Ch.3-2-4 人間の魂や在り方
◇2327年11月2日(火) 14:35
大統領府。ヴァクシムの野郎がとんでもない場所からアクセスしていたという事実をギーが暴いたが、俺達は一旦その情報を脳の隅に押し込むことにした。
奴が国家権力の中枢にいようが、今俺達が直面している難問には直接関係ない。むしろ下手につついて巨大な蜂の巣を落とすより、今は目の前の標的に集中すべきだ。そもそも本当にそんなとこにいるのかどうかも怪しいしな。ヴァクシムだし。
途中から参加してきたアリスもナオミも同じ考えのようで、その件について深く掘り下げる様子はなかった。
「ナオミ。お前の古巣、”第四研究所”ってのは何なんだ?」
胡散臭い奴がどこにいるかよりも、今はナオミの古巣の話のほうが重要だ。
俺の問いかけは、クリニックの中にいる人間全ての注目をナオミに向けさせる。
自分に耳目が集まるのを感じた彼女は、少し眉を曇らせ、その口を開いた。
「ヴァクシムが言っていたとおり、表向きは先進医療と新薬開発、それに義体や人工臓器の生体適合性を研究する施設よ。”The City”の人間なら誰もが恩恵を受けている、トノヤマのクリーンな看板事業ね」
ナオミはそこで一度言葉を切り、冷めたコーヒーを一口だけすすると、少しだけ懐かしい顔をして続けた。
「でも、裏の顔は違う。あそこは”CC――Chimera Cell(キメラ細胞)”の限界点を探るための、モルモットのケージだった」
「CCの限界の研究、か」
ナオミの言葉に、他の奴らの視線が俺にも送られたのが分かった。
CC、キメラ細胞。
あらゆるモノ、生物、細胞に対し親和性を持ち、人のあり方をパラダイムシフトさせた天使であり、悪魔でもある世紀の大発見。
今の俺の左腕や左目が動いているのはこいつが俺の体にあるからだ。
無機物との融合という、本来であれば拒否反応を起こすところを、CCが体にあるおかげで、何の違和感も問題もなくこなすことが出来ている。
「CCが元々は深海の極限環境にいた生物から抽出された万能細胞なのは、あなた達も知ってるでしょう? 今や全人類が恩恵を受けているこの細胞も、実利ばかりが先行して、限界値や副作用に関する科学的な研究は後回しにされていたの」
ナオミは顔を上げ、ギー、アリス、そして俺の右目を順に見つめた。
「私が担当していたのはCCの許容限度、つまり”CCI”の研究よ。CCが受容できる異物は、本人が持つCCI次第。指だけなら”5CCI”だけど、腕全体なら”50CCI”みたいにね。
この制約条件は何なのか、増やせるのか、あるいは減らせるのか。そんなことばっかりに没頭していたわ」
俺達の理解が及んでいるか確かめるように再びナオミがそれぞれの顔を見渡した。
特に俺を重点的に見ているような気がする。おい、バカにするなよ。
「他のメンバーはまた違った研究テーマを担当していたみたいだけど、詳しくは分からないの。今思えば情報遮断のために、あえて最低限のコミュニケーションしか取らせないようにしていたのでしょうけどね。
でも、おそらく研究の目的はCCIの拡張——極論を言えばジーク、あなたのように無限のCCI、”全てを受け入れる器”を生み出す方法を調べていたんだと思う」
「⋯⋯全てを受け入れる器」
ナオミは少し困った顔をした。
「私の憶測だけどね。でも、ほぼ間違いないと思う。知ってると思うけど、CCIの許容値を超えた時、人は肉体的にも精神的にも崩壊する」
「”OGRE”ね」
アリスの言葉にナオミはゆっくりと首を縦に振った。
「ええ。ちなみに正式名称は”Over auGmented Receptor Exceedance Symptom”よ。誰も興味ないでしょうけど。
第四研究所ではもともと合法的に集められた被検体、死刑囚とか変態とかを使って実験をしてた。
けど、そのうち明らかに非合法としか思えない被検体を使ってあらゆる実験をしていたわ。思い返すのも悍ましい実験を⋯⋯」
ナオミの言葉が、俺の脳に保管されているデイヴィスの一人語りを思い出させた。
Helix Corp本社の地下にある特別研究室。
冷たいブルーライトに照らされた無機質な回廊。その両脇に並ぶ、無数の円柱のガラスケース。
薬剤で満たされた中には人。傷一つないコーポ層でも見ないくらいの綺麗な人。
老若男女、両性具有にあらゆる人種。その全員の頭に電極が突き刺さり、声なき声を上げ、藻掻いている——。
ナオミは自嘲気味に笑うと、その声は懺悔の色を帯びていた。
「私は⋯⋯どの口が言うんだって思うかもしれないけど、あまりの倫理の欠如と、毎日OGRE化し壊れていく人間を見るのに耐えきれなくて、トノヤマを飛び出したの」
その瞳は潤み、声にも湿度が混ざりこんで、震えが聞こえた。
弱みなど見せたことのないナオミが隠していた罪の記憶に、アリスの眉間にも深いシワが寄る。ギーは⋯⋯何も変わらない。
それでもナオミの紫の瞳は俺をまっすぐ見据えている。
「ジーク。そこにThe Cityを牛耳るHelixが絡んでくるとなると、正直まったく想像がつかない。トノヤマの医療技術と、Helixの圧倒的なデータ処理能力。それが交われば、ただの兵器開発やデータ収集で終わるはずがない。もっと根本的な⋯⋯それこそ、人間の魂や在り方そのものを作り変えるような何かを生み出そうとしている。嫌な予感しかしないの」
「⋯⋯ああ、わかってる」
俺は低く答え、左手の義手を無意識のうちに右手で強く握り込んでいた。
デイヴィスが言っていたHelix Corpの地下の悍ましい実験施設。そこで見たという”Project Helix”という正体不明の計画。
そこにナオミの過去が加わることで、点と点が繋がり、不気味な螺旋を描き始めている。
ヴァクシムの野郎が言った通り、これは俺たちにとって避けては通れない嵐だ。
「悩んでいても始まらないわ」
重苦しい空気を切り裂くように、アリスがパンッ、と乾いた音を立てて両手を叩いた。
彼女は立ち上がり、全員の顔を見回す。その瞳は恐怖ではなく、燃え盛るような野心が宿っている。
「どんなヤバい実験をしていようが、その裏でHelixが糸引いてようが、私たちのやることは変わらない。とにもかくにも、タケダの首を獲って、ついでに研究所のデータもごっそり抜き取る!
そうすればミヤケにも顔向けできるし、この街の支配者たちに一泡吹かす事ができるわ! さあ、時間はないわよ。確実にターゲットをお陀仏にさせるための、とびきりイカれた作戦を考えましょう!」
アリスの毅然とした声に、ナオミが小さく息を吐いて頷く。
ギーも「待ってました」とばかりにトレードマークの星形のサングラスをかけてキーボードを叩きまくり始め、それに合わせてチャンヒナが意味不明な電子音を歌い始めた。
そうだ、結局やることはシンプル。戦って生き残る、それだけ。俺がスラムで叩き込まれた弱肉強食の理だ。
どうせやるなら徹底的に。片道切符しかないなら現地調達で帰りのチケットをもぎ取ってやる。
あとはそれを繰り返すだけ——あの男、ゴライアスに届くまで。
そして決行の日の朝が来た。




