと歩を進める。俺は奴と違ってオトナだしな。


『Yo、こいつら大丈夫か? 水と油じゃねーか』


『あるいは犬と猿ね。実は案外似た者同士なのかも』


 うるせーぞ外野が。しまいにゃ通信切るぞ。


 険悪な雰囲気のまま、俺達は研究所裏口のバイオ廃棄処分場のハッチにたどり着いた。

 それまでのカメラはギーによってクラック済みだ。


 ここから先は敵陣のど真ん中。言い逃れは出来ない。

 ドンパチは可能な限り避けたい。ターゲットはあくまでタケダ一人だけだ。だから俺はナイフを右手に持ち、シュウに目配せをした。


「足を引っ張るなよ」


 俺の言葉に奴はマスクの舌で明らかに嘲りながら言った。


「お前がな」


 奴はあくまで自然体だ。刀を抜く気配もない。

 ま、もともと俺一人で演る予定だったのが、コブつきになっただけだ。お互い邪魔せず、道中好きにやれということなのだろう。


 俺は少しだけBPMが上がった心臓を一つ叩いて、分厚い鋼鉄のハッチを静かに開けて中に滑り込んだ。


『お願いだから二人とも、気をつけてよ。私がいたときよりも大分変わってるようだから』


  ◇2327年11月14日(日) 17:36


 分厚い鋼鉄のハッチが閉じると同時に、マジックアワーの終わりかけの微かな夕日は完全に遮断される。

 代わりに視界を支配したのは、青白い非常用ライトと、鼻腔を焼く強力な消毒液の臭い。ナオミのクリニックのそれとは違う、人の肉を焼くための臭いだ。


『——ノイズなし。メインへのバックドアは維持してる。Bro、現在のロケーションとターゲットの座標を網膜に送るぜ。死ぬ気で注視してろよ』


『陰気なシュウっちにも転送しておくよー。不本意だけども!』 


 内耳に仕込んだモニターからギーの声とチャンヒナの声が響くと同時に、眼帯の下の左目に緑色のナビゲーション・パスが投影された。


[LOCATION: TONOYAMA MEDICAL - LEVEL B4 (WASTE DISPOSAL UNIT)]

[AIR QUALITY: 12% FORMALDEHYDE / 5% BIO-DECOMPOSITION GAS / 83% OXYGEN-MIX]

[TARGET DISTANCE: 450m (OFFICE SECTOR: KAI TAKEDA)]


「⋯⋯行くぞ」


 シュウが短く言い、音を一切立てず、影のように廊下を進む。

 奴はスマートレンズでもつけているのだろう。俺の左目に映されているパスをそのまま辿っている。


「お前が仕切るな」


 ターゲットはどうやら公式には存在しない地下三階にいるようだ。ナオミの読み通り。大方、実験結果のレポートや後ろめたい情報の整理でもしているのだろう。


 そこまで辿り着くには可能な限り人目を避ける必要があるが、警備員の数は読み通り平日ほど多くはない。これなら少し遠回りすれば誰にも蜂合わずに済みそうだ⋯⋯にしても。


「随分と静かだな。警備ドローンの駆動音すら聞こえない」


 俺は逆手に構えたナイフの冷たさを感じながら呟いた。

 ミッション前の儀式で温まった胃の腑の感覚を鉄の冷気が塗り替えていく中、あまりにもセキュリティがザルすぎて、逆に警戒心が高まる。


 シュウは先導は譲る気はないようで、顔をこちらにも向けずに答えた。


「日曜の夕方だ。社畜じゃない限り、出社なんぞ誰もしないだろう。その分、警備は手薄なのは自明の理⋯⋯ここまではな」


 シュウが扉の前で立ち止まる。

 許可された人間以外の侵入を固く拒む鋼鉄の扉。特定のIDを持つ人間しか入ることが許されない制限区域の入口だ。

 扉の上には赤地に白抜きで”Authorized Personnel Only(関係者のみ)”とデカデカと記されている。


『そこから先はIDを持つ人間しか入れないわ。認証はローカルサーバーでやってるはずだから、そこからハックするしかない。だからギー、あなたの出番よ』


『Whoo、任せとけBaby! 豚キムの時と同じだ、Bro。お前をバイパスしてクラックは俺様がヤッてやる!』


「ああ、任せた」


 俺はギーにハッキングを任すために左手の義手から接続ケーブルを引き出し、鋼鉄の扉の横にある認証ポートに突き刺した。

 左目に映されていたマップが小さくなり、代わりにハッキングのコードが滝のように流れ落ちてくる。


[HACKING: LOCAL ACCESS POINT 04]

[TARGET: SECURITY HUB "Diadochoi" - PERIMETER BYPASS]

[PROGRESS: 42% ... 58% ... 71%]


 ポートを通じて、俺の脳内をログの行列が駆け巡る。データが俺に流れ込んできているわけじゃないが、それでも目の端をとんでもないスピードで文字がチカチカ点滅すれば、誰だって不快だ。そうだろう?

 いわば、取れないささくれが自己主張している感じ。


 物理的にもこの体制は好きじゃない。右手には”喷发”を握っているが、左腕は接続端子に縛り付けられて無防備だ。

 もし警備ドローンでもやってきたらと考えるとゾッとしないし、シュウが俺を盾にすることも十分考えられる。


「⋯⋯おい、ギー。まだか」


『焦るな、Bro。こいつは標準のトノヤマのセキュリティじゃねえ。最新の”Helix”製アルゴリズムがその下に隠れてやがった。あと三十秒だ』


 その時、静まり返っていた廊下の奥から、かすかな駆動音が聞こえてきた。


『巡回警備ドローン!』


 ナオミの切羽詰まった声とともに、空気を切り裂く高周波のファン音が次第にクリアになってくる。

 左目のマップを拡大すると、ドローンを示すアイコンがこちらに近づいてくるのが視覚的にも分かった。このままだと後十秒もしない内に、俺らがいる通路に出てくるだろう。


「おい、シュウ! ドローンだ。この角を曲がってくるぞ」


『Bro、抜くな! 今切断すると痕跡が残っちまう!』


「ならどうしろってんだ、クソ!」


 ケーブルを引き抜こうとした俺に、ギーが慌てて止めに入る。

 ログが残ろうが今ここでバレて蜂の巣になるよりかはマシだろ!


 もう迷っている時間はない。俺は右手の”喷发”をドローンがくる角に向け、左手のケーブルを引き抜こうとし——シュウの手がそれを止める。


「慌てるな」


 壁に寄りかかっていたシュウの腕は俺の左腕を予想以上に強い力で封じた。

 そして奴は刀を抜いて迎撃体制を取るどころか、おもむろに懐から一枚のくすんだグレーの布を取り出す。


「何を」


 それは一見すれば、スラムの浮浪者が纏っているボロ布と大差ない。

 ただ、その布を広げ、俺と自分を覆うように被せた瞬間、世界の輪郭が歪んだ。


[WARNING: VISUAL FEED INTERFERENCE DETECTED]

[STATUS: OPTICAL CAMO / THERMAL MASKING - ACTIVE]


 網膜ディスプレイにステータスログが走る——つまり、これはただの布ではなく、デジタルガジェット。

 布の内側から見る景色は、まるで水槽の底から外を覗いているかのように波打っており、触れている箇所はほんのりと冷たい。


 直後、廊下の角から二機の警備ドローンが姿を現した。

 赤く光るセンサーレンズが通路をくまなくなぞり、不審な熱源や動体をスキャンしていく。

 俺は反射的に”喷发”を構えようとしたが、俺の左腕を封じるシュウの手に力が込められ、俺の行為を咎めた。


 一瞬の逡巡は戦闘では致命的だ。気付くとドローンは迎撃可能距離をとおに越え、今から撃ってもこちらに被害が出るだろう。


 ブゥゥゥゥンと蜂の大群がまっすぐこちらに向かってくる緊張感。

 鼓動を早める心臓の音が次第に早く、大きく聞こえる中、ドローンは俺たちに五メートル、三メートル、一メートル、そして鼻先を掠め——ファンが巻き起こす風が、迷彩の布をわずかに揺らした気がしたが——ドローンは何も検知することなく、廊下の奥へと消えていった。


「⋯⋯」


 ドローンが角を曲がり、完全に見えなくなったところで、思わず止まっていた息を吐き出す。

 短距離を全速力で走った後のような息苦しさ。一方でシュウは何もなかったかのように済まし顔のままだ。


「光学迷彩か」


 抑えられていた右腕を振り払い、呟く。

 外部からの光を屈折させ、サーマル(体温)すらも完全に遮断する”ステルス迷彩”、それがこの布の正体だろう。

 でなきゃドローンの探知から逃れられるわけがない。


「⋯⋯助かった」


 思わずこぼした安堵と感謝の声に、シュウは布を畳みながら鼻で笑った。


「これくらい潜入任務なら持っていて当たり前だ。次があるなら、お前も銃を磨く前にまともなガジェットを用意しろ」


 礼を言った俺がバカだった⋯⋯いや、悔しいが奴が正しい。それでも承服はしかねる。

 奴の嫌味に言い返そうとして少し言い淀んだ隙に、左腕に心地よいクリック感が伝わってきた。


[HACKING COMPLETE: ACCESS GRANTED]

[GATE LOCK: DISENGAGED]


『Whewb Bro、いつもお前はハラハラさせてくれるな! 地獄への扉が開いたぜ!』

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