Ch.3-2-3 とんでもないところ
◇2327年11月2日(火) 14:08
『君たちの麗しい門出に待ち受ける困難に際し、一つ依頼したいことがある。もちろんタダじゃない。報酬はそうだな⋯⋯Helixに関する情報を一つ教えようじゃないか』
「⋯⋯何を知っている」
俺は思わず一歩前に出た。
キム・ドゥハンの不可解な死。奴が持っていたHelixが刻み込まれた黒いチップ。そして、その中身である”終わらない闘争の螺旋”。
断片でしかないが、明らかに異様な”絵”のピースが集まってきているこのタイミングで、この街一番の情報屋からその名前が出た。
必然ではない。だが偶然でもないだろう。
一つ確実なのは眼の前で意味ありげにニヤついているこの男は、俺たちが断れない餌を正確に把握しているってこと。
ホログラムの中で浮遊チェアにあぐらをかくヴァクシムは、外斜視の右目を明後日の方向に向けたまま、口角だけを歪めて嗤っている。
そして奴は沈黙をイエスと受け取ったのか、悠然と言葉を紡いだ。
『来週、この街を揺るがすビッグニュースが流れる。Helix Corpとトノヤマ・メディカルの戦略的資本提携だ』
「提携? The Cityを牛耳るトップ企業同士が、手を組むっていうの?」
アリスがいぶかしげに眉をひそめる。
この街の情報系——ネットワークそのものを寡占し、文字通りデータ全てを支配するHelixと、医療・バイオテクノロジーの最大手であるトノヤマ。
同じメガコーポであっても、主戦場とする領域は異なる。
そんな二大巨頭が交わるなど、想像の埒外だ。少なくとも俺にその意味はよく理解できない。
『表向きは、だ。実態は対等なパートナーシップなどではなく、Helixによるトノヤマの完全な掌握⋯⋯事実上の傀儡化だ』
アリスとナオミが唸る。ようはHelixのほうがトノヤマより強いから支配するってことだろ?
三者三様な反応を取るのを、ヴァクシムは楽しげに見つめ、話を続けた。
『もちろんトノヤマの中でも反発はあったろう。だが、強引に社内調整と裏工作を取り仕切ったとされるのが、CHROであるカイ・タケダだ』
「っ!」
なるほど、そういうことか。
タケダはHelixのネズミだ。
トノヤマの皮を被り、その実Helixに利をもたらそうと、この街をかき乱していた小物。
それがミヤケファミリーの逆鱗に触れたってわけだ。
だが、正直それがどうした? そんな情報が何の役に立つんだ?
そんな心も読み透かしていたのだろうヴァクシムは、俺を見据えながら言った。
『逸るな、死神の弟子よ。タケダの動きで面白いのはそれだけじゃない。そして神の手にも無関係な話ではないのだ』
「私に?」
ヴァクシムの焦点の合わない視線が、ナオミのほうを向いた気がした。
『タケダは最近、社内で不可解な人事異動を主導している。君の古巣でもある”第四研究所”、そこに先月から出自を巧妙に隠してはいるが、”出向”という名目で大量の研究者たちが着任している⋯⋯Helix側からな』
「第四研究所に、Helixの人間が?」
ナオミの顔色が変わる。そういえば彼女についてトノヤマ出身とは知っているが、具体的に何をしていたかは聞いたことがない。
ただこの反応だと、第四なんちゃらはおそらくナオミの古巣なのだろう。
『トノヤマのメインビジネスは、知ってのとおり高度な医療技術と新薬開発。そこにHelixが潜り込むということは、トノヤマの設備と合法・非合法の被検体を使って、自社では表立ってできない”何か”のデータを取ろうとしていると考えるのが妥当だろう』
「⋯⋯」
ヴァクシムの言葉に考え込むナオミ。
俺の視線に気付いた彼女は、軽く頭を降ると、後で話すわ、とポツリと呟いた。
『第四研究所が何なのかは神の手のほうが知っているだろう。そして、この情報は君たちを待ち受ける嵐を抜ける羅針盤になるはずだ』
「⋯⋯そいつはどうも。で? あんたからの依頼ってのは何なんだ? 内容によっちゃあ考えてやらんこともないぜ?」
俺の言葉にヴァクシムは今日一の笑顔を見せながら言った。
『ああ、死神の弟子よ。簡単なことだ。トノヤマに遊びに行くついでに、彼らのデバイス——なんでも良いから、これから渡すデバイスを差し込むだけでいい』
「⋯⋯本当にそれだけで良いのか? そんなの俺等じゃなくとも誰でもできるだろうに」
もっと無理難題を言ってくるかと思ったが、思ったより簡単なお願いのようだ。
向こうが先に報酬を出したのだから聞くだけ聞いて無視でも良かったが、それぐらいならやってやらんこともない。
ヴァクシムは俺の言葉ににっこり笑って言った。
「それだけで良いのだよ、死神の弟子よ」
◇2327年11月2日(火) 14:26
突然の乱入者が消え、クリニックに再びクラシックの響きが戻る。
ふう。朝から密度が濃すぎて真っ昼間だと言うのに一杯やりたい気分だ。
「Bro、ヴァクシムのことだが」
いつものお気楽さが少し目張りしたギーが話しかけてきた。
そういえばこいつ、ヴァクシムがいた時は珍しく黙り込んでたな。
「何だ? というか珍しいな、お前が一分も黙ってたなんて」
「褒め言葉として受け取っておくぜ。Dude、だが俺様が話したいポイントは今そこじゃねえ」
ギーはサングラスを少し下げ、上目遣いで俺を見据えた。
「俺様も奴のことはよく知ってる。知ってるが、実際に会うのは初めてだから、あの野郎がどこからアクセスしてきてるのかをちょっくら探ってた」
「おいおい」
初対面の奴の住所を探るとかストーカーかよ。
「ま、一種の自己防衛さ。ただ、何度トライしてもうまくいかねえ。この俺様が、だ」
「腕が鈍ったか? あるいはヴァクシムが相当なセキュリティを敷いてたか」
俺の言葉に少しいらっときたのか、ギーの鼻の穴が膨らむ。
「Dude、聞き捨てならねぇな。ただそのとおりだ。あのロンパリ野郎、最新グレードのブラック・アイスに、追跡を無限ループさせるオニオン・ルーティングのダミーノードを何十層も噛ませてやがった。素人が覗こうとしたら、逆探知のトラップでニューロンを黒焦げにされてるレベルだぜ⋯⋯ま、俺様が少しマジの本気になって特製の”スパム”を放り込んでやったら、”Bomb”、一瞬で底が割れたけどな」
俺は顎をしゃくり、続きを促した。
それをギーがもったいぶる。いや、少し迷っているのか?
「ただなんだ? どこからだ?」
俺が何度かつつくと、ようやくギーは重い口を開いた。
出てきた場所はおおよそ俺の想像もしていないところだった。
「ヴァクシムの奴、とんでもないところからアクセスしてきてやがった。官邸——大統領府だ。しかも“内部ネットワーク”からな」




