Ch.2-2-6 たまにはこんな日
◇2327年10月18日(月) 10:19
ナオミが躊躇なく開けた扉に、滑りこむようにして店内に入る。
店内は熱くも寒くもなく、ちょうど良い温度。
鼻に紅茶と皮と新品の布地の上品な香りが飛び込んできた。
店内は完全に外界から隔絶されており、耳に静かにジャズが流れこむ。主張は強くなく、あくまで雰囲気の味付け。
さほど広くはないはずの店内だが、壁一面に広がる棚はウォルナットで統一され、生地がずらりと並んでおり、不思議と奥行きを感じる。
ところどころ仕立て見本として数体のマネキンが気取ったポーズを取っており、電子ディスプレイとは一線を画す本物志向が見て取れた。
そのうち一体がデイヴィスのトレードマークであるグレーのスリーピースのスーツを着ており、少し懐かしい気分が蘇る。
五感で店内を味わっていると、奥から初老の男が現れた。完璧に手入れされた白髪、落ち着いたピンストライプのネイビーのスーツ、そして片目にはアンティーク調のモノクル——もちろん電子デバイスを身に着けている。
「おや、ミケルセン先生。これはまた珍しいお客様がいらしたものだ。本日はどのようなご用件で?」
「おはよう、ポール。クレイジードッグズに絡まれた時の足はもう大丈夫? 今日は”色々”とお願いしたいことがあるの」
「お気遣い痛み入ります。少しでもスラムを歩くと私のような者はどうやら標的にされるようで⋯⋯先生には大変お世話になりました。
もちろん、先生のお願いとあらば、私めにやれることは何でもいたしましょう」
ナオミは俺を手で示して言った。
「この子を、メガコーポ幹部のパーティーに連れて行ける紳士に仕立て上げてほしいの。”動きやすくて、万が一のことも考えた”服装が良いわ」
その言葉でようやくポールの目線が俺に向いた。
穏やかで理知的な眼差し。だがその背後にあるのは品定め。
あんまり気持ちが良いものではないが、隠そうとする配慮があるだけ上等だ。スラムだと無遠慮な視線がデフォルトだし。
だからポールの鑑定を余す所なく受け入れる。別に隠すものもない。
「ふむ」
俺の上から下まで、特に右目の眼帯あたりをガン見した老紳士は、一通り眺めて満足したのか、短く声を漏らした。
ただ、ここまで見られると流石にムズムズする。
「若いのになかなかどうして⋯⋯。失礼ですがこのお方は先生とはどのようなご関係で?」
「そう言われると、なかなか難しいわね⋯⋯強いて言えば保護者?」
「俺が保護者側だよな?」
「逆よ、バカ」
噛み合わない問答をナオミとしていると、ポールがニコニコと顔を崩した。なんだ、その孫を見るような目は。
「よく分かりました。いやぁ、仲が良いことは何よりでございます」
「ポール、戯言は良いから早くしちゃって。急で悪いんだけど、パーティーは明日火曜日にあるの」
破顔した顔で何やら頷くポールに、ナオミが少しきつい声で急かした。
「おお、それでは特急で仕上げねばなりませんな。どうやらパーティー”外”のことも考えられている様子ですので、伸縮性に富んだ生地で仕立てさせていただきます」
言外のリクエストも完璧に察知するのは流石だ。サービス業の人間独特のプロ意識を感じる。
ポールが俺を見て言った。
「早速採寸いたしますので、お連れ様のお名前を伺えますか?」
「ジークだ」
「ジーク様、こちらに来ていただけますか?」
名前を呼ばれ、棚と同じ素材のこれまた高そうなデスクの前に行く。
ポールはこの時代に似合わぬアナログなメジャーを取り出すと、一声かけて俺のボディパーツを一つ一つ採寸し始めた。
「今時珍しいな、そんなテープみたいなメジャーでいちいち測るなんて。スキャンしたほうが正確だし早くないか?」
「おっしゃるとおりです。おそらくこんなアナログな方法で仕立てているのはもう私の店ぐらいのものでしょう」
「じゃあなんで続けている?」
少し足を開いてくださいと言われる。足の長さは少し自信があるぞ。
跪き、股下の長さを測定しているポールが俺を見上げていった。
「なぜと言われましても、これを続けてきたからとしかいいようがありませんな。きっと死ぬまで変えられぬ、私の生き方なのでしょう」
それならもうどうしようもない。生き方は人に言われて変えられるものじゃない。彼は彼なりの美学で生きているのだ。
ポールは立ち上がり俺とナオミの二人に対して言った。
「実にスーツが映える体型ですな。肩幅、胸板、四肢のバランス、左手のインプラントはともかく、全身の筋肉のつき方が素晴しい。久々に腕が鳴ります」
へへん。
「うん。中身はともかく、確かにガワはそこそこいいと思うの」
ナオミが少し偉そうに我が物顔で言う。おい、ガワだけじゃなくて中身もいいだろ。
目でナオミに抗議すると、目も合わさず無視される。この野郎。
ポールが分厚い本を幾つか持ってきて、俺達の前に広げた。
適当にページを捲ると、中には文字ではなく無数の生地やボタンがファイリングされており、見るだけでワクワクする。
「こちらが素材のサンプルとなります。多少のヤンチャを考えていらっしゃるのであれば、こちらの七ページ目以降の生地を選んでいただくのがよろしいでしょう」
言われたとおり七ページ目をめくる。明らかにこのページから何かが違う。
よく見ると、生地の下に書かれている素材表示がウールやポリエステルから、アラミド繊維や超高分子量ポリエチレンといったものに代わっていた。
さらにご丁寧に防弾・防火・防刃・防刺の性能が星で表され、一目で”ちょっと特殊なニーズを持った人種向け”ということが分かる。
それが厚さ十センチは軽く超えている本に、ほぼまるまると載っているのだ。
うーん。これ結構ワクワクする。
「どういったパーティーにご参加されるのですか?」
夢中になってページを捲っているとポールが尋ねてきた。
「とあるメガコーポ役員の自己顕示欲をひけらかすための下らない催しよ。よっぽど自慢したいのか新居でやるから、ご希望どおりにちょこっと間取りの確認をする予定なの」
「それはそれは。わざわざ邸宅でやるということは、よっぽどセキュリティには自信があるのでしょうな」
ナオミの言葉にポールが大体を察したようだ。ナオミのクライアントということもあり、話が通じる。
「多少”着飾って”行くでしょうから、それに合った仕立てにする必要があります。今回のコンセプトは何かお考えで?」
「全部アリス、悪巧みが大好きな性悪女が考えてるわ⋯⋯えーと、ジークは”東欧の武器商人の息子”。無口で、冷徹で、危険な香りがする、でも品性は失っていない男。名前はヴィクトル・ザイツェフ」
ナオミがメモを読みながら顔をしかめた。クシャッとメモを握りつぶす。
「私はそいつの愛人だって」
思わず吹き出した。ナオミが愛人⋯⋯アリスめ、シナリオライターとしての腕もあるじゃないか。
ポールは薄い笑みを崩さずに口を開いた。
「承知しました。では、箔をつけるためにイタリア製のチャコールグレーの生地を使いましょう。あえて表の生地は普通の物を使いつつ、裏地にはケブラー繊維と対刃防護ゲルを織り込みます。シルエットは細身に見せつつ、懐にハンドガンを隠せる余裕を持たせて」
一息ながら聞き取りやすい、だがほんのちょっぴり分かったふりをしないといけない説明をポールから聞く。チャコールグレーってダークグレーじゃダメなのか? 何が違うんだ?
「多分少し動くから伸縮性はないとダメだと思うわ」
「ご安心を。高級感は損なわずストレッチ性も確保いたします」
少し置いてけぼりになりそうな俺を尻目に、手早くいくつかのサンプル生地を広げ、ナオミと話を進めるポール。
俺が口を挟む隙など一ミリもない。次々と運ばれてくる生地をあてがわれ、俺はされるがままの着せ替え人形になった。
「ボタンは主張させましょう。こだわりがあるように見せたほうが、ボンボンっぽいわ」
「ならこちらの白蝶貝のボタンが良いですね。パールを育てる貝なので、光沢が合って美しい」
「それでいきましょう」
バッとナオミの顔が俺に向く。顔が怖い。すこし頬が紅潮しているように見える。
「これで良いわよね——ね?」
「はい」
ここではい以外言える男がいるだろうか、いやいない。
結局俺のスーツはほぼナオミとポールの二人によって勝手に決められてしまった。
ま、べつにいいけど。
◇2327年10月18日(月) 12:22
気付けば日は高く昇り、秋の少し弱まった陽射しがビルの間から降り注いでいる。
店を出る時、ポールは深くお辞儀をし、途中何度か振り返ったが同じポーズで固まったままだった。
忘れてはなかったが、彼の店はシティの中でもそこそこ高級であることを改めて思い知る。
「仕上がりは今夜中にできるけど、仮縫いを確認したいから夕方くらいにもう一度来てだって」
「へいへい。にしても一着で良かったのになんで三着も買ったんだよ。そんな金あんのか? というかいくらだったんだよ?」
俺の少し前を歩いているナオミは店を出てからずっとご機嫌だ。
鼻歌が聞こえそうな背中に気になっていたことを聞くと、振り返った顔はアリスのようなニヤケ面を浮かべていた。
「ナイショ。どうせアリスが出すんだから、つまんないこと気にしないの」
なぜ三着買ったのかの質問は無視かい。あって困るもんでもないから別に構わないが——それにスーツは憧れてたから、実はちょっと嬉しかったりする。
それに俺のスーツごときでこんな楽しそうなナオミを見れるなら安いもんだろう。いやウソ。毎朝採血してる時はもっと楽しそうだった。
「待ってる間、たまにはイイものでも食べてきましょ。どうせアリスのカードだし」
悪い顔をしたナオミから断れない誘いを受ける。
「もちろんだ。あそこのピザ屋なんてどうだ?」
たまにはこんな日があってもバチは当たらないよな。
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