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この電脳都市に錆びついたキスを  作者: 愛上おかき


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Ch.2-1-10 財布は一緒のほうが良い

  ◇2327年10月16日(土) 00:10


 視界はまだ歪んでる。地面が波打ち、空もぐにゃぐにゃ。

 いや、違う。爆発の閃光と余波で、俺の網膜と三半規管がイカれているだけ。


 爆心地から吹き付けた熱風は、俺の肌をジリジリと焼いている。

 加えて耳の奥で、高周波のノイズがキーンと鳴り続けて止まない。鼓膜は破れてはいないだろうが、しばらくは聞こえづらいだろう。


「アリス」


 右耳に付けていた骨伝導通信機は一号の射撃で壊れたか外れてしまった。だから一人呟いても誰にも聞こえはしない。


「⋯⋯く、そ⋯⋯」


 俺は地面に手をつき、肺の中の煤混じりの空気を吐き出した。

 痛い。どこもかしこも。全身が軋む。

 だが、そんなことはどうでもいい。俺は鉛のように重い頭を上げ、煙の向こうを見た。


 ガスステーションの店舗があった場所は、元の形を思い出せないほどに崩壊している。

 屋根は崩れ、外壁も半分が吹き飛び、鉄骨も剥き出し。黒焦げで煙が星を隠すように空に昇っている。いや、最初から見えてなかったか。


 残っていたガソリンか、水素電池でもそこら辺にあったのか、人一人が自爆テロをした規模の破壊ではなかった。

 巻き込まれた死体がいくつか燃え、不快な臭いが充満している。そこに金属とプラスチックと少しの木材が加わり、絶望が鼻に届いた。


 鼓動がさらに早くなる。俺自身が振動してるみたい。熱と嫌な臭いのせいで冷たい汗が背中を伝う。

 死——。

 

「クソがッッ!!」


 頭に浮かぶ最悪に耐えかねて勝手に声が出た。俺は叫んだつもりだったが、喉からは掠れた音しか出なかった。


 アリスとは長い付き合いじゃない。それに危険地帯に自ら足を踏み入れたのは、他の誰でもない、あいつだ。

 それでもデイヴィスやナオミと同じように”何か”を感じた数少ない一人。

 俺の人生を、復讐を果たすための可能性を上げられるかもしれない人材。おまけに金も持ってるしツラもいい。


 ふらつく足に力を込め、無理やり立ち上がる。左腕を動かすと鎖骨付近に激痛が走ったが、今は気にする余裕はない。


 俺は瓦礫の山へと足を速めた。熱気が顔を打つ。靴底を通して伝わる地面の熱。合成ゴムが溶けてコンクリートにガムのようにへばりつく。

 店舗の入り口だった場所には、ひしゃげた鉄骨と、砕け散ったコンクリートが散乱している。


 秋の夜風が一陣吹き、煙が少し晴れた。


「は?」


 目の前の光景を信じられず、俺は足を止めた。

 爆心地のど真ん中。瓦礫と炎に囲まれた空間に、まるでそこだけ時間外れのアフタヌーンティーを楽しむかのように、彼女はいた。


 アリス。


 建物内部は不自然なほどに無傷。

 登場時と変わらず、カウンターに腰掛け、足を組み、悠然と微笑んでいる。いや、流石にその顔には多少の動揺が見えた。目尻が小刻みに動いてる。


 ただ、身にまとうスーツには煤一つついていない。帽子も、指先のネイルも、完璧なまま。

 まるで、爆発そのものが彼女を避けて通ったかのような、不自然極まりない光景。


「お前、無事なのか!?」


 俺は叫びながら駆け寄った——何かある。

 遠くからでは分からなかったが、近くまで寄るとすぐに分かった。彼女の周囲だけ不自然に光が反射している。透明な壁。おそらく防弾ガラス。


 文字通り一人だけ安全圏にいたのであろうアリスは、俺がガラスをコツコツと叩くと、楽しげに口をパクパクと動かした。

 何言かを喋っているようだが、全く聞き取れない。


 爆発のせいで俺の耳がイカれたせいかと思ったが、少しずつ戻っていた聴覚で燃える炎の音は聞こえていた。どんだけ分厚いんだ、このガラス。


 俺が困惑して立ち尽くしていると、余裕が戻ったのか、アリスは「やれやれ」といった風に肩をすくめた。かなりイラッとくる姿だ。


 そして、人差し指を立てて「ちょっと待って」というジェスチャー。 彼女はカウンターの裏へとひらりと身を隠した。


  ◇


 ガスステーションの裏手、鬱蒼と茂る藪の中から、ガサガサという音ともに赤い髪の女が姿を現した。


「んああ! 密室ってなんでこう息が詰まるのかしら! 久々のシャバって感じ!」


 大きく伸びをするアリス。先程まで爆心地にいたとは思えない気楽さ。

 彼女は中折れハットについた枯れ葉をパンパンと払い落としながら、悪戯っぽく舌を出した。


「お前、いつの間に⋯⋯⋯」


 俺は建物の中と、目の前のアリスを交互に見比べた。

 アリスはニヤリと笑い、瓦礫の中に残る”何か”を親指で指した。


「ポリカーボネートと透明アルミの多層積層装甲。軍仕様の防弾・防爆ガラス。戦車砲だって防げる代物よ。ついでに完全防音仕様だから、中の声は外には聞こえないし、逆もまた然り」

 得意げだ。鼻は中間層に届くぐらい伸びてるに違いない。


「あんなもの、いつ仕込んだんだ。仕込みの時か?」

「一年前。私がこの都市を飼うと決めたときから」

 目を見開いた。


「メガコーポから抜け出すなら追手は絶対に来る。それが分かってるなら事前に策を弄すのは当たり前じゃない?」


 アリスは事もなげに言い放ち、帽子を被り直した。

 真っ直ぐな瞳は、炎の赤より煌めくヘーゼルカラー。俺と、俺を通り越して都市を見据えている。


「はぁ」


 膝から力が抜け、その場にへたり込みたくなったが耐えた。

 安心か、呆れか自分でも分からない。ただ脱力感が凄まじかった。

 

 一呼吸置いて左目を閉じる。流石にもう何も起きないだろう。

 それに、これ以上アリスを見続けると、未来が視えても予測不能すぎて気が狂いそうだ。

 そうでなくともリーダー格の動きを見過ぎて気分が悪いというのに。


 力が抜けた俺を見たアリスは、何度目かのチェシャ猫のように笑いながら言った。


「命を賭けるのよ。なら死なない準備をするのは当然でしょう。私、まだ死にたくないもの」


 アリスの背後の炎が、彼女の赤い髪を逆光で照らし出し、まるで本物の魔女のように見えた。


  ◇2327年10月16日(土) 00:15


 アリスの視線が、瓦礫の山の一角に向けられ、俺も釣られてそちらに目をやった。

 Tiānqǐのリーダー格だった男の残骸。


 と言っても、黒焦げになった強化骨格の一部と、ひしゃげたヘルメットが転がっているだけだ。至近距離での爆発。加えて体に巻き付いていたであろう爆薬で肉体は蒸発し、原型はない。


 それでも鼻につく焼けた骨の臭いが、男の存在を忘れさせなかった。


 アリスは笑顔はそのままに、ただその瞳は静けさを携え、自分の命を狙った男の末路を見つめている。


「⋯⋯”黒麒麟(Hēi qílín)”を着てくるのは予想外だったわ。実戦導入はまだ先だったはずなのに」

「今回はテストも兼ねてたってことか?」

「あり得るわ。それだけに暗部の中でも、それなりに優秀な部隊が出張ってきたんだと思う」


 どおりで手こずったわけだ。同意するように右耳と左肩から抗議の痛みが走る。

 残骸を見つめるアリスの顔はハットの陰で見えなくなっていた。


「強かった?」

 表情が読めないまま問われる。


「ああ。アリスじゃなく、俺を殺すのが目的だったら、多分殺られてた」

「それじゃ困るわ」


 彼女の顔が上がる。笑みは消え、真剣な表情。


「この先、こんな奴らは掃いて捨てるほどでてくる。企業の子飼いがね」


 俺の顔を覗き込んでくるアリス。ヘーゼルカラーの瞳に、疲労困憊の顔が映し出された。

 アリスの声は冷たい。哀れみも、侮蔑もない。ただの事実として切り捨てるような響き。


「”箱”に使われるだけの部品はこの街にいくらでもある。それにスペアも。そんな些事がこれから”私達”の前に立ちふさがるのよ」


 彼女は踵を返し、周囲を見渡した。

 スラムの夜風が、黒煙と硝煙の臭いを薄め始めている。


「Tiānqǐの追撃部隊は全滅。生存者なし。これだけ徹底的にやれば、向こうもしばらくは手出しできないでしょう」

 アリスは両手を広げ、誰もいない荒野を示した。


「オーディションの参加者は希望者は全員リタイア——あなた以外、ね」


 振り返り、試すような瞳。

 その表情にはいつもの戯れの色はない。

 凛とした、燃え盛る狂気を秘めた瞳が、俺を射抜いた。


「改めて勧誘させてもらうわ、ジーク・ダラス。私と一緒に来なさい」

 彼女が一歩、俺に近づく。


「物心ついたときから不思議だったの。なんでこの街は腐ってるんだろうって。そしてある時気付いたわ。”上”がそういう仕組みを作ってるってことに」

 いつか見た光景。違うのは俺は既に彼女を理解しているということ。


「なら”上”を壊さないと何も変わらない。だから私が成すの。箱庭の破壊をね。そのために命を懸ける覚悟が私には、ある」

 彼女の背後で燃え盛る炎は、彼女の想いを具現化したかのように、消えることはない。


「でも、私一人じゃ足りない。プランだけじゃ変わらない。力——それもこの都市に真っ向から歯向かえるだけの暴力が必要なの」

 言葉にも熱が帯びる。だがそれは冷徹な計算と、燃え盛る情熱が同居した、確固たる意志の表明。


「前にも言ったけど、あなたは私と一緒。不条理に憤り、支配者を許さないこの都市のバグよ。だからあなたがいい。その目を持つ、あなたじゃなきゃダメなの」

 アリスは、俺の左目を真っ直ぐに見つめた。


「あなたはゴライアスを殺したいのでしょう?」


 心音が跳ねたのはゴライアスの名を聞いたから。

 俺の胸の中心に居座る、全存在をかけて消したい存在。


「奴はCSFの裏の執行部隊”ゼロ”のトップであり、この街の支配者であるクラウス・ヘリックスの右腕。そしてあなたの親、デイヴィス・ナッシュを殺した男」


「本当の両親も、だ」

 俺の言葉に肩をすくめるアリス。


「今のあなたじゃ逆立ちしたって敵いっこない。あいつはこの街で三本の指に入る実力者。それにあいつが根城にするHelix Corpは、要塞のような本社ビル、数万の私兵、そして無限の資金力。一匹狼の傭兵が近づける相手じゃない」


 その言葉は、残酷なほど正確で、心の底から理解していることだった。

 想うだけで何かが叶う世界じゃない。想いを成すためには、力だけじゃ足りない。金、計画、運、なにより仲間。

 今の俺に足りないものだらけ。


 だから求めてる。


 アリスを見る。微笑んでいる。


「今のままじゃ、あなたは夢半ばどころか明日にでも野垂れ死ぬでしょう。資金も、組織力も、情報網も、何もかも足りない。⋯⋯でも、私がいる」


 アリスが手を差し出した。細く、白く、しかし力強い手。きっと悪魔はこんな手をしているのだろう。


「あなたはそのままでいい。牙を研ぎ、引き金を引くことだけを考えればいい。足りないものは私が用意する。道は私が作る。鍵は私が開ける」

 天使のような微笑み。皮を剥いだら、何が出てくることやら。


「乗る?」


 アリス・ヘルマン。とんでもない女だ。まさかナオミがかわいく思えるなんて思ってもいなかった。

 いや、ベクトルが違うだけでどっちもやばいか。どうやら俺は女運が悪いらしい。


 俺は眼の前の手をガッチリと掴んだ。見た目以上に小さいが、熱い。

 想いがそのまま彼女を形作っている。


「少なくともお前と一緒なら退屈はしなさそうだ」

「契約成立ね」

 ——もう引き返せないわよ?


 アリスの赤い唇が獰猛に上がり、白い歯が覗いた。


「上等だ」

 きっと俺も同じ顔をしているだろう。


 彼女は懐から、一枚のチップを取り出した。クリプト——暗号通貨のハードウェアウォレット。

 ずしりとした重みがありそうなそれを、俺に向かって放り投げた。


「報酬よ。約束通り、成功報酬、それにボーナスも弾んでおいたわ」

「気前がいいんだな」

 アリスは悪戯っぽくウィンクすると、改めて俺に向き直った。


「だってこれからは一緒だもの。財布は一緒のほうが良いじゃない」

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