Ch.2-1-6 やりやがった
◇2327年10月15日(金) 23:51
空は分厚い鉛色の雲に覆われていた。雲と排気ガスのせいで月はおぼろげにしか見えない。もちろん星も。この街の連中は地上のネオンが眩しすぎて、空を見上げることを忘れている。
湿った少し冷たい風が、錆びた鉄とオゾンの匂いを運んできた。雨は降っていないが、いつ降り出してもおかしくない不穏な夜。つまり、逃走にはもってこい。
俺は、決戦の舞台となるガスステーションから三百メートルほど離れた、崩れかけた雑居ビルの屋上にいた。剥き出しの鉄筋、かろうじて残る壁には塗り重ねられたペイント。落書きは縄張りを示すための行為だということを不意に思い出した。結局のところ、やることは犬のマーキングと変わらない。人間も獣の本能は捨てきれないのだ。
眼下には闇に沈んだ”狭間”が広がっている。その少し先で、放棄されたガスステーションだけが、アリスが仕掛けた誘蛾灯代わりの投光器によって、舞台のように白々しく照らし出されていた。
俺は雑草と捨てられたゴミが広がる屋上のコンクリートに伏せ、ライフルのスコープを覗き込んだ。
手にしているのは、アリスが退職の際にかっぱらってきたTiānqǐ製の対物ライフル”强震(qiáng zhèn)”。通称”ロングボウ”。本来は強化外骨格や小型車両を撃ち抜くための代物だが、アリス曰く「新型の強化兵が出てくるなら、これぐらいはないと!」とのたまってた。
ロングボウというアナログな通称に似合わぬ無骨な鉄の塊。ずしりとした重量感は頼もしく、その分反動もすごそうだ。
俺は伏射の体勢を取り、右脇に”Amor”、左脇に”喷发(Pēnfā)”を置いた。いつ何時も離さない、俺の相棒たち。デイヴィスとのつながり。
『⋯⋯チューニングはどう? ジーク』
右耳につけた骨伝導通信機から、アリスの声が響いた。ノイズ一つないクリアな音声。まるで頭蓋骨そのものが揺れてるかのよう。少しゾワッとする。
「悪くない。風速三メートル、湿度六十二%。弾道補正はリンク済み。いつでもいける⋯⋯で、お客様のご到着はいつだ?」
『もうすぐよ。レーダーに反応あり。ゲストたちが続々と席に着こうとしてるわ』
俺はスコープを覗き込み、パーティ会場を見つめた。流石に分かりやすく身をさらけ出しているバカはいない。それでもガスステーションの周囲、瓦礫の影や廃車の裏に、蠢く人影が見え隠れしている。中央の放棄された事務所には誰もいない。
人影をよく見ると、スラムで一番よく見るタトゥーが確認できた。クレイジードッグズ。薄汚れた服装、統一感のない装備、何より隠しきれない殺気と不安。素人だ。
奴らだけではなかった。反対側には別の集団。こちらは多少マシで、目が違う。油断が感じられない。バウンティー・ハンターか。
数は⋯⋯数えても無駄だ。うじゃうじゃいやがる。
俺は眉をひそめた。おかしい。なぜこんな打ち捨てられた場所にあんな奴らがいるんだ? しかも警戒しているのは中間層の方面、Tiānqǐが来るであろう方向。まるで、侵入者を阻む警備員のように。
頭に一つの予想が思い浮かぶ。いやいや、まさかそんなこと⋯⋯やりそうだ。
「おいアリス。まさかあいつら——」
『ピンポーン。彼らも参加者よ、このオーディションのね』
嫌な予感、的中。
『この街で成り上がるには、優秀な手駒が必要でしょ? だから招待状を送ったの。「私を守ってください! そしたらお金と私を差し上げます!」ってね』
笑い声でと骨伝導通信機が揺れた。やっぱりこいつ、アホだ。自分の命をベットして、強い奴の選別に仕立てやがった。確かに合理的で、反吐が出るほど効率的なプラン。
「俺もいち参加者ってわけか」
『もちろん! 大本命だけど、勝負だから始まったら公平に扱うからね?』
アリスがチェシャ猫のように笑う顔が想像できた。本当にこいつは不思議の国からやってきたに違いない。
「へいへい。分かってると思うが、お前は絶対にそこから動くなよ」
『ええ、分かってるわ』
通信が切れる。アリスは今頃、ここから離れたナオミのクリニックにいる。わざわざご丁寧に挨拶する必要は微塵もないからな。
「見極める、ね」
から笑い。試されているのは俺も変わらないことを改めて思い出した。上等だ。じゃじゃ馬のほうが乗りがいがあるってもんだ。
俺はふう、と息を吐き、トリガーガードの外側に指を伸ばした。張り詰めた静寂。心は落ち着いている。まだゲストは揃ってない。
少し冷たくなってきた風に乗って、スラムのすえた臭いがする。
◇2327年10月15日(金) 23:58
事態が動いたのは、日付が変わる直前だった。アリスが仕掛けたセンサー網に魚影が三つ。ガスステーションの北側、中間層へと続く幹線道路から、音もなく三台の黒塗りのバンが現れた。ライトを消したステルス走行。モーター音すら極限まで絞られている。
まだステーションからは遠いところで滑るように停止すると、ドアが開き、闇が吐き出されるように兵士たちが展開した。
カメラをハックし、事前に来る方向とタイミングを知らなければ、探知はまず無理だろう。事実、ステーションにいる駄犬と狩人はお互いを牽制していて、黒塗りたちには気付いている様子はない。
「⋯⋯来たか」
暗視スコープ越しに確認する。総勢九名。スリーマンセルが三グループ。事前にアリスとヴァクシムに教えてもらったとおり、全員がTiānqǐ製の最新鋭強化スーツ”黒麒麟(Hēi qílín)”を着用している。
マットブラックの装甲は光を反射せず、顔さえもマスクで覆われ、表情は伺えない。もちろんサーマルスコープでの熱源探知にも引っかからない。
武装は一人ひとり違うが、どいつもお高そうな銃と近接武器を持っている。流石メガコーポ、毎日良いもん食ってんだろう。
全身が黒尽くめの中、唯一暗視ゴーグルの赤い光だけが不気味に揺れている。それが少しだけゴライアスの瞳に見えて、一瞬だけ鼓動が強くなった。落ち着け。あいつはコソコソ隠れたりなんかしないだろ。
ステーションに向かい、陰を縫う奴らの動きに無駄はない。足元の瓦礫を踏む音すらさせていないだろう。スラムのチンピラとは次元が違う。プロフェッショナル。九人で弧を描くようなフォーメーションは、なるほど、ネズミ一匹逃さない網だった。
まずいな。ちょっと実力に差がありすぎる。このままじゃ気付かない内にオーディション参加者はご退場いただくことになっちまう。
とはいえ俺が先陣を切るのも躊躇われる。乱戦にもなってない状況じゃ、こちらに向かって来る奴もいるだろうし、不利と察したTiānqǐ部隊が撤退して別の機会を探る可能性もある。それだけは避けたい。
どうしたもんか、と悩ませてる俺を救ったのは、駄犬の間抜けな行動だった。
「ちょいションベン!」
カメラにはマイクもついているが、それがなくとも三百メートル先の俺にまで聞こえるバカでかい声を出し、駄犬がTiānqǐが潜む物陰にいそいそと移動していく。
知らず知らずに口角が上がる。Tiānqǐの一人が身を隠しているのは、鬱蒼と茂る藪の中——その真正面で男が立ち止まり、ごそごそと一発かます準備をし始める。
「おいおい、まさか」
一人呟く。俺からは男の後ろ姿しか見えない。ただ、サーモグラフィー付きのスコープは、男の股間あたりから熱い液体が流れ出し始めたのを確かに映した。
やりやがった! マジかよあいつ、やりやがった!! 口の端が目に当たりそうなほど上がり、痛みさえ覚える。もちろん、腹も痛い。
からの絶叫。
「ぎゃああぁああ!!」
男の股間から別の赤い液体が噴出した。尿とは違う、重力に逆らうように空に昇る血。今が昼だったらきっと綺麗な虹が見えたことだろう。
その光景をつい想像してしまい、思わず身を震わせながら、俺は笑い声を堪えるのに必死だった。
つまり、Tiānqǐはぶっ掛けられて、キレて、ちょん切ったってわけだ。色々と汚え。
そして、それが開始の合図になった。
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